蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

スマホ一つで、なんでもかんでも

2022-02-14 | 日々のこと
さきほどまで、マイナポイントをゲットするため、スマホと睨めっこしていた。
意外にすんなりできて嬉しい。
いつもわたしが訪れる趣味SNSで、マイナポイントがなかなかゲット出来ない、苦戦しているといいう日記を読み、へえ〜そうなのか、、、そう言えばわたしも4年前にマイナンバーカードを作ったものの、国からのマイナンバーカード作成促進政策にはわたしは当てはまらないと思い、ほったらかしにしていた。
すでにもう作っていたから、今更特典キャンペーンには間に合わないのだろうと思っていた。
が、2022年も、2021年にゲット出来なかった人向けに、敗者復活戦のように第2弾が用意されていた。
スマホでいともカンタンに、本当にあっという間に出来てしまい、かえって恐ろしさを感じた。
大丈夫?
こんなに大切な命の次に大事な情報がするすると滞ることなくコトが運ぶなんて、、、。
わざわざ市役所に足を運ぶ人もいるかも知れない。

知人Aさんがこぼしていた。
高齢のお母さんのコロナ接種の申込みを代理でしたが、スマホが使えない人や、コンピュータやスマホを持っていない人は、どうやって申し込むのだろうと。
電話という方法もあるが、お母さんは耳も遠く、話が通じにくいらしい。
高齢で一人暮らし、または高齢のご夫婦は、社会から見えない家庭の中に埋没してしまっていてもわかりにくい。
市役所や保健所などのセーフティネットからこぼれ落ちる人もいるだろう。
わたしの知っているご近所の80代の高齢ご夫婦、最初は奥さんが認知症が出てきたが、旦那さんは奥さんの認知症を認めていなかった。
家では普通に話すし、よく笑うし、なんの認知症の兆候もないと仰っていた。
医師の診断を信用していなかった。
が、ご主人も認知症が出始め、ご夫婦共に家庭内に埋没しておられたが、別の地に住む娘さんが介入して事態は少し動いていた。

子供が近くに居ない高齢の方々は、どうなっていくのか。
わたしの母たち(姉の姑、わたしの姑、実母)も、80代後半になると、急に坂道を転がり落ちるように認知症が現れた。
その一方で、90歳を越えてもアタマはシッカリの人々も知っている。

かくいうわたしも認知症のようなもの。
一方的に自分が話したい話しかしない。(ブログは最たるもの)
相手の言っていることにはほとんど興味はないが頷いているだけのことがある。
E TVで、現在、先端で活躍中の、まさに今、生きる人々をほんの少し先の近未来に導いていく専門家の対談があった。
これはぜひ見なければ、、、と一生懸命見ていたが、催眠術にかかったかのごとく、導入部しか覚えていない。
理解したくても理解力が追いつかず、すっかり居眠り。
終わった頃に目が覚める。
(学生時代も同じだったが)
これ、認知症の第一歩かも?
まだ自覚があるから、ないよりはマシというだけのものか。
憧れても、意欲はあっても、脳は着いていかない現状。
まあしかたない。
それが、昔も今も、わたし。
さらに未来は、もっともっと。
ではあるが、結構、落ち着いていて、こころは穏やかだ。
抗ってもあがいても仕方ない。
まして若い頃からなら、もう、筋金入り。

ちなみに、この知人Aさん、自分の昨日言ったことを忘れ、もう一度同じことを言うので、「昨日、聞きました」とわたしが言うと、えらく落ち込んでいた。
「嘘やろ?そんなはずがない」とわたしを疑う始末。
たちが悪い。
「よくあることです。無意識、無自覚です」と、わたしはまるで何もなかったかのように扱ったが、本人はショックだったようだ。

「その話、すごく何度もしてるよね」と娘たちに、何度言われたことかわからない。
忘れていることを忘れている。
だが、食事は忘れない。(あ、これは、母たち)
わたしは、楽しみにしている時もあるので、食べることは忘れないが、一応、日記には時間があれば食べたものを書き留めている。
口の回りにアンコをいっぱい付けて、「お饅頭は食べてません」と嘘をつく、一休さん、
かわいいじゃありませんか。
わたしは、とりあえず、証拠隠滅のために、口の回りはちゃんと拭い取っているので、バレないはずで、まだ大丈夫だとは思うが。
て、バレることが問題なわけではないか。
食べたことを忘れるのが問題なわけで。

いずれ来る道。
どーんと受け入れよう。

しかし、、、
ここで、今日のブログ記事は終われば良かったのだが、、、
一つ、こころに引っかかっていることがある。
それは、、、
うーーん、書くのを躊躇われる。
今日はやめておこう。

不美人は不幸にはならない?

2022-02-12 | 思い出
さて。
今日は昔話を。
過去から現在、そして未来もずっと引きずって行くだろう、わたしの自立心の無さについて。
正確に言うと、自立心はあるのだが、気持ちの上だけであって、実質は伴っていない。
それ、自立してないのと同じ。
(※身体に問題があって自立出来ないケースには言及していません)

精神的に自立出来ない、精神的な病気も今回は横に置いておき、、、
健康な心身を持っているにも関わらず、自分が自立していないことについて書きたい。
あ〜、前置き、説明が長い。
昨今は、世の中は何かとデリケートになっているので気を使う。

で、話を戻す。
わたしは自立心はあるものの、サボりなのでどうもいけません。
つまり、最後のあたりで、踏ん張りが効かない。
ここぞ!!というところで、スタミナ切れ。
なので、いつも、ああ今回もダメだった、、、となる。

30歳ぐらいの時。
アメリカにほんの短い期間、ホームステイした。
未就学幼児3人、日本に置いて行ったので、その間、姑(故人)には大変お世話になり、今も頭が上がらない。
足を向けて寝られない。(どの方向?)
ホームステイ先は、コンピュータ関係?の仕事をしていた35歳?ぐらいの独身女性。
大柄で明るい、大まかなさっぱりした性格。
二階建ての回廊型アパート。テラスハウスのようなもの?
建物に囲まれた真ん中に、共有の庭があった。
カリフォルニアの青い空。
メキシコ国境に隣接した街だった。
彼女は、(ちょっとオンボロではあるが)マイカーで仕事場に通っていた。
当時、わたしは喘息を患っていてMAX飲み薬を飲んでいた。
そのことを彼女は電話で友人に話していたのを覚えている。
彼女のお楽しみの日課は、仕事を終え帰宅後、留守番電話のメッセージを聞くことと、送られてきた手紙を読むこと。
電話もしていたかなと。
何しろ独身一人暮らしではあるものの、わたしの拙い英語にびっちり付き合ってくれるほど暇でもボランティア精神旺盛でもない。
わたしは彼女に何を話したかよく覚えてないが、彼女は友人には休養(バカンス)で来ていると説明していたような。
お遊び、ってことだ。

確かにお遊びである。
子供を置いてまで、家族に迷惑をかけてまで、必死の覚悟で日本を飛び出してきた気迫はゼロ。
あんた、何しに来たの?の世界だろう。
一応、名目は語学研修なのだが、自分で言うのもへんだが、笑ってしまうレベルだった。
わたしはそういう、何か真面目風、まとも風、お勉強風を装って、たんに実体は遊んでいるだけ、ということが多い。
本人は真剣なのだが、実践レベルが低く努力が伴っていない。
パッケージや包装紙はカッコいいのだが、中身はお粗末そのもの。
表面の体裁を磨いて底上げしているのに過ぎない。
磨くべきは、中身なのに。
どうも、外側から中身に移行すると力尽きるようだ。
それなら、外側には目もくれず、黙々と着実に努力し積み上げていけばよいのだが。
若き日は、まずは外側から、器から、見た目から入ることが多い。

やがてメッキが剥がれるのには時間はかからなかった。
つまり、お遊びだけの人生体験に過ぎない時間を過ごした。
しかし、そのお遊びは、わたしの血となり肉となって、それ以後のわたしを肉付けしてくれている。
骨格や内臓は、生まれつきのものだろうけれど、オプションは彩り自由。

当時は若かったので、意気込みも強く、クラスメイトを寄せ付けないオーラを放っていた。
日本から一緒に行った人や、現地日本人とは絶対に話さないぞ!と決めていた。
なので、アフタークラスはいつも一人行動。
休日は、ホストファミリーの女性が、BFの家やお友達のパーティーに連れて行ってくれた。
その他の時間は、わたしは国籍不明の自由人となっていた。
現地に馴染みすぎるせいか、わたしは日本人に見えないこともあり、結構驚きだった。
ショッピングもよくして、日本でも30代はアメリカで買った服をよく着ていた。

だが、ホームステイ先から旅に出ることはなかった。
毎日、授業が終わって午後、ぶらぶら近場をうろちょろは出来ても、遠くには能力不足で一人では行けなかった。
そのあたりから、わたしの人を寄せ付けないオーラは変化していったようだ。
自立心は何処へ?
今となっては、幸運だったとしか思えないが、たまたま良い人に出会い、善意、善行を受けた。
運が悪いと、そこから不幸が始まるのだろうけれど、本当にわたしは運が良いとしみじみ思う。
だが、その出来事をキッカケに急に人生が大展開するかというとそうではない。
また運良く、楽しく元の位置に機嫌良く戻ることができた。
幸運の、善良な人物は、一人ではなく二人。
一人は、同じ授業を受けていたか、前後の授業を受けていた男性。
日本企業勤務で、英語研修のため現地在住?単身赴任?
もう一人は、同じアパートの住人のアメリカ人男性。
共通点は二人とも男性で、善人。そして、何よりも紳士!!!
あちこち、連れて行ってもらった。ミニ・ジャーニー。
結局、ラクして安心安全に観光を楽しんだ。
自立した行動どころか、親切な人々に助けられた格好になった。

わたしは今まで悪い男性と縁があったことがない。
これは何だろう?
わたしに、悪人を呼び寄せる力がない、、、
わたしは、悪人を魅了する魅力がない、、、
ではあるが、大きな人生の岐路となり、悪人や善人と発展があるかというと、、、
たんにただ楽しい思い出に留まり、人生はまた元の路線に戻っている。
本線から外れることは決してない。
というか、善人を引き続き人生に取り込む、そんなパワーも魅力もないのかも?
人を狂わせる、あるいは自分が狂う、クレイジーな要素がないのだろう。
美人じゃないから、、、仕方ないというか、まあ仕方ない。
淡々と我が道を行っている。
が、周りは善人のみに彩られ、良い思い出しかない。


幸運なのだろう。
というか、悪人はわたしのような天然は接点がないのかも知れない。
外の世界の人には何のアピール力もない。
何のインパクトもない。
いるかいないか、わからない。

わたしなんぞ、騙そうと思えば赤児の手をひねるかの如く、騙しやすいのだけれど。
「僕は国際秘密情報員だ」などと身分を偽ると、興味に駆られて根掘り葉掘り聞いてしまいそうだ。
どこのスパイ?任務は?経歴は?報酬は?
もし、惚れてしまって、聞いてはいけない、などという展開になったとしたら???
しかしスパイは現地の人と深い関わりは持ってはいけないはず。
うーーんーーー。
興味よりまず、疑うだろう。
本当??と。
スパイだなんて自分で言っている人ほど怪しい人はいないと思う。

人を騙すには目的がある。
お金目的の詐欺。
あるいは、恋愛のゴタゴタ。
結婚詐欺は両方の要素を兼ね備えている。
お金絡みがわかりやすいけれど、権力闘争なんかも騙し合い。
自分は国家の上層部にいる人物だ、とか、業界の頂点の人間だと言われると、情報網を使って調べるだろう。
あるいは、ツテがないと探偵社に依頼するかも知れない。

アンダーグラウンドにいて一般探偵社では調べようがない人だったりすると?
アンダーグラウンド専門の探偵社もあるので、犯罪歴あたりで黒い履歴で引っかかる?

と話は逸れに逸れている。

自分は騙されないゾ!と確信している人ほど騙されやすいらしい。
あまりにも当たり前過ぎて見逃す盲点みたいなものがある。

悪人はわたしをどのように騙せばよいか、である。
高校生の頃、別の高校の生徒達とも交流があった。
当時、すでに社会人になっている、友達の友達の友達もいたが、皆んなで合流して遊びに行ったことがある。
全くカスリもしないほどわたしは接点がなかった。
言葉はどうにか通じたが、身にまとう雰囲気が相容れなかった。
幸か不幸か、わたしの人生を波瀾万丈にするには、彼らはやや迫力が欠ける。
波瀾万丈とは、頂上と最低の上がり下がりがあり、わたしは頂上はさほど熱望しなかったが、bottom(底)は嫌だった。
誰でもそうだと想像するが、わたしは今より上には憧れ努力の真似事はするが、下には落ちないようにしようとする。(いわゆる向上心)
平凡な日常を送るわたしには、多種多様の出会いが無かったのかも知れない。

まあわたしは、今の波風が立たない毎日が気に入っているので、それも悪くない。

今日はちっとも終わらないので、このあたりで強制終了します。


身体を解放しよう

2022-02-11 | 日々のこと
いつも独り言、自己完結書き散らしをお読みいただきありがとうございます。
食べ物と同じで、あれ?今日は塩が濃すぎるな?とか、変な味、とか、異物混入とか、感じた瞬間、食べる(読む)のをやめてください。
今日はどうも、「負」のわたし。
負のエネルギーを撒き散らすのは申し訳ないので、避けてください。


わたしがなぜいつも自己完結かというと、自分でシャッターを下ろしているから。
距離を取っていたらいつの間にか、開かずの扉になってしまっている。
これはブログに限ったことではない。
コミュニケーションの取り方が下手。
ブログや日記ならぐじぐじ書いてスッキリだが、リアル生活はそういうわけにはいかない。
窓を開けて大声で叫んだら、近所迷惑だし、家の中で叫んだら、気持ち悪い人になるし。
何かストレスの吐け口があれば良い。
別にストレスはないので、挙げた拳は、どこに下ろしたらよいのかわからない。
ただ、淋しいだけ。

わたしは末っ子なので淋しがりなのだ。
長いものには巻かれ、いつも大樹の陰でひと休みするサボりで、潜り込むのは苦手ではないのだが、、、。
とても淋しい時がある。
他愛ないどうでもいい、おしゃべりをしたい時がある。
相手に合わせるのはもう充分だ!と被っていた帽子を地面に叩きつけたい瞬間がある。
(帽子、被りませんが)
アタマに来るが、アタマに来すぎると、むしろどうでもいいと思い、とりあえず、すみません、と言っておく。
こころが、死んでいる。
キレたまま昇天。

しかしまあ、、、
マウントをとりたい人に接すると疲れる。
なんで自分を上に持って行きたがるのか。
不愉快この上ない。
自分がしてあげた労務に感謝の意を表さないと、無理矢理、感謝させようとする。
「してあげた」「してもらった」この図は、当然、「ありがとう」が自然発生する。
あくまでも「自然に」。
強要した(された)時点で、感謝は吹き飛ぶ。
漆黒のモヤモヤとしたものが、お互いの胸の中に。
言葉ひとつで、人間関係はころっと変わる。
気持ちはころっと変わる。
お互い、良かれと思ってやっているとすると、深刻だ。
感情の糸が絡まる。
友達がいなくて淋しいなあ、なんて膝を抱えて丸まっているほうが被害が少ないか。

と、行きは、じくじくしていたが、
外に出て、身体を動かすと、、、
帰りは、ぱぁっとウソのように、漆黒の闇が、オレンジ色か、ピンクの風船みたいに飛んで行った。
なんと、単純な。

やはり、身体を動かすこと、運動すること、人と関わること、外の空気に触れることは大事。
と、今更感ありありのことを書いている。

人はやはり、一人で生きていけない。

静かな人

2022-02-10 | 思い出
今日は認知症進行速度を緩める効力と、たんに自分が楽しいだけの、お読みになっても毒にも薬にもならない、つまらない内容です。

と、最初に前書きすると、迎合やら、ウケやら、感想やら、評価やら、気にせず気楽に書ける。
可愛いげがない。

で。
今日の文字、無駄遣いは、「思い出」。
高齢者にありがちな、「昔は良かった、、、自分は偉かった」
あるいは、「昔は大変だった。それに比べて、今の人は、どーこーあーこー」
に、今日はならない予定。あくまでも、予定であるが。

誰も知らない、無名中の無名人である、超個人的肉親の人物の思い出を辿る。
(蝶ブログには最低一度は綴っている)

父方の祖父。
わたしが3歳半で他界。(享年72歳)
記憶に残るのは優しい祖父。
廊下を渡る離れで、晩年は脳卒中で伏していた。
祖母が自宅で介護、看護。
祖父の部屋に行くと、袋物のお菓子を出してくれた。
後遺症のため手が不自由なので、脇に袋を挟んで、口に咥えて(歯で?)袋の端から開封していたのをよく覚えている。
あとは、井戸前、蔵前の、家屋の壁に面して木製の120センチ?(150センチ?)ぐらいの大工道具入れ家具が置いてある土間スペースに立って、夜のおかずになるニワトリをぶら下げている姿をうっすら記憶している。
のだが、、、わたしが3歳半で亡くなり、それまでは病気だとすると、伏している期間は短く、病気発症はわりと遅かったのか?
でなければ、昼間、作業している祖父がわたしの記憶にあるとすると、0〜2歳で覚えていることになり、わたしは天才級に記憶力が良いことになる。
そんなはずはないので、ニワトリ男性は別の人である可能性がある。
父はあまりそういう作業には関わらないので、その人物は父ではないとたぶん思うのだが、、、
ひょっとすると、母の兄(伯父)とか?
今となれば、確認のしようがない。
祖父の思い出は、お菓子と、お葬式当日だけ。
大人たちが大勢集まり、当時5歳半の姉と、いつもとは違う雰囲気に、はしゃいでいた。
姉が祖父の顔にかかっていた白い布をちらりとめくったりして、こっそりイタズラして遊んだ。
3歳半でも、記憶というものは強い。
心理学的には、幼い頃、災害や事故に遭うとトラウマになることだろう。
その3歳半を最後に、それ以前の幼い頃の記憶は祖父に関してお菓子以外にはあまりない。
子供は、日頃貰えない、既製品の市販のお菓子が印象に残っているのだと思う。
兄や姉はわたしより歳が上なので、もう少し祖父のことを覚えているだろうけれど、わたしはお粗末な記憶しかない。
そう言えば、お葬式に遠方から来て参列した親戚の子供たち、兄弟(小学校低学年?)二人で大げんかをしていた。
それがお葬式の時なのか、法要の時なのか定かではないが。
二人とも、その後もよく知る人物だ。
わたしより弟は5歳ぐらい上、兄は7?(8?)歳ぐらい上。
団塊の世代である。

祖父は、モノクロの写真でしか知らない。
わたしが直前見て知っているのは、3歳半までだが、明治生まれの祖父を取り巻くヒストリーがある。
今日は書く気がしないので、またそんな気になれば書くかも知れない。

簡単な目に見える、さらっとした思い出シリーズ。
はい、次、祖母。
祖母は、わたしの記憶によく登場する。
わたしが生まれた時から、祖母が亡くなる時までのお付き合い。
母が仕事で忙しいので、平常の家事は祖母が担っていた。
畑から野菜を摂ってきて、煮たり焼いたりしてそのまま食卓へ。
季節のツクシもアク抜きして調理後、食卓へ。
そこらへんにあるものは、なんでもかんでも食卓へ。
わたしは、来る日も来る日も単調な野菜のおかずにうんざりしていた。
茄子の素揚げとタケノコの天ぷらは好きだったけれど。
今の健康な体は祖母が作ってくれた食物のおかげだと、とても感謝している。
やがて祖母は、コロッケを作ってくれるようになり、わたしはそれが大好物だった。
野菜は自然に勝手に生えてくるわけではなく、育てているのだが、生業にしていないため家庭菜園の域を出ないにしても、作付け面積は広かった。
ほうれん草、小松菜などの葉物、トマト、きゅうり、茄子、大根、じゃがいも、などなど、祖母が一人で育てていたように思う。
朝夕、1日2回、玄関周りの板間を雑巾掛けしていた。
雨戸の開け閉めから始まり、きちんと家事をこなす働き者だった。
(その雨戸、開閉にコツがあり、なかなかすんなり行かず、今もわたしを手こずらせている)

晩年、「わたしみたいな(何の取り柄もない)者をおじいさんは可愛がってくれた」と祖母はぼそっと漏らした。
その時は、わたしはなんとも思わなかったが、今、これを書きながら、涙が止まらない。
明治の女性には頭が下がる。
祖母は、喜怒哀楽をあまり表さない、静かな人だった。
無口で大人しいが、芯はしっかりしていると思う。
息子(わたしの父)は、生き残った息子の中の貴重な一人で、大人しいとは言い難いキャラクターだったし、加えてその嫁(わたしの母)は更に激しい人だったから気苦労もしただろう。

わたしたちが父の仕事場近くの家に引っ越した後も、田舎のだだっ広い家に一人で住んでいた。
(頻繁に家族は帰っていたが)
が、88歳の時に、父の仕事場のある家に身を寄せ(というか、引き取られ?)91歳で他界した。
祖母のお葬式には、わたしは生後7ヶ月の長女を連れて参列した。
祖母方の親戚の女性が、泣きながら「おばあちゃん、おめでとう」と言っていたような。
長寿で寿命を全うした、祖母だった。
今のわたしには、ありがとうという感謝の気持ちしかない。
どんな感動的な映画を観るより、なぜか泣けて泣けてたまらない。




まさに独り言です

2022-02-09 | 日々のこと
※この記事は、特定の人に向けたメッセージではありません。
あくまでも、わたし個人に関するものです。

・・・・
もし余命宣告を受けたら、、、

いきなりは、ないと思う。
その前に何らかの兆候があるはず。
が、突然、事故で本人も知らない瞬間にあの世に行くこともある。

自分を見直すキッカケになる。
自分が居なくても周りはさほど大きな痛手や被害はないだろう。
もう子供たちは独立しているし、夫はまだ健康で生活している。
わたしが受け持っている最低限の仕事は微々たるものなので、あってもなくてもさほど大きな違いはない。

昨夜見たNHK ETVで、宮本亜門氏がご自身の癌闘病について話していた。
同時に昨年、亡くなったお父さん(享年91歳?)との生活についても。
一般人のわたしとは違い、芸術家はスゴイものだと、つくづく思った。
思いや体験を作品に昇華する、転換可能のエネルギー、能力がある。

想像するには通常、病気で気力や体力が減少するに従って、しょんぼり、ぶすぶすと火が消えていくだけで、可燃の元がなくなると、終焉、最期。
ではあるが、病気の場合はある日、突然ということはない。
5年前は、こんな顔。2年前は、こんなの。
1年前は、、、
と、徐々に変化、衰弱する。
本人も、周りも、衰えていく現状を目にして認識していく。
現実を受け入れざるを得ない。
本人の気持ちに寄り添うのが理想中の理想ではあるが、周りも自分の生活がある。
また、寄り添いすぎると、最期にどう対応できるか?
悔いが残らないようにしたい、と皆が思うだろうけれど。

現実問題としては、はっきり余命宣告されたら、先ずは落ち込み、わたしなら終活を本格的に始める。
「全部、捨ててね」ではあまりにも丸投げ。
遺したいものだけ、段ボール箱に入れて、蔵にそっと放り込んでおこうか。
(蔵にはどう見ても捨てるべきものも山と積まれている。
わたしは、去年のリフォームで処分に困りとりあえず保留扱いした、持ち込み犯人の一人)
老人ホームに持って行きたいモノも、段ボール箱に入れておこうか。
いや、スマホひとつでいいかも。
毎日見ても、見尽くせないほどの数の思い出の画像が保存されている。
(有料iCloudで容量アップ)
日記も製本タイプのものと併用して、ダイアリーアプリも日常、利用している。
だが、とりあえず、製本タイプのダイアリーブックは持ち込みたい。
10年連記にすると残りの寿命から見て余ってしまいそうなので、5年連記に?
(10年連記では時間はあっても、記入する気力がなくなっている可能性がある)
いや、老人ホームでは何もすることがないので、記入余白の大きい3年連記でよいか?
わたしは毎年、製紙の日記帳は1年ものを半世紀にわたり書いていたが、直近では3年連記を2回(2016.2017.2018)&(2019.2020.2021)続け、今年から5年連記(2022.2023.2024.2025.2026)にした。
が、小さい字でチマチマ、どうも具合がよくない。
かといって買ったばかりなので、とりあえずは5年間の辛抱。
5年後に3年連記に戻すかどうか、また見直そう。
先が長い、、、ふぅ。
こんなペースで終活、出来るのだろうか。

モノの整理は断捨離で、メルカリで売りに出す日が来るかも知れない。
そうなると忙しくて、ビジネスのように振り回されてストレスの元になりそうだ。
とりあえずは、メルカリ売出は保留しよう。
買うだけのほうが、責任がなくて楽々だ。
だが、終活と真逆の方向に進むことになる。
うーーん、、、

蔵に自分のお気に入りの大切なモノをお取り置きしよう、、、なんて書いているが、実際は、お気に入りのモノを蔵から持ち出し自宅に運び込んでいる。
これまた終活とは逆の動き。
ある時点で運び込み(IN)と、運び出し(OUT)が交差して、徐々に運び出しが運び込みを上回り、そのうち、運び出しと、断捨離だけになり、さらに、自宅はすっきり空間へ、、、というプランを思い描こう。


ちなみに、それはそうと、、、
今、わたしは自主的ではない自宅待機状態である。
好きで自宅引きこもりは楽しいが、自粛軟禁となり、息苦しい。
やっていることは同じなのに、気持ちの持ちようで全く変わる。
選択肢があるかないかで、雲泥の差である。
「何もしない」のも、「何もしたくない」のか、「何もしてはいけない」のか「何も出来ない」のかで、まるで違う。

話は変わるが、、、
自宅の警備保障の機器を取り替える時期になった。
警備会社から提案書、見積もりが出されて、にらめっこしている。
警備、縮小するのも、やめるのも一案。
警備機器のメンテナンス保障期間が20年で切れるため、新たにリニューアルすることになっているのだが、この先20年を考えると、、、
警備、必要なのか?
老いてからのほうが、より必要なのか?
縮小するか、他社と比較検討するか、、、ただ今、思案中。
他にもリフォーム定期点検のお知らせが届いている。
ああ、めんどくさい。

なんでも、めんどくさくなると、黄色信号だ。
何にもしたくない、ということだ。
何もしないで、どうやって日々過ごす?
晴れの日は散歩?
いや、別に散歩はしない。
ドライブと同じで、ドライブそのものが好きなわけではなく、目的地への往復の道中が、散歩だったりドライブだったり、電車移動だったりする。
目的がない、というか、散歩そのものを目的にするのは、今のわたしには気が乗らない。
(健康維持という目的がある場合は、オッケー)

目的がなければ何もしないなら、生きる必要もないわけで。
そんな辛気臭いことを言い始めると煮詰まる。
動く必要がないなら、その状態に感謝し、さらに余っている労力を有効に使うべし。
究極のエコは、何もしないことだ。
身体も頭の中も動かない。
更にエコの究極は、、、言うまい。
宮本亜門さんなら、素晴らしい作品となって表現できるだろうけれど。
死を意識することは、生と真摯に向き合うことだ、と、同番組内で落合恵子さんが言っていた。
(しかし、あんなに見た目キュートだったレモンちゃん、落合恵子さんが、、、スゴイ風貌になっいる、、、時の経過は残酷だ。
が、わたしも同じこと)

気分屋のわたしは、天気によって左右される。
意味もなく爽やかだったり、明るかったり、
時には間伸びして退屈だったり。
幸福なことに、悲しいとか、虚しいということは決してない。
満たされている。
ぽかぽか日の当たる窓辺。
今日も悪いことは起こらず幸せで良かったとしみじみ思う。
わたしの幸せのバロメーターは、飽きもせず黙々独り言、長々ブログが綴れることかなと。
それも、お読みいただく方がおられてこそ、である。


眠っていた怪物が騒ぐ

2022-02-08 | 日々のこと
スマホ画面に現れるインターネット広告に導かれ、読んだ漫画。
不徳にも第二話で、涙、、、。
(第二話までは無料。第三話で完結)
第三話を課金して読もうかどうか悩んだが、皆さんのネタバレコメントなどを繋ぎ読んで、だいたいのストーリーを掴んだ。
全部、読まなくてもよい。
想像して、はっきりしないままぼんやり終わるのも余韻があって悪くない。

ギャグマンガみたいな、強い太線のヘタウマ漫画タッチ。
ではあるが、中身は濃かった。

昔の、昭和そのものの、田舎の頑固親父と家族のストーリー。
読者からは誰一人として、その頑固親父に肩を持つコメントはなかった。
読者は頑固親父の子供世代。
うちの祖父、こんなのだったという人も。
口を揃えて毒親と、ののしる。

こんなオヤジ、昭和では普通だったかも知れない。
パワハラで、今もドラマなどで誇張表現されて登場する。
子供や女性は自分のモノで言いなりになるものだという意識。
漫画では主人公のお母さんやお姉さんが、すごくいい味を出している。
田舎のりんご農家なのだが、主人公がワンマン親父のいる実家を飛び出して20余年。

りんご農家を継がない、煮え切らない態度を取る息子に腹立ち、妻に怒鳴る。
「お前が甘やかしてちゃんと育てないから、こんな息子に育ってしまって、、、
お前みたいな要領の悪い妻と結婚して俺は最悪の人生だ、、、」みたいな暴言を吐く。
妻は、子供たちは手塩にかけて磨き育てたピカピカのりんごみたいに宝物だからと、両手に子供たちを抱きしめて、ぐっと我慢する。

今、思い出しても涙が出る。
その暴言はもう人間としてどうしようもないから見捨てて無視するとして、母親の子供に対する気持ちが泣けてくる。
子供たちをこころを込めて大切に育てる気持ち、、、離婚されたら困るわけで。
令和の妻なら、とっとと離婚届を叩きつけるのだろうけど、、、
今時は子供2人を抱えてシングルマザーの道を選ぶのは、珍しいことではないのだろうけれど、、、。

この母親は、子供が愛おしくて我慢したのだろう。
頑固親父は子供の個性も見ず、育てず、時代の流れも無視し、自分の思い、願望、方針一本槍。
黙ってオレに着いて来い!!
当然、有無を言わさず着いてくるものと思っている。
明治時代ならあり得るかも知れない。
昭和初期ならまだいたかも知れない。 
昭和後期は、ちょっと厳しい、、、。


へんに微妙に重なる、、、わたしの家庭と。
育った家庭ではなく、今の家庭。
育った家庭は田舎は同じだが、りんご農家とはちょっと違う背景。
似て非なるものなので、あまり参考にならないが、全く同じ部分もある。
親父一極権力集中、家父長制。
明らかに時代遅れ。
そういう時代。

わたしが涙したのは、、、母の子供に対する愛の深さ。
(わたしの母も、母としてのわたしも、子供に対する思いはちょっとタイプが違うように思うが、それはさておき、、、もっと本質的な、、、理屈抜きの母性愛に涙するようなものか?)
今の人は、愛が深いとしても質が違うように感じる。
時代の違いか。
AIとか発達しているし。

漫画では、現在は歳をとった、過ぎ去りし時代遅れのパワハラ毒親父なのだが、、、
おばあちゃん(母=妻)が、最後に、この毒親父を許さなかったところが、ストーリーとしてはスカッとする展開。
親父は息子に本当の気持ちを伝えられ、改心するのだが、妻は決して許さなかった、受け入れなかった。
読者としては、これはそうとう気持ちよかった。
「許さーーん!!」と妻が叫び、バチコーン!!と毒親父の頬っぺたを張り倒して終わり。(たぶん)
改心しても過去は変えられない。
そういうこと。

話は漫画から変わるが、
子供が親の思い通りにならないことを理解できない夫はある意味スゴイ!
漫画の息子がある日、突然出て行ってしまうくだりは、ものすごく共感できる。
父子ははっきり口に出さないが、こころは通じているものと思っている。
親父は生き様、自分の背中を子供は見ているから当然、同じような道を歩むと思い込んでいる。
わたしはそれが不思議でたまらない。
なぜ、そんなことを思い込む?
子供には子供の人生がある。

いくら、こっちこっちと優しく手を差し伸べても、自分の進みたい道がある。
そもそもある程度進んだら、手を離せばよいのに、いつまでも、、、。
これは優しさなのか?
自立心を阻んでいることになるのでは?
子供が助けを求めてきたら助けるのは当たり前だとしても。
昭和の頑固親父と見た目や状況は違うが、子供を思い通りにしたがるという点では同じではないのか?
子供だけでなく妻も、であるが。
くるっと振り返ると、誰も着いてきていない。
思い通りにはならないことは分かりかけてきたようだが、例え無理だとわかっていても、思い通りにしたい願望は死ぬまで続く。
パートナーシップは一生築けない。
相手を屈するか、相手に屈するか、無理矢理感はあるが、真ん中の協調路線がない。
上下は出来ても横並びが出来ない。
経験がないからだろう。
そういうプライドの高いおぼっちゃま、いるいる、わんさかいる。
これは親のせいもあるが、成人になったら自分の責任は自分で負わなければいけない。
老いた親に責任をなすりつけるのは、みっともない話だ。

パートナーシップに関して言えばお互い様なので、相手ばかりを責められない。
が、昭和のパワハラ毒親父の話に触れると、大人しく眠っていた怪物の血が荒れ狂い騒ぎ出す。
その時に同時に男尊女卑時代の「姑」や「姑の姑」の悔しさ、哀しさ、怨みがどさっと被さってきて、何人分もの怨念みたいな重さを感じる。

じいちゃんは、山へ

2022-02-07 | 
「ぽつんと一軒家」
これも好きなテレビ番組の一つ。
昨夜、見たものは、ちょっと唸ってしまった。
今の社会の断面を見たような思いがした。

まず、わたしと共通点がいくつもある。
1番の共通点は、世代、年齢である。
取材対象者の方のほうが、ちょっとだけ歳上ではあるが。
大まかにくくれば、あんなかんじ。

親が守っていた一軒家を次世代の自分がバトンタッチして守る。
昨日の番組の人は、お姉さんと週に日替わり交代で住んで守っておられた。
お姉さんといっても81歳。
弟さんは、71歳。
この人、まだ現役でサラリーマンで、同じ会社に勤続半世紀。
今の場所よりまだ奥に家があったが、不便なので手前にお父さんが建て直した家は、築80?(90?)年。
71歳のこの方、五代目ぐらいかな?と、仰っていた。
お姉さんはご夫婦で麓の家から通っておられたが、ご主人は86?歳になられ、畑仕事も体力的にきつくなり、そろそろ通いは卒業したいとのこと。

そうなると現役弟さんは、その山奥の家から会社に通うことになるとか。
今は金土日月は、弟さん、火水木は妹さんご夫婦。
土日だけだったのが、コロナ禍でリモートワークが認められて金、月が追加されたらしい。
生まれ育った家、山。

背筋のしゃんとした、動きもキビキビの弟さんは、歳を感じさせない。
あんなカッコいい人、独身なのかなあ、、、と思いきや、麓の自宅には奥さん、娘さん一家と住んでおられた。
娘さんには小さいお孫さんが三人。
今時の親は、娘さん一家と住むのがトラブルがない。
お婿さん(サザエさん家ではマスオさん)と同居。
お嫁さんではない。が、実質、男性のお嫁さん。

たぶん、、、わたしが想像するには、、、
あくまでも想像の域を出ない、勝手な想像に過ぎないが、、、

じいちゃん、仕事も実家も大変だから気をつけてね、と奥さんをはじめ家族も労るものの、もう両親のいない夫の実家に、奥さんは付いて行かない。
夫の心身を労うのみ。
若い娘夫婦や孫と一緒に麓で暮らしても、大黒柱の地位はもはやない。
大人しい優しいイクメンお婿さんや、可愛い盛りのお孫さん、、、そこに家事をしないおじいちゃんの出る幕はない。
おじいちゃんは、実家の家や山を守る、大事な役目がある。
一人で行ってきてね〜、こっちはまだ孫も小さいから、おばあちゃんの手が必要。
おじいちゃんに、付いて行きたくても行けないわぁ〜。
皆さん、ウィンウィン。
この例にそっくりな家を身近にいくつも見知っている。

ある家では、娘一家との同居や孫守がなくても、おじいちゃんの実家を守る役目を夫に託している。
この奥さんは、わたしがよく知る人物。
大義名分は、最初は妻は仕事!
だから夫の実家に付いていけない。
妻が仕事を辞めて、次の第二の仕事場が、夫の実家に近くになってしまった今も、そして、子供なんかとーーっくに独立して出て行っている今も、夫と妻は別々に暮らしている。
時々、合流している。
仲良し協力体制。

夫は夫の実家へ。
実家で後継ぎとしての男の役割がある。
妻は自分の家で子供や孫を育てる。
2つにコースが分かれる。
もちろん、喜んで奥さんが付いていくこともあるだろう。
行きたいのに健康的理由で行けなくて悔しい思いをしている人もいるだろう。
奥さんの実家に奥さんが家を守りに行き、夫が付いていく場合も、付いて行かない場合もあるだろう。
価値観や、状況は、人それぞれで、一つの型に入れて決めつけられない。
(※介護が終了した例になっている)


ちなみに、、、
ひと昔前に、定年後、東南アジアなど日本より物価の安い地に夫婦で移住することが話題を呼んだ。
妻たちは、現地を引き上げてしまったという、その後の話も聞こえてくる。
最初に付いて行かないという選択肢もある。
日本国内でも田舎暮らしに憧れて、定年後移住するものの、閉ざされた地域での住民と仲良く暮らすのはかなりの努力を要する。
高齢になれば、医療機関と遠くに立地する場所では持病に見舞われたりすると、不便であるし緊急事態に対応できない。
リタイア後の、若い高齢者は元気いっぱい、夢いっぱいだが、90歳に近くなると体力的にキツイ。

ある親戚は、都会から離れた別荘に通っていたが、もう無理のようだ。
子供が小さい頃は一家で通い滞在していた時期もあっただろうが、定年を迎える年齢になる息子たちも、両親が手に入れた別荘をあまり喜んでいるようには見えない。
負の遺産か。

親の思い入れは子供に伝わっていないことがある。
情熱がない。
負の遺産ははやく処分したいことだろう。
「ぽつんと一軒家」のおじいちゃんが最後まで頑張って守ってきた山の家も、おそらく今のおじいちゃんが体力、気力が尽きるとそれで終わりだろう。
殊勝な奇特な孫が現れて、わたしが後は維持します!とでも手を挙げない限り。

街に暮らす、核家族の人なら、別に受け継ぐものもなく(負の遺産も、正の遺産も)、自由に心身が解放される。
好きなように生きられる。縛りがない。
健康が許す限り、黄金時間を堪能して味わい尽くしてほしいものだ。
大金がなくても、こころは自由。
山歩きをするなり、行政サービスを利用するなり、そんなに大金は要らないと思う。
健康と、マインド!
ただし、健康に翳りが見え始めると、こころも弱る。

今はまだ大丈夫なので、弱ってから考えよう、っていうのは、後手に回り過ぎか?
今から考えて準備することが生き甲斐だったりして、、、(健康オタクのように)。
幸か不幸か、わたしはそういうタイプではない。
なるようにしかならない。
なるようになる。



萎んだ風船

2022-02-06 | 日々のこと
天気は良いが寒い日曜日。
真冬だからこんなものか。

今日は超超久しぶりに、夫と過ごす日曜日。
と書くと、ほのぼの幸せ感が漂っているかも知れないが、それはお読みになる方の感性による。

夫源病を潜在的に抱える妻の皆さん。
あるいは、努力しているのに身の置き所のない夫の皆さん。
あるいは、仲良しご夫婦の皆さん。
あるいは、お一人様の皆さん。
立場によって色々だろう。

さて。
夫が少しの間でも居ない間が最高のオアシスタイムになっている。
別に夫が嫌いだとは言っていない。
感謝してもしきれない。
この世を去られると困る。
わたしのほうが先にいきたい。(これは微妙か?)
掛け替えない。
再婚する気はさらさらない。(シュミレーションがショートカットになっている?)

そう書くと、深い愛情、絆で繋がっているかのイメージ。
それぞれ、受けるイメージは人による。
書き方にもよるが。

で、夫が居ないこの瞬間(今、入浴中。お風呂で寝るから長い)は、わたしのリラックスタイム。
夫のリラックスタイムでもあるからウィンウィン。(ウィンウィンの使用法がおかしい?)
わたしはお風呂で寝る行為は嫌いである。
が、わたしがリラックスタイムを1秒でも長く得られるのなら、嫌いとか好きとか、どうでもよい。
自分都合。
いちいち、快適だの不快だの言っていたら生きられない。

大まかに、家族皆んながそれぞれ、そこそこ幸せならそれでよい。
「万引き家族」は良くないが。
「そこそこ」は基準があいまい。
人によって、理想水準が違う。
幸せを感じる指数は、モノが豊かな日本は低く、あまりそうでない国ブータンが幸せ度が高い。
精神的なことや、考え方、感じ方による。

人は満たされ過ぎると、あとは下がるしかない。
満たされた状態を維持できるだろうかと少し先のことに気を回して不安になったりして、目いっぱい今、この瞬間の幸せを感じきれない。
幸せだと感じる「こころ」こそが、大事。

と、絵に描いた餅のごとく理想的な道徳のお手本のようなことを書いていたら、夫がお風呂から(意外に早く)出てきて、
「昼ごはんは?」と。
現実とはこんなものである。

これも含めて、現実感のある幸せである。
食べることの出来る幸せ。
「日本人男性は、家事に携わる時間がすごく少ない」と、昨日、池上彰がテレビで言っていた。
今更感ありだが。
夫は面白くない番組を後にして、隣の部屋で好きな番組に切り替えていた。

休日の昼食ぐらい男性が用意してもいいじゃない?なんて、不満をぶーぶー抱かず、そういう生活スタンスを選んだのは、自分でしょう?
努力してこなかったのは、自分でしょう?
その結果を目の前にして何の文句がありましょうか。
自業自得の不満もそのまま含めて今の自分を受け入れよう。
嫌なら努力せよ。
努力もせずに、不満を持つな。
そう思う。

では、努力して結果に不満を持つ場合は?
努力してから、言ってちょうだい。
なるほど、ご無理ごもっとも。
誰と話してる?
わたしと仲良しの神さまです。
(※一応、説明書きとして入れておきますが、これはわたしの幻覚、幻聴ではなく、ひとつの表現法。 
中には、わたし(スロー)は、こりゃアブナイと思う方もおられるでしょうから)

さて、今から昼食準備にかかろうか。
もやしラーメンで、いいかな?


と、ここまでは、気分屋のわたしは曇ることもなく晴れ渡る空の隙間から雲が出てきても、どおってことはなかった。

もやしラーメン(玉子もロースハムも貝割れ大根も入っているけど)を食べた後の食器が食卓にそのまま放置されているのを見て、「食べ終わられましたら、こちらまでご返却ください」と(嫌味ったらしく)慇懃無礼に言うと、夫は丼をカウンター(重要書類をお取り置きしている所)に置いた。
カウンターは、流し台とダイニングテーブルの間にあり、主に失くしては困る重要書類やDMを一時的に置いている。
食べ終わったとしても、丼にはスープなどが、縁や底に垂れたりしていることもある。
仕舞い込み片付ける前の仮置きとして、最後の1番上に置いていたのが公的書類だったのだが、その真上に汁付き(の可能性がある)丼を置かれて、わたしはギャッとこころの中で叫んだ。
「な、何をする?!」

書類と開封された食物、ましてや汁物を一緒に置いてはいけない。
といっても、カウンターを重要書類置きにしていたのは、わたしである。
説明責任はわたしにあった、、、?!

「カウンターには重要書類を置いているので、汁物丼はそこに置かず、流し元までお運びください」と丁寧に説明すべきだった、、、!?
あるいは、そんなところに置いたわたしが悪かった、、、?!
二度と「ご返却ください」は、言わないようにするか、「ご返却は流し台までお願いします」と付け加えるか。
次につなげる努力が必要だ。

が、、、わたしはサボりなので、もういともかんたんに、こころが折れて、しなしなとヤル気が無くなった。
幸せの風船も、しなしなと萎んだ。

簡単に膨れる風船、簡単に萎む風船。
いちいちブログにちまちま書いていると時間が足りなくなって、最期が来ても死ぬに死ねない。




阿佐ヶ谷姉妹

2022-02-04 | 日々のこと
メルカリ病、末期症状、ついに最終ラウンドに突入した。
ピンクのドレス、、、まるで阿佐ヶ谷姉妹。
笑えない。
顔が引きつる。
阿佐ヶ谷姉妹が嫌いというわけではないのだが。
お笑い系は大好きなのだが。
阿佐ヶ谷姉妹を侮辱している気持ちは決して決して決してないのだが。

そのドレスを着て会場で踊った時に、もうメルカリから足を洗おう、金輪際、このドレスは封印しよう、と固く思った。
何故あんなドレスを買ったのか?
魔がさしたとしか思えない。
しかも、何人もが手を通して来たであろうそのドレスは、かなり伸びて、だらしなく、ゆるゆるだった。
わたしより、かなり太い人が着たに違いない。
ではあるが、身体にフィットし過ぎて、糸で巻いたボンレスハムぴちぴち状態をさらすよりは、ほんの少しだけマシではあるものの、カッコ悪さはほとんど同じようなもの。
恥ずかしい!!と、心の底から思った。
が、問題は、次に着る時は恥の意識が減少している可能性があることだ。
2度と着ないと固く決意した割に、「次に着る時は、、、」などとさらりとシュミレーションをしているところを見ると、1回限りではもったいない、というケチ根性が無意識に働いている。
2回着たら、3回目も着れて、恥どころか、慣れて、慣れるどころか、馴染んで、新しいわたしテイストに足を一歩、踏み入れているのかも知れない。
阿佐ヶ谷姉妹が決してダメなわけではない。
ほのぼのして面白い。
だが、あのピンクのドレスは、明らかにわたしの目指す路線ではない、、、。

そうこうしているうちに、メルカリで前々から買おうかどうしようかと悩んでいたドレスが値下げ、価格変更され、アップされた。
しかも、前にわたしが値下げをお願いした価格はその時には断られたにもかかわらず、何ヶ月か経っていきなり、その値段で売りに出た。
ここからが、ややこしい経緯になるのだが、話を端折ると、競合女性に打ち勝ったかたちになり、そのドレスをゲットした。
と、ここまではよかったが、、、ふーー、、、(一息入れる)

結果的にはわたしはそのドレスを手放すことになり、まだ手続きは完了されないまま、宙に浮いていて、スッキリしない宙ぶらりん状態で落ち着かない。
元々、ケチがついていた難ありドレスだったのだろう。
縁がないものを無理矢理手に入れようとしても、やはりダメなものはダメ。
1秒もキャンセルが進み、早く手続きが終了となってほしい。

というわけで、壁に激突したような感じで、メルカリ病はとりあえずは小休止となった。
が、また、激突しても大破せずカスリ傷程度で、激突薬も効かず、めきめき回復力で、メルカリ病、再発症となるかも知れない。
パワフルで、しぶとい。
ついつい、メルカリを覗いてしまう。
しかも、ドレスだけではなく、アクセサリーや小物まで。
見るだけなので、今のところは留まっているが。
たぶん、買わないと思う。たぶん。
一つ、買い始めると、わーーっと一気に堰を切ったように買いに走ったら怖い。
わたしがドレス争奪戦に打ち勝った競合女性のように、めまいがするほど買いまくるようになったら、こわい。
(彼女は今回、わたしに負けてタイミングを逃して買えなかったわけだが、今回については正解だ)

阿佐ヶ谷姉妹だ、と騒いでいるわたしは、ここらあたりで止めときなさいという、神さま(何の神様?どこの神様?)からのメッセージを汲み取ろう。
ちょっと頭を冷やしたほうが良さそうだ。


わたしをわかって!

2022-02-02 | わたし
いつもくだらない呟きをお読みいただき、ありがとうございます。
恥ずかしいですが、励みになっています。

わたしは、口ベタで、しかも、素っ頓狂(すっとんきょう→漢字にするとこうなる?)で、時々自分だけがわかる宇宙語を話の脈絡から明らかに外れたタイミングで、相手のことを考えず使うので、めんどくさがられ理解されない。
(家族はわたし語を理解するが、外では通じず家庭内のみ。
家族はめんどくさいので、わたし語を聞いて聞かぬフリ)
自覚ありなので、なるべく脳内感想は口に出さないようにしている。
これぐらいなら、わかってもらえるかな?という感想をちょっと話しても、全く理解されないことがあり、一般的なかなりわかりやすい言葉を選んで話しているのに、、、と悲しくなると同時に脳内逆ギレして、「この人は想像力や読解力、国語力はあるのだろうか?」と疑問に思うこともある。
明らかに意味がわかっていないのが、ありありとわかる。
説明するほどの、ぜひわかって欲しい内容でもないので、「意味がわかってないことがわかる」ということに留まる。

ブログの場合は、意味不明のことは読み飛ばすと思われる。
英文読解の時に、わからない単語が出てきた時にとりあえず飛ばして全体的な流れから想像する。
いちいち止まっていたら、進まない。
ブログは、わからない部分が出た時点で邪魔くさくなり、読むのをやめる、放棄するのも大いにあり。
頑張って読み解いても別に得するわけでもないので。
(ブロガーとしての、丁寧にわかりやすい表現をする努力義務を怠っている)

で、話を戻す。
その、対面で話していて、シンプルな会話でのわたしの話を理解してくれない人は、理解しようと努力していない。
32歳ぐらいの頃、アメリカに短期間ステイした時に、わたしは異国に暮らしたなら、自分はハンディキャップ人間だと実感した。
言葉がわからない、通じない。
耳が聞こえないか、話せないのと同じ障害(のようなもの)を抱えていた。
親身になって、わたしに寄り添うように話を聞いてくれると、どうにか通じるが、忙しいバスの運転手さんや、店員さん、関心や興味がなく関わりたくないと思っている赤の他人には、通じなかった。
こちらが、なにがなんでもコミュニケーションを取りたいと頑張れば、身振りや表情、声のトーンで伝わるものがある。
相手がこちらに近寄るか、こちらが相手に近寄るか、距離を縮めなければ話は通じなかった。

それと同じで、日本語を母国語とする同世代の似たような環境にいる人でも、相手に興味がないとか、好きでない(苦手)、かかわるのが面倒、という場合は、あえて頑張って相手が言っていることを理解しようと努めない。
すると、何言ってんだかわからない、、、ということになり、あえて質問したりして深追いもしない。
放ったらかしで、距離が保たれ、やがて疎遠になる。

どちらかにコミュニケーションを取ろうという意欲がないと、さーっと流れてしまう。
企画のプレゼンテーションなどは、かなり相手のこころを鷲掴みにしないと、印象に残らない。
自分がしたいことを強く働きかけないと、皆んなのこころに引っかからない。
呼びかけるアクションを起こさないと、誰も振り向いてくれない。
別に振り向いてもらい、自分を理解してもらう必要がなければ何の問題もない。
だが、その必要があることもある。
必要があっても、わざと黙殺することもある。
世の中は、熱き美しい情熱やキレイごとでは済まされない、色々難しい仕組みになっている。

わたしを理解して!と望むなら、アクションを起こさないと、自然になすがままにしていると、誰も何もしてくれない。
棚からぼた餅は、ムシが良い話。
誰もわたしをわかってくれない、、、のは、わかるように働きかけていない。
(といっても、セフティネットから溢れ落ちてしまうような深刻な事例には言及していない)
してもらって当然ではない。
善意にすがるのも、良い場合と良くない場合がある。

大人なら、自分の身は自分で守る。 
そのためには待ちの姿勢ではなく、自らが働きかけないと動いてくれない。
当たり前のことなんだが、わたしは若いある時期、異国にいる自分を見て客観的な自分が見えた。
何を今更、、、の未熟な話で幻滅、ガッカリされたことだろう、、、
いいの、いいの。笑われても。
所詮、わたしはそんなもん。