接戦というより乱戦と表現したいような自民党総裁選挙は、劇的な逆転により石破茂氏が勝利し、自民党新総裁に就任しました。これにより、よほどの事がない限り、10月1日には内閣総理大臣に指名され、時をおかず新内閣が始動を始めることになります。
今回の自民党総裁選挙は、これまでとはかなり違う動きが見られたようです。
まず、立候補者の多さと、麻生派を除き派閥が解消されたという状況がどう影響を与えるのか読むのが難しかったことが、これまでにない選挙模様を演出したように思われます。
さらに、並行して行われ立憲民主党の新代表に野田佳彦氏が選出されたことが、どの程度影響を与えるのか、ということもあったでしょう。
さらに、九人もの立候補者がいて、第一回での決着は無理で決選投票が必死だということは、三位以下の支援者たちがどう動くのかは、上位二人の組み合わせによっても変化し、なかなか予想するのは難しかったようです。
第一回目の投票結果は、高市さんが予想以上の健闘を見せたことから、多くの人が高市さんの勝利を予想したようです。これまでの経験から、国会議員票では、石破氏は常に劣勢であったことから、今回は、かなりの差での高市氏勝利と確信したらしく、安倍元首相の経済路線を踏襲すると言われていたことから、市場は敏感に反応し、為替相場は対ドルで円安に動き、株式市場の終値は日経平均が900円ほども値上がりしました。
ところが、結果は多くの予想に反して、石破氏が逆転の勝利を掴みました。すると、為替相場は円高に動き、日経平均の先物は2000以上の下落になっています。
市場関係者と言われる方のコメントの中に、「投資家は、悪材料、好材料といわれる物に敏感に反応するのは当然だが、先が読めない状況を最も嫌う」と言ったものがありました。
石破氏は株式投資関係の税制を強化させる意向を持っている、と発言している人もいますが、早々に市場を凍らせるような政策をとるとも思えませんし、当面は岸田首相の経済路線を踏襲するような声も聞こえています。
ただ、投資家の多くは、石破政権に対して、直感的に「先が読めない」といった不安を抱いたのかもしれません。
つまり、投資家ばかりでなく、一部の人は、石破政権に、前政権からの引き継ぎではなく、「プチ政権交代」が起ったと考えたのかもしれません。
今回の決選投票の二人は、事前予想や第一回目の投票から見て、議員支持があまり強くない人同士の戦いになりました。とりわけ、勝利した石破氏の場合は、そうした声は外野席の私などにもはっきり伝わってきています。それどころか、ご本人でさえ、挨拶の中でその点を意識して詫びておられました。
党内基盤が強いとは言えない石破氏にとっては、党内融和、挙党態勢作りがまず重要課題になることでしょう。
岸田首相との関係良化や、菅前首相の副総裁就任、麻生元首相との交渉など、明るいニュースと共に、高市氏が党役員への就任を固辞したというニュースもあります。
いずれにしても、苦節を重ねて遂に上り詰めた総理総裁の座ですから、どうぞ、目標達成ではなく、ようやく私たち国民のために働ける場に就いたと考え、実行して下さることを切に祈りたいと思います。
総裁選に勝利した直後から、石破氏の奥様が再三テレビに登場しています。明るく、実にすばらしい雰囲気をお持ちで、何か期待を抱かせて下さっているような気がします。
党内融和も大事、しかし、プチ政権交代の心意気も失うことなく、この国を輝かせて下さることを期待したいと思っています。
( 2024.09.30 )
「アホ(阿呆)」と「バカ(馬鹿)」は、辞書なのでは、どちらも同じ意味で「愚かであること。また、その人。」といった説明がなされています。もっとも、「バカ」の方には、そこから派生する意味も説明されていますので、こちらが本家なのでしょう。
私は関西育ちですので、アホとバカは少し違う意味で使っているように思います。アホというのは褒め言葉ではありませんが、「アホやなあ」という言葉には、「お前は愚かだ」といった意味は含まれていません。バカということになりますと、これはきつい言葉になります。
ずいぶん前のことですが、転勤で初めて東京で生活したとき、職場で「バカだな」と言われたときには、そうとう落ち込みました。反対に、私が「アホやね」と言ったとたんに、周囲がしらけてしまったことを覚えています。
この二つの言葉は、使われる背景も関係しますが、地域により少し違う意味合いを持っているように思うのです。
かつて、テレビ番組で、「アホ」と「バカ」が使われる地域を調査したことが報じられたことがあります。他でも、時々話題になることがあります。
東京圏は「バカ」が主流で、大阪圏は「アホ」が主流のようでが、その境界線を探るべく東と西から調べていきますと、東からは名古屋近くまで、西からは関ヶ原近くまで、それぞれの使用が確認されたようですが、やがて使用頻度が曖昧になり、「タワケ」という言葉が浮上するようです。ここから西は「アホ」、ここから東は「バカ」というような、明確な境界線は存在していないようです。
もっとも、多くの対比する物には、明確な線引きが出来ない物が、むしろ多いようです。例えば、「白か黒か」という談判もよくありますが、その中間の「灰色」は、限りなく白に近い物から、黒と見分けがつかないような物まであって、多くの場合はそのどこかで手打ちがなされ、白と黒の明確な線引きは難しいようです。
さらに、「アホと かしこ の境界線」となりますと、さらに複雑で、線引きすれば必ず間違った結果を導いているようです。
折から、石破新内閣が船出しました。
石破茂氏の自民党総裁就任への選挙の駆け引きは、投票者全員を記名にして、それぞれの思惑も付記して公開することが出来れば、スペクタルに満ちあふれ且つミステリアスなことこの上ないドラマが展開されていることでしょう。
しかし、石破丸は、かなりの逆風を受けての船出のようです。私は、今回の新政権はプチ政権交代が実現しての誕生と考えていますので、逆風は当然のことだと思っています。
首班指名を受ける前に「解散」を宣言するなどは、さすがに驚きましたが、野党のほとんどは「論戦から逃げた」と非難を強め、言葉汚くののしっています。もっとも、論戦と言っても、野党側は責められることはないのですから、逃げられたのは気にいらないでしょうし、野党間の協議のためにはもう少し時間が欲しいのでしょう。
自民党内からも、組閣人事に対してかなりの不満や非難が渦巻いているいるようです。これまで、石破氏に近いため入閣を逃してきた人もいるでしょうから、義理を果そうとした面が目立っていることも事実なのでしょう。
いずれにしても、長く政権主流から離れていた石破氏ですから、能力や実績が高く評価されてきた人とは疎遠勝ちと考えられ、新たな人財の活躍を期待せざるを得ない点もあるのでしょう。
とはいえ、いくらプチ政権交代が実現しているとしても、所詮は自民党政権です。派閥の多くは解消したとされていますが、主張や性質などから、いくつかのグループが誕生するのは避けられませんし、むしろそうあるべきではないでしょうか。そうした様々な集団の切磋琢磨があってこそ政党の能力は向上するのではないでしょうか。
与党内野党から首班に立った石破氏ですから、理想論と現実政策との境界線に苦しむことになるのでしょう。その境界線を巡って、どれだけの成果を上げて行けるかは、首相一人の力などごく一部で、いかに多くの支持者を得られるかにかかっているのではないでしょうか。そして、その第一歩は、解散総選挙の結果が重要になります。
石破新首相はその勝利によってプチ政権交代を推進させようとの思惑からの解散宣言なのでしょうが、本当の政権交代の可能性も皆無とは言えません。
案外、境界線は低いかも分りません。さて、さて、結果は如何に??
( 2024.10.03 )
座右の銘は「初志貫徹」だよ、と事あるごとに話す先輩がいました。
それほど親しく付き合った人ではありませんが、ある時期、同じ職場で過ごしたことがあります。直接の上司ではありませんでしたが、仕事上で接触する機会も多く、その人の部下にあたる人とは、飲みに行く機会もよくありました。
その友人の話からや、合同の会議などでも、意見や主張がブレることをとても嫌がり、会議の席上でも、意見がブレたり修整する人には厳しく接することがありました。部下の言い訳に対して、時には罵倒に近い言葉を投げかけて、「首尾一貫だよ!」と責め立てることがしばしばあったようです。
今なら、パワハラにあたりそうですが、その当時では、部下は「あんたはどうなんだ」と胸の内でつぶやきながら、嵐が過ぎ去るのを待つばかりだったようです。
反対に、考え方がコロコロ変る上司に仕えた経験があります。自分より上の人の意見に迎合して、部下への指示が一貫しないのも困るものです。
「初志貫徹」は、今でもよく耳にしますし、訓話などで使われるような気がします。しかし、そうした考え方も、行き過ぎると、「頑固一徹」や「聞く耳を持たない」と言った状態になりがちで、主義主張があまりにも強固な人との付き合いは大変です。
同時に、「物わかりの良い人」は、「親しみやすく」「包容力があり」、部下としては楽ですが、時には、「朝令暮改」を生み、組織としては脆弱になりがちのようです。
折から、船出したばかりの石破丸が逆風を受けているようです。
総裁選挙中の主張と、総裁就任後の発言にブレが多発していると責められています。首相就任後初の所信表面演説に対しては、野党からは、よくもこれほど口汚くののしることが出来るものだと、感心してしまうほどの責められようです。
ブレない男として評価されている面が強かった石破首相だけに、風当たりがよけい強くなったのでしょうが、野党からの言葉も、非難する立場にあるとはいえ、耳障りが悪すぎるような気がしました。
しかし、私個人の意見としては、石破首相の発言が、総裁選挙中やそれ以前の意見とブレが出ていることに安心感を感じています。
今回の政権は、プチ政権交代によって誕生したと考えていましたので、かなりの変革を予想していたのですが、長期的にはともかく、短期的には様変わりするような変化は心配ないような気がしたからです。
また、例えプチ政権交代だとしても、所詮は自民党政権ですから、党内基盤の脆弱な石破首相としては、個人の理想論をそのまま貫き通すことは無理なはずです。また、それが正しい政策だと全くブレることなく突き進まれると、むしろ政権は孤立することでしょうし、独裁者の手法に近づいてしまいます。
おそらく、首相の権限は絶大なのでしょうが、わが国は独裁国家ではありません。選出基盤の自民党や、民意の一方の権威である国会の声なども聞き入れてこそ、民主主義政治は成り立つのだと考えます。
人は成長とともに、考えや主義主張が変化するのは当然のことで、幅広い意見を聞いて、あるいは取入れて、ブレにブレながら、着実に私たちの生活基盤を下支えし、少しずつでも引き上げてくれる政策を見つけ出し推進してくれることを期待したいと思っています。
( 2024.10.06 )
国会は、首相の所信表明に対する各党代表からの質問も終り、いよいよ今日は、党首会談を経て、衆議院は解散となります。
まだ、首相に就任していない段階での石破氏の解散表明には驚きましたが、まさかここにきて、今日の日程がブレるようなことはないでしょうから、本日夕方からは、衆議院議員を中心とした周辺は、選挙一色になるのでしょう。
今国会は、短いとはいえ、それなりに重要な意味合いがあったのでしょうが、何せ、解散日が決まっているのですから、討議と言っても解散を意識した物ばかりに近かったのではないでしょうか。
当地でも、すでに、「お願いします」「一生懸命頑張ります」と言った声を聞いています。
ところで、この「一生懸命」という言葉は、「一所懸命」から転じたもののようですが、現在では、ほぼ同じ意味として使われています。
もともとは、中世の武士が先祖伝来の領地を命を懸けて守る、といった意味で「一所懸命」という言葉が生れたようです。この言葉には、「切羽詰まった状態」「大切な物を守る」といった意味もあったようで、時代とともに最後の意味が中心となり、いつの間にか「一生懸命」が現れたようです。
今日では、むしろ「一生懸命」の方が主流のようですが、いや、それはおかしい、「一所懸命」が正しいとおっしゃる方もおりましたが、どちらを使っても良いのではないでしょうか。但し、読みは「イッショケンメイ」と「イッショウケンメイ」と、違っています。
それにしても、「一生懸命」という言葉も、考えてみますと、実に大げさな気がします。人が一生命を懸けて守るなどというものは、そうそうないと思うのですが、その割にはよく耳にします。
大げさと言えば、「大げさ」という言葉も実に大げさです。漢字で書けば「大袈裟」となります。
その語源ははっきりしませんが、いくつかの説はあるようで、その一つは、「大それた」とか「大胆な」といった意味を持つ「大気さ」が転じたものだと言うものです。もう一つは、臨済宗の開祖である栄西師(1141 - 1215 )が、大きな袈裟を着て大きな話をしたことから生れたというものです。こちらの方がおもしろいのですが、「大袈裟」という言葉が現れたのは江戸時代頃らしいので、時代が合わなくなります。
余談が過ぎましたが、私たちの日常生活の中でも、「一生懸命頑張ります」という言葉に出会うことはたくさんあります。
「命を懸けるほどのものがそれほどあるのか」と言う気もしないでもありませんが、人間は、第三者から見れば理解できないような物や事象に命を懸けることができる動物のようですから、一生懸命という言葉は、頑張るという言葉の形容詞か枕詞程度に受け取るべきかもしれません。
「大げさ」という言葉や状況に出会うことも少なくありません。多くは、笑い飛ばして済んだり、少将不愉快なのを辛抱するだけで済むのですが、時には、深刻な詐欺事件に巻き込まれる可能性もあり、注意が必要です。
この二つの言葉の手本というわけではないでしょうが、やがて始まる衆議院選挙では、様々な形で見ることが出来ます。しっかりとその実体を見定めて、賢い一票を投じたいものですねぇ。
( 2024.10.09 )
「羊が一匹・・、羊が二匹・・、羊が・・」と数えていって、千匹まで数えた経験はありませんが、効果があったと実感したこともありません。
私は、そう寝付きの悪い方ではないと思うのですが、それでも、夜中に目覚めた後、なかなか寝直すことが出来ず、羊の数を数えるなどは序の口で、明日の予定や、いろはかるたや百人一首などを手当たり次第に思い浮かべたり、さらには世の行く末を・・、と言ったあたりまで行くまでには、たいていは寝入ってしまいますが、時には、そうした呪文もどきの物を追えば追うほど目が冴えてしまうこともあります。
そうした時、ふと、「無我の境地」になれば良いのだ、と思ったことがありました。その後は、どうしても眠れない時には、「無我の境地」に入るように、何も考えないことに務めるのですが、これがなかなか難しいのです。
そうしているうちに、いつの間にか何も分からなくなって寝てしまうことがあるのですが、時には、眠ったという実感がないのに、いつの間にか2,30分が過ぎていることがあります。もしかすると、この間は「無我の境地」に入っていて、聖人か仙人の域に一歩近づいたのではないかと考えたりするのですが、同時に、単にうとうとしていただけのことかとも思われて、自信が揺らいでしまいます。そして、そもそも、「無我の境地」と「睡眠中」と、どう違いがあるのか、と考えたりするのですが、この課題は、眠ろうとしている時にはますます目が冴え、昼間に考えると眠くなってしまう作用があるようで、なかなか厄介です。
「無我」という言葉は、辞書によりますと、「①我意のないこと。無心なこと。私信のないこと。②我を忘れてすること。」とありますから、私が考えているような、意識がなくなるような状態を指しているわけではないようです。
辞書には、③の意味として、「[仏教]我(ガ)の存在を否定すること。無常・苦と共に仏教の根本思想の一つ。我は人間存在や事物の根底にある永遠不変の実体的存在。」とあります。
こちらは、とても私の手に負えませんが、どうやら私は、「無我の境地」の意味を、自分の中で中途半端に育てていたようです。
眠れないからといって、どういう状態を指すのが正しいのかは別にして、「無我の境地」を「羊が一匹・・」の代用にするのは、少々不謹慎だったようです。
ただ、私たちの生活の中で、ややもすれば、「我利、我利」に流れそうな中で、もっと平穏な心境の時を持つ事は必要だと思うのです。
人間だけではありませんが、私たちに「睡眠」という時間が設計されているのは、そのような状態が必要だと造物主のような方が考えたのかもしれません。
ただ、その大切な睡眠中にさえ「我利、我利」の夢を見がちな身としましては、せめて、「無我夢中」になれる何かを見つけ出すことが必要なのではないかと考えています。
( 2024.10.12 )
衆議院選挙は、本日告示となり、27日の投開票にむけての選挙戦がスタートしました。
もっとも、テレビでは何度も党首会談とか記者会見といった名前のもとに、党首を中心に、テレビでの露出が何倍も増えています。
また、当地においても、明らかに選挙カーといえる車が、候補予定者の名前を堂々と伝えていますし、ポストにはチラシが投入されています。
確かに、衆議院選挙での投票を勧誘していないから合法ということなのでしょうが、テレビ出演も街頭演説もチラシも、衆議院選挙を意識しているからこそ行われているのであって、明らかな事前運動だと思うのです。もちろん、厳格な法が定められていて、これらの行為は法的に問題ないのでしょうが、事前運動として選挙違反に問われるのは、よほど悪質な物なのでしょうね。
それにしても、今回の選挙、「金権政治」「裏金議員」「政治と金」といった言葉が、あまりにも多すぎて、食傷気味です。
自民党内で長年に渡って起きていた、パーティー券にまつわる不適切な処理は、厳しく糾弾されなくてはならないし、例えほとんどが不起訴になったとしても、該当者全員が脱税事件として調査されるべきだと思うのですが、この件に限らず、国会議員や首長などにまつわる事件そのものが、特権により守られすぎではないかと、部外者の一人としては感じています。
しかし、国政選挙の最大のテーマが、「金にまつわる問題」かのように見えるのは、実に情けないことです。国政を担う国民の代表を選ぶ選挙なのですから、外交・内政共に語るべき多くの課題があるように思うのですが、それらは、ついでに述べられているように見えてしまいます。
こんな名文句があるそうです。
曰く、「それにつけても 金の欲しさよ」という文句です。
この文句は、狂歌はもちろん、名高い俳句や短歌の後ろに、この文句を付けると、本来の意味を大きく変え、しかも、えも言われぬ味が出るそうです。
もちろん、個人で和歌(短歌)を詠む場合も、上の句さえ少々頭をひねれば、下の句に「それにつけても 金の欲しさよ」と付けさえすれば、多くの庶民の共感を呼ぶ名作になるようですよ。
そういえば、かつて、和歌の世界で、「秋の夕暮れ」という語を使ってはならない、という時代があったそうです。限られた流派だけのことかもしれませんが、かなり厳しく禁じられたようです。
「秋の夕暮れ」が詠みこまれている和歌は、著名なものだけでも数多く伝えられていますし、多くの人が使うだけの魅力のある美しい言葉だと思うのですが、何故それを禁じたのかといいますと、ごく平凡な内容の和歌であっても、「秋の夕暮れ」で結びさえすれば、それなりの風格が出てしまう「魔法の句」なので、歌人として修行する上で障害になるという意味もあったようです。
「それにつけても 金の欲しさよ」も、「秋の夕暮れ」も、もしかすると「金権政治云々」といった言葉も、確かに「魔法の句」のような力を持っているのかもしれませんが、多用しますと、自らの成長も、やはり、もしかすると、品格さえ低下させるかもしれませんよ。
( 2024.10.15 )
総選挙は、早くも各選挙区の当落予想や、各党の獲得議席数などの予想が報じられています。
報道機関によって、若干の差があるのは当然ですが、その報道によって結果に微妙な影響が出ることもあるようです。また、一覧表になっているデーターにはそれほど差がない場合で、見出しの表現にかなり差があるようです。何か意図があるような気がしてなりません。
また、注目を集めている選挙区の候補者の演説などが報道されていますが、主張されていることにはかなりの差があり、なるほど、国会で本格的な論戦が難しいことが分るような気がします。
そうした中で、共通と言ってよいような主張もあります。比較的年齢の低い人は「若さ」を強調し、比較的高齢と思われる人は「経験」を強調しています。国会議員の資質には、どちらがより必要とされるのでしょうかねぇ。
そう言えば、自民党の総裁選挙では、30歳台から70歳台まで幅広い人が立候補していました。立憲民主党の場合は、むりやり女性の立候補者を生み出したかのように見えましたが、もしかすると、両党とも、政治には幅広い人材が関わるのが良いと考えているのでしょうか。それとも、幅広い層の支持を得るためだけだったのでしょうか。
国会議員に適正な年代というものがあるのかどうか知りませんが、スポーツなどには、種目によって強い年齢層はあるようです。オリンピックのメダル獲得者を見てみますと、競技種目によって、かなり年齢層に違いが見受けられます。スポーツの世界以外でも、同様の傾向はあるものなのでしょうか。
あるセミナーで、「若さを失ってはいけない」という論点で、アメリカの詩人であるサミエル・ウルマンの「青春の詩」の冒頭部分、「青春とは、人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」という所を再三紹介して、「青春は年齢ではないのだ。心のあり方しだいだ」と強調されました。
聞いている人の多くは、30~40台ぐらいだったと思うのですが、自分たちが青春時代だとは思っていないまでも、それほど年寄りだとも思っていない年代でした。60歳をかなりすぎていると思われる講師の絶叫は、少々痛々しく感じた記憶があります。
「青春」という言葉は、もともとは「春」を表す言葉だったようです。また、陰陽五行説では15歳から29歳までを指したようです。青春映画という言葉が現在でも使われているのかどうか知らないのですが、この場合も、似た年代を対象にしているのではないでしょうか。
「若くありたい」という願望を持つ人は少なくないと思います。古い友人と出会ったときには、ついついその時代に戻ってしまい、若い頃を懐かしむこともあります。
しかし、そうとう長い間飯を食ってきた人が、「今も青春真っ只中だ」だなどと胸を張られますと、「ご苦労さん」と言いたくなってしまいます。
そう言えば、立ち上がるときに「どっこいしょ」と思わず口にすると、周りの人からは「年寄りみたい」という声が飛んできます。十分年寄りの人に対してでも同様です。
この「どっこいしょ」という言葉の語源には諸説あるようで、一つは、掛け声などから来たというものです。例えば、河内音頭には「イヤコラセー ドッコイセー」と言う部分がありますが、ここからの転嫁らしいのです。もう一つは、修験者や行者が険しい山道を「六根清浄(ロッコンショウジョウ)」と唱えながら行くのを見て、生れたというものです。どちらにせよ、「どっこいしょ」は由緒正しい言葉なのです。
また、ある研究では、立ち上がるときにこの言葉を出せば、ギックリ腰や転倒防止などの予防になり、実力以上の力が出せるらしいですから、遠慮せずにどんどん「どっこいしょ」を口にしましょう。
いつまでも元気でありたい、若くありたい、というのは、素朴な願いだと思います。
しかし、人は、確実に老いていきます。いろいろな競技や技術や思考などにも、最適の時期があるかもしれませんが、その年齢でなければ感受できないレベルというものがあると思うのです。
年を数えるごとに失うものがあるだけ、何かを得ることが出来るはずだと思って、人生をキョロキョロ生きるのも面白いかも知れませんよ。
( 2024.10.18 )
昨日、期日前投票をしてきました。
まだ選挙戦は半ばといったところですし、真剣に検討したのかと言われますと、「イヤァー」と言うしかないのですが、考えが変るとも思えませんので、他の用事とも絡めて早々に投票することにしたのです。
当選挙区も、全国的に見れば、注目を集めている選挙区の一つですが、その注目を集めている論点をどの程度重視するのかとなりますと、なかなか難しいところです。
投票の仕方には大きく分けて二種類あると思っているのですが、その一つは候補者本人の人柄・資質といった面から選ぶことです。もう一つは、所属している政党なり団体なりの主義主張を考慮することに重点を置くことだと思うのです。
私は、どちらかと言えば後者の方で、立候補者本人を直接ではないとしても、かなり承知している場合は人物本位になりますが、そうでない限りは、その所属している政党なりを優先し、よほど好きになれない人物でない限り、所属団体優先になっているようです。
その政党なり所属団体なりといっても、公約や声高く述べられる演説などを聞いていますと、理想と現実の間には、やはり深くて長い乖離があるものだと思わせられます。
選挙期間中に無責任な発言は控えるべきだと思うのですが、例えば、石破首相が自民党総裁になる以前の発言と、就任後の発言にブレがあるのが指摘されていますが、いみじくもご本人も述べられていますように、「我が党は独裁政党ではないので、多くの人の意見を集約する必要がある」はずで、個人的な主張、理想論がそのまま政策として実行できるものではないはずです。
立憲民主党の野田代表も同様で、多くの政策はお持ちだとしても、いざ選挙となれば、政権交代と裏金批判に多くを割いているのは、現実を見ているからなのでしょう。
そもそも理想といっても、人様々ですし、政党や政治家の理想論となれば、実際に実行できるかといえば、多くの困難があるはずです。単に反対者がいるといった問題ばかりでなく、予算の問題、その目的遂行によって疎外されることになる事象など、理想を実現させることは簡単なことではないようです。
多くの場合は、理想は理想としておいて、現実に寄り添っていくうちに何の特徴もない政策になってしまう可能性があり、と言って、強引に推し進めようとすれば、その裏では泣く人が居り、ひずみが生れます。某県の知事などもその一例ではないでしょうか。
少々の犠牲者など無視して理想とする政策を進めるのか、遅々とした低飛行を続けながらも着実な改善を狙うのか、その辺りも、選挙の焦点になってもよいような気がします。
理想だ現実だなどと語ること自体、青臭く未熟の証明のような気もするのですが、かつて、「理想などというものは、額に入れるか、床の間に飾っておくものだよ」と豪語された方がいました。必要に応じて、時々は人目にさらして、自らの志操の高さを知らしめた後は、「権謀渦巻く修羅場を、実利という鉈を振り回して突き進むのが現実なんだよ」ということのようです。
まあ、そうした考えも理想の一つなのでしょうが、多くの一般庶民の一人としては、「理想は額に入れて飾っておく」あたりまでは容認するとしても、日々の生活においては、慎ましやかに、到達困難を承知しながらも、ゆっくりと歩を進め、その道中の風景を楽しむ程度の余裕は持ち続けたいものです。
( 2024.10.21 )
昨日は、二十四節気の「霜降」でした。
言葉からは、晩秋を思わせる響きがあるのですが、ひんやりする日が一、二日はありましたが、まだ夏の陽気が頑張り続けています。
「木枯らし」というのは、関西では「『霜降』から『冬至』の間に吹く8m以上の北風」を指します。東京では、その期間が「10月半ばから11月末まで」のようですが、いずれも、冬の使者と言えます。
当地は、「霜降」と共に木枯らし登場かと思わせる強い風が吹きましたが、方向は南寄りで、お天気が悪いのに温度は夏日に向けて上昇しました。
天候のせいだけではないのでしょうが、今年はどうも季節感に鈍くなっているような気がしています。
中秋の名月はお天気に恵まれませんでしたし、この秋は彗星や流星群のニュースも盛んに伝えられていましたが、どちらもテレビで拝見するだけで終りそうです。
オリオン座流星群はまだチャンスがありそうですが、この数日は雲の多い日が続いています。「紫金山・アトラス彗星」は、見事な姿を見せてくれていましたが、こちらも直接お目にかかることが出来ませんでした。何でも、次にやって来るのは8万年先だそうですから、少々頑張っても、次にお目にかかるのは無理のようです。
すると、少し弱気になっているような私を励ますように、「田毎の月(タゴトノツキ)」という美しい言葉に出会いました。
『 姥捨ての棚田は国の「重要文化的景観」や「日本の棚田百選」に選定されています。聖山高原を背に、善光寺平を一望でき、標高は460mから560mに至ります。面積は40ha程度、今も小さな棚田が1500余りも連なり、郷愁あふれる風景をつくりだしています。』 (以上は、「信州千曲観光局」のホームページから使わせていただきました。)
月の美しい夜、1500枚の棚田にそれぞれ月が映っている様子を思い浮かべますと、先人のご苦労と、その環境を守っていく大変さが思いやられ、中秋の名月を見損なったことぐらいで、ぐずぐす言ってみる身が恥ずかしくなります。
実は、「田毎の月」が気になったのは、この言葉は俳句の季語にもなっていて、季節は「秋」であることを確認したかったからです。
そのことは漠然と知っていたのですが、「田毎の月」が最も美しく見えるのは、田植えの頃だと思うのですが、季語としては秋になっているのが疑問に感じたからです。おそらく、「月」を表現する一つとして「秋」にされたのではないでしょうか。
そして、上記のホームページにも紹介されていますように、「日本の棚田百選」というのがあることに驚きました。つまり、今日においても、棚田と呼ばれるように風景が、百以上健在だと言うことです。
環境保全と言いますと、地球温暖化だとかCO2の削減などということが連想されがちです。もちろん、地球全体が壊れていっては、身の回りの環境をどうこうしたところで意味がないという考え方もあります。しかし、身の回りや地域の自然や環境をないがしろにして、地球温暖化云々というのも、片腹痛い気がします。
私たちが身近に接する自然美という物は、何らかの手をかけないことには守られないのです。先人の残してくれた遺物や遺跡となりますと、さらに緻密な配慮が必要です。
棚田を残したとて、さほどの米が収穫できるわけではありません。しかし、その環境を守り続けることから得られる、環境面や精神面や文化面などの恩恵を私たちは軽視してはならないと思うのです。
( 2024.10.24 )
先日行われたプロ野球のドラフト会議、毎年のように見ていますが、希望にあふれて飛び立とうとする若武者たちの姿に、そのお裾分けを頂戴したような気持ちになって楽しませてもらっています。
そして、これも毎年のようにですが、指名を待ち焦がれながら果たせなかった人や、意中の球団でなかった人たちの気持ちを思い、あるいは、これから入団が決まっていく人の数だけ、選手生活を打ち切ることになる人のことが気にかかります。
これもまた毎年のように、「『人間至る処に青山あり』だから、頑張れよ」と声をかけたくなります。
「人間(ジンカン/ニンゲン)到る処青山あり」という言葉の意味を、私は「人間が活動できる場所は、どこにでもある」といった意味で使っていますし、辞書などもそう説明しているものが多いようです。しかし、厳格に言いますと、少し意味が違うのかもしれません。
この言葉は、幕末の僧である月性(ゲッショウ・1817 - 1858 )の漢詩から引用されています。なお、西郷隆盛と入水自殺を図った月照とは別人です。
『 男児立志出郷関 学若無成死不還 埋骨豈惟墳墓地 人間到処有青山 』
「 男児志を立てて郷関を出づ 学もし成る無くんば
骨を埋(ウズ)むに何ぞ只墳墓の地のみならんや 人間到る処青山あり 」
( 墳墓の地は、先祖の眠る墓地。青山は、青々とすばらしい墓地。)
この詩の最後の部分からの引用です。
最後の部分だけを見れば、言葉の意味として間違っていないと思うのですが、詩そのものが訴えているのは、むしろ、初志を貫徹せよ、もしうまく行かなくてもおめおめと故郷に帰るな、人間どこであっても骨を埋める青々とした墓地はあるのだから、と言ったものだと思うのです。この詩は、月性が二十七歳の頃に詠んだものですから、決して、青年が勢いだけで詠んだものでもなく、相当の知識や経験を経たうえでのものだと考えますと、そうそう安易に使えないような気もしてしまいます。
月性は、周防国大島郡(現在の山口県柳井市)で生れました。実家は本願寺系の妙円寺というお寺です。ただ、月性の母は、この寺の長女ですが、他のお寺に嫁いでいましたが、不縁となり身重で実家に戻り、月性を生んだのです。
月性は、そのお寺でかなりやんちゃ坊主だったようですが、母親の指導もあって十三歳で得度し、十五歳の時に豊前国(福岡県)の私塾に入門し五年ほど学びました。この間に広島・佐賀・長崎・平戸などに行っており、この間に先進的な考えを見聞したようです。
二十三歳の時に帰京しますが、四年後に再び大坂に出て学ぶことになりました。この出立にあたって作られたのが掲題の詩です。
三十二歳の頃帰郷し、1848 年に妙円寺内に私塾「清狂草堂」を開設し、六十人ほどが学んでいます。その評判は高く「西の松下村塾、東の清狂草堂」と称されたと言います。
三十六歳の時、叔父の跡を継いで住職となり、その娘と結婚しています。
私塾では尊皇攘夷を中心とした教えを進め、特に海防の重要性を説き、藩政に対する改革意見を建白したときには、「長州藩こそ倒幕の主唱者たれ」と提言しているそうです。
吉田松陰などと親交があり、若者たちに少なからぬ影響を与えたようです。因みに吉田松陰は月性より十三歳年下でした。
1585 年 8 月末ごろ、萩に出掛ける途中の船中で急な腹痛に襲われ、自寺に引き返しましたが、十日ほど苦しんだ後亡くなりました。病死とされましたが、暗殺との噂もあったようです。
安政の大獄と呼ばれる弾圧が始まるのは、その死から三か月ほどしてのことです。
「人間到る処青山あり」という言葉には、「だから頑張りなさい」という言葉も付属しているように思われます。また、初志貫徹というのも、一度や二度の挫折によって投げ棄てて良いものではありませんが、自分が行く道はここしか無いと固執しすぎるのも考え物です。
若い人の夢は大きく突き進む力は逞しいものですが、齢を重ねるにつれて夢は小さくなり突き進む力が弱まることは否定できません。
しかし、反対に、歩いて行く道幅は少しずつ広がっていくもののようですよ。そして、それに従って、「人間到る処青山あり」という言葉の味わいが増してくるように思うのです。つまり、挫折の度に新しい『青山』を見ることが出来ると言うことかもしれませんよ。
( 2024.10.27 )