雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

理想への道中 ・ 小さな小さな物語 ( 1817 )

2025-03-11 15:24:47 | 小さな小さな物語 第三十一部

昨日、期日前投票をしてきました。
まだ選挙戦は半ばといったところですし、真剣に検討したのかと言われますと、「イヤァー」と言うしかないのですが、考えが変るとも思えませんので、他の用事とも絡めて早々に投票することにしたのです。
当選挙区も、全国的に見れば、注目を集めている選挙区の一つですが、その注目を集めている論点をどの程度重視するのかとなりますと、なかなか難しいところです。
投票の仕方には大きく分けて二種類あると思っているのですが、その一つは候補者本人の人柄・資質といった面から選ぶことです。もう一つは、所属している政党なり団体なりの主義主張を考慮することに重点を置くことだと思うのです。
私は、どちらかと言えば後者の方で、立候補者本人を直接ではないとしても、かなり承知している場合は人物本位になりますが、そうでない限りは、その所属している政党なりを優先し、よほど好きになれない人物でない限り、所属団体優先になっているようです。

その政党なり所属団体なりといっても、公約や声高く述べられる演説などを聞いていますと、理想と現実の間には、やはり深くて長い乖離があるものだと思わせられます。
選挙期間中に無責任な発言は控えるべきだと思うのですが、例えば、石破首相が自民党総裁になる以前の発言と、就任後の発言にブレがあるのが指摘されていますが、いみじくもご本人も述べられていますように、「我が党は独裁政党ではないので、多くの人の意見を集約する必要がある」はずで、個人的な主張、理想論がそのまま政策として実行できるものではないはずです。
立憲民主党の野田代表も同様で、多くの政策はお持ちだとしても、いざ選挙となれば、政権交代と裏金批判に多くを割いているのは、現実を見ているからなのでしょう。

そもそも理想といっても、人様々ですし、政党や政治家の理想論となれば、実際に実行できるかといえば、多くの困難があるはずです。単に反対者がいるといった問題ばかりでなく、予算の問題、その目的遂行によって疎外されることになる事象など、理想を実現させることは簡単なことではないようです。
多くの場合は、理想は理想としておいて、現実に寄り添っていくうちに何の特徴もない政策になってしまう可能性があり、と言って、強引に推し進めようとすれば、その裏では泣く人が居り、ひずみが生れます。某県の知事などもその一例ではないでしょうか。
少々の犠牲者など無視して理想とする政策を進めるのか、遅々とした低飛行を続けながらも着実な改善を狙うのか、その辺りも、選挙の焦点になってもよいような気がします。

理想だ現実だなどと語ること自体、青臭く未熟の証明のような気もするのですが、かつて、「理想などというものは、額に入れるか、床の間に飾っておくものだよ」と豪語された方がいました。必要に応じて、時々は人目にさらして、自らの志操の高さを知らしめた後は、「権謀渦巻く修羅場を、実利という鉈を振り回して突き進むのが現実なんだよ」ということのようです。
まあ、そうした考えも理想の一つなのでしょうが、多くの一般庶民の一人としては、「理想は額に入れて飾っておく」あたりまでは容認するとしても、日々の生活においては、慎ましやかに、到達困難を承知しながらも、ゆっくりと歩を進め、その道中の風景を楽しむ程度の余裕は持ち続けたいものです。

( 2024.10.21 )

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田毎の月 ・ 小さな小さな物語 ( 1818 )

2025-03-11 15:22:31 | 小さな小さな物語 第三十一部

昨日は、二十四節気の「霜降」でした。
言葉からは、晩秋を思わせる響きがあるのですが、ひんやりする日が一、二日はありましたが、まだ夏の陽気が頑張り続けています。
「木枯らし」というのは、関西では「『霜降』から『冬至』の間に吹く8m以上の北風」を指します。東京では、その期間が「10月半ばから11月末まで」のようですが、いずれも、冬の使者と言えます。
当地は、「霜降」と共に木枯らし登場かと思わせる強い風が吹きましたが、方向は南寄りで、お天気が悪いのに温度は夏日に向けて上昇しました。

天候のせいだけではないのでしょうが、今年はどうも季節感に鈍くなっているような気がしています。
中秋の名月はお天気に恵まれませんでしたし、この秋は彗星や流星群のニュースも盛んに伝えられていましたが、どちらもテレビで拝見するだけで終りそうです。
オリオン座流星群はまだチャンスがありそうですが、この数日は雲の多い日が続いています。「紫金山・アトラス彗星」は、見事な姿を見せてくれていましたが、こちらも直接お目にかかることが出来ませんでした。何でも、次にやって来るのは8万年先だそうですから、少々頑張っても、次にお目にかかるのは無理のようです。

すると、少し弱気になっているような私を励ますように、「田毎の月(タゴトノツキ)」という美しい言葉に出会いました。
『 姥捨ての棚田は国の「重要文化的景観」や「日本の棚田百選」に選定されています。聖山高原を背に、善光寺平を一望でき、標高は460mから560mに至ります。面積は40ha程度、今も小さな棚田が1500余りも連なり、郷愁あふれる風景をつくりだしています。』 (以上は、「信州千曲観光局」のホームページから使わせていただきました。)
月の美しい夜、1500枚の棚田にそれぞれ月が映っている様子を思い浮かべますと、先人のご苦労と、その環境を守っていく大変さが思いやられ、中秋の名月を見損なったことぐらいで、ぐずぐす言ってみる身が恥ずかしくなります。

実は、「田毎の月」が気になったのは、この言葉は俳句の季語にもなっていて、季節は「秋」であることを確認したかったからです。
そのことは漠然と知っていたのですが、「田毎の月」が最も美しく見えるのは、田植えの頃だと思うのですが、季語としては秋になっているのが疑問に感じたからです。おそらく、「月」を表現する一つとして「秋」にされたのではないでしょうか。
そして、上記のホームページにも紹介されていますように、「日本の棚田百選」というのがあることに驚きました。つまり、今日においても、棚田と呼ばれるように風景が、百以上健在だと言うことです。
環境保全と言いますと、地球温暖化だとかCO2の削減などということが連想されがちです。もちろん、地球全体が壊れていっては、身の回りの環境をどうこうしたところで意味がないという考え方もあります。しかし、身の回りや地域の自然や環境をないがしろにして、地球温暖化云々というのも、片腹痛い気がします。
私たちが身近に接する自然美という物は、何らかの手をかけないことには守られないのです。先人の残してくれた遺物や遺跡となりますと、さらに緻密な配慮が必要です。
棚田を残したとて、さほどの米が収穫できるわけではありません。しかし、その環境を守り続けることから得られる、環境面や精神面や文化面などの恩恵を私たちは軽視してはならないと思うのです。

( 2024.10.24 )

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人間到る処青山あり ・ 小さな小さな物語 ( 1819 )

2025-03-11 15:21:14 | 小さな小さな物語 第三十一部

先日行われたプロ野球のドラフト会議、毎年のように見ていますが、希望にあふれて飛び立とうとする若武者たちの姿に、そのお裾分けを頂戴したような気持ちになって楽しませてもらっています。
そして、これも毎年のようにですが、指名を待ち焦がれながら果たせなかった人や、意中の球団でなかった人たちの気持ちを思い、あるいは、これから入団が決まっていく人の数だけ、選手生活を打ち切ることになる人のことが気にかかります。
これもまた毎年のように、「『人間至る処に青山あり』だから、頑張れよ」と声をかけたくなります。
「人間(ジンカン/ニンゲン)到る処青山あり」という言葉の意味を、私は「人間が活動できる場所は、どこにでもある」といった意味で使っていますし、辞書などもそう説明しているものが多いようです。しかし、厳格に言いますと、少し意味が違うのかもしれません。
 
この言葉は、幕末の僧である月性(ゲッショウ・1817 - 1858 )の漢詩から引用されています。なお、西郷隆盛と入水自殺を図った月照とは別人です。
『 男児立志出郷関 学若無成死不還 埋骨豈惟墳墓地 人間到処有青山 』
「 男児志を立てて郷関を出づ 学もし成る無くんば
  骨を埋(ウズ)むに何ぞ只墳墓の地のみならんや 人間到る処青山あり 」
( 墳墓の地は、先祖の眠る墓地。青山は、青々とすばらしい墓地。)
この詩の最後の部分からの引用です。
最後の部分だけを見れば、言葉の意味として間違っていないと思うのですが、詩そのものが訴えているのは、むしろ、初志を貫徹せよ、もしうまく行かなくてもおめおめと故郷に帰るな、人間どこであっても骨を埋める青々とした墓地はあるのだから、と言ったものだと思うのです。この詩は、月性が二十七歳の頃に詠んだものですから、決して、青年が勢いだけで詠んだものでもなく、相当の知識や経験を経たうえでのものだと考えますと、そうそう安易に使えないような気もしてしまいます。

月性は、周防国大島郡(現在の山口県柳井市)で生れました。実家は本願寺系の妙円寺というお寺です。ただ、月性の母は、この寺の長女ですが、他のお寺に嫁いでいましたが、不縁となり身重で実家に戻り、月性を生んだのです。
月性は、そのお寺でかなりやんちゃ坊主だったようですが、母親の指導もあって十三歳で得度し、十五歳の時に豊前国(福岡県)の私塾に入門し五年ほど学びました。この間に広島・佐賀・長崎・平戸などに行っており、この間に先進的な考えを見聞したようです。
二十三歳の時に帰京しますが、四年後に再び大坂に出て学ぶことになりました。この出立にあたって作られたのが掲題の詩です。
三十二歳の頃帰郷し、1848 年に妙円寺内に私塾「清狂草堂」を開設し、六十人ほどが学んでいます。その評判は高く「西の松下村塾、東の清狂草堂」と称されたと言います。
三十六歳の時、叔父の跡を継いで住職となり、その娘と結婚しています。
私塾では尊皇攘夷を中心とした教えを進め、特に海防の重要性を説き、藩政に対する改革意見を建白したときには、「長州藩こそ倒幕の主唱者たれ」と提言しているそうです。
吉田松陰などと親交があり、若者たちに少なからぬ影響を与えたようです。因みに吉田松陰は月性より十三歳年下でした。
1585 年 8 月末ごろ、萩に出掛ける途中の船中で急な腹痛に襲われ、自寺に引き返しましたが、十日ほど苦しんだ後亡くなりました。病死とされましたが、暗殺との噂もあったようです。
安政の大獄と呼ばれる弾圧が始まるのは、その死から三か月ほどしてのことです。

「人間到る処青山あり」という言葉には、「だから頑張りなさい」という言葉も付属しているように思われます。また、初志貫徹というのも、一度や二度の挫折によって投げ棄てて良いものではありませんが、自分が行く道はここしか無いと固執しすぎるのも考え物です。
若い人の夢は大きく突き進む力は逞しいものですが、齢を重ねるにつれて夢は小さくなり突き進む力が弱まることは否定できません。
しかし、反対に、歩いて行く道幅は少しずつ広がっていくもののようですよ。そして、それに従って、「人間到る処青山あり」という言葉の味わいが増してくるように思うのです。つまり、挫折の度に新しい『青山』を見ることが出来ると言うことかもしれませんよ。

( 2024.10.27 )

 
    

 

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新たな政治体制への転換点 ・ 小さな小さな物語 ( 1820 )

2025-03-11 15:18:50 | 小さな小さな物語 第三十一部

衆議院選挙は、多くの予想を超えるものだったのではないでしょうか。
自民が議席を減らすということは予想されていましたが、ここまで凄まじい減少には少々驚きました。公明も大幅に議席を減らしましたが、様々な要因はあるとしても自民に足を引っ張られた面は否定できないでしょう。
維新は、公明の地盤を蹴散らして、大阪府の小選挙区19を全勝したのには凄さを感じましたが、全体としては議席を減少させました。橋下徹氏がその原因について述べられていましたが、全国政党としては惨敗だったのかもしれません。
立憲民主は、大幅増で大勝利と言えますが、さて、本当に自民の数々の不祥事の受け皿になったのか、検証が必要な気がします。むしろ、国民民主やれいわや参政各党などに、政治に対するやるせない気持ちの票を集めたような気もします。

素人が評論家もどきの意見を述べても仕方がありませんが、今回の選挙は、何とはなく大きな転換点になるのではないかという気がしてならないのです。
つまり、強大な自民勢力に対して、揚げ足を取るのが主戦力のように見えてしまう野党との対抗で国会の日程の多くが使われ、本当の論戦、政策の協同、と言ったことなどごくごく限られているといった状態から脱皮できるのか、それとも、自民を中心とした勢力、あるいは立憲民主を中心とした勢力、のいずれにしろ、与野党が入れ替わることがあっても、現状とあまり変らない国会運営が続くのか、与野党間で本気の協議が行われ政策に反映されるような政治風土構築に動くのか、そうした分岐点だと思うのです。
相手をこれでもかというほど非難し、自らを正義の味方のように増長していたかに見える人たちが、戦い終えたからといって、果してどれだけ実のある協議が出来るのか、期待するのは無理かもしれませんが。
   

「悪木盗泉」という言葉があります。「暑くても悪木の陰では休まない、渇しても盗泉の水は飲まない」といった意味です。
「盗泉」というのは、中国の山東省にあった泉の名前らしいのですが、孔子はこの名前を嫌って、その水を飲むのはもちろんのことその地に留まることさえ嫌ったという故事があり、中国三国時代の政治家であり文学者でもある陸機( 265 - 303 )がそれを題材にして詠んだ詩から生れた言葉のようです。
孔子の清廉潔白を称えようとしたものかどうか分りませんが、現代人であれば、名前がどうであれ、実害がないのであれば、暑いのであれば日陰に入らなくては熱中症になりますし、喉が渇いているのであれば水を飲まなくては命に関わる、と合理的に考える人も多いはずです。

しかし、これが政治の世界となれば、そうそう簡単にはいかないのでしょうね。
多くの国民の信託を受けてその身分を得た議員の方々ですが、残念ながら人格崇高な方々ばかりではないはずです。何も聖人君子を望んでいるわけではありませんが、国民の多くが、ごく普通に描いている程度の常識は習得し維持し続けて頂きたいものです。
ただ、残念ながら、お金を持てばお金に汚くなり、権限を持てばそれをもてあそぶ人を私たちはたくさん見てきています。当然、私たち自身も自覚する必要がありますが、権限ある公職にある人には、ぜひ初志を貫いて欲しいと願うのです。
折から、大波乱の選挙結果を受けて、首班指名が行われるまでは、各党間の交渉や綱引きが展開されることでしょう。清く正しく美しく、などとは望みませんが、国民に目を向けた真摯な協議が行われることを切に願っています。

( 2024.10.30 )

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小さな小さな物語  目次

2025-03-11 13:22:33 | 小さな小さな物語 第三十一部

       『 小さな小さな物語  目次  』


     NO.1821  正解はどれ?
        1822  トランプ氏の米国
        1823  やはり野に置け
        1824  好事魔多し
        1825  相性や如何に

        1826  人生の疑似体験
        1827  二匹の猫
        1828  お米が高すぎる
        1829  経営の神様
        1830  さまざまな顔

        1831  エンゲル係数の理論内に収まる生活
        1832  未熟な未熟な四字熟語
        1833  国家の崩壊
        1834  二人の歌聖
        1835  三人寄れば文殊の知恵

        1836  来るものは希望
        1837  一つの出発点
        1838  人は優しくもなれる
        1839  日暮れて道遠し
        1840  新年のご挨拶

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正解はどれ? 小さな小さな物語 ( 1821 )

2025-03-11 13:21:11 | 小さな小さな物語 第三十一部

『 靴を履く習慣のない国に派遣された二人の営業マン、一人は「靴を必要としない人々に靴が売れるはずがない」と報告し、もう一人は「みんな裸足です。靴はいくらでも売れます」と報告した。』
これは、ある時期かなり使われた、営業職や市場調査に当たる人などへの教材として使われたことがある有名なお話です。
この話を聞いて、「売れない」と判断した人と、「いくらでも売れる」と判断した人のどちらが積極的か、あるいは正しいかという事について、様々な意見や事例が広がっていきます。
例えば、「いくらでも売れる」と言った人は、その市場を任され、何人かのモニターに無料で靴を履かせたところ、一年後には数百足の靴を売ることが出来ました。ところが、「売れない」とした人は、既に靴を履く習慣はあるが劣悪な商品しか出回っていない国に行き出店したところ、一年で数千足を売り上げました。
この結果を見れば、「売れない」と判断した人の方が正しいということになります。
しかし、十年後には、この数字は逆転して、靴を履く習慣のなかった国での売り上げが、十倍以上になったというのです。

これも、ある有名な経営指導者の言葉ですが、「無能な者を並みの水準に引き上げるには大変な労力がいる。一流の者を超一流に育てる方がはるかに簡単だ」と教えています。ただ、その理論が正しいかどうか疑問に思うのは、超一流の管理職や経営者はそうそう簡単に生まれていないような気がするからです。
野球の指導者は、チーム強化の手段として、多くの人が全員野球を提唱するようです。ところが、本音は、全員に努力をさせるための手段にされているような気がしないでもありません。

先日の総選挙で躍進した国民民主党は大変な強気で、過半数割れに落ち込んだ自民党は、首班指名に向けて、同党のご機嫌取りに大変なように見えます。
特に、同党の看板政策とも言える、基礎控除を103万円から178万へという政策は、相当の減税効果があり、パートなどで働く人の稼働時間を広げるなど効果は大きいのですが、税収減が7兆円余りというのが本当だとすれば、財政は耐えられるのでしょうか。それに、納税していない人には全く影響がなく、そうした人たちの中には、相当厳しい生活を強いられている人も少なくありません。まさか、そうした人たちは放っておけばよい、と言うのではないと思いますし、いくらなりふり構わぬ自民党と言えども、この政策を丸呑みすることはないでしょうが、何事も、絶対正解というものはないようです。

先人たちは多くのすばらし言葉を残してくれています。
ごく身近で接した人たちの中にも、何かと教えられるものを与えてくれた人もいます。
私たちの知識や知恵の多くは、そうした人々から得た物が少なくありません。むしろ、ほとんどがそうだとも言えます。
しかし、いくらすばらしい言葉や教えであっても、所詮それはその人が身につけているものであって、その人にいくら有用であっても、誰にとっても生かせるというわけにはいきません。何事にも裏があり、真似る場合も完全に受け入れることなど出来ません。
そう考えれば、人の教えを自分のものにするのは至難のことだと思いますし、自分の思いや経験を、若い人に押しつけるようなことは慎重であるべきだと思うのです。

( 2024.11.05 )

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トランプ氏の米国 ・ 小さな小さな物語 ( 1822 )

2025-03-11 13:19:51 | 小さな小さな物語 第三十一部

注目されていた米大統領選挙は、トランプ氏が圧倒的な強さを見せて勝利しました。
かなりの激戦が予想されていましたが、結果は、激戦州とされていた七つの州においても、全国の総投票数においても、トランプ氏が圧倒していて、予想以上に早く決着がつきました。
トランプ氏の勝利を受けて、日米共に株式市場は大きく上昇しました。これは、トランプ氏が勝利した場合のシナリオとして、市場では予想されていたことのようですが、こんなに上昇するほど良いことがあるのかと思わないでもありません。
おそらく、米国内においても、祝賀モードで大はしゃぎする人々を横目に見ながら、戦略の練り直しを考えている人も少なくないでしょうし、多くの国々の首脳方は、ある程度の覚悟はあったとしても、現実を目にして頭を抱えている人もいることでしょう。
きっと、わが国も同様なのではないでしょうか。

選挙制度は、民主主義政治の根幹をなす制度の一つだと思うのですが、国家により、時代により、様々に変化しています。
米国の大統領選挙もかなり個性があるように思われます。
また、二大政党による首班争いというのも大きな特徴です。英国もやはり二大政党による政権担当が続いていることもあってか、わが国でも、かなり熱っぽく二大政党論が語られた時期がありましたが、これまでのところ定着しそうな気配は薄いようです。
ただ、ここ数回の米大統領選挙を見ていると、どうも、国家を分断に導く可能性を感じてなりません。
米国にも、二大政党の他に多くの政党が存在しています。しかし、大統領選が始まる当初には、二大政党以外の候補者の名前を聞くことがありますが、数か月も経たないうちに、この二党の代表者を決める選挙戦に集約されています。

そこで、遅ればせながら、米国の共和党と民主党について勉強してみました。
民主党は、1828 年に第七代ジャクソン大統領の支持者たちによって設立された党で、現存している政党の中で世界で最古の歴史を有しています。
もともとは、独立宣言の起草者の一人でもある第三代ジェファーソン大統領が設立した民主共和党を母体としているようです。
主な大統領としては、第二次世界大戦を主導した第三十二代ルーズベルト大統領や跡を継いだトルーマン大統領がいますし、第三十五代ケネディ大統領は今も人気の高い人物です。
一方の共和党は、1854 年に、南部の奴隷制度に反対する北部の運動の連合体として結党され、1860 年に、第十六代リンカーン大統領を同党最初の大統領として誕生させています。第二次世界大戦後の第三十四代アイゼンハワー大統領も同党です。
このようにして誕生した両党ですが、設立当初は、民主党が保守的、共和党が進歩的とされていましたが、二十世紀の中頃にはこれが逆転して、現在では、民主党が進歩的、共和党が保守的とされています。
もっとも、多くの課題に対処していく政治の世界ですから、単純に何々的などと色分けするのは正しくないのでしょうが、現在の米国が、二大政党のそれぞれの支持者を中心に分断の危機にあることは多くの人が指摘しているところです。
もしかすると、これから四年間のトランプ大統領の最大の課題は、米国の最大の弱みになりつつあるこの危機を修正することではないでしょうか。
トランプ次期大統領には、その責務と、断行出来る可能性があると思うのです。

一方、わが国も政治的には混乱の時期に突入しつつあるような気がします。
その良し悪しはともかく、二大政党制など、遠い昔の話のような気がして、今は、「弱・弱・弱」の三すくみ政治になるのではと懸念しています。
何はともあれ、主義主張はともかく、現在のわが国にとって、経済・防衛など多くの点において米国軽視など出来るはずがないのですから、トランプ米国と対等とは言いませんが、きっちりと交渉出来る政権を作り、国民も支持出来る施策を進めてくれることを祈る気持ちで願っています。

( 2024.11.08 )


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やはり野に置け ・ 小さな小さな物語 ( 1823 )

2025-03-11 13:18:38 | 小さな小さな物語 第三十一部

米国の大統領選挙は多くの予想を遙かに超えて、トランプ氏の圧勝となりました。すでに、次期政権が始動しているようですが、選挙中の過激と思われるような発言も、トランプ氏であれば、強引に進めるのではないかという恐怖感もあり、各国の対応は大変なようです。
一方わが国は、今日首班指名が行われます。現時点では、石破政権が継続することになりそうですが、他党との交渉は困難を極めるでしょうし、それ以上に、党内をまとめていくことは「薄氷の如し」とでも表現したくなります。
ぐっとスケールが小さくなりますが、わが兵庫県は目下県知事選挙が行われています。先日、じっくりとテレビの政見放送を見ましたが、何とも品のない発言も少なくなく、情けない県になってしまったとの思いがしました。ぜひとも次期知事には、本県の品格を引き上げて欲しいと願っています。

スケールに差はあるとしても、様々な発言を聞いていますと、「お前に言われたくない」とか、「それ、別の人も言っていたよね」「どこかのパクりじゃないの」「その案が本当に実行されて大丈夫だと思っているの」などと、突っ込みたい意見が氾濫しているような気がします。
もっとも、人間が考えることなど限られていますから、「自分が先だ」「こちらが本家だ」などと争うのも大人げないことですから、複雑な交渉が連続しそうなわが国会では、将来を見据えた本格的な論争と、建設的な協力を積み重ねていってほしいものです。

『 手に取るな やはり野に置け 蓮華草 』という句があります。
この句は、江戸時代中期の俳人 滝野瓢水の作品とされています。個人的には、瓢水の作品だと思っているのですが、この作品は、あまりにすばらしい為なのでしょうか、第一句や第三句を様々に変えて使われることが多く、それぞれが本家面をしている感があります。
さらに、研究者によりますと、瓢水が詠んだとされる時期より25年ほども前に、岡本蘭古という人が、「摘まずとも やはり野に置け 砕米花(ゲンゲソウ/レンゲソウ)」という句を詠んでいるというのです。それでは、意識的であれ、無意識であれ、瓢水の盗作ではないかということになるのですが、その時期より数年前に、瓢水は既にこの句を詠んでいたらしいという資料もあるらしく、まだどちらとも断言出来ないようです。
どの世界も、なかなか難しいものですねぇ。

ただ、この滝野瓢水(1684 - 1762 )という俳人は、この句に限らずすばらしい作品を残していますのに、今一つ知られていないように思われるのが実に残念です。
作風は、少々世の中を斜めに見ているような、それでいて、人の弱い心を慰めてくれているように私は感じています。
瓢水は、播磨国加古郡別府村(現在の兵庫県加古川市)の出身で、生家は千石船を七艘も持つ富裕な廻船問屋だったそうですが、彼の遊蕩乱費によって没落したそうです。
「やはり野に置け」という名句は、遊女を身請けしようとしている友人を諫める為に詠んだというのですが、「お前に言われたくない」の見本のようなお話です。
最後に、瓢水らしいすばらしい句を幾つか紹介させていただきます。
 『 さればとて 石にふとんも 着せられず 』
 『 蔵売って 日あたりの善き 牡丹かな 』
 『 浜までは 海女も蓑着る 時雨かな 』
 『 本尊は 釈迦か阿弥陀か 紅葉かな 』
 『 さてはあの 月が鳴いたか 時鳥 』
 『 有と見て 無は常なり 水の月 』

( 2024.11.11 )

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好事魔多し ・ 小さな小さな物語 ( 1824 )

2025-03-11 13:16:42 | 小さな小さな物語 第三十一部

「好事魔多し」という言葉があります。
一見、難しそうな文字に見えますが、その意味は「良いことや、上手く行きそうなことには、とかく邪魔が入るものだ」といったような意味で、大人に教える格言というほどのものではなく、まだ成長過程の子供たちに教える言葉とばかり思っていました。
ところが、この度、私の認識の未熟さをつくづくと教えられました。

衆議院選挙は、一応、わが国の政権を委ねる人々を選出する重要な位置付けになっていることは、間違いないことだと思います。
その選挙の投開票は終ったとはいえ、それによって生ずる変化、特に今回の場合は激変と言っていいほどの選挙結果が出ており、その中でも、おそらくしばらくはキャスティングボートを握るであろう党の党首が、事もあろうか「不倫」が報じられたのには、驚きよりあきれかえってしまいました。
伝えられている報道がどういう内容で、どの程度の倫理的問題があるのか知りませんが、当事者本人の謝罪会見を見る限り、笑い飛ばすような問題ではなさそうです。
この種の問題を、わが国は大袈裟に取り扱いすぎるという意見もありますし、本来当事者の問題だと思うのですが、その口で天下国家を憂いているような発言をしても、何とも説得力がないような気がします。

「好事魔多し」という言葉は、中国の戯曲「琵琶記」から生れたようですが、古来、絶頂期にある人には、油断が生れたり、足を掬いに来る人が出てきたりするようですから、子供に限った教えではないようです。
「有頂天になるな」という言葉も、ほぼ同様の意味を持っていますが、こちらの「有頂天」となりますと、もともとは仏教の言葉ですから、奥はなかなか深くなります。
拙い知識で若干説明させていただきますと、仏教の教えでは、私たち衆生は、生まれ変わり生き変わり六道を輪廻転生するそうです。六道とは、天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道を指しますが、そのうちの天人が住むという天道(天上界)も、二十七段階に分かれていて、その最上位が「有頂天」だそうです。因みに、織田信長でお馴染みの「人間五十年 下天のうちにくらぶれば 夢幻の如くなり・・」の「下天」は天上界の最下位に位置するそうです。
仏教の教える世界はなかなか厳しくて、幸運にも天上界に生まれることが出来ても、そこは永住の世界ではなく、有頂天になっていると地獄の中でも最下位の「無間地獄」に堕ちることがあるそうです。

まあ、今私たちが生きている世界は「人間道」ですから、「天道」ほどのモラルは問われないでしょうから、よほど悪辣なことでもしない限り、いきなり「無間地獄」に堕ちるようなことはないのでしょうが、かの久米の仙人は、飛行出来る神通力を得るほどの修行を積んだ人ですが、若い女性の脹脛を見て墜落したと言いますから、何ら神通力を持っていない凡人は、せいぜい身を慎むことが大切で、有頂天になるなどは百年早いと肝に銘じておく必要がありそうですねぇ。

( 2024.11.14 )

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相性や如何に ・ 小さな物語 ( 1825 )

2025-03-11 13:15:27 | 小さな小さな物語 第三十一部

石破第二次内閣が、まずは無難にスタートしました。
もっとも、解散・総選挙を挟んでの再スタートですから、落選などのやむを得ない理由で一部更迭があっただけで、第一次とほとんど変らない陣容ですが、決定的に違う点は、与党の惨敗によって少数与党を率いる内閣になったことです。
石破第二次内閣は、薄氷を踏む思いではなく、まさに薄氷の上に立っているような状態の内閣ですが、悪いことばかりではないようです。
国会論議においては、与党や内閣の低姿勢ぶりが際立っていますが、上手く行けば、意味のある論議が行われる国会が芽生えるかもしれません。現時点では、一部の野党が嫌に張り切っていますが、理論を現実化させるのはそれほど簡単ではありませんから、ぶつかり合う部分も出てくるでしょうが、あまり調子に乗りすぎると、殿ご乱心ではありませんが、ちゃぶ台返しをされて再選挙となれば、今回の結果が約束されているわけではないことを理解している人もいるでしょうから、しばらくは、ゆらゆら揺れながらも安泰なような予感がします。

自民党内となれば、何分、支持基盤が極めて弱い石破首相ですから、然るべき勢力がその気になれば、総裁の地位から引きずり落とすことも可能なような気がしますが、もし実現しても、次の総裁が首班指名を得る可能性は保証されているわけではなく、むしろ、党内からの造反も予想され、しばらくは総裁の地位を脅かすような動きは出ないのではないでしょうか。
そもそも、この支持基盤というのも、形式的かもしれませんが多くの派閥は解消され、資金流入パイプも変動するとなれば、かなり様子が変っていくのではないでしょうか。主義主張や政策の方向性などを云々する声もありますが、この二か月ばかりの石破首相の言動を見れば、ほとんどの人にはかなりの柔軟性があるように見え、薄くてやわらかな支持基盤は意外に破れないかもしれません。

こうした背景を背負って、石破首相は外交の舞台に立っています。
中国の習国家主席との初会談が伝えられています。今回は顔合わせ程度の内容なのでしょうが、要は、間もなく誕生するトランプ大統領との関係がどうなるかが大問題です。
二人の相性はどうなのか、ということがテレビなどでも紹介されています。外国のある首脳はゴルフの練習を始めたとか、「トランプ氏=安倍元首相」「安倍元首相×石破首相」という二つの算式から導かれる「トランプ次期大統領??石破首相」という算式の「??」には何が入るのか、等々。
どうも、趣味や相性といった面が強調されているようですが、国家と国家がその品位と国益を兼ねて相対するのですから、もっと別からの切り口を研究すべきのような気がします。
いずれにしても、トリプルレッドと腹心閣僚を背景にするトランプ次期大統領と、絶妙のバランスを強いられている我が石破首相との関係が、両国ばかりでなく多くの国々にとっても意義あるものに育つことを祈りたいと思います。

「十人十色」という言葉があります。辞書の説明では、「人の好む所、思う所、なりふりなどが一人一人みんなちがうこと。」とあります。
離婚の原因には多くの要因があるのでしょうが、ほとんどの調査は、その原因の一位は「性格が合わない」です。まあ、無難な原因だと言うこともかなり含まれているのでしょうが、何も国家や世界の指導者間に限らず、私たち庶民にとっても、相性という曲者との戦いは常に背負っていかなくてはならないもののようです。
なにも婚姻関係や異性間に限らず、親子や兄弟、友人や近隣関係など、あらゆる関係は「十人十色」との遭遇ですから、不一致部分があるのが当たり前なのです。
そうした関係を、肩肘張らず接していくようになるには、やはり、それなりの知恵と優しさが必要なのでしょうね。

( 2024.11.17 )

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