雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

新たな政治体制への転換点 ・ 小さな小さな物語 ( 1820 )

2025-03-11 15:18:50 | 小さな小さな物語 第三十一部

衆議院選挙は、多くの予想を超えるものだったのではないでしょうか。
自民が議席を減らすということは予想されていましたが、ここまで凄まじい減少には少々驚きました。公明も大幅に議席を減らしましたが、様々な要因はあるとしても自民に足を引っ張られた面は否定できないでしょう。
維新は、公明の地盤を蹴散らして、大阪府の小選挙区19を全勝したのには凄さを感じましたが、全体としては議席を減少させました。橋下徹氏がその原因について述べられていましたが、全国政党としては惨敗だったのかもしれません。
立憲民主は、大幅増で大勝利と言えますが、さて、本当に自民の数々の不祥事の受け皿になったのか、検証が必要な気がします。むしろ、国民民主やれいわや参政各党などに、政治に対するやるせない気持ちの票を集めたような気もします。

素人が評論家もどきの意見を述べても仕方がありませんが、今回の選挙は、何とはなく大きな転換点になるのではないかという気がしてならないのです。
つまり、強大な自民勢力に対して、揚げ足を取るのが主戦力のように見えてしまう野党との対抗で国会の日程の多くが使われ、本当の論戦、政策の協同、と言ったことなどごくごく限られているといった状態から脱皮できるのか、それとも、自民を中心とした勢力、あるいは立憲民主を中心とした勢力、のいずれにしろ、与野党が入れ替わることがあっても、現状とあまり変らない国会運営が続くのか、与野党間で本気の協議が行われ政策に反映されるような政治風土構築に動くのか、そうした分岐点だと思うのです。
相手をこれでもかというほど非難し、自らを正義の味方のように増長していたかに見える人たちが、戦い終えたからといって、果してどれだけ実のある協議が出来るのか、期待するのは無理かもしれませんが。
   

「悪木盗泉」という言葉があります。「暑くても悪木の陰では休まない、渇しても盗泉の水は飲まない」といった意味です。
「盗泉」というのは、中国の山東省にあった泉の名前らしいのですが、孔子はこの名前を嫌って、その水を飲むのはもちろんのことその地に留まることさえ嫌ったという故事があり、中国三国時代の政治家であり文学者でもある陸機( 265 - 303 )がそれを題材にして詠んだ詩から生れた言葉のようです。
孔子の清廉潔白を称えようとしたものかどうか分りませんが、現代人であれば、名前がどうであれ、実害がないのであれば、暑いのであれば日陰に入らなくては熱中症になりますし、喉が渇いているのであれば水を飲まなくては命に関わる、と合理的に考える人も多いはずです。

しかし、これが政治の世界となれば、そうそう簡単にはいかないのでしょうね。
多くの国民の信託を受けてその身分を得た議員の方々ですが、残念ながら人格崇高な方々ばかりではないはずです。何も聖人君子を望んでいるわけではありませんが、国民の多くが、ごく普通に描いている程度の常識は習得し維持し続けて頂きたいものです。
ただ、残念ながら、お金を持てばお金に汚くなり、権限を持てばそれをもてあそぶ人を私たちはたくさん見てきています。当然、私たち自身も自覚する必要がありますが、権限ある公職にある人には、ぜひ初志を貫いて欲しいと願うのです。
折から、大波乱の選挙結果を受けて、首班指名が行われるまでは、各党間の交渉や綱引きが展開されることでしょう。清く正しく美しく、などとは望みませんが、国民に目を向けた真摯な協議が行われることを切に願っています。

( 2024.10.30 )

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小さな小さな物語  目次

2025-03-11 13:22:33 | 小さな小さな物語 第三十一部

       『 小さな小さな物語  目次  』


     NO.1821  正解はどれ?
        1822  トランプ氏の米国
        1823  やはり野に置け
        1824  好事魔多し
        1825  相性や如何に

        1826  人生の疑似体験
        1827  二匹の猫
        1828  お米が高すぎる
        1829  経営の神様
        1830  さまざまな顔

        1831  エンゲル係数の理論内に収まる生活
        1832  未熟な未熟な四字熟語
        1833  国家の崩壊
        1834  二人の歌聖
        1835  三人寄れば文殊の知恵

        1836  来るものは希望
        1837  一つの出発点
        1838  人は優しくもなれる
        1839  日暮れて道遠し
        1840  新年のご挨拶

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正解はどれ? 小さな小さな物語 ( 1821 )

2025-03-11 13:21:11 | 小さな小さな物語 第三十一部

『 靴を履く習慣のない国に派遣された二人の営業マン、一人は「靴を必要としない人々に靴が売れるはずがない」と報告し、もう一人は「みんな裸足です。靴はいくらでも売れます」と報告した。』
これは、ある時期かなり使われた、営業職や市場調査に当たる人などへの教材として使われたことがある有名なお話です。
この話を聞いて、「売れない」と判断した人と、「いくらでも売れる」と判断した人のどちらが積極的か、あるいは正しいかという事について、様々な意見や事例が広がっていきます。
例えば、「いくらでも売れる」と言った人は、その市場を任され、何人かのモニターに無料で靴を履かせたところ、一年後には数百足の靴を売ることが出来ました。ところが、「売れない」とした人は、既に靴を履く習慣はあるが劣悪な商品しか出回っていない国に行き出店したところ、一年で数千足を売り上げました。
この結果を見れば、「売れない」と判断した人の方が正しいということになります。
しかし、十年後には、この数字は逆転して、靴を履く習慣のなかった国での売り上げが、十倍以上になったというのです。

これも、ある有名な経営指導者の言葉ですが、「無能な者を並みの水準に引き上げるには大変な労力がいる。一流の者を超一流に育てる方がはるかに簡単だ」と教えています。ただ、その理論が正しいかどうか疑問に思うのは、超一流の管理職や経営者はそうそう簡単に生まれていないような気がするからです。
野球の指導者は、チーム強化の手段として、多くの人が全員野球を提唱するようです。ところが、本音は、全員に努力をさせるための手段にされているような気がしないでもありません。

先日の総選挙で躍進した国民民主党は大変な強気で、過半数割れに落ち込んだ自民党は、首班指名に向けて、同党のご機嫌取りに大変なように見えます。
特に、同党の看板政策とも言える、基礎控除を103万円から178万へという政策は、相当の減税効果があり、パートなどで働く人の稼働時間を広げるなど効果は大きいのですが、税収減が7兆円余りというのが本当だとすれば、財政は耐えられるのでしょうか。それに、納税していない人には全く影響がなく、そうした人たちの中には、相当厳しい生活を強いられている人も少なくありません。まさか、そうした人たちは放っておけばよい、と言うのではないと思いますし、いくらなりふり構わぬ自民党と言えども、この政策を丸呑みすることはないでしょうが、何事も、絶対正解というものはないようです。

先人たちは多くのすばらし言葉を残してくれています。
ごく身近で接した人たちの中にも、何かと教えられるものを与えてくれた人もいます。
私たちの知識や知恵の多くは、そうした人々から得た物が少なくありません。むしろ、ほとんどがそうだとも言えます。
しかし、いくらすばらしい言葉や教えであっても、所詮それはその人が身につけているものであって、その人にいくら有用であっても、誰にとっても生かせるというわけにはいきません。何事にも裏があり、真似る場合も完全に受け入れることなど出来ません。
そう考えれば、人の教えを自分のものにするのは至難のことだと思いますし、自分の思いや経験を、若い人に押しつけるようなことは慎重であるべきだと思うのです。

( 2024.11.05 )

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トランプ氏の米国 ・ 小さな小さな物語 ( 1822 )

2025-03-11 13:19:51 | 小さな小さな物語 第三十一部

注目されていた米大統領選挙は、トランプ氏が圧倒的な強さを見せて勝利しました。
かなりの激戦が予想されていましたが、結果は、激戦州とされていた七つの州においても、全国の総投票数においても、トランプ氏が圧倒していて、予想以上に早く決着がつきました。
トランプ氏の勝利を受けて、日米共に株式市場は大きく上昇しました。これは、トランプ氏が勝利した場合のシナリオとして、市場では予想されていたことのようですが、こんなに上昇するほど良いことがあるのかと思わないでもありません。
おそらく、米国内においても、祝賀モードで大はしゃぎする人々を横目に見ながら、戦略の練り直しを考えている人も少なくないでしょうし、多くの国々の首脳方は、ある程度の覚悟はあったとしても、現実を目にして頭を抱えている人もいることでしょう。
きっと、わが国も同様なのではないでしょうか。

選挙制度は、民主主義政治の根幹をなす制度の一つだと思うのですが、国家により、時代により、様々に変化しています。
米国の大統領選挙もかなり個性があるように思われます。
また、二大政党による首班争いというのも大きな特徴です。英国もやはり二大政党による政権担当が続いていることもあってか、わが国でも、かなり熱っぽく二大政党論が語られた時期がありましたが、これまでのところ定着しそうな気配は薄いようです。
ただ、ここ数回の米大統領選挙を見ていると、どうも、国家を分断に導く可能性を感じてなりません。
米国にも、二大政党の他に多くの政党が存在しています。しかし、大統領選が始まる当初には、二大政党以外の候補者の名前を聞くことがありますが、数か月も経たないうちに、この二党の代表者を決める選挙戦に集約されています。

そこで、遅ればせながら、米国の共和党と民主党について勉強してみました。
民主党は、1828 年に第七代ジャクソン大統領の支持者たちによって設立された党で、現存している政党の中で世界で最古の歴史を有しています。
もともとは、独立宣言の起草者の一人でもある第三代ジェファーソン大統領が設立した民主共和党を母体としているようです。
主な大統領としては、第二次世界大戦を主導した第三十二代ルーズベルト大統領や跡を継いだトルーマン大統領がいますし、第三十五代ケネディ大統領は今も人気の高い人物です。
一方の共和党は、1854 年に、南部の奴隷制度に反対する北部の運動の連合体として結党され、1860 年に、第十六代リンカーン大統領を同党最初の大統領として誕生させています。第二次世界大戦後の第三十四代アイゼンハワー大統領も同党です。
このようにして誕生した両党ですが、設立当初は、民主党が保守的、共和党が進歩的とされていましたが、二十世紀の中頃にはこれが逆転して、現在では、民主党が進歩的、共和党が保守的とされています。
もっとも、多くの課題に対処していく政治の世界ですから、単純に何々的などと色分けするのは正しくないのでしょうが、現在の米国が、二大政党のそれぞれの支持者を中心に分断の危機にあることは多くの人が指摘しているところです。
もしかすると、これから四年間のトランプ大統領の最大の課題は、米国の最大の弱みになりつつあるこの危機を修正することではないでしょうか。
トランプ次期大統領には、その責務と、断行出来る可能性があると思うのです。

一方、わが国も政治的には混乱の時期に突入しつつあるような気がします。
その良し悪しはともかく、二大政党制など、遠い昔の話のような気がして、今は、「弱・弱・弱」の三すくみ政治になるのではと懸念しています。
何はともあれ、主義主張はともかく、現在のわが国にとって、経済・防衛など多くの点において米国軽視など出来るはずがないのですから、トランプ米国と対等とは言いませんが、きっちりと交渉出来る政権を作り、国民も支持出来る施策を進めてくれることを祈る気持ちで願っています。

( 2024.11.08 )


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やはり野に置け ・ 小さな小さな物語 ( 1823 )

2025-03-11 13:18:38 | 小さな小さな物語 第三十一部

米国の大統領選挙は多くの予想を遙かに超えて、トランプ氏の圧勝となりました。すでに、次期政権が始動しているようですが、選挙中の過激と思われるような発言も、トランプ氏であれば、強引に進めるのではないかという恐怖感もあり、各国の対応は大変なようです。
一方わが国は、今日首班指名が行われます。現時点では、石破政権が継続することになりそうですが、他党との交渉は困難を極めるでしょうし、それ以上に、党内をまとめていくことは「薄氷の如し」とでも表現したくなります。
ぐっとスケールが小さくなりますが、わが兵庫県は目下県知事選挙が行われています。先日、じっくりとテレビの政見放送を見ましたが、何とも品のない発言も少なくなく、情けない県になってしまったとの思いがしました。ぜひとも次期知事には、本県の品格を引き上げて欲しいと願っています。

スケールに差はあるとしても、様々な発言を聞いていますと、「お前に言われたくない」とか、「それ、別の人も言っていたよね」「どこかのパクりじゃないの」「その案が本当に実行されて大丈夫だと思っているの」などと、突っ込みたい意見が氾濫しているような気がします。
もっとも、人間が考えることなど限られていますから、「自分が先だ」「こちらが本家だ」などと争うのも大人げないことですから、複雑な交渉が連続しそうなわが国会では、将来を見据えた本格的な論争と、建設的な協力を積み重ねていってほしいものです。

『 手に取るな やはり野に置け 蓮華草 』という句があります。
この句は、江戸時代中期の俳人 滝野瓢水の作品とされています。個人的には、瓢水の作品だと思っているのですが、この作品は、あまりにすばらしい為なのでしょうか、第一句や第三句を様々に変えて使われることが多く、それぞれが本家面をしている感があります。
さらに、研究者によりますと、瓢水が詠んだとされる時期より25年ほども前に、岡本蘭古という人が、「摘まずとも やはり野に置け 砕米花(ゲンゲソウ/レンゲソウ)」という句を詠んでいるというのです。それでは、意識的であれ、無意識であれ、瓢水の盗作ではないかということになるのですが、その時期より数年前に、瓢水は既にこの句を詠んでいたらしいという資料もあるらしく、まだどちらとも断言出来ないようです。
どの世界も、なかなか難しいものですねぇ。

ただ、この滝野瓢水(1684 - 1762 )という俳人は、この句に限らずすばらしい作品を残していますのに、今一つ知られていないように思われるのが実に残念です。
作風は、少々世の中を斜めに見ているような、それでいて、人の弱い心を慰めてくれているように私は感じています。
瓢水は、播磨国加古郡別府村(現在の兵庫県加古川市)の出身で、生家は千石船を七艘も持つ富裕な廻船問屋だったそうですが、彼の遊蕩乱費によって没落したそうです。
「やはり野に置け」という名句は、遊女を身請けしようとしている友人を諫める為に詠んだというのですが、「お前に言われたくない」の見本のようなお話です。
最後に、瓢水らしいすばらしい句を幾つか紹介させていただきます。
 『 さればとて 石にふとんも 着せられず 』
 『 蔵売って 日あたりの善き 牡丹かな 』
 『 浜までは 海女も蓑着る 時雨かな 』
 『 本尊は 釈迦か阿弥陀か 紅葉かな 』
 『 さてはあの 月が鳴いたか 時鳥 』
 『 有と見て 無は常なり 水の月 』

( 2024.11.11 )

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好事魔多し ・ 小さな小さな物語 ( 1824 )

2025-03-11 13:16:42 | 小さな小さな物語 第三十一部

「好事魔多し」という言葉があります。
一見、難しそうな文字に見えますが、その意味は「良いことや、上手く行きそうなことには、とかく邪魔が入るものだ」といったような意味で、大人に教える格言というほどのものではなく、まだ成長過程の子供たちに教える言葉とばかり思っていました。
ところが、この度、私の認識の未熟さをつくづくと教えられました。

衆議院選挙は、一応、わが国の政権を委ねる人々を選出する重要な位置付けになっていることは、間違いないことだと思います。
その選挙の投開票は終ったとはいえ、それによって生ずる変化、特に今回の場合は激変と言っていいほどの選挙結果が出ており、その中でも、おそらくしばらくはキャスティングボートを握るであろう党の党首が、事もあろうか「不倫」が報じられたのには、驚きよりあきれかえってしまいました。
伝えられている報道がどういう内容で、どの程度の倫理的問題があるのか知りませんが、当事者本人の謝罪会見を見る限り、笑い飛ばすような問題ではなさそうです。
この種の問題を、わが国は大袈裟に取り扱いすぎるという意見もありますし、本来当事者の問題だと思うのですが、その口で天下国家を憂いているような発言をしても、何とも説得力がないような気がします。

「好事魔多し」という言葉は、中国の戯曲「琵琶記」から生れたようですが、古来、絶頂期にある人には、油断が生れたり、足を掬いに来る人が出てきたりするようですから、子供に限った教えではないようです。
「有頂天になるな」という言葉も、ほぼ同様の意味を持っていますが、こちらの「有頂天」となりますと、もともとは仏教の言葉ですから、奥はなかなか深くなります。
拙い知識で若干説明させていただきますと、仏教の教えでは、私たち衆生は、生まれ変わり生き変わり六道を輪廻転生するそうです。六道とは、天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道を指しますが、そのうちの天人が住むという天道(天上界)も、二十七段階に分かれていて、その最上位が「有頂天」だそうです。因みに、織田信長でお馴染みの「人間五十年 下天のうちにくらぶれば 夢幻の如くなり・・」の「下天」は天上界の最下位に位置するそうです。
仏教の教える世界はなかなか厳しくて、幸運にも天上界に生まれることが出来ても、そこは永住の世界ではなく、有頂天になっていると地獄の中でも最下位の「無間地獄」に堕ちることがあるそうです。

まあ、今私たちが生きている世界は「人間道」ですから、「天道」ほどのモラルは問われないでしょうから、よほど悪辣なことでもしない限り、いきなり「無間地獄」に堕ちるようなことはないのでしょうが、かの久米の仙人は、飛行出来る神通力を得るほどの修行を積んだ人ですが、若い女性の脹脛を見て墜落したと言いますから、何ら神通力を持っていない凡人は、せいぜい身を慎むことが大切で、有頂天になるなどは百年早いと肝に銘じておく必要がありそうですねぇ。

( 2024.11.14 )

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相性や如何に ・ 小さな物語 ( 1825 )

2025-03-11 13:15:27 | 小さな小さな物語 第三十一部

石破第二次内閣が、まずは無難にスタートしました。
もっとも、解散・総選挙を挟んでの再スタートですから、落選などのやむを得ない理由で一部更迭があっただけで、第一次とほとんど変らない陣容ですが、決定的に違う点は、与党の惨敗によって少数与党を率いる内閣になったことです。
石破第二次内閣は、薄氷を踏む思いではなく、まさに薄氷の上に立っているような状態の内閣ですが、悪いことばかりではないようです。
国会論議においては、与党や内閣の低姿勢ぶりが際立っていますが、上手く行けば、意味のある論議が行われる国会が芽生えるかもしれません。現時点では、一部の野党が嫌に張り切っていますが、理論を現実化させるのはそれほど簡単ではありませんから、ぶつかり合う部分も出てくるでしょうが、あまり調子に乗りすぎると、殿ご乱心ではありませんが、ちゃぶ台返しをされて再選挙となれば、今回の結果が約束されているわけではないことを理解している人もいるでしょうから、しばらくは、ゆらゆら揺れながらも安泰なような予感がします。

自民党内となれば、何分、支持基盤が極めて弱い石破首相ですから、然るべき勢力がその気になれば、総裁の地位から引きずり落とすことも可能なような気がしますが、もし実現しても、次の総裁が首班指名を得る可能性は保証されているわけではなく、むしろ、党内からの造反も予想され、しばらくは総裁の地位を脅かすような動きは出ないのではないでしょうか。
そもそも、この支持基盤というのも、形式的かもしれませんが多くの派閥は解消され、資金流入パイプも変動するとなれば、かなり様子が変っていくのではないでしょうか。主義主張や政策の方向性などを云々する声もありますが、この二か月ばかりの石破首相の言動を見れば、ほとんどの人にはかなりの柔軟性があるように見え、薄くてやわらかな支持基盤は意外に破れないかもしれません。

こうした背景を背負って、石破首相は外交の舞台に立っています。
中国の習国家主席との初会談が伝えられています。今回は顔合わせ程度の内容なのでしょうが、要は、間もなく誕生するトランプ大統領との関係がどうなるかが大問題です。
二人の相性はどうなのか、ということがテレビなどでも紹介されています。外国のある首脳はゴルフの練習を始めたとか、「トランプ氏=安倍元首相」「安倍元首相×石破首相」という二つの算式から導かれる「トランプ次期大統領??石破首相」という算式の「??」には何が入るのか、等々。
どうも、趣味や相性といった面が強調されているようですが、国家と国家がその品位と国益を兼ねて相対するのですから、もっと別からの切り口を研究すべきのような気がします。
いずれにしても、トリプルレッドと腹心閣僚を背景にするトランプ次期大統領と、絶妙のバランスを強いられている我が石破首相との関係が、両国ばかりでなく多くの国々にとっても意義あるものに育つことを祈りたいと思います。

「十人十色」という言葉があります。辞書の説明では、「人の好む所、思う所、なりふりなどが一人一人みんなちがうこと。」とあります。
離婚の原因には多くの要因があるのでしょうが、ほとんどの調査は、その原因の一位は「性格が合わない」です。まあ、無難な原因だと言うこともかなり含まれているのでしょうが、何も国家や世界の指導者間に限らず、私たち庶民にとっても、相性という曲者との戦いは常に背負っていかなくてはならないもののようです。
なにも婚姻関係や異性間に限らず、親子や兄弟、友人や近隣関係など、あらゆる関係は「十人十色」との遭遇ですから、不一致部分があるのが当たり前なのです。
そうした関係を、肩肘張らず接していくようになるには、やはり、それなりの知恵と優しさが必要なのでしょうね。

( 2024.11.17 )

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人生の疑似体験 ・ 小さな小さな物語 ( 1826 )

2025-03-11 13:14:08 | 小さな小さな物語 第三十一部

当ブログで長年に渡って続けてきました「今昔物語拾い読み」は、このほど完結いたしました。
何分膨大な物語集ですから、そのほとんどを既刊されているいくつかの書籍やネットの情報などを片っ端から頂戴して、読み続けた物を紹介させていただきましたが、およそ九年半ばかりかかりました。我ながらよく投げ出さなかったものだと、感心するよりあきれていますが、おそらく、誤字などは多発しているでしょうし、言葉だけでなく文意そのものさえ間違えている物もあるのではないかと、気にはなっています。
そうした心配はあるとしても、いざ終了してしまいますと、若干「ロス」気味で、何とはなく物足りなくなっています。

そういう事もあって、今月末から、「今昔の人々」という新しいカテゴリーをスタートさせていただきます。内容は、今昔物語の中の、私の好きな物語を中心に、登場人物を意識する形で、場合によっては一部加除させていただいた物を紹介させていただくつもりで、すでに準備を始めております。
今昔物語に拘りすぎるのではないかという気持ちもありますが、その理由の多くは、仏教礼賛的な内容の物が多いとはいえ、登場してくる人物には、とても魅力や興味を感じる人が少なくないからです。しかも、貧乏な人が仏の力で簡単に富者になったり、今生ばかりや前世や来世が簡単に登場してくるのですから、ばかばかしいと言えばそうかも知れませんが、考えさせられる部分も確かにあります。
原文を歪めるような作品集になるのを懸念していますが、出来るだけ親しみやすい文章を心がけますので、ぜひ、ご覧下さい。

私が今昔物語に惹かれる最大の要因は、おそらく「現実からの逃避」だと考えています。
もっとも、映画であれ、テレビドラマであれ、小説であれ、そうした部分を持っていると思うのですが、今昔物語にある物語は、「今は昔・・」と最初に断っているように現実離れした物語がほとんどです。「いくら苦しいといっても、それが前世からの因縁だ」と言われますと、うん、うん、と納得するしかありませんし、「いくら惨めな生活を強いられても、仏の導きで浄土に生まれ変わった」と言われましても、良かったね、とは思っても、現実性などありません。
それでも、ほんの少し、まったくほんの少しですが、荒みがちな気持ちを「よし、よし」してくれているような気もするのです。

ただ、現実に戻ってみますと、「好きだ、嫌いだ」「あれが欲しい、これが欲しい」と煩悩の海を泳いでいるような日々です。
ある人が人生を「山登りのような物だ」と評していました。「七合目八合目辺りはとても苦しいが、そこからが勝負で、頑張り抜けば頂上が待っている」というのです。しかし、揚げ足を取るつもりはありませんが、山登りには下山が控えており、その過程には、頂上を目指していた時には見えなかった風景が待ち受けているかもしれません。
人生を、「マラソンのようだ」と評した人もおりました。「35kmからが勝負だ」そうですが、マラソンにはゴール地点が定められていますが、人生にはそれが明らかにされていません。ゴールは、60km地点かもしれませんし、あと数歩先なのかもしれません。
「今昔物語」を読む楽しみには、人生の疑似体験が含まれているかもしれません。

( 2024.11.20 )

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二匹の猫 ・ 小さな小さな物語 ( 1827 )

2025-03-11 13:12:43 | 小さな小さな物語 第三十一部

わが家には猫が一匹がいます。
一度犬を飼ったこともありますが、死なせたことがショックでしばらく動物を飼うのは止めていたのですが、ある切っ掛けで猫を飼うことになり、以来、一番多い時には三匹いたこともありますが、いずれも亡くなってしまいました。一番長生きしたのは二十一年生きましたが、さんざん医者通いをしましたのに、若くして死なせてしまったのもいます。全部で五匹くらいですが、獣医さんからいただいた者を除き、いずれも迷い込んできた猫たちです。
「猫可愛がり」という言葉がありますが、私自身は、それほど肩入れしていなかったつもりですが、死なれたときの辛さは、小さなものではありませんでした。それで、三匹の猫が若い方から順に死んでいき、最後の一匹を見送ったとき、もう絶対にペットは飼わないと家族で申し合わせました。

当市は、かなり早くから「犬・猫の殺処分ゼロ」を目指し、数年前から実行出来ているようです。ごく近くのお方にも、ボランティアで野良猫のケアをされていて、野良猫を捕獲して手術した後、地域猫として放したり、飼い主を探したりしてくれています。
今わが家にいる猫は、地域猫として餌をもらっていたのですが、どうやら仲間はずれにされているようなので、ボランティアの人に相談されて、飼わせていただいたものです。
三年近くなり、わが家の隅から隅まで、好き放題に動き回り、食べ物も結構口が肥えてきています。家族にも懐いてくれていますが、外に出さないので、ガラス戸越しに庭をじっと見つめている時間も長く、ふと、物思いにふけっているような姿を見せることがあります。
猫特有の表情だとは思うのですが、彼にとって、本当にわが家にいることが幸せなのかと思うことがあります。

わが家には、毎日朝夕、時には昼にも、食事をしに来る猫もいます。いわゆる地域猫です。すでに十歳を大分過ぎているそうで、家で飼うのは難しいようです。
毎朝六時前頃には、朝食を待っています。食事の後しばらくは、畑でトイレを使ったり、季候の良いときはひなたぼっこをしたり、ゴロゴロ転がったりしています。水飲み場を三ヶ所、寝たり休んだり出来る場所も四ヶ所作っていますが、夜はそこで寝ることは全くないようで、たいていは、わが家の庭から塀に登り、隣接しているボランティアの方の一階の屋根に登り、二階とベランダとの隙間辺りにねぐらを作ってもらっているようです。
ただ、真夏もそうですが、これから寒さに向かうと、毛布などでねぐらを作っているのですが、わが家では寝ないようですし、可愛そうな気がします。
厳寒の季節になると、家の中でぬくぬくとしている猫にくらべて、雪はほとんど降らない地域ですが、北風が啼く夜などは、風を避けて丸くなって寒さを凌いでいるのかと思うと哀れに感じてなりません。
しかし、同時に、猫にとっては、少々厳しい環境であっても、食べ物の心配はなく、自由気ままに動き回れる生活と、暑さ寒さの心配も食事の心配もないとはいえ、閉じ込められ、たまには人間に愛想もしなければならない環境と、本当はどちらが幸せなのかと考えたりもするのです。

折から、年末ジャンボ宝くじが売り出されています。
一等と前後賞を合わせれば10億円になるそうです。10億円あれば、老後の心配など吹き飛んでしまいそうな気がしますし、たいていの「欲しい欲しい病」も解決しそうな気がします。
ところが、世界の資産家となりますと、桁が違うどころか「億」が「兆」になっても及ばないような人がゴロゴロいるようですし、わが国に限っても、10億円以上の資産家など珍しくもないはずです。
けれども、その人たちのほとんどが幸せかと言えば、さて、どうなのでしょうか。「お金で幸せが買えるわけではない」などと青臭いことを言うつもりはありませんが、やはり、幸せという曲者は、そうそう簡単に捕まえることは出来ないようです。
どうやら、幸せというものは、頂くとか捕まえると言った存在ではなく、それぞれに育て上げるようなものなのかも知れません。

( 2024.11.23 )

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お米が高すぎる ・ 小さな小さな物語 ( 1828 )

2025-03-11 13:11:39 | 小さな小さな物語 第三十一部

お米の値段が高くなっています。
昨年の不作の関係もあって、新米が出る直前に、お米不足がささやかれるようになったと思っているうちに、かなり広範囲の地域で、スーパーなどの小売店からお米がなくなるという、何とも情けない状況が出現しました。
その時も、一部の首長の方からの「備蓄米を放出して欲しい」という要望に対して、政府は、間もなく新米が出回ること、備蓄米を流通させるには時間がかかる、などと言って実現しませんでした。
案の定、賢い輩はいるもので、お米の値段は高騰しました。なかなか手に入らず、言い値で買うしかなかった一人暮らしの高齢者の方のインタビューに答える姿に、実に腹立たしい気がしました。

お米の高騰の原因には、様々な要因があるようです。これまで安すぎたものが修正されているに過ぎないと宣う人もいます。
しかし、直近のニュースでは、昨年の1.5倍の価格になっていると報じられています。
まさか、まだ新米が出回っていないというのではないのでしょうから、諸物価の高騰が影響しているとは言え、どこかで作為的な力が働いているとしか思えないのです。年々お米の消費量は減少傾向にあったとは言え、私たちの生活にとって、必需品のトップといえる品物です。政府が、現在の価格は妥当なものだと考えているのであれば仕方がありませんが、そうでないのであれば、今すぐに備蓄米を放出すべきです。値崩れが心配だと反論するのでしょうが、値崩れ結構、減税論議より速効性がありますよ。値崩れがひどくなれば、また備蓄米を増やせば良いだけですから。
でも、きっと、「備蓄米は価格操作の為のものではない」などと、素人の意見など聞いてくれないのでしょうね。

「勘定合って銭足らず」という名言があります。
死語になりかかっている言葉のような気もするのですが、昨今、その状況を見せつけられることが多すぎるような気がします。
「2%の物価上昇」を錦の御旗のように掲げ、それによって、私たちの生活が豊かになるようなご高説を聞かされてきましたが、現在、その立派な政策は見事に達成していますが、確実に結果が出ているのは消費税額が増えて税収増に寄与しているくらいです。給与が増えているというご意見もあるかもしれませんが、物価が上がれば、トボトボとでも給料が上がらなければ国民生活は破綻しますので、当然の現象に過ぎません。
目下、「103万円の壁」という言葉が大受けですが、この問題も落とし所を模索中でしょうが、「銭足らず」の部分をどうするのか、お手並みを拝見させていただきましょう。

まあ、ぼやいてばかりいても仕方がないと、少々反省していますと、こんな見事な句が見つかりました。
『 米の高い時 双子を生んで お米・お高と 名を付けた 』
どなたの作か知らないのですが、いつ作られた都々逸なのでしょうか。お米が高い中で双子をお生みになったのですから、現代日本の模範生と言えそうです。
そう言えば、無断使用の連続になりますが、こんな都々逸もあります。
『 あきらめましたよ どうあきらめた あきらめられぬと あきらめた 』
『 隅田川さえ 棹さしゃ届く 何故か届かぬ 我が想い 』
庶民の想いが届く政治を期待しつつ、都々逸でも勉強しますか・・。

( 2024.11.26 )

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