( 3-2 )
三姉妹たちの一行は五階に上がった。最上階である。
ここは、すでに満足に意志を伝えられない状態の人や、精神障害の重篤な患者たちが収容されていた。それは、入院というより収容という言葉の方が正しいと思われたが、参加者の誰にとっても遠い先でもない自分の姿を連想してしまうような気持がどこかにあった。
見学したのはごく一部の病室だったが、ここでも看護や介護にあたっている人や、清掃などを担当している人までが、患者一人一人に大きな声で話しかけていた。大きなマスクをつけていたり、幾本ものチューブでつながれている患者に対してさえもである。
その光景は、かなり不思議なものであり、なぜだか感動を覚えるものでもあった。
この病棟の事務責任者だというまだ若く見える女性は、「講習が始まったばかりの皆さまに、この病室を見ていただくのには賛否両論があるのですが・・・」と前置きしてから話し始めた。
職員や医師たちの休憩室らしい部屋で参加者たちにお茶が振る舞われている時のことである。
「私たちの国テスバウ共和国は、高齢者がどのように生きることが良いのかを追求するために設立された国家だと、私は受取っています。皆さま方も、きっとそのような考え方に賛同いただいて市民となるための体験講座を受けていただいているのだと思います。
私たちの国は、誰かに全面的におんぶされようと考えている人にとっては負担なことが多いかもしれません。しかし、人生を最後まで生き生きと過ごしたいと考える人にとっては、十分その可能性を持った国だと私は自信を持って申し上げられます」
事務責任者は全員を見渡すように微笑みかけ、どうぞお茶をいただきながら気楽にお聞きください、と言葉を続けた。
「私たちの国テスバウ共和国は、理事長以下全員が自分の能力や体力を考えながら選んだそれぞれの職場で、同じような願いを持って集まってきた仲間のために精一杯働いています。
客観的に見れば、ある人は仕事量が多くその技術や判断力に特別の才能や経験を必要とする業務についています。反対にある人は、そのどちらの面からも見劣りし、あるいは健康面でのハンディを持っている人もいます。
しかし、どちらの人も、自分が選択し、それをベースに与えられた仕事に対して真剣に取り組んでいます。そして、そのどちらの人も、決して長くない残された時間を、より良く、より豊かに生きようとしているのです。
私たちの国には、現在およそ九千二百人の市民が生活しております。
それぞれの市民は、六十年、あるいは七十年を懸命に生きてきて、人生の最後の部分をテスバウ共和国に託した人ばかりなのです。誰もがより良い生活を願い、そして、そうだからこそ仲間のために尽力したいと考えることが出来る人たちなのです。
しかし、私たちは一年一年年齢を重ねて参ります。一日一日残された時間は減って参ります。これだけはどうすることもできない厳然たる事実なのです。
そして、私たちはやがて最期を迎えるわけですが、それは自然の摂理であって、辛いことでも悲しいことでもありません。穏やかに、心安らかにその日を迎えられるように心の準備を積み重ねてゆくばかりです。
ただ、年齢を重ねるということは、多かれ少なかれ病を避けきれるものではありません。
現在私たちの病棟には、二百人余りの人が入院されております。半分が私たちの国の市民で、半分は母国からの依頼でお世話させていただいている人たちです。残念ながら、この病棟におられる方々が普通の市民生活に戻られることは、奇跡に近い回復が見られる以外ありえないでしょう。
そのような状態にある方々を、どのようにお世話すればよいのか、少しでも穏やかに、少しで心豊かな時間を持っていただくためにはどうすればよいのか・・・、私たちはそう考えながらお世話をさせていただいております。
私たちの病棟に配属されるのを負担に感じられる人がいます。私たちの仕事が大変だと、ねぎらって下さる人も少なくありません。ありがたいことです。
しかし、私たちはここでの仕事に感謝しています。最後の時を懸命に生きている方たちに、ほんのささやかな助力ですが、手助けさせていただけるのですから・・・」
三姉妹たちの一行は五階に上がった。最上階である。
ここは、すでに満足に意志を伝えられない状態の人や、精神障害の重篤な患者たちが収容されていた。それは、入院というより収容という言葉の方が正しいと思われたが、参加者の誰にとっても遠い先でもない自分の姿を連想してしまうような気持がどこかにあった。
見学したのはごく一部の病室だったが、ここでも看護や介護にあたっている人や、清掃などを担当している人までが、患者一人一人に大きな声で話しかけていた。大きなマスクをつけていたり、幾本ものチューブでつながれている患者に対してさえもである。
その光景は、かなり不思議なものであり、なぜだか感動を覚えるものでもあった。
この病棟の事務責任者だというまだ若く見える女性は、「講習が始まったばかりの皆さまに、この病室を見ていただくのには賛否両論があるのですが・・・」と前置きしてから話し始めた。
職員や医師たちの休憩室らしい部屋で参加者たちにお茶が振る舞われている時のことである。
「私たちの国テスバウ共和国は、高齢者がどのように生きることが良いのかを追求するために設立された国家だと、私は受取っています。皆さま方も、きっとそのような考え方に賛同いただいて市民となるための体験講座を受けていただいているのだと思います。
私たちの国は、誰かに全面的におんぶされようと考えている人にとっては負担なことが多いかもしれません。しかし、人生を最後まで生き生きと過ごしたいと考える人にとっては、十分その可能性を持った国だと私は自信を持って申し上げられます」
事務責任者は全員を見渡すように微笑みかけ、どうぞお茶をいただきながら気楽にお聞きください、と言葉を続けた。
「私たちの国テスバウ共和国は、理事長以下全員が自分の能力や体力を考えながら選んだそれぞれの職場で、同じような願いを持って集まってきた仲間のために精一杯働いています。
客観的に見れば、ある人は仕事量が多くその技術や判断力に特別の才能や経験を必要とする業務についています。反対にある人は、そのどちらの面からも見劣りし、あるいは健康面でのハンディを持っている人もいます。
しかし、どちらの人も、自分が選択し、それをベースに与えられた仕事に対して真剣に取り組んでいます。そして、そのどちらの人も、決して長くない残された時間を、より良く、より豊かに生きようとしているのです。
私たちの国には、現在およそ九千二百人の市民が生活しております。
それぞれの市民は、六十年、あるいは七十年を懸命に生きてきて、人生の最後の部分をテスバウ共和国に託した人ばかりなのです。誰もがより良い生活を願い、そして、そうだからこそ仲間のために尽力したいと考えることが出来る人たちなのです。
しかし、私たちは一年一年年齢を重ねて参ります。一日一日残された時間は減って参ります。これだけはどうすることもできない厳然たる事実なのです。
そして、私たちはやがて最期を迎えるわけですが、それは自然の摂理であって、辛いことでも悲しいことでもありません。穏やかに、心安らかにその日を迎えられるように心の準備を積み重ねてゆくばかりです。
ただ、年齢を重ねるということは、多かれ少なかれ病を避けきれるものではありません。
現在私たちの病棟には、二百人余りの人が入院されております。半分が私たちの国の市民で、半分は母国からの依頼でお世話させていただいている人たちです。残念ながら、この病棟におられる方々が普通の市民生活に戻られることは、奇跡に近い回復が見られる以外ありえないでしょう。
そのような状態にある方々を、どのようにお世話すればよいのか、少しでも穏やかに、少しで心豊かな時間を持っていただくためにはどうすればよいのか・・・、私たちはそう考えながらお世話をさせていただいております。
私たちの病棟に配属されるのを負担に感じられる人がいます。私たちの仕事が大変だと、ねぎらって下さる人も少なくありません。ありがたいことです。
しかし、私たちはここでの仕事に感謝しています。最後の時を懸命に生きている方たちに、ほんのささやかな助力ですが、手助けさせていただけるのですから・・・」