雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

テスバウ共和国 入国体験記 ・ 第三十回

2011-08-17 10:57:36 | テスバウ共和国 入国体験記 
       ( 2-2 )

「それでは、それぞれの部局の予算について見ていきましょう。
まず総務部ですが、全体で三億八千万バウの予算が割り当てられています。このうちの五千万バウは部長予算で、部全体のために使用されるほか部内の局予算の不足を穴埋めすることも可能です。この部には五つの局がありますが、局間での予算の流用は禁じられています。局予算が不足した場合には、部長予算を回してもらうか予算管理局経由理事会に追加予算の申請が必要となります。
ここの局予算では、総務局と入出国管理局がそれぞれ一億バウと多くなっています。総務局は毎月発行されるテスバウ共和国通信の作成費用が大きく、入出国管理局では事務経費の負担が大きくなっています。
また、皆さまをお迎えしていますように、新たな市民をお迎えするための広告や体験講座なども入出国管理局が統括していますが、それらの費用の大半は新しい市民の入国一時金や受講料の一部が充てられています。

財務部の予算は全体で一億九千万バウと部の予算としては一番少なくなっています。その理由は、事務経費以外にはあまり大きな資金を必要とするものがないことです。
部長予算の五千万バウは各部共通に割り当てられています。また、銀行局はコンピューターや自動支払機など相当大きな費用が発生しますが、それらは銀行事業経費として処理されていて、国家予算からは三千万バウが割り当てられているだけです。

次の厚生部は、もっとも大きな予算が割り当てられている部署です。部長予算の五千万バウは同じですが、総合病院局に二億バウ、地区保険局にも二億バウ、特別介護局に一億バウの合計五億五千万バウとなっています。
なおこれらの予算は、一部事務経費の他は、施設の改善や補充などに使用されることになっていて、直接医療行為などに必要な経費は、別建てとなっている健康保険財政で賄われています。そちらの方は、後日担当部署から説明させていただきます。

四番目の互助会には、二億五千万バウの予算が割り当てられています。この部には互助会と、生活相談局と介護対策局の三つの局があります。互助会は局とはなっていませんが、同列の組織と考えてください。
互助会には全市民が参加することになっており、市民にとって最も直接的に関係してくる組織ですが、国家予算としては大きくはありません。
それは厚生部と同じ理由でして、運営費の大半は互助会費によって賄われているからです。
生活相談局には一億バウというかなりな予算が充てられていますが、その使用目的なども含めまして、この部全体の運営の仕組みや状況などにつきましては、後日かなりの時間をかけて担当部局から説明させていただきます。
互助会の運営は、私たちの国テスバウ共和国の生命線であり誇りでもあるのです。母国や私たちと同様の組織を持つ団体からも注目されています。私たちの国には、この組織運営のエキスパートが何人もおりますので、私などが付け焼刃のような説明をするのは控えさせていただきます。

交通防災部は五億バウと大きな予算になっています。交通局の一億バウは主に国内の路線バスの運営費用です。警備局の二億バウは、支援していただいている警備会社と母国州警察への分担金などの支払いが大半を占めています。防災局の一億五千万バウも同様です。

国土管理部も五億バウの予算です。施設管理局の五千万バウは事務経費などに使われていますが、この局は市民から徴収する住居使用料を管轄しています。年間およそ四十三億バウほどの収入がありますが、そのうちの半分ほどは減価償却引当金として積み立てられています。残りの資金で国内のほとんどの建物や施設の保全や修理、あるいは新設の計画や立案をしたりしています。
国土管理局の一億五千万バウは、全国土の保全と開発改良に充てられています。道路、公園、農場、森林、母国州政府から委託を受けている隣接地を含む国境整備など幅広い業務守備範囲になっています。そうそう、少し意外かもしれませんが、農場などの管理もこの部署の管轄です。
上下水道局の二億バウは、上下水道事業の運営費に充てられています。上水道は母国からの供給を受けていますが、国内の施設の管理、下水道処理の全てを国内で処理しています。
電気事業局は五千万バウの予算ですが、ここは他に事業収入の管理も担当しています。

私たちの国内エネルギーは、ほぼ全量が電力からとなっています。それも大半が太陽光発電によるものです。全建物に設備を設置しているほか、近接の土地を母国から管理を委託されてからはそちらにも設備を設置しています。
これは開国以来の方針として相当の設備投資をしてきましたが、技術の向上の恩恵もあり、特に近年になって蓄電機器の技術向上が目覚ましく、最近では余剰電力の売却で水道水の購入代金を賄えるまでになっています。
但し、投資してきた資金や管理に要する人的経費などを厳密に計算しますと、残念ながら、電力会社からの購入に頼った方が有利だったそうです。

次は地域運営部です。ここに割り当てられている予算四億一千万バウは、地域単位での市民活動を支援するためのものです。
この部では局という呼び方はしていませんが、予算が割り当てられている単位を局に準ずる組織と位置付けされています。まず、大半の市民の方が生活拠点とする四つの区画があります。この地区にはそれぞれ六千万バウが割り当てられ、本部住居区、本部棟区、介護棟区にそれぞれ三千万バウが割り当てられます。その他、各区画の市民数により若干の調整が部長予算から行われています。
これらの予算は、その地区内の環境整備などに当てられたり、地区内の行事などの費用に当てられます。そして、この部の予算は使い切るのが原則で、若干の金額については次期に繰り越すことも認められています。

最後の市民生活部には、三億五千万バウの予算があります。
流通局は五千万バウの予算ですが、ここにはバザール・給食などの別建て資金を管轄しています。
文化スポーツ局の一億バウは、映画演劇・図書館・旅行・運動施設、各サークルへの支援などの管理運用の費用などに当てられています。
葬祭局の予算五千万バウは少ないようですが、ここには互助会から手厚く資金が割り当てられています。
環境保全局は、清掃業務と環境美化の市民への啓蒙活動などを行っています。予算は一億バウですが、ゴミ処理場の運転状況などによっては、厳しい予算のようです。

私たちの国テスバウ共和国は、開国当初からゴミの処理を母国に頼らない方針を徹底してきました。現在、国内から母国に流出するゴミなどは下水も含めてもほぼ皆無になっています。医療関係の廃棄物など例外的なものはありますが、処理後の廃棄物は、肥料として近隣農場に提供したり、木材チップとして販売している物はありますが、これらはあくまで商品価値のあるものなのです。
皆様も来週あたりから外出していただく機会が増えると思いますが・・・、ああ、今日の午後も外のようですね。おそらく、道路がきれいなことと数多く置かれている屑籠が殆ど空なのに驚かれると思います。
環境保全局は、この国の花形部署なのです。

以上、駆け足で予算の内容を説明させていただきました。
この予算がどの程度使われたかにつきましては、併記されている決算額の欄を見ていただきたいのですが、合計欄だけ少し説明させていただきましょう。
収入が予算より一億七千万バウほど多くなっていますが、これは利息収入が計画比多くなったためです。もっとも、あまり大きな声では言えないのですが、毎年この項目は固めに見積もるものですから余剰が出ています。

支出は、来季使用分も含めても三億五千万バウ少なくて済みました。この年は突発的な支出がほとんど発生しなかったため、全部局で予算超過が発生していません。
なお、来季使用分として二億五千万バウが計上されているのは、現在工事中であったり、具体的な計画が固まっているもので何らかの事情で実施が遅れているものなどについては、各部の部長の申請により当期予算を充当することが認められているからです。
利益積立金が十一億バウと一億五千バウ増えたのは、利息収入と寄付金収入が予算比増加したものを反映させたからです。

この結果、次期繰越金は十二億二千万バウとなり、前期までの繰越金を増やすことが出来ています。つまり、会計的にみれば良い決算だったということになります。
但し、国家経営の観点から申し上げますと、もっと市民サービスにお金を使うことが出来なかったのか、ということにもなります。予算管理を担当している私たちは、予算比赤字になるのは極力避けたいのですが、同時に黒字の幅は、利息収入分を超えないように注意しています。
この考え方は、理事会でも認識されていて、私たちの国の予算運営の原則の一つになっています。
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テスバウ共和国 入国体験記 ・ 第三十一回

2011-08-17 10:56:46 | テスバウ共和国 入国体験記 
       ( 2-3 )

三人姉妹にとって、特に末娘の雅代にとっては長く感じられる講義であった。
講師がテスバウ共和国の現状について伝えようとしている熱意は十分伝わってきたが、それが自分たちにどれほど関係があるのか今一つピンと来ないのである。
昼食時間に雅代は二人の姉に、小声でその旨を不満そうに述べた。これに対して君江は、
「心配するという観念が無いあなたには、ずいぶん退屈な話だったでしょうね」
と、憎まれ口をきき、いつもように妹を怒らせた。

長姉の和美が笑いながら話を引き取った。
「でも、雅代さん。本当はとても大事な話かもしれないわ。だって、これからの生活のすべてを託そうとしている所の台所が火の車だったりすれば大変よ。市民になることを前提に講座を受けている人にとっては、この国の経営状態を知ることはとても重要なことよ」
「それはそうでしょうけれど、そんなのは市民募集の案内書に、『良好な経営状態にある』と書いていたじゃないの」

「ほらほら、あなたはその説明だけで安心できるんだから、とっても幸せな人なのよ」
「何よ、その言い方!」
君枝と雅代の会話になると、話はこんな方向に行くようだ。

「まあまあ、二人とも・・・。でも雅代さん、先ほどの講義を多くの人が真剣に聞いていたことは確かよ。だって、あんなに熱心な質問が出ていたもの」
これもいつものように長姉が中に入った。
和美が言うように、どの講義でも後で質問を受けていたが、これまでで一番多くの質問がなされていた。当然なことながら、終の棲家とする所の経営状態が危ないようでは、豊かな老後も幸せな余生も根本から揺らいでしまう。実際に、共和国体制ではないが、全国展開していた高齢者施設が行き詰まって大きな社会問題となったのは、それほど前のことではなかった。

     **

講義の後の最初の質問は減価償却に関するものであった。ようやく講義が終わると思っていたところに、またも減価償却なる言葉が出てきて雅代はげんなりしたが、質問に立った六十代の男性はいかにも経理に明るいような口ぶりであった。
雅代には、それが余計気に入らなかった。

質問の内容は、テスバウ共和国で行われている減価償却の引当金は、母国で行われている経理に当てはめてみると十分なのかどうかというものであった。
これに対する答えは、単純に比較することは出来ないというものであったが、質問者の執拗さに根負けしたかのように、あえて比べてみれば十パーセント程度引当不足かもしれないと答えた。但し、と講師は繰り返し説明した。

母国経理における減価償却は、もちろん資産の減損分を経理面に反映させるものだが、実際には税法上の意味が大きなウェイトを占めている。そのため、償却が殆ど済んだ機械や構築物がたいして性能を落とすことなく稼働している例が少なくない。財務の健全性からいえば優れているということが出来るかもしれないが、実態とは乖離しすぎている。また、減価償却引当金というものが単なる勘定処理のためのものであり、更新する時などのために資金が積み立てられているわけではない。
これに対して、テスバウ共和国の会計処理では、税法上の配慮をする必要は全くない。減価償却引当金を積む目的は、更新する時の資金準備なのである。従って、減価償却引当金はすべて現金で積み立てられている。現金といってももちろん預金の形だが、投資的なものに運用することは禁じられている。
つまり、母国とテスバウ共和国では減価償却という考え方にかなりの差があり、皆さまが私たちの国の減価償却の正否を検討される場合は、母国の処理方法に当てはめるのではなく、私たちの国の減価償却引当金が、将来の更新のための積立金として有効な水準にあるかどうかで判断していただきたい。
付け加えれば、その水準に対してはかなり上回っていることは間違いありません。

このような応答が二度三度交わされ、座が若干白けてきているのを質問者も感じたらしく矛を収めたが、まだ納得していないようであった。
他にも、巨額な基本財団は誰が拠出してくれたのか、というものもあった。
また、基本財団や追加財団の拠出者は国家運営に何らかの影響を与えないのか、というものもあった。

「拠出された方の影響は全くありません」
と、講師は明快に答えた。そして、「なぜなら、拠出者で生存されている方がいないからです」と話を続けた。

「基本財団は国家設立に関わった人たちが奔走して集められたものですが、すべて匿名として処理されています。それは、国家の方針として処理されたのではなく、拠出者の強い意志によるものだそうです。
今となっては、設立当初のことは伝説に近い話になってきていますが、今も語り継がれていることはいくつかあります。例えば、設立にあたって中心として活動された方は四人だそうですが、資金集めに関しては実業家であるその中の一人が中心に動いたそうです。基本財団となっている寄付金を集めた中心人物なのですが、実際はその殆どをその人が出資したと伝えられています。
正式な記録としては何も残っていないのですが、どうやら事実らしいのです。

テスバウ共和国が設立された当時は、その四人の意見が強く影響したであろうことは十分想像されます。というより、むしろ四人が中心になって私たちの国テスバウ共和国を理想の国にするべく懸命に引っ張ったのでしょう。
現在、設立に尽力された方々は当然どなたも生存されていませんし、今となってはそのお名前さえ忘れ去られています。もちろん、設立に関する書類などは現存していますので、お名前を調べることは簡単ですし、その方々のご苦労の数々を書き残された市民もいらっしゃいました。
しかし、現在私たちの国には、創設者に関する記念日や記念の行事などは全くなく、銅像のような類も飾られていません。
このテスバウ共和国設立の大恩人たちは、この国を理想的な互助組織による共和国にしようと真剣に考えられ、そのためには特定の個人が大きな影響力を持つことを避けようと考えました。そして、その第一歩としてご自分たちの影響力を出来るだけ早くに消し去ろうと努力されたようなのです。

現在の常任委員会議長の大月氏は、そのあたりのことをずいぶん調査されており、直接皆様にお話される機会があるかもしれませんが、テスバウ共和国が現在のような運営体制になったのは、設立後数年のうちだったそうです。
つまり、設立に尽力された方々の英知は、見事に今日までこの国を守り続けてくれているのです。

少々脱線してしまいましたが、基本財団とは違い、追加財団の方は拠出された人の名前や金額はすべて記録されております。匿名のものは一件もありません。
それは、この拠出金の全てが、かつてこの国で生きて、この国で死んでいった人々からの遺贈によるものだからです。
すでにご説明させていただきましたように、皆さまが市民となられる時に一時金として納められる資金のうちの一部、現在は二百万バウですが、これは預かり金として処理され、この国で生涯を全うされました暁には追加財団の方に遺贈していただく契約になっています。さらに多くの人が、残余金の一部または全部をそれに加える意思を示されています。
そのような形で新しく加えられる追加財団は、その次にこの国で生きる人たちの安定のために役立つことになり、究極の互助組織だと私たちは考えているのです。

     **

「雅代さんがうんざりするのは仕方がないとしても、君代さんはお話の内容、どう受け取ったのかしら?」
和美が穏やかな声で二人の妹の話を収めるように言った。
「わたしも経理にそれほど明るいわけではないのよ。でも、講義の内容からすれば、この国の資産内容が素晴らしいのはよくわかったわ。もちろん、案内書にある資料からもそれは分かっていたけど、講師の説明を聞いてみると、私が思っていたよりももっと素晴らしいみたいよ」

「へえー、君枝が数字に強いのは本当なんだ。それだと、この国に将来を任せて大丈夫ということね」
雅代が次姉を呼び捨てにしながらも素直に感心しているような口ぶりである。
「それは違うわ・・・。わたしが言っているのは、テスバウ共和国の資産内容は健全だということだけよ。そんなの、テスバウ共和国でなくとも日本国ならもっと大丈夫よ。金銭面から見る限り、身を寄せても泣きを見ることは無さそうということだけよ。本当に将来を託しても良いかどうかは、その他にもいろいろな条件があるはずよ」

「その通りよ。君枝さんも雅代さんも、わたしに合わせる必要なんかないのよ。本当にここで生活していいのかどうか、しっかりと見てね。講習はまだ始まったばかりなんだから・・・」

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テスバウ共和国 入国体験記 ・ 第三十二回

2011-08-17 10:56:16 | テスバウ共和国 入国体験記 
        ( 3-1 )

午後からは、国土内を案内してくれる計画が組まれていた。
三月上旬ではあるが、このところ肌寒い日が続いていた。もっとも、研修に参加してからは外気を吸うことはごく限られた時間なので、室内の温度に慣れてしまっていて、たまに外に出るとよけいに冷たく感じられていたのかもしれない。
幸いこの日は、天候に恵まれ春らしい日差しが窓の外に広がっていた。

受講者たちは、それぞれの班ごとに分かれて三台のバスに乗った。
講習を受けている本館建物の北側がバスターミナルになっていて、十台ほどのバスが駐車していた。クリーム色を基調にして中央には鮮やかなオレンジ色のラインが描かれている。いずれも同型らしい中型クラスのバスである。
母国で使われているナンバープレートはなく、その位置には二回りほど大きいプレートが付けられていて、「テスバウ共和国12号車」などと、二桁の数字が書かれている。
車全体の車高は低く、形は角ばっていて、あまり流麗とは表現しがたいスタイルである。乗り口は中央にあり幅が広く、前方に向かって右側は二人掛けのシートになっていて、左側は車椅子で乗車した人のためのスペースであ。乗車口から後方に向かっては、向かい合わせのシートになっていて、広い通路は車椅子の人が使用することも可能とのことである。

三姉妹の属する第二班には車椅子で乗車した人が三人いたが、三人とも家族と共に後方の通路を利用したので、前方の車椅子用のスペースは空いた状態になったが、世話役を含めた二十三人が座席の確保に困ることはなかった。
バスは運転手と車掌というか乗降の手助け役の二人で運行されていたが、第二班のバスの場合、運転手が女性で車掌役が男性であった。

第一班のバスを先頭に本館前をゆっくりとスタートした。
バスはすべて電気を動力としていて、最高速度は六十キロ程は出るそうだが、テスバウ共和国内での巡航速度は二十キロだそうである。
「私たちの国土は、周囲がおよそ十六キロ程度で、バス路線も、居住地を回るものは四キロほどで、施設を回る最長路線でも九キロほどです。時速百キロで突っ走ったところで、時間差なんていくらもありません。
時速二十キロに決めている理由は、交通事故を防ぐということもありますが、一番の目的は、搭乗者の安全のためなのです。揺れやカーブでの負担を軽減させることに役立っているのです。
皆さまには、若干物足りないスピードかと思いますが、これからの移動や見学を通して、テスバウ共和国における時間の感覚を楽しんでいただきたいと思っています」
世話役の大村氏のマイクを通しての説明であった。

本館前を北に向かって出発したバスは、すぐにある交差点を左折した。
左手には本館に隣接しいる総合病院の正面玄関があり、右手一帯に広がっている建物群が、A地区と呼ばれている住居地区であった。大村氏の説明によると、八つの住居ビルと一つのバザールで構成されていて、およそ二千人の市民が生活しているとのことであった。建物の配置や生活している市民の数は、B地区、C地区、D地区ともほぼ同様とのことである。
 
出発して一キロメートルほど進んだあたりがA地区とB地区の境目になっていて、反対側にはC地区の建物群が並んでいる。
バスは、C地区を伝うようにして左折した。五百メートルほどでD地区となりさらに五百メートルほど進むとD地区の端に至る。その角をD地区の建物群に添って左折してしばらく進むと、本部地区の住居地となる。この住居地は他の住居地の約半分の規模との説明があった。

バスは再び左折、本部住居地と流通センターとの間をしばらく進むと、出発した本館前に戻ってきた。所要時間はおよそ二十分、距離にして五キロメートルほどの行程である。
普段はこのルートを三十分弱で運行しているが、このルートの中に全市民の住居地の入口にあたる部分、すなわちバス停留所が組み込まれているということである。

三台のバスは、休憩することなく再びスタートした。次は国土全体を案内するということであった。
本館前を出たバスは、先ほど右折した交差点を今度は直進した。今度は左手にA地区の住居ビル群を見る形になり、右手は車道に添って少し高くなっている広い歩道が続いている。歩道の両端には花壇が設えられていて、その向こうは畑地になっているが、そこも花畑のようである。

バスは五分程で大きな公園に着いた。メモリアルホールと表示されている大きな建物を中心にした広い公園である。
この一画は、葬儀斎場と納骨堂を中心にした公園墓地であるが、併設されているセルフサービス式の軽食コーナーは充実しており、幾つかの個室もあり、同好会組織である御詠歌研究会も設置されていて、なぜかシャワールームもある。この公園が、結構市民の娯楽の場所になっていて、本館とこの公園を結んでいる歩道や、この公園内に設置されている遊歩道がウォーキングやジョギングの人気スポットになっている。御詠歌同好会の中には、ウォーキングが中心のようなところもあるらしい。本来そういう目的で設置したものではないはずだが、メモリアルホールのシャワールームは大繁盛らしい。

三台のバスはホール正面の広い車寄せに停車し、全員が降りた。軽食コーナーでの休憩となった。
受講者たちは、ここで一時間ばかりの休憩をとることになった。飲み物とちょっとしたケーキがふるまわれ、あとは遊歩道に出る人も何人かいた。建物内の施設は、別の機会に案内されることになっていた。
三姉妹も遊歩道に出た。そう遠くまで行く人はいないようであるが、第二班の人も何人か建物の外に出ていた。三姉妹のすぐ前を、杉村夫妻と車椅子の娘がいた。ただ、その車椅子を押しているのは、一人で参加している佐藤守太郎である。
自己紹介の時の、ぶっきらぼうと思えた佐藤の話しぶりから、車椅子を押している姿はいかにも不似合に見えた。

休憩の後は、遠くに居住区を見ながら農園の中に伸びている道を走った。車道はほとんどが直線で、いかにも人工的な感じがする。農園は全て畑地で水田らしいところは見受けられなかった。畑地も大半が露地栽培で、ハウス栽培されているものは限られているらしい。
森林公園と呼ばれているかなり広い林があり、果樹を栽培している一画もある。
テスバウ共和国の国土全体は、緑と花に包まれているというパンフレット通りといえるが、全体的な印象は人工的に造られた国土という感が強い。





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テスバウ共和国 入国体験記 ・ 第三十三回

2011-08-17 10:55:34 | テスバウ共和国 入国体験記 
          ( 3-2 )

五日目の講義は、必要経費の話であった。
最初の講師は、財務担当理事の大津理花であった。
大津理事は、学校の教壇に立つと良く似合うといった雰囲気の女性であるが、世話役の紹介によると、州財政局のエリートだったそうである。

「本日の中心テーマは、実際に皆様が私たちの国の市民となられるにあたって、どの程度のお金が必要なのかということです。大変現実的なお話になるかと思いますが、本日は、現在私たちの国内で実際に市民の方々の生活相談などにあたっているエキスパートを呼んでおりますので、どうぞ忌憚のない意見を交わされまして、将来の設計図を描き上げていただきたいと思います。
残念ながら、私はその方面はほとんど素人でございますので、個人ごとの具体的なお話の前に、新しくこの国の市民になるにあたって必要な資金の具体的な金額と、入国後固定的に必要な費用などについて、その設定の背景などを説明させていただきます。

皆様はすでに、入国体験講座を受講するにあたって私たちの国の市民になるために必要な資金につきましては承知されておられると思いますので、私の説明は二重になる部分が多いかと思いますが、その点はご勘弁ください。

さて、最初は、入国時の一時金です。現在皆様が受けていただいておりますこの講座に要する費用は別にしまして、標準的なお方は四百万円となります。受け取る私たちの国としては四百万バウということになりますが、実際にお支払いいただく場合は母国通貨になりますので、ここでは円貨で説明させていただきます。
四百万円の内訳ですが、このうちの百万円は、入国される際の諸費用に当てさせていただきます。一番大きなものは、住居などの改装費と、市民権取得に伴う各種の登録などに必要な経費などです。現在お持ちいただいているのと同じようなIDカードの作成のための費用などです。もちろん、カードそのものはそれほどの費用になるわけではありませんが、住民台帳や保険台帳、母国との手続きなどの費用が含まれます。もっとも、この部分の実費は部屋の状況などで個人差があるのですが、全体としてはほぼ半額程度で、残りは国家の収益となり、今後の市民募集の経費などに当てさせてもらうことになっています。

次に、二百万円は預り金となります。この費用は、途中で退国されるというような状態になった場合には、その事情に応じて返却されるものです。具体的な事例はここでは説明いたしませんが、入国案内書などに詳しく説明してあります。一般的には、私たち市民はこの国を終の棲家といたしますので、お亡くなりになった時点でこの国、つまりテスバウ共和国に遺贈していただく契約となります。これは、申し訳ありませんが、強制的なもので、入国時に契約していただくことになります。
私たち市民は、先輩たちが残してくれた莫大な資金の恩恵を受けています。その恩恵に報いる意味も込めて、この国で生きる私たち全員が遺贈により追加財団に加わることになっていて、これは世代を超えた互助精神だという考えに立っています。

残りの百万円ですが、これはテスバウ共和国が受け取るものではありません。新しく市民になる方は全員がテスバウ銀行に口座を作っていただくことになります。市民として必要な支払いなどの決済はすべてこの講座を使うことになります。百万円は、百万バウとしてその口座に預けられ自由にお使いいただけるわけですが、原則として、この口座には百万バウ以上の残高を置いていただくようにお願いしています。
預金の利息は、百万バウ以上にしか付きませんし、あまり長期間百万バウを下回る状態が続きますと、互助会の生活指導担当者から声がかかることもあります。
つまり、この国の市民は、毎月の生活費に心配するような状態での生活をしてはならないという発想からの制度なのです。

一般的な人の一時金は以上の四百万円なのですが、例えば、今回ご参加の中にも何人かいらっしゃいますが、六十五歳以下の人の場合は、それ以外の費用が必要です。
まず、医療保険分担金が必要になります。これは、私たちの国テスバウ共和国の市民には、母国より医療保険支援金が一人当たり年間五十万円が支払われています。但し、これは六十五歳以上の人が対象ですので、それ以下の人は六十五歳までの期間分を一括支払いしていただくことになります。例えば、六十歳の人の場合は、五年間分となりますので二百五十万円となります。実際は月単位で計算することになります。
また、この一括支払いの対象の方が入国後に病気された場合には母国の州保険局より若干の還付を受けることになりますが、計算が難しく金額もあまり大きくありませんので、ここでは説明を省略させていただきます。また、傷害保険などを受けておられる方の場合は、この分担金の納付は不要の場合が多いですから、個別にご相談ください。

同じく六十五歳未満の方は、六十五歳までの生活費として、月額二十万円を一括納付していただく必要があります。一年で二百四十万円、六十歳の人の場合は千二百万円と高額なものになります。
但し、この費用に関しましては、各種の年金制度などで受け取ることが確定しているものにつきましては、それを充当することが可能ですし、同居する親族の方の余裕分を引当にすることも可能です。

次は、私たちの国の正式市民になられた後の必要資金について説明させていただきましょう。
繰り返しになりますが、ここにおいでの方々も様々ですし、現在私たちの国で生活されている方々も、やはり様々です。考え方も価値観も違いますし、経済的な条件も違います。お一人お一人のことにつきましては、後ほど経験豊富なアドバイザーがご相談に応じますが、私からは原則的な面の説明をさせていただきます。

私たちの市民募集の案内書には、一時金の他に原則として毎月二十万円以上の安定収入があること、となっています。この金額は、現在この国で生活されている市民の方々の実態から割り出したもので、もちろん、節約や工夫でもっと少ない金額でも十分やっていける方もおいでだと思います。
ただ、私たちが考えております市民生活とは、何とか生活出来れば良いというものではなく、もっと積極的に生活を楽しみ、日々の生活に生きがいを求めていくために努力していくことを目指しています。そのためには、若干の経済的な余裕は必要だと考えています。

そこで、実際に市民になられますと、どういう費用が必要になるか考えてみましょう。
毎月納付するものとしましては、市民分担金が二万バウ、健康保険料が二万バウ、住居費が最低三万五千バウ、最高で六万バウ、互助会費が三万バウ、以上の十万五千バウ、あるいは十三万バウが必要になります。これらの費用は、毎月一日の日に預金口座から引き落としされることになります。
すでにご承知いただいていると思いますが、住居費の違いは、一人で一軒分を利用する場合は、六万バウ、二人で利用の場合は一人当たり四万バウ、三人以上の場合は一人当たり三万五千バウとなります。
一軒の住居には、実際には一軒と呼ばず一室と呼んでいるのですが、そこには四人までが同居できます。
私たちとしましては、一人でお申し込みの方に対しても可能な限りルームメイトを見つけて、二、三人で生活することをお勧めしています。その方が、経済的な面だけでなく良いことが多いからですが、反面問題点もないこともありません。親族以外の方には、もちろん親族の場合でもいいのですが、アドバイザーの方が仲立ちさせていただきますので、積極的にご相談ください」
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テスバウ共和国 入国体験記 ・ 第三十四回

2011-08-17 10:55:02 | テスバウ共和国 入国体験記 
          ( 3-3 )

ごく短い休憩を挟んで、大津理事の話が続いた。

「説明させていただきましたように、住居費に差はあるとしましても、毎月国に収めていただく金額は一定していますので分かりやすいのですが、皆様が毎日生活していく費用ということになりますと個人差が大きく、国の立場から強制できる性格のものではありません。
しかし、実際に毎月決して少なくない費用を必要とすることも事実ですので、市民募集の案内書などには一定の目安として毎月二十万円の安定収入が必要と説明させていただいているわけです。

その根拠というわけではないのですが、一つの参考として何にどの程度必要なのかをご説明させていただきましょう。
まず、食費です。私たちは、一食五百バウ、一か月で四万五千バウと見積もりました。その根拠はまことに乱暴なもので、私たちの国内にあるバザールなどの定食は、一食五百バウが標準です。単純に一か月バザールだけの食事で過ごした場合の費用を見積もったわけです。
実は、乱暴ではありますが、一人暮らしの場合は同等の食事を自炊しますと、なかなかこの金額では賄えないそうです。二人以上の場合はもっと安く出来るようですし、バザールの定食は六十歳代後半の男性が必要なカロリーや栄養素をカバーできるように献立されていますので、年齢や性別でもっと少量で良い場合も多いようです。現に、この見積もりの半額程度で毎月十分な食事をなさっている家庭もいくつもあります。同時に、オーバーしてしまう方もあるようですがね・・・。

次は医療費です。医療に関する個人負担につきましては細かな計算がありまして私もよく理解出来ていないのですが、母国の健康保険の自己負担分とは対象に違いがありますがおよそ二割負担に近いそうです。
各住居地の診療所での診察は原則無料で、薬剤費などだけが個人負担の対象となります。
この項目は、各人の健康状態によってかなり大きな差が出ますが、ひと月当たりの個人負担の上限は二万バウですので、診療機会が多いと思われる人は二万バウ、健康に自信があるという人は一万バウ程度を予定して欲しいと思います。

後は、日用品などの消耗品は、皆様が現在使われている金額を参考にしてください。
衣料費や趣味や間食費なども金額に差があるとしても必ず必要なものです。
私たちの市民の実態から考えますと、特別な趣味や衣服などを別にしまして、月当たり三万ないし五万バウが必要と考えています。
そして、一応予想できる出費に加えて、一万バウ程度の予備費があれば安心です。

以上のものを加えますと、毎月の必要な金額は、二十万バウないし二十五万五千バウが必要となります。
個人の生活様式により違いが出ますが、三人以上での生活をされる方は二十万バウあれば大丈夫だと思われますし、一人での生活をお考えの方は二十五万バウ程度は準備いただきたいと考えています。
なお、実際は、皆様が健康で互助会活動に参加することが出来ている間は、月当たり最高三万バウの返還がありますので、この分の収入は期待できます。但し、受け取れるのは二か月遅れになりますし、この収入をあまり過大に計画することは控えていただき、収入分は趣味などにあてる余裕が欲しいと思っています。

以上、大変大まかな計算ですが、今説明させていただきした数字をベースにして、ご家族ごとに相談員がお話を受けさせていただきますので、十分納得いくまでご相談してください。
なお、市民募集にある毎月二十万の安定収入といいますのは、その程度を標準として示させていただいているだけですので、家族間の融通や、生活様式などから生活の維持が可能であればいいのであって、それが絶対必要な条件ということではありません」

その後、若干の質疑応答などがあり、昼食となった。
いつもより少し早い昼食休憩が終わり、いつもの会議室に戻ると机の配置が少し変更されていた。会議室のやや後方に班ごとに分かれて楕円形に席が作られていた。世話役の人も二人加わっていた。
机にはお茶と簡単なお菓子が用意されていて、「この国の市民になることへの不安や希望などを自由に懇談して欲しい」と、世話役から説明があった。
三十分ほどしてから、順次個別の相談もさせていただきます、との話であった。

世話役の二人は、参加者たちが自由に話し合える雰囲気を作ろうと苦労しているようであったが、これからある個別の相談が経済的なことが主題だけに、そうそう大勢の前で話せるものでもなかった。
第二班のメンバーのうち最初に個別相談の声がかかったのは、太田夫妻・木川夫妻の四人で参加している人たちであった。

四人に対しては、互助会で生活相談を担当している男女二人が相談員になっていた。
相談員たちは、まず、四人から質問を受けるという形で話を進めた。入国後の生活のための経済的な条件などの基礎資料は、講座申し込みの時に提出していて、相談員たちはその写しを手元に持っていた。
四人からの質問は、申告している資産や収入で生活が可能かということと、木川道広が心臓手術をしており、その後のケアーに支障がないかどうかということであった。それともう一つ、太田夫妻と木田夫妻はこれまで別々の生活をしてきているが、この国の市民になるにあたって同居しようと考えていて、その是非についても相談したいと思っていた。

資産や収入面については、太田夫妻の場合は、夫の年金収入が約二十三万円、妻も二十一万円ほどあり、しかも将来どちらかが先立っても若干の遺族年金加算が見込めるので問題はなく、一時金についても十分余裕があった。
木川夫妻の場合は、夫は年金収入が二十八万円程度あり十分であるが、妻には十二万円程度の年金収入が見込めるだけなので何らかの対策が必要であった。
相談員たちからのアドバイスは、当面は夫の収入と合算させる形で生活して行けるし、将来夫に先立たれることになった場合も六万円程度の遺族年金加算があるはずなので、その段階で対応を考えても良いのではないかという意見であった。太田夫妻は木川夫人の実の両親なので、将来遺贈を受ける段階で考えるのも一つの方法とのことでもあった。ずっと先のことではあるが、木川夫人が一人になった時には、最低二十五万円、出来れば二十八万円程度の収入は確保すべきだと思われるが、かなり高齢になってからであれば終身年金の払い込み金もかなり少なくなるはずだということまで説明があった。
一時金は、妻が六十五歳になるまで一年ほどあるが、その分も含めても十分余裕があった。

木川道広の病後の管理については、現在安定しているので、その後の管理や万が一の場合の治療は、母国の中規模病院以上の対応が可能という説明があった。
問題は同居するか否かの件であったが、簡単には結論が出なかった。
彼らが同居を考えた理由は、一つは経済的な理由であり、もう一つは同居の方が入国審査に通りやすいと考えたからであった。しかし、同居の経験がないだけに若干の心配もあるにはあった。

結局相談員たちが出した結論は、経済的に可能であれば別居を勧めるものであった。
その理由は、経済的な負担は月二万円であり、両家合算で考えれば十分可能と考えられること、隣接した部屋を用意できること、同居はいつでもできるが、同居した後で別居するのは何かとしこりが残ることが多いことなどをあげ、この線で、もうしばらく話合ってはどうかというものであった。
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テスバウ共和国 入国体験記 ・ 第三十五回

2011-08-17 10:54:26 | テスバウ共和国 入国体験記 
          ( 3-4 )

太田夫妻たち四人の後は大塚元気夫妻が指名されて、相談員のいる席に向かった。
残っている受講者たちは、世話役の気遣いもあって少しずつ会話はしていたが、今後の生活などの話についての具体的な話題などなかなか出てくるものではなかった。

三人の姉妹は、例によって長女の和美を真ん中にして、まるで彼女を守るかのように君枝と雅代が両側に座っていたが、主に話すのは雅代で、それも君枝に話すことが多いため和美が苦笑することが多かった。
その雅代が、小声でしきりに話題にしているのは、右手向かいに座っている人たちのことである。
君枝に七割、和美に三割ほどの割合で話すのだが、小声なので君枝には伝わりにくく、和美からは「人の噂はやめておきなさい」と注意されるだけなので会話が成り立たず、雅代の機嫌が少しずつ悪くなっていた。

雅代が話題にしようとしているのは、右手前方に座っている杉村亮一家族のことらしかった。
杉村亮一は、夫婦と娘の夕子の三人で参加している家族だが、夕子は車椅子を常用しており、かなり重い言語障害もある様子であった。そのためもあり、これまではいつも夕子を真ん中にして夫婦が両側に着くというのが決まったパターンであった。
しかし今日はいつもと違っていて、杉村亮一、妻の朝美、夕子の順になっていて、雅代がしきりに話しかけているのはそのことのようであった。

しかも、夕子の横には、一人で参加している佐藤宇太郎が座っていて、どうやら夕子と何やら話をしている様子なのである。
自己紹介をした時の様子や、その後の講義の合間の休憩時や食事の時などからの印象では、佐藤宇太郎は、六十五歳という年齢よりは若く見える引きしまった身体つきをしているが、社交的には見えず、むしろ取っ付きにくい印象さえある人物であった。
その人が、車椅子での生活を余儀なくされている夕子と会話していることだけでも違和感があるのに、夕子の方も何かしきりに話しているようであり、時々「お兄さーん」と聞き取りづらいながら一段と声を張り上げているのである。
横にいる母親の朝美は、娘の大きな声が周囲に迷惑をかけているのではないかと気をもんでいる様子だが、佐藤宇太郎の方は周囲の目を全く気にしていないようなのである。

二人の姉にようやく自分の意思が伝わったらしいことに、雅代はしきりに満足そうにうなずいていた。
「何か、良い感じよね」
和美が、雅代にささやいた。四人がまるで家族のように見えたのである。

     **

その夜の夕食で、三姉妹は杉村亮一家族と佐藤宇太郎の四人と同じ席に着いた。
偶然というより、雅代が積極的に近づいたのである。
明日明後日の二日間は講義が休みなので、いったん自宅に帰る人が多く、夕食の席にはいつもの三分の一ほどの人しかいなかった。
食事の席でも、夕子と佐藤は隣り合わせていて、何かと声を掛け合っている。杉村夫妻は三姉妹に複雑な表情を見せながらも嬉しげな雰囲気が伝わってきていた。

「皆さんは、この国に入国されるんですか?」
食事が終りかけた頃、君枝が向かい合っている四人の誰にともなく尋ねた。
いつものように、三姉妹は長女の和美を真ん中に左側に君枝、右側に雅代が座っている。そして、君枝と向かい合う席には杉村亮一、妻の朝美、娘の夕子、佐藤宇太郎の順になっていた。その席の関係もあってか、君枝の正面の杉村亮一が答えた。

「ええ、先ほどの相談でね、どうやら私たちの家族も入国は認められそうなんですよ。経済的にはそれほど余裕があるわけではないのですが、まあ、私たちが元気な間は生活に困ることは無さそうなんです。それに何より、私たちが先に亡くなった後でも、あの子が一人になった場合でもお世話していただけそうなんです。ありがたいと思っています」
亮一は、三姉妹の一人一人に視線を合わせながら、同時に妻の朝美にも顔を向けながら話していた。

「私もそのつもりです・・・」
と、佐藤が低い声で話し始めると、
「私もです」
と、夕子が甲高い声を出した。本当に意味が通じて発言しているのかどうか分かりにくく、佐藤の口真似をしているようにも受け取れた。
「そうだよね、夕子さんも一緒だよね」
佐藤は夕子の顔を覗き込むようにして丁寧に答えると、三姉妹と佐藤夫妻に向かって話し始めた。

「私もこの国の世話になります。そう決めました。本当は、この体験講座を受けるのは乗り気ではなかったのですが、ある人の強い勧めもあって義理で受けたみたいなものだったのです。
私は、長い間一人で好き勝手に生きてきました。仕事上の仲間はいましたし、現にこの国を勧めてくれるような親身な人もいました。きっと、そういう人が大勢いて、これまで私を助けてくれていたのでしょうが、私はいつもそのような人に背を向けるようにして生きてきました。
退職することになった後も、当分はあちらこちらに移り住んで、最後は海外に移住することも考えていました。あまり、どなたとも親しい関係を結ばないで生きて行く場所を模索していたともいえます。この国の入国体験口座に乗り気でなかったのも、互助会組織をベースにした市民生活なんて、私が望んでいるものとは正反対のものですからね。
でもね、この夕子さんが、私のことを『お兄さん』と呼んでくれたんですよ。この私のことをですよ・・・。嬉しかったなあ・・・。
皆さんは、とても仲の良いご姉妹のようですのでお願いがあります。私は、佐藤ご夫妻にも夕子さんにも絶対にご迷惑になるようなことはしません。皆さんが入国されるのかどうか知りませんが、たとえ入国されない場合でも、ときどき私のことを見張っていて、このご家族に迷惑をかけていないか監視していて欲しいのです。
ただ、私のことを『お兄さん』と呼んでくれる夕子さんを見守っていくことだけは許してほしいのです。
『かけがえのないもの』、そんなものがあるなんて、私はこれまで考えたこともなかったんです・・・」

佐藤の話の途中から、朝美は涙をぬぐっていた。
夕子は、「お兄ちゃん」「お兄ちゃん」と小さな声で、まるで佐藤の話の拍子を取るようにつぶやいていた。
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テスバウ共和国 入国体験記 ・ 第三十六回

2011-08-11 08:00:12 | テスバウ共和国 入国体験記 
     終 章

次の朝、食事を終えてから三姉妹はテスバウ共和国を後にした。
二日間の休みはテスバウ共和国国内を見学するつもりでいたが、急遽離れることに決めた。昨夜のうちに六甲山にあるホテルを予約し、一晩泊まることにしていた。

桜にはまだ早い季節であるが、晴れた空の遠くは少しかすんでいて春の訪れを感じさせていた。
車のハンドルを握るのは来る時と同じように次女の君枝で、助手席にはこれも指定席のように一番下の雅代が座っている。後方座席は長女の和美と荷物置き場になっている。

「『かけがえのないもの』ですってよ・・・」
雅代が大きく振り向いて、昨日から何回目になるか分からない言葉で和代に話しかけた。
「そうねぇ・・・」
和美は、別に咎めることもなく頷いて、言葉を続けた。
「皆さん、それぞれにしっかりした考えを持っているみたいね」

「まあ、講習を受けにくる人は、一応入国することを前提にしているでしょうから、それなりの考えは持ってきているのでしょうね。でも、今回受講している人のうち、どのくらいの人がこの国の正式市民になるのでしょうね」
「どうでしょうね。私たちの班の中にも、すでに誰かが入国していたり、誰かに強く誘われたりで最初から入国するつもりの人が何人かいたわね。結構、大勢の人が入国するのかもしれないわね」

「そうかなあ。自己紹介の時、どちらとも決めかねているような人も何人かいたよね。その人たちの考えは、どう変わったのでしょうね。
そうそう、一番煮え切れない人がここにいるわ。君枝くん、あなたはどうなの?」
「よく言うわね。わたしの考えは常にはっきりしているわよ、考えがふらふらするのは、いつも雅代でしょ」
突然振られても君枝は慣れたもので、即座に答えた。

「そんなことはないわ。わたしが考えを変えることがあるのは、思慮深いがゆえよ。今回のこともわたしの考えははっきりしています。わたしはお姉さまの考え通りにすることに決めているの。君枝くん、君のことじゃないわよ。本当のお姉さまのことよ」
「なによ、それ。わたしは、本当の姉じゃないとでもいうの」

「またまた、よく分かっているくせに・・・。
それより、肝心のお姉さまはどうなの。今までの講義からの感想は?」
「そうねえ・・・。正直、よく分からないのよ。組織はしっかりしているみたいだし、住むことになるお部屋はまだ見ていないけど、環境は悪くないみたいね。生活などの費用も、まあ困ることはなさそうだし・・・。でも、だからと言って、ぜひここに住みたいって強い気持ちもまだわいてこないのよね。それに、あなた方を引っ張り込むんじゃないかという気持ちもあるしね」

「そのことは言わないって約束でしょ。えっ? 約束なんてしてなかったって? じゃあ、今約束しました。ねえ、君枝」
「君枝お姉さまじゃないの? まったく・・・。約束って、何の約束?」

「何を聞いてるのよ、運転ばかりして、私の話を聞いてないんじゃないの?」
「何を好き勝手なことを言ってるのよ。わたしが運転しているのが気に入らなければ、いつでも替わるわよ。雅代さまのA級ライセンスというのが本当かどうか拝見したいものね」

「まあまあ、ご機嫌を損じたのなら許して下さい、君枝お姉さま。約束ってね、お姉さまがあのテスバウ共和国の市民権を取るかどうかは、わたしたちのことなど考えないで、思うように決めてほしいってことよ。文句などないでしょう」
「そんなことは今更約束などしなくても、文句などないわよ。お姉さまにとって良いかどうかだけで考えるべきよ、当然でしょ、そんなこと」

「よろしい、よろしい。君枝くんは、さすがに物分かりがよろしい。それで、まあ、ついでに聞いておきますが、君枝くんのテスバウ共和国に対する印象はどうなの?」
「君枝お姉さまだったり、君枝くんだったり、ちょっと馬鹿にしすぎよ・・・。でもね、わたしはね、講座を受ける前よりは興味があるわね。長い間、利益が有るか無いかなどと、損得だけで生きて来たけれど、互助会組織というものがどのようなものか今一つはっきりしていない点はあるけど、あの国のリーダーや世話役の話を聞く限り、『ああいう生き方もあるんだな』と感じ始めてるのよ」

「あらら、君枝くんは積極派に変わりましたね。ということは、やはりお姉さんの決断次第ってところね」

車は高速道路に入っていた。
途中のドライブインで昼食をとり、そのあとは六甲山のホテルに直行する予定になっていた。
急に六甲山のホテルに行こうということになった一番の原因は、昨日の佐藤宇太郎の話にあった。自分たちとほぼ同世代で、しかも見るからに無骨な感じのする彼が、『かけがえのないもの』に出会ったという話は、冷静に考えれば少し気恥ずかしいものと言えるが、三人共に少なからぬ感動を感じていた。
そして、誰からともなく、自分たちに佐藤宇太郎のような入国に対する強烈な動機があるだろうかという話になったのである。

六甲山は、三姉妹がまだ子供の頃、両親に連れられて何度も行った所だった。
入国体験講座はまだ始まったばかりで、来週には互助会組織の説明や体験が予想されており、後半には、実際の生活や仕事などを体験することになっている。それらの体験によって考えが変わるかもしれないけれど、本当は、自分たちにこの国の市民として生きたいという強い気持ちがあるのかどうかを確認することの方が重要だということになったのである。
そのあたりをもう一度相談しようと、想い出深い六甲山行きとなったのである。

「さあ、次のドライブインでお昼よ。君枝くんも素直になったし、あとはお姉さまの考え次第でわたしたちはついて行くわ。テスバウ共和国は少し横に置いておいて、一泊二日の旅行を楽しみましょう」
雅代は、右手を挙げて、君枝にドライブインへの進入道路を指し示した。

                                  ( 終 )



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