地獄に入るべき者 ・ 今昔物語 ( 4 - 5 )
今は昔、
天竺に阿育王と申す王がいた。その王は、地獄(地獄を模した牢獄らしい)を造って国内の罪人を入れた。その地獄の近くを通る人は、無事に帰ることは無く、必ず地獄に入れられた。
そうした頃、修行を積んだ聖人がいた。名を[ 欠字ある。他の文献によると「為海]らしい。]という。
その聖人が、その地獄を見るために地獄までやって来た。そこには獄卒(ゴクソツ・牢役人)がいたが、聖人を捕らえて地獄に入れようとしたが、聖人が言った。「私は何も罪を犯していない。どういう理由でこの地獄に入れようというのか」と。
獄卒が答えた。「国王の宣旨が下されていて、『この地獄にやって来る者があれば、貴賤・上下・僧俗を問わず、この地獄に入れるべし』という宣旨を頂戴しているので、入れるのである」と言って、聖人を捕まえて地獄の釜の中に投げ入れた。
すると、その地獄の釜は逆に清浄の蓮の咲く池となった。獄卒はそれを見て驚き、その様子を大王に申し上げた。
王はそれを聞いて、驚き尊んで、自ら地獄の所に行き、その聖人を礼拝した。
その時に獄卒は大王に申し上げた。「前に宣旨を下されましたた時、地獄の辺りにやって来る人は、上下を問わず地獄に入れるべしとあります。王も地獄にお入り下さい」と。
王が答えた。「我、宣旨を下した時、王は除くという宣旨を下さなかった。いかにもお前の言うことはもっともだ。但し、獄卒を除けという宣旨も下しておらぬ。されば、まずお前が地獄に入るべきだ」と言って、獄卒を地獄に投げ入れて、お帰りになった。
その後、無益なことであるとして、地獄を壊された、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
煩悩抑えがたし ・ 今昔物語 ( 4 - 6 )
今は昔、
天竺において仏(釈迦)が涅槃に入られた後百年ばかり経った頃、優婆崛多(ウバクッタ)という証果の羅漢(ショウカノラカン・原始仏教における最高の修業階位である阿羅漢果を証した聖者。)がいらっしゃった。
その弟子に一人の比丘がいた。優婆崛多はその弟子を、どういう本心を見抜いたのか、常に叱責して、「お前はまだ女に近付いてはならない。女に近付くことは、生死に廻ること車の輪の廻るが如し(煩悩による輪廻転生を車輪の回転に例える常套的表現)」と言った。このように、常に事あるごとに言っていた。
弟子は申し上げた。「師僧ではございますが、この私をどのように見ておられるのでしょうか。私はすでに阿羅漢果を証した身です。およそ女犯を犯すことなどからは永く離れていることです」と、まことに立派な口をきいた。他の御弟子たちも、「たいそう尊いお方に、何故厳しいことを仰せなのか不思議なことだ」と皆思っていた。
このように、常に叱責されていたが、この御弟子の比丘が、少しぱかり他行することになって、ある河を渡ろうとした時、若い女性がいたが、再びその河を渡る時には、女は河の深い所に移っていて、今にも流されそうになっていた。
女は、「そこにおいでの御坊、私をお助け下さい」と言った。比丘は聞き入れまいと思ったが、今すぐにも流されそうなので気の毒になり、近くに寄って女の手を取って引き上げた。女の手はふくよかで柔らかく、それを握っていたが陸に引き上げたあとも、なお握っている手を放そうとしない。
女は、「もう放してもよいのに、帰ろう」と思ったが、いつまでも握っているので、女は怪しく思っていると、比丘は、「しかるべき因縁なのでしょうか。お慕わしく思います。私の思いをお聞き入れくださいませんか」と言った。女は、「流されてすでに死ぬべき身をお会いできて助けていただきました。命があるのは、ひとえにあなたさまのおかげです。ですから、あなたの申されることをどうしてお断りすることが出来ましょうか」と答えた。
比丘は、「私の望みは、他でもない、こういうことです」と言って、薄や萩が生い茂っている藪の中に、手を取って引き入れた。
人目につかないような繁った所に引っ張ってきて、女の衣服の前を掻き上げて、自分の衣服の前も掻き上げて、女の股に交わって、もしや誰か偶然見ていないかと気になって、後ろを見返るも誰もいないので安心して、振り返って前を見てみると、師の優婆崛多が仰向けになっていた。その師が比丘を股に挟んで横たわっている。顔を見ると、にこにこと笑っていて、「八十余になる老法師を、どういう理由で愛欲を起こしこのようなことをするのか。これでも、愛欲を断ち切った者のすることか」と仰せられると、比丘は、まったく正気も消し飛んで逃げようとしたが、師僧は足でもって強く挟んだまま放そうとせず、「お前は愛欲の心を起こしてこのようなことをした。速やかに我を犯すがよい。そうしなければ許さないぞ。どうして我を欺くのか」と言って、大きな声で罵った。
すると、道行く人が大勢この声を聞き、驚いて近寄って見ると、老僧の股に別の僧が挟まっている。
老比丘は、「この比丘は私の弟子である。八十歳にもなる師を犯そうとて、この比丘は私をこのような藪の中に引き入れたのです」と言うと、見ている大勢の人は、怪しみ罵ること限りなかった。多くの人に見せ終った後、優婆崛多は起き上がり、この弟子の比丘を捕まえて大寺に連れて行った。
鐘をついて寺の大衆(ダイシュウ・比丘の集団)を集められた。多くの大衆が集まると、優婆崛多はこの弟子の比丘の所行を詳しく語った。大衆はそれぞれこれを聞いて、あざけり笑って罵ること限りなかった。
弟子の比丘はこれを見聞きするに、恥ずかしく悲しく思うこと限りなかった。身が砕かれるようであった。そして、この事を心から深く懺悔した時、たちまちのうちに阿那含果(アナゴンカ・修業階位で、阿羅漢果の次の階位。文献によっては、阿羅漢果を得たとなっているらしい。)を得た。
優婆崛多は弟子を方便を用いて仏道に導かれること、仏と異ならない、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
釈迦の思い出 ・ 今昔物語 ( 4 - 7 )
今は昔、
天竺に優婆崛多(ウバクツタ・前話に登場。衆生を教化するのに優れていたとされる。)という阿羅漢果(アラカンカ・原始仏教における最高の修業階位。)を修得した聖人がいた。仏(釈迦)が涅槃に入られてから後の人なので、仏の生前の御様子を恋しく思われて、「仏に直接お会いしたことのある人は、今でも生きているのだろうか」と尋ねられていると、ある人に、「波斯匿王(ハシノクオウ・釈迦と同時代の舎衛国王)の御妹は、百十余歳で健在です。幼少の時、仏にお会いされた人は、ただこの人だけです」と教えられた。
優婆崛多はこれを教えられて、大変喜び、その尼の御許に参られた。その家へ行き、お会いすべく取次させた。尼に呼び入れられると、戸の脇に杯(ツキ・素焼きの容器。鉢のようなものか?)に油を山盛りに入れて置いていた。優婆崛多はお会いできる嬉しさに急いで入ると、裳の裾がその油の杯に引っかかった。その時、油はほんの少しばかりこぼれた。
尼は優婆崛多に会うと尋ねた。「何の用事でおいでになられたのでしょう」と。
優婆崛多は答えた。「参りましたのは、仏のご生前の様子を大変恋しく思っておりまして、そのことをお聞きいたしたくて参りました」と。
尼は、「悲しいことでございます。仏が涅槃に入られてから、僅かに百年ばかり経っただけですが、その間に、仏法の衰えること、あまりにも甚だしいものです。仏がおいでであった頃、たいそう無作法で物に狂ったような御弟子が一人おりました。名は鹿郡比丘(ロクグンビク・正しくは六群比丘で、釈迦在世中にいた悪名の高かった六人の比丘の事で、これを固有名詞と謝り、人名としたものらしい。)と言いました。仏は常に彼を叱責し、破門にしてしまいました。ところで、あなたは何とも言えないほど貴く、戒律を保ち威厳ある立ち居振る舞いはおありですが、そこの戸の脇に置いてある油を、御裳の裾に引っかかって少しばかりこぼされました。仏在世の時には、物に狂ったような御弟子がおりましたが、決してそのような粗相をすることはありませんでした。この事から察しますと、仏がおわしました時代と、この頃を比べますと、思いの外ひどくなっているのでしょう」と言った。
これを聞いて、優婆崛多は大変恥ずかしく、身が砕かれる思いであった。
その後、尼はさらに話した。「私の親の許に仏がおいでになりましたが、すぐにお帰りになりました。その頃、私はまだ幼かったのですが、差していた金の簪(カンザシ)が無くなってしまいました。捜し回りましたが見つけることが出来ませんでした。仏がお帰りになって七日が過ぎた時、寝ていた床の上にこの簪がありました。不思議に思って調べてみますと、仏から放たれた金色の光はお帰りになってのち七日間留まっていたので、その金の簪はその御光に打ち消されて見えなくなっていたのです。八日目の朝、御光が失せて後に簪を見つけることが出来たのです。つまり、仏の御光は、おわします所に七日間留まって輝くのです。このような事を、かすかに覚えております。それ以外の事は、幼い時のことなので覚えておりません」と。
尼がこのように語るのを聞いて、優婆崛多は涙を流し、何とも言えないほど感動してお帰りになった、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
高僧と天魔 ・ 今昔物語 ( 4 - 8 )
今は昔、
天竺に優婆崛多(ウバタツタ)という阿羅漢果(アラカンカ・原始仏教における最高の修業階位)を修得した聖人がいた。人を利益(リヤク・慈悲を垂れて衆生を救済すること。)することは仏のようであった。法を説いて多くの人を教化なさった。世間の人はやって来て説法を聞くと、皆利益を授かって罪から救われた。それゆえ、世間の人はこぞって群がり集まること限りなかった。
ある時、説法の場所に一人の女がやって来た。容姿端正にしてその様子の美しいこと並ぶ者がないほどである。すると、その場所にいた説法を聞きに来ていた人々は、皆この女の美しさに惹かれて、たちまち愛欲の心を起こして、法を聞く妨げとなった。
優婆崛多はこの女を見て、「この者は天魔で、法を聞いて利益を得ようとする人を妨げようとして、美しい女に変化してやって来たのだ」と見破られて、女を呼び寄せられると、女はやって来た。優婆崛多は花鬘(カマン・生花を紐に通して作った首飾り。)をもって女の首に打ち懸けた。
女は、「花鬘だ」と思って、立ち去って行くのを見ると、花と見えた物は、諸々の人や馬や牛などの骨を貫いて首に懸けており、臭くて気味が悪いことこの上ない。
その時、女はもとの天魔の姿になって花鬘を取り棄てようとしたが、どうしても取り棄てることが出来なかった。あちらへこちらへと走り回ったが、どうすることもできない。説法を聞きに来ていた人々は、これを見て不思議なことだと思った。
天魔は困惑してしまい、大自在天(ダイジザイテン)という天魔の首領の所に昇ってこの事を嘆いた。そして、「これを取ってください」と願った。大自在天はそれを見て、「これは仏弟子の仕業であろう。我では絶対に取ることが出来ない。ただ一つの方法は、それを懸けた者に、『取ってください』と頼むしかない」と言ったので、言われるにしたがって、また優婆崛多のもとにやって来て手を摺り合わせて、「我は愚かでした。説法を聞く人を妨げようと思って、女の姿になってやって来たことを悔い悲しんでいます。これより後は、決してこのような心は起こしません。願わくば聖人、これを取り除いてください」とお願いすると、優婆崛多は、「お前はこれより後、法を妨げることはあるまい。速やかに取ってやろう」と言って、取り去ってやった。
天魔は喜んで、「このお礼をどのようにして成せばよろしいのでしょうか」と言うと、優婆崛多は、「お前は、仏の御姿を見奉ったことがあるのか」と尋ねた。天魔は、「ございます」と答えた。優婆崛多は、「私は仏の生前のご様子を知りたいと請い願っている。されば、仏の御有様をまねて私に見せてくれないか」と言った。
天魔は、「まねすることは簡単なことですが、それを見て礼拝なさるならば、我にはとてもつらいことです」と言った。優婆崛多は、「私は決して礼拝せぬことにしよう。だから、まねをして見せてくれ」と強く言われるので、天魔は、「決して礼拝されないように」と言って、林の中に姿を消した。
しばらくすると、林の中から歩み出てくる姿を見ると、身の丈は丈六(一丈六尺。正しい長さは諸説あるようだが、人の身長の二倍にあたるらしい。)、頭の頂上は紺青(コンジョウ)の色である。身の色は金(コガネ)の色である。光は日の出の陽光のようである。優婆崛多はその姿を見奉ると、決して礼拝しないと思っていたが、有難さに思わず涙を落とし、伏して声を挙げて泣いた。
すると、天魔はもとの姿に戻った。首には、諸々の骨を貫いたものを懸けていて、それを瓔珞(ヨウラク・古代インドの装身具で、金銀や貴石などを紐に通した首飾りや胸飾り。)にしていた。
そして、「だから申し上げておりましたのに」と言って嘆いた。
こうして、優婆崛多は天魔を服従させ、衆生に利益をもたらせること仏と変わらなかった、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
遊行の高僧 ・ 今昔物語 ( 4 - 9 )
今は昔、
天竺に陀楼摩和尚(ダルマワジョウ・諸説あるが、いわゆるダルマさんらしい。)と申す聖人がいらっしゃった。この人は、五天竺(ゴテンジク・・ガンジス川中流域を中心に古代インドを中・東・西・南・北の五地域に分けた呼称で、全インドの称。)を隈なく遊行して、諸々の比丘(ビク・僧)の行状をよく観察して世間に伝えた人である。
ある寺があった。その寺に入って比丘の様子などを窺っていると、寺には大勢の比丘が生活していた。
ある僧房には仏前に花香(カコウ・花と香)を奉り、ある僧房には経典を読誦する比丘がいた。様々に尊く行われていること限りなかった。
ただ、その中に、人が住んでいる気配が無い僧坊が一つあった。草は生え放題で塵も積もっている。奥の方まで入ってみると、八十ばかりの老比丘が二人いて碁を打っていた。見てみると、仏壇もなく経典なども見えない。ただ、碁を打つこと以外には何もしない者だと思って、僧房を出た。
そこで、一人の比丘にあったので、「この先のある僧房に入ったところ、老比丘が二人いて、碁を打つことより外に何もしていない僧房のようでした」と話すと、その比丘は、「古老二人は、若い頃より碁を打つこと以外に何もすることがなく、仏法の所在さえ知らないのです。されば、この寺の大勢の比丘も嘆かわしく思って、仲間付き合いもしておりません。それでも、何もしなくとも僧供(ソウグ・僧への供え物)だけは受け取って食べ、碁を打つこと以外何もしないで長年過ごしております。まるで、外道(ゲドウ・仏教側から見た異教徒)のようです。決してお近づきになってはいけません」と言う。
陀楼摩和尚は、「どうも、この二人は子細ある者ではないだろうか」と思って、引き返して碁を打っている僧房に入った。
二人の古老が碁を打っている傍に座って見てみると、一勝負打ち終わろと、一人の古老は立ち上がり、もう一人の古老は座ったままである。しばらくすると、座っている古老は突然掻き消すように姿を消した。
怪しいと思っていると、二人そろって姿を現した。すると、また姿を消した。そして、しばらくすると姿を現した。このようにするのを見て不思議に思った。
「この寺の大勢の比丘は、碁を打つ以外に何もしていないとさげすみ汚らわしいと遠ざけたのは、とんでもない間違いだ。まことに尊い聖人たちでいらっしゃるのだ。ぜひ、お二人にそのわけを聞こう」と思って、陀楼摩和尚は二人の古老に尋ねた。
「これはどういうことでしょうか。碁を打つことのみを日課として長年過ごされていると聞きましたが、よく拝見させていただきますと、証果の人(ショウカノヒト・最高の修業階位である阿羅漢果を修得している聖人。)であられるのでしょう。そのわけをお教えください」と。
二人の古老は答えて、「我らは長年碁を打つこと以外は何もしていない。ただ、黒が勝つ時には我が身の煩悩が勝り、白が勝つ時には我が心の菩薩が勝り、煩悩の黒を打ち従えて菩薩の白が勝ったと思う。これに付いて我が無常(この世の一切の存在が生滅変化して常住しないこと。)を観ずれば(沈思瞑想して観察する、といった意。)、その功徳はたちまち顕れて、証果の身となったのです」と言うのを聞いて、涙が雨の如く落ちて深く感動した。
さらに和尚は、「このような徳行を長年隠されていて、少しも人に知らせず、寺の中の人にも無用で無慙(ムザン・戒律を守らないことを恥じないこと)な者と思わせていられたのは尊いことでございます」と言って、繰り返し礼拝して僧房を出た。
そして、他の比丘に出会うと、二人の古老の事を話すと、大勢の比丘たちはこれを聞いて尊ぶこと限りなかった。比丘たちは、我らは愚かにして、長年、証果の羅漢と知らずにあなどり軽んじてきたことを悔い悲しんだ。
陀楼摩和尚はその寺を離れ、山の麓にある人里に行き、その夜はそこに泊まった。夜になって、何か叫ぶ声が聞こえた。聞いていると、「大勢の強盗が入ってきて、私を殺そうとしている。長年かかって貯めてきた財(タカラ)をみな奪おうとしている。村の人、私を助けてくれ」と、大きな声で叫んでいるようだ。
村の人はこれを聞いて、手に手に松明を灯して集まってきて、「あの声はどこからか」と言うと、ある人が、「東の林の中にいらっしゃる聖人の方向から声が聞こえている。その方向を捜そう」と言うので、村の人たちは、それぞれ手に弓矢を持って、松明を掲げて騒ぎながら行く。聖人が殺されたというので、「どうした事だ」と心惹かれて、和尚もついて行って見ると、林の中に大笠(オオガサ・貴人などに後ろから差し掛ける長柄の大きな傘。)ほどの草の庵がある。柴を編んだ戸を引き開けてみると、その中に八十歳ほどの比丘が座っていた。ぼろ布を綴り合せた袈裟だけで他に着ている物はない。前には脇息の他に何もない。盗人が取るような物は露ほどもない。また、盗人も一人も見えない。人々がやって来たのを見て、この聖人は激しく泣いた。
駆けつけた人々が訊ねた。「聖人の御庵の中には盗人が取るような物は見当たりません。どういうわけで、大きな声で叫ばれたのですか」と。聖人は答えた。「どうしてそのようなことを聞かれるのか。長年、庵の中に少しも忍び込んで来なかった睡眠と言う盗人が、この暁近くになった頃に入ってきて、倉に貯えていた七聖財(シチショウザイ・悟りを得るために必要な七種の行を財宝に見立てたもの。)の宝を奪い取ろうとしたので、取られまいとして組み合って叫び声をあげたのです。(一部欠字あり、推定した)」と言って、激しく泣いた。
陀楼摩和尚は、「誰もがぐっすりと眠るのに、この聖人は長年眠らなかったが、たまたま眠ってしまったのでこのように大騒ぎしたのだろう」と思って、法友として深い友誼を結んで帰っていった。村の人たちも皆帰った。
また、和尚は、他の里に行ってみると、林の中に一人の比丘がいた。
座っているな、と見ると立ち上がった。立っているな、と見ると走り出した。走っている、と見ると回っている。回っている、と見ると臥している。臥している、と見ると立ち上がる。東に向かい、また南に向かう。また西に向かう。また北に向かう。笑っていると見ると怒っている。怒っていると見ると泣いている。気が狂っている者だろうと思って、和尚は近寄って、「あなたは何をしているのですか」と訊ねると、この狂ったような比丘は、「人あり。天上に生まれたと思うと人に生まれる。人に生まれたと思うと地獄に堕ちる。地獄に堕ちたと思うと餓鬼道に堕ちる。餓鬼道に堕ちたと思うと修羅(シュラ・阿修羅に同じ。修羅道に住む鬼神の一種。)となる。修羅になったと思うと畜生道に堕ちて走り回る。およそ、三界(サンガイ・・欲界・色界・無色界の三境界。いまだ悟りを得ず、一切の衆生が生死の輪廻を繰り返して安住を得ない世界。)の静かでないことは、我が振る舞いの如し。心ある人(物の道理をわきまえているような人)は、この見苦しい振る舞いを見て、三界の平静でないことを知って欲しいと思って、このように長年にわたって廻り狂っているのです」と言った。これを聞いて和尚は、この人は並々の人ではないと思って、礼拝して去っていった。
およそこの和尚は、このように遊行して、尊い僧の有様をご覧になられた、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
人を侮ってはならない ・ 今昔物語 ( 4 - 10 )
今は昔、
中天竺に一人の比丘がいた。名を僧沢(ソウタク)と言う。生まれつき怠け者で、愚かであった。比丘の資格を得てはいるが、僧として成すべき修行を何一つ実践することがなかった。
経・真言を学ぶこともなく、長年の間、一つの寺に住んでひたすら人の施しを受けて、成すこともなく毎日毎夜罪を作っていた。罪を犯しても恥じることなく、後世の事を思うこともなかった。
されば、同じ寺に住む比丘たちは、この僧沢を軽んじ馬鹿にして、同座することもなく、ともすれば寺から追い出そうとした。
ところが、この僧沢、ほんの少しばかり知恵があって、我が身の中におわします仏の三身(サンジン・三種の仏身)の功徳の相を心にとどめて、忘れることなく昼夜常に思う。このように観じ(観想念仏を実践すること。)続けているうちに、その功徳が自然に顕れて、心の内に常に法性(ホッショウ・絶対唯一の真理)を観じて、全く外の事は心に抱かなかった。このようにして長い年月を積むうちに、年老いて病を受けて臥してしまった。
寺の内の上下の比丘は、ますますこの比丘を汚がり非難すること限りなかった。
臨終に臨んで、多くの仏や菩薩が僧沢の所に来られて、法を説き、僧沢を教化し給う。僧沢は仏や菩薩の教えに心を任せているうちに、顔色が美しくなり、起き上がって居ずまいを正して仏を念じ奉り、法性を観じて絶命した。そして、そのまま兜率天(トソツテン・弥勒菩薩が住んでいる天界。)の内院に生まれ変わった。
その間、光を放ち、香ばしい香りが寺の内に満ちた。寺の内の諸々の比丘は、この様子を見て僧沢の所に行って見ると、僧沢の顔色は美しく、端座合掌して息絶えていた。室内は香ばしい香りに満ちて光を放っていた。比丘らはこれを見て驚き尊んで、長年軽んじ軽蔑してきたことを悔い悲しむこと限りなかった。
その後は、この僧沢の所業を尋ね聞いて見習った。
されば、精進せず、戒律を破っても恥じることのないような比丘でも、子細があると思って、侮ってはならない、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
五百匹の蝙蝠 ・ 今昔物語 ( 1 - 11 )
今は昔、
天竺に羅漢の比丘(ラカンノビク・古代仏教の修業過程の最高位である阿羅漢果を修得した僧。)がいた。
教化の旅に出たが、途上で一人の山人(ヤマビト・山の住人。ここでは仙人を指すか?)に出会った。山人は一人の幼童を連れていたが、笞(シモト。木の枝で作ったムチ。)でもってその幼童を打って泣かせていた。
羅漢はこれを見て山人に訊ねた。「お前は、どういうわけでこの幼童を打って泣かせているのか。それに、この幼童はお前の何に当たるのか」と。
山人は、「これは私の子です。ところが、声明論(古代インドの語学書の総称。(欠字・誤記がある))という書を教えているが、よく読み取ることが出来ないので、ムチで打って教えているのです」と答えた。
それを聞いて羅漢が笑ったので、山人は、「なぜ笑うのです」と尋ねると、羅漢は「お前は、前世の因縁を知らないで子供を打っているのだ。この教えている書は、この稚児が過去世で山人であった時に作った書なのである。しかし、このような書を作り世に広めたので、当時は優れた人物とされたが、後の世では少しも役に立つことがなかったので、このように愚痴(グチ・正しい道理を理解しないこと。)の身に生まれ変わって、前世のことを知らず、自分が作った書を読み取ることもできないのである。その一方、仏法に関することは、その時は大した事でもないようであっても、後の世においては、過去世のことが目の前で見るかのように理解でき、来世のことがあらかじめ知ることが出来るので、必ず仏法を学ぶべきなのである。
さらに、お前に前世の因縁について話してやろう。よく聞いて覚えておくがよい。
その昔、南海の浜辺を旅人たちが大勢連れ立って歩いていたが、その浜辺に枯れた大きな樹が一本立っていた。旅人たちは、風の寒さに堪えかねて、この樹の下で泊まることにした。火を焚いて、全員が並んで座って夜を明かした。
ところで、この樹のうつろの上方に五百匹のコウモリが住んでいたが、この焚火の煙にいぶされて皆逃げ去ってしまったと思われたが、明け方になった頃、旅人たちの一人が阿毘達磨(アビダルマ・経律を解説注釈した論書の総称。)という法門(法文)を読んだ。すると、このコウモリたちは煙にいぶされて堪え難い中を、この法門を誦するのを聞く尊さに、耐え忍んで、皆が樹のうつろに取り付いていた。焚火の勢いは強く、高く燃え上がったので、それにあぶられて皆死んでしまった。
死して後、この法門を聞いたが故にコウモリたちは皆人間界に生まれ変わった。全員が出家して比丘となった。そして、法門を悟って羅漢となった。その羅漢の中の一人は、私である。それゆえ、仏法に従っているのである。その稚児も、出家させて法門を学ばせなさい」と教えた。
山人にも「仏法に従うべきだ」と言うと、稚児を出家させ、山人も仏法に帰依した。そこで、羅漢は掻き消すように姿を隠した。
山人は、たいそう驚き、そして尊く思い、いよいよ仏法を深く信じるようになった。
この出来事は、仏が涅槃に入られてから百余年ばかり後のことである、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
仏道広がる ・ 今昔物語 ( 4 - 12 )
今は昔、
天竺に一つの小国があった。その国は、昔からの神(仏教から見ての異教神)のみを信じて、仏法を信仰していなかった。
ある時、その国の王に一人の皇子がいたが、他には子供がいなかった。そのため、国王はこの皇子を宝玉のように大切にしていた。
ところが、この太子が十歳になった頃、重い病にかかった。医薬による治療を施すも治癒することはなく、陰陽道をもって祈祷するも験(シルシ)がなかった。このため、父である国王は、昼夜嘆き悲しんで年月を過ごしたが、いよいよ太子の病は重くなり、治癒することがなかった。
国王は、この状況を思い悩んでいた。そこで、この国に古くから崇められ祭られている神があったので、国王はそこに詣でて、自ら祈請した。諸々の財宝を運び込んで山と成し、馬・牛・羊などを谷に満ちるほどいけにえとして供えて、「太子の病を癒し給え」と誓願した。
宮司・巫(カンナギ・巫女。本話では男の巫を指している。)は、供え物をほしいままに取り、たっぷりと私腹を肥やした。国王の祈請に対して、これという手立てもないままに、一人の神主が、御神が乗り移った様子で、「御子の御病は、国王がご帰還なされるとともに平癒なさるでしょう。国を平安に治められ、民を安らかに、世を平安に、天下・国内共に喜びましょう」と告げた。
国王はこれを聞いて、喜ぶこと限りなかった。感動のあまり、佩いていた太刀を外して神主に与え、さらに多くの財宝を与えられた。
このようにして誓願が終わり、宮殿に帰還される途中で、一人の比丘にお会いになった。国王は比丘を見て、「彼は何者か。姿は普通の人と違い、衣も普通の人と違っている」と尋ねられた。付き従っている一人が、「彼は沙門(シャモン・ここでは仏教の修行者)と申します。仏(釈迦)の御弟子です。頭を剃っているのです」とお答えした。
国王は、「されば、あの人はきっと物知りなのであろう」と申されて、輿を止めて、「あの沙門を、ここへお呼びせよ」と申された。お召しにより、沙門はやって来て輿の前に立った。
国王は沙門に、「私には一人の太子がいる。ここ数か月病にかかり、医薬の力も及ばず、祈りの験もない。この先の生死のほどさえ分からない。この事をどう思うか」と尋ねられた。沙門は、「御子は、きっとお亡くなりになります。お助けするには、私の力では及びません。それは、国王の御霊の為せることだからです。宮殿にご帰還されるのを待たずして、御子はお亡くなりになるでしょう」とお答えした。
国王は、「二人の言うことは全く違う。誰が言うことが真なのか」と分からなくなった。「神主は、『病は癒える。寿命は百歳を超える』と言ったものを、この沙門はこのように言う。どちらを信じればよいのか」と仰せられると、沙門は、「一時の御心を慰め奉るために勝手なことを言ったものです。世俗の無分別な人が言うようなことを、どうして拘って迷ったりするのですか」と断言した。
国王は宮殿に帰還するや急いでお尋ねになると、「昨日、太子はすでにお亡くなりになりました」と申し上げると、国王は、「決してこの事を人に知らせてはならない」と仰せになり、神懸かりした神主を召し出すよう使者を遣わした。
二日ばかりして神主は到着した。国王は、「我が皇子の病は、いまだ平癒しない。どうなっているのか、不審に思って召し出したのだ」と言った。神主は、また神懸かりして言った。「何ゆえ我を疑うのか。『一切衆生(イッサイシュジョウ・生きとし生けるものすべて。)をいたわり哀れんで、願主の願いに背くことはない』と誓うことは父母のごとくである。いわんや、国王が熱心に願われることをおろそかにすることはない。我(神主に乗り移っている神。)は虚言はなさない。もし虚言を申せば、我をあがめることはなく、我が乗り移っている神主を敬う必要もない」と。
このように口に任せて言い放った。
国王は、よくよく聞いた後、神主を捕らえて仰せられた。「お前たちは、長年人を欺き、世を謀って、人の財宝を勝手気ままに取り、偽物の神を乗り移させて、国王から民衆まで心を惑わせて、人の物をだまし取ってきた。これは大盗人である。速やかにその首を切り、命を断つべきだ」と。そして、目の前で神主の首を切らせた。さらに、軍兵を遣わして、その神の社を壊し、( 欠字あり。河の名前が入るが不詳。)河という大河に流した。その宮司の上から下まで多くの人の首を切り捨てた。長年人々からだまし取ってきた千万の貯えは全部没収した。
その後、あの沙門を招くようにとの仰せがあり、沙門は参内した。国王は自ら出向いて、宮殿内に招き入れ、一段高い座に座らせて礼拝した。そして、「私は長年あの神主共にたぶらかされて、仏法を知らず、比丘を敬うことがなかった。されば、今日から先は、愚かな言葉を信じまい」と仰せられた。
比丘は、国王のために法を説いて聞かせた。国王をはじめ、これを聞いて尊び礼拝すること限りなかった。すぐさま、その地に寺を造り、この比丘を住まわせた。さらに、多くの比丘を呼び寄せて、常に飲食を提供し仏事を行った。
ただ、その寺に不思議なことが一つあった。
仏像の上に天蓋があり、宝玉で美しく飾られていた。その天井に懸かっているとても大きな天蓋は、人が寺に入って仏像の周りを廻ると、人に従って天蓋も回った。人が廻るのを止めると、天蓋も止まった。その事は、今に至るも世の人々には理由が分からない。
「仏の御不思議の力であろうか、あるいは、工匠の優れた仕掛けの為せるものなのか」と人々は言い合った。
そして、その国王の時から、その国に巫(カンナギ・神懸かりして神託を伝えることを職業とする者全体を指しているようだ。)は絶えてしまった、
となむ語り伝へたるとや。
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竜王を導く ・ 今昔物語 ( 4 - 13 )
今は昔、
天竺の人は、旅をする時は必ず比丘(ビク・僧)を連れていた。守護の力があったからである。
昔、一人の男がいた。商いのために船で海に乗り出した。ところが、にわかに暴風が吹き出し、船を海の底に巻き込んだ。その時、その船の舵取り(船頭)が船の下を見ると、一人の優婆塞(ウバソク・在家の仏教信者。)がいた。舵取りが、「お前はいったい何者だ」と訊ねると、優婆塞は「我は竜王である。お前の船を海の底に巻き入れようとしているのだ」と答えた。
舵取りは、「どういうわけがあって、お前は我らを殺そうとするのか」と言うと、竜王は「お前の船に同乗している比丘は、前世で我が人間であった時、我が家にいた比丘である。朝に夕に我が供養(飲食などの提供)を受けて何年も過ごしていたが、我を叱責することなく罪業を犯させたので、それが悪因となって、今は蛇道(ジャドウ・竜蛇の身を受ける境遇。)に堕ちて、一日に三度、剣で身を切られている。この苦しみは、あの比丘のためである。その事をいまいましく思い、あの比丘を殺そうと思ったのだ」と言った。
舵取りは、「お前は蛇身となり三熱の苦(竜蛇が受けるとされる三種の苦で、①熱風熱砂で身を焼かれる苦、②暴風により住居や財産を失う苦、③金翅鳥の餌食にされる苦、を指す。)を受け、連日に刀剣で切られる苦を与えられたことは、これはすべて、前世の悪業が造ったものである。しかるに、愚かなことに、多くの人を殺害してさらに悪因を重ねようとするのか」と言った。
竜王は、「我が昔を思いやれば、前後(因果と応報の関係を指す。)のことを知らなかった。物の道理を説き教えられず、罪を造り、悪業により苦を受けていることは極めて情けない。それゆえ、殺そうと思うのだ」と言った。
舵取りは、「お前は、一日一夜、ここに留まりなさい。法を聞かせて、お前を蛇道から逃れさせてやろう」と言った。
その言葉に従って、竜王は一日一夜その所に留まり、比丘は経を誦して竜王に聞かせた。竜王は経を聞いて、たちまちのうちに蛇身を離れて天上に生まれ変わったという。
されば、「もっぱら善根を積むべし」と親しい人には教えるべきである、
となむ語り伝へたるとや。
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衣が燃える ・ 今昔物語 ( 4 - 14 )
今は昔、
天竺の国王、多くの人を率いて山に入って狩をなさったが、あちらこちらと歩きまわりたいそうお疲れになったが、ちょうど山の中に大きな樹木が見えた。その根元には、金の座席を構えて、その上に裸の女が座っていた。
国王は怪しく思い、近くに寄って、「そなたは、どのような素性の者で、なぜそのような格好でいるのか」とお尋ねになると、女は「わたしは、手から甘露(カンロ・蜜のような甘い液という意味であるが、古代インドの神々の飲料、あるいは、仏教では兜率天の不死の霊液とされる。)を降らすことが出来ます」と言った。
国王は、「しからば、すぐに降らせてみよ」と仰せられた。すると女は、手を差し伸べて甘露を降らして、国王に奉った。国王は、たいそう疲れた状態であったが、この甘露を飲むと、疲れた心がおさまり爽快な気分になった。
その後、この女が裸なので、国王は自分の衣を一枚脱いで与えたが、衣の内より出火して燃えてしまった。
「これは、何かのはずみで起きたのか」と思って、また脱いで与えたが、また同じように燃えてしまった。三度与えたが、三度とも燃えてしまって着ることが出来ない。
そこで、国王は驚き怪しんで、女に訊ねた。「お前は、どういうわけでこのように燃えてしまって、衣を着ないのか」と。
女は答えた。「わたしは、前世において人間でありました時、国王の后でした。国王はすばらしい飲食物を用意して、沙門(シャモン・僧)に供養なさいました。また、衣も添えて供養なさいましたが、わたしは后として、僧たちに食べ物を供養しましたが、衣は国王に申し上げて、供養させませんでした。その果報(カホウ・前世の業からもたされるもので、良い物も悪い物もある。)により、今、手から甘露を降らすことが出来るようになり、同時に、身に衣を着ることが出来ない報いを受けております」と。
国王はこれを哀れんで、「その衣を着ることが出来ない報いは、どうすれば移し変えることが出来るのか」と訊ねられると、女は「沙門に衣を供養し奉り、ひたすらわたしのためにと仏に念じてくださいませ」と答えた。
そこで、国王は宮殿に帰ると、すぐさますばらしい衣を準備して、沙門を招いて供養しようとされたが、その当時、国内に沙門は絶えてしまっていたので、供養することが出来なかった。
国王は思い悩んで、五戒(ゴカイ・在家信者が日常生活で守るべき五つの戒め。)を保っている優婆塞(ウバソク・在家の男の仏教信者)を招いて、この事を語り聞かせて、「この由を呪願(シュガン・真言などの呪文を唱えて仏の加護を願うこと。)して、この供養をお受け頂くように」と命じて、すばらしい衣を供養した。その戒を保っている優婆塞は、国王の仰せの通りに衣を捧げ持って、その由を呪願して衣を賜った。
それから、国王はあの女の所に行って、衣を与えて着せると、報いは消え去っていて、衣を着るのに何の支障もなかった。
されば、夫婦の間において、一人が沙門を供養する時には、心を一つにして、止めるようなことがあってはならない、
となむ語り伝へたるとや。
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