『 賃金上昇時代到来か? 』
今年も かなりのベースアップが 期待出来そう!!
経済団体新年祝賀会で 多くの経営トップが表明
但し わが国を代表するような 企業が多く
さて 中小企業の多くも 追随出来るのだろうか
それ以外にも 恩恵を受けるよりも
物価の上昇だけが ボディブローのように
ダメージを受けている人々も多い
さて 今年の 庶民の幸福度や如何に??
☆☆☆
『 賃金上昇時代到来か? 』
今年も かなりのベースアップが 期待出来そう!!
経済団体新年祝賀会で 多くの経営トップが表明
但し わが国を代表するような 企業が多く
さて 中小企業の多くも 追随出来るのだろうか
それ以外にも 恩恵を受けるよりも
物価の上昇だけが ボディブローのように
ダメージを受けている人々も多い
さて 今年の 庶民の幸福度や如何に??
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『 朝川渡る ・ 万葉集の風景 』
人言を 繁み言痛み 己が世に
未だ渡らぬ 朝川渡る
作者 但馬皇女
( 巻2-116 )
ひとごとを しげみこちたみ おのがよを
いまだわたらぬ あさかわわたる
歌意は、「 人の噂が あまりにうるさくわずらわしいので わたしがこれまで 渡ったことのない 朝川を渡っています(涙を流しています) 」
朝川は、浅い川のことのようです。つまり、浅い川は徒歩で渡るので、袖が濡れる・・涙で袖が濡れる、ということのようです。
* 作者の但馬皇女(タジマノヒメミコ・ ? - 708 )は、天武天皇の皇女です。母は、藤原鎌足の娘です。
掲題の題詞には、「 但馬皇女、高市皇子の宮に在す時に、ひそかに穂積皇子に接(ア)ひ、事既に形(アラ)はれて作らす歌一首 」とあります。
この題詞は、実に多くのことを伝えてくれています。
* 高市皇子( 654? - 696 )も穂積皇子( ? - 715 )も、異母兄にあたる人物です。穂積皇子と但馬皇女の生年が不詳ですので年齢関係が良く分りません。ただ、穂積皇子は第五皇子ですので、他の皇子の生年から推定して、676 年か少し前と考えられ、但馬皇女もその前後と推定できます。その前提に立てば、高市皇子は、但馬皇女より20歳ほど年長ということになります。
* 高市皇子は、壬申の乱においても父(大海人皇子=天武天皇)の片腕として働いており、兄弟姉妹たちの中で抜きんでた立場であったと考えられます。
そこで、「但馬皇女、高市皇子の宮に在す時」をどう解釈するかですが、多くは、妻の一人であったと推定しているようです。時期など分りませんが、但馬皇女が十代半ばの頃の事ではないでしょうか。そうだとすれば、養女のような形で世話をしていた可能性も考えられます。
いずれか分りませんが、但馬皇女は穂積皇子と恋に落ちます。高市皇子が生前の時ですから、おそらく二人とも十代だったのでしょう。
* 二人の一途な恋物語は本稿では割愛いたしますが、忍ぶ恋が周囲に漏れて噂となり、但馬皇女は、まるで開き直るように「朝川渡る」決断をしたのです。「朝川渡る」には歌意にあるような意味が秘められているのでしょうが、但馬皇女は、まさに、浅いとはいえ流れの速い川を必死になって渡って、穂積皇子のもとを目指そうとしたのだと思うのです。
切なくも必死な皇女にエールを送りたいような気がするのです。
☆ ☆ ☆