雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

定額給付金、どうします? ・ 小さな小さな物語 ( 30 )

2010-01-10 16:43:01 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
定額給付金の支給が始まったというニュースがテレビで大きく報じられています。
日本中で一番最初に受け取ったという女性、あちらこちらの番組で取り上げられているので、顔を覚えてしまいました。


それにしても、この定額給付金、実施が決まるまでに難航したものですね。
実施の責任者たる人物からして、受け取るや受け取らないなどとふらつくものですから、余計ややこしくなったのかもしれません。
さらに、支給の目的が、生活支援から消費拡大策へと軸足が移ったことや、与野党の対立や、何とも評価しづらい発言なども絡んで、喜べない政策になってしまったようです。


この政策に反対する意見の一つに、給付金のようなばらまきではなく、二兆円を纏めて何らかの重要課題の解決を図れ、というのがありました。救急医療とか校舎の耐震化など、確かに有意義だと思います。
でも、定額給付金をドブにでも捨てるような意見は、私は賛成できません。この給付金が大変助けになる人もいますし、それなりの経済効果もあるはずです。現に、最初に支給される村には取材陣が殺到しているようで、幾ばくかの波及効果が出ているのではないでしょうか。


でも反対される方々の意見も極めて高潔なものです。それも半分を遥かに超える人が反対だとか。
でも、大丈夫ですよ。反対されている方々の意見を尊重する手段は実に簡単なのですから。
それは、反対の方は受け取らなければいいのです。世論調査通りであれば、今回の定額給付金は受け取りを辞退される方が半数以上に上るでしょうから、一兆円以上の資金が残るはずです。
その残金をうやむやにせず、政府は直ちに、その資金の有効利用を検討すべきです。一兆円でもかなりの事ができるはずですから。
ええっ? 私ですか? はい、ありがたく頂戴して、何か好い物買わせてもらいます。

( 2009.03.08 )
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里海を守る ・ 小さな小さな物語 ( 31 )

2010-01-10 10:39:10 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
ここ数日のうちに、里海を守ろうという記事を連続して見ました。
私の居住地も、海に面しているわけではありませんが瀬戸内海東部に位置することもあり興味深く読みました。


早速インターネットなどの記事をいくつか拝見しましたが、多くの地区でいろいろな活動がなされています。
それらの活動は実にすばらしく頭の下がる思いですが、同時に、それだけわが国の内海や沿岸部が汚染され荒れているということなのですね。
それも、大都市などに近い海浜がコンクリートに固められたり、汚泥やごみで悲しいような状態なのはある程度知識にありましたが、本州や九州などから遠く離れた島々でも深刻な状況が起きているそうです。


有明海干拓に関するニュースなどは社会問題として報道されましたが、多くの地域で自然保護と経済原理や防災の観点からの護岸工事などとが対立しているようで、自然を守るということは簡単なことではないようです。
里海に限らず、自然保護などと簡単に口にしてしまいますが、私たちの生活と隣接した地域の自然は、放置していれば自然が守れるというものでないことも確かなようです。


実は、この話題を取り上げましたのは、恥ずかしながら私は「里海」という言葉を知らなかったからなのです。
わが国は世界有数の海岸線を持つ国家です。しかし、里海に限らず、海岸線や近海の状況などについて、ごく限られた当事者以外は無関心なのではないでしょうか。
海釣りが趣味の人は海浜の状況にも関心が強いようですが、残念ながらマナーの悪い釣り人による里海の汚染も小さくないようですし、歪んだ利権により取り返しのできない工事がなされたとされるものも、その道の専門家という人が加わっていることも事実です。
里海を守るというのは難しいことなのでしょうが、私のように外野席から見ているような立場の人も、もう少し関心だけは持つようにしましょうよ。

( 2009.03.11 )
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雀と恐竜 ・ 小さな小さな物語 ( 32 )

2010-01-10 10:37:48 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
雀の国内生息数が激減しているそうです。
先月発表された立教大学の研究員の方の調査によれば、2008年5-6月に実施された調査による国内生息数は1千8百万羽と推定されるそうです。
この数字の多寡を論じる前に、調査そのものに感服してしまいました。


拙著小さな小さな物語の第三回で、私の近くにあった雀のお宿が失われたことを紹介させていただきましたが、いじめられている雀は一部の特殊なことではなかったのですね。
報道によりますと、20年前に比べ80%の減少、50年前とは90%の減少だそうです。たった1割になってしまったということですよ。


今から6千5百万年前、長い間繁栄していた恐竜が、突然絶滅してしまいました。
あまりにも突然の滅亡は不思議とされ、さまざまな原因が推定されてきました。現在では巨大隕石の落下が有力視されていますが、1億年以上も生存していた恐竜が短期間のうちに絶滅してしまったのです。


雀の生息数の急激な減少も、恐竜の絶滅前夜を想像させるものだというのは、少々オーバーでしょうか。
しかし、これを日本の人口に置き換えてみますと、日本全体の人口が東京都の人口だけになってしまったということなのです。つまり、たった50年の間に東京以外には一人の人間もいなくなってしまうということなんですよ。
大したことではないと思いますか。雀と人間を一緒にするのは無茶だと思いますか。私たち人間の生活が脅かされているわけではないと思いますか。
その通りかもしれませんが、この地球、人間のものだけではないことも確かなことだと思うのです。

( 2009.03.14 )
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初音、未だ聞けず ・ 小さな小さな物語 ( 33 )

2010-01-10 10:36:39 | 小さな小さな物語 第一部~第四部

うぐいすの初音、未だに聞くことができていません。
よく散歩する住宅地に、毎年のようにうぐいすがやって来て良い声を聞かせてくれるのですが、今年はまだ姿を見せてくれないのです。


そこは比較的新しく開発された住宅地なのですが、小さな川に添った一画の庭が、失礼ですが、かなり荒れた状態になっている所があるのです。かなり広い土地なのですが、斜面になっていることもあり殆ど手入れされていないらしく、マメ科と思われる大きな木を中心に雑木と表現できるような木が茂っています。
周辺が整備され過ぎているような庭に囲まれているだけに、その一画は取り残された雑木林みたいになっているのです。
私たちには荒れた庭のように見えますが、うぐいすにとっては良い環境らしく、毎年春を告げるかのように数羽やってきて、良い声を聞かせてくれるのです。


ご近所からは苦情があるというような噂もあるのですが、うぐいすの季節には散歩中の人を中心に足を止めて耳を澄ませている姿が、何とも嬉しかったのです。
ところが、今年の初めに、その庭が美しく整備されたのです。大きな木だけでなくかなりの数の樹木はそのままなのですが、雑木や蔦や雑草が刈られ、周囲の住居の庭と見劣りしない程度に整備されたのです。
それだけが原因かどうか分かりませんが、うぐいすは未だにやって来ないのです。


環境に関する問題がよく話題になります。
大きくは地球環境のようなものから、ごみ処理の問題、ペットの糞尿の問題や地域の自然環境なども重要な問題なのでしょう。
しかし、うぐいすがやって来ていた庭のことを考えますと、環境を守るということがどういうことなのか難しいことですね。
わが家の小さな庭も、草花より雑草の方が目立つようになってきました。自然を守るということとはどういうことなのか考えながら、草抜きはもう少し先に延ばすことにしましょう。

( 2009.03.17 )

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お彼岸です ・ 小さな小さな物語 ( 34 )

2010-01-10 10:32:48 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
今日は春分の日。お彼岸の中日にあたります。
暑さ寒さも彼岸まで、という言葉がありますが、厳しい寒さの時期は終わるということなのでしょう。
この数日は特に暖かく、夏日となった地域もあり、桜の開花の便りが各地から伝えられています。


お彼岸には、お墓参りをされる人も多いようです。彼岸会というのは仏教の行事ですが、宗派によらず、また他宗教の方もお墓参りをされる方が多く、お墓参りをされないまでも、漠然とでもご先祖や亡くなった方のことを偲ばれる人も多いのではないでしょうか。
実は、この彼岸会という行事は、わが国独特のもののようです。
仏教が誕生したインドでは仏教行事としてなかったようですし、その他の国でもわが国のように仏教の重要行事としては無いようです。
そして、世界宗教といわれるような大規模宗教では、ご先祖や亡くなった方に対する供養や崇拝といったことはあまり強くは勧めていないようです。
その意味でも、お彼岸というのはわが国独特のもののようです。


また、春分の日というのは、季節の大きな区切りの日ともいえますが、私たちが教えられていることに、太陽が真東から昇り真西に沈むというのがあります。また、昼と夜の長さが同じだというのもあります。
太陽の動きを赤道上で観測しますと、春分の日の正午には天頂に至るそうですし、南極点で観測しますと、終日地平線に添って動くそうです。
昼と夜の長さについては若干の誤りがあり、実は昼の方が十四分ほど長いそうです。
その原因は、一つは、大気の屈折の関係で日出も日没も実際の太陽の位置より浮かんで見えるためと、二つ目は、日出も日没も太陽の上端の部分が地平線と並んだ時とされているためです。


まあ、昼と夜の時間が少々違うとしても春分は春分ですし、日頃手を合わせることの少ない人にとってもお彼岸はお彼岸です。
あんまり肩肘張ったことは言わないで、今は亡き人たちを偲んで合掌するのも良いのではないでしょうか。

( 2009.03.20 )
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やおよろずの神々よ ・ 小さな小さな物語 ( 35 )

2010-01-10 10:31:19 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
苦しいことに直面したとき、どのように対処すればいいのでしょうか。
第三者の立場であるときには、それなりの助言や、先人たちの教えを引用することもできるのですが、さて、我が身のこととなれば、そううまくはいきません。


先人の和歌をみますと、
  憂きことの なおこの上に 積もれかし 限りある身の ちから試さん
                   ( 熊沢蕃山 江戸初期の儒学者 )
  見ればただ 何の苦も無き 水鳥の 足に暇なき 我が思いかな
                   ( 徳川光圀 水戸の黄門さま )
どちらも、かつて感銘を受けた和歌です。
しかし、いま読み返してみますと、前の和歌は「おたおたせずに何もかも受け入れなさい」という教えであり、後の和歌は「人に弱みなど見せず地道に努力しなさい」と教えているように受け取れます。
哀しいことに、私にはそれほどの度量も根性もありません。


ある先輩は、流れに逆らってはいけない。クラゲのように水の流れにすべてを任せてひょうひょうと生きることだ、と教えてくれました。
しかし、クラゲとて、それほど呑気に過ごしているわけではないと思うのです。天敵もいるでしょうし、大量に捕獲する研究者もいるのですから。それに、私にはすべてを託せるような水もありません。


結局、私にできることといえば「困った時の神頼み」しか無いのかもしれません。
幸いなことに、わが国は八百万の神々がおはします国です。きっと、どなたかが力を貸してくれるものと信じて、祈念することにしましょう。

( 2009.03.23 )
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本当は資源国? ・ 小さな小さな物語 ( 36 )

2010-01-10 10:30:11 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
昨年夏頃までは、ガソリンの値上がりが話題になりました。その主たる原因は、もちろん原油の値上がりです。
原油の殆どを輸入に頼っているわが国は、狂乱と思われるほどの値上がりに対処の方法がない状態でした。原油に限らず、石炭や鉄鉱石などから希少金属と呼ばれるものまでが連鎖的に高騰し、資源と呼ばれる殆どが輸入なしにはやっていけない様子で、国家経済としての不安もありますが、それよりも何だかみじめな思いがしたものです。


ところが、米国発の金融危機の発生により原油は暴落、ガソリンが安くなって来てありがたいことだと思っていたら、今度は大不況が到来のニュース、上がるにしろ下がるにしろもう少し穏やかにお願いできないのでしょうかね。


それにしても、資源の無い国はみじめですね。わが国は小資源国であるばかりでなく、食料自給率も異常に低く、有り余っていたはずの人口さえも減少に転じましたし、それでいて失業者が増えているというのです。
経済大国だなどと指標だけに踊らされているうちに、私たちの国は根本的におかしくなってきているのではないでしょうか。


わが国がゆったりと堂々とした国家であるためには、いくつもの改善が必要だと思うのですが、その一つとして、わが国の資源を見直す必要があります。
そのカギの一つは、わが国の都市鉱山の開発です。
廃棄された携帯電話や家電には、多くの希少金属が含まれています。新聞記事からの数字ですが、わが国都市鉱山の埋蔵量は、「金」は世界の埋蔵量の16%を占め、「銀」は22%、他にも10%を越えるものがいくつもあるそうです。
もちろん鉱山ですから、掘り出すのに費用はかかりますが、一般の鉱石の含有量に比べて遥かに含有率は高く、採算に乗せるのは可能なはずです。
日本の将来の希望の星、都市鉱山に注目しましょう。

( 2009.03.26 )
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池と沼の違い ・ 小さな小さな物語 ( 37 )

2010-01-10 10:28:48 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
池と沼の違いはカッパがいるかどうか、ですって。
こんなテレビコマーシャル見たことあるでしょう? 最近のテレビコマーシャルの中では秀逸だと思い、見るたびに嬉しくなってしまいます。


カッパといえば、遠野市には「カッパ捕獲許可証」なるものが発行されているそうです。同市の名所カッパ淵に限られるそうですが、有料ですし、捕獲の条件がいくつか付けられていますが、誰でも捕まえられるそうですよ。
一方で、あの有名なツチノコには、捕獲すれば高額の賞金が付けられているそうです。
どちらも幻の生き物のように思うのですが、一方は有料の許可証が発行され、一方は二千万円もの賞金が出る、この違いは何なのでしょう。


これもテレビコマーシャルですが、かつて「違いの分かる男・・・」というものがありました。違いが分かる男というのは魅力あり品格もあるということなのでしょう。
確かに、違いが分からないものが実にたくさんあります。このテレビコマーシャルはコーヒーでしたが、酒類や米などでも銘柄を当てる名人がいるそうですが、素人ではなかなか難しいことです。


他にも違いを見つけるが難しいものがたくさんありますが、その中でも取り分け難しいのが人間のようです。
詐欺師といわれる人が実に立派に見えるのはよく知られていますが、そして、そのようなことは誰でも知っているのですが、やっぱり多くの人が詐欺被害にあってしまいます。
詐欺とまで極端でなくても、人柄といわれるものも案外揺れ動くところがありますし、親切や信用や頼りがいなどでも正確に把握することは難しく、愛情といわれるものさえも同様です。
池と沼とを見分けるような明快な手段は人間関係には存在していないようですが、せめて身近に接する人同士だけは、このようなことを考えなくてよい関係を築きたいものです。

(2009.03.29 )
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夢を見ていますか? ・ 小さな小さな物語 ( 38 )

2010-01-10 10:26:50 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
夢は実現するものだと本気で考えているのは、何歳頃までなのでしょうか。


この設問は少し変ですか?
ただ、年齢とともに、夢は夢として現実とは少し区別して考えるようになるのではないでしょうか。それが何歳頃かは知りませんが、年齢が少なからず影響しているように思うのです。
何歳になっても少年のように夢を抱き続ける人もあるようです。そして、そのような人物をうらやましがったり、憧れたりするかの記事などを見ることも時々あります。


でも、本当にそうなのでしょうか。
いつまでを夢を追い続けている人物は、小説などでは魅力があるのでしょうが、現実生活では、本人はともかく周囲の人は迷惑なことも多いようにも思われるのです。
この夢という言葉、広辞苑によりますと、本来の夢以外に、「はかない、頼み難いもののたとえ」「空想的な願望。心のまよい」「将来実現したい願い。理想」とあります。
夢を抱くといえば「将来実現したい願い」を指すことが多いようですが、広辞苑では「空想的な願望」の方が先に説明されています。説明順序と実現性の順序は関係ないのでしょうかね。


言葉や文字に美醜を付けるのはどうかとは思いますが、夢という言葉は美しいですね。
残念ながら、少年の日に高く掲げた夢が何であったかさえ忘れてしまう年齢になりましたが、夢という言葉には何とも言えない郷愁を感じます。
夢は実現しないものと本気で考えるようになった私などこそ、新たな夢を抱かなくてはならないのかもしれません。

( 2009.04.01 )
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公平な公平 ・ 小さな小さな物語 ( 39 )

2010-01-10 10:25:08 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
割引制度を使って高速道路利用しましたか?
先週の全国の利用状況、ニュースで見る限り、概ね平穏だったようです。
利用者数は、かなりの増加ともいえますし、ゴールデンウィーク並みの人出を予想していた向きには当て外れだったようでもあります。
まあ、料金が安くなるということは有難いことです。


しかし、この制度に不満をお持ちの方も少なくありません。
政治的な立場から意見を異にする人は別にするとしましても、確かに不公平だと思われる部分はあります。
たとえば、フェリー業界はかなり深刻なようです。影響が皆無などとは考えられませんし、競合相手に税金で補填するというのは、明らかに不公平です。
ETC搭載車に限るというのも若干気に入りません。この業界の利権のためだというのは考えすぎかもしれませんが、搭載していない車との差が大きすぎます。
トラックなど貨物車を使っている人たちは、混雑する分だけ利益を奪われることになります。今のところこの人たちに保証するという話を聞きませんが、ずいぶん乱暴な制度のようにも思います。


さらに、車を所有しておらず、この割引制度に全く関係ない人たちにすれば、税金を一部の人のために大盤振る舞いするのはあまりにも不公平だと考えるのも当然ではないでしょうか。
もっとも、反対にいえば、もしこの割引制度が少しでも景気浮揚に役立った場合、全く貢献しなかった人にも恩恵があるということになるかもしれません。
また、ETCを搭載していないため余分な外出を控えることができ、嬉しそうに走り回らなくて済むと考えれば、まんざら悪い制度でもないかもしれません。


いずれにしても、この割引制度に限らず、世の中不公平にできているように思われます。
その大きな原因は、何が公平かということがなかなか難しいことです。
どんな制度でも、家族間のこと、友人関係のこと、いろいろな試験制度、会社の昇進基準、町内会の決めごと、などなど・・・。どれをとっても「不公平な公平」ばかりのようにさえ思われます。
「公平な公平」、本当はそのようなものはないのでしょうか。

( 2009.04.04 )
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