雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

小さな小さな物語 ・ 目次

2010-01-19 19:54:33 | 小さな小さな物語 第一部~第四部

   小さな小さな物語 ・ 目次 (No.81~No.100)


    81    大文字五山の送り火
    82    天の配慮
    83    歴史の曲がり角
    84    有り余る食料
    85    走る姿に感動


    86    移り行く季節
    87    もっと単純に
    88    働きアリはよく働くか?
    89    そこそこで良し
    90    現在を生きる


    91    批判するのは簡単
    92    良い人ばかり
    93    シルバーな生き方
    94    計画的な計画
    95    ご多忙ですか?


    96    変革の時
    97    右利き? 左利き?
    98    新しく生まれるもの
    99    失われてゆくもの
   100    百歳を生きる

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大文字五山の送り火 ・ 小さな小さな物語 ( 81 )

2010-01-19 19:49:15 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
あわただしくお盆が過ぎていきました。
今年は天候不順もあり、梅雨明け宣言はされたとはいえ、実質的には本格的な夏到来を感じさせないままのお盆になりました。
各地のの豪雨は、多くの地点で記録的な降雨量を示し、被害も少なくありませんでした。被災地の方にはお見舞い申し上げます。


さらに今年は、高速道路の料金割引もあって渋滞が予想されていた上に、東名高速というわが国の最も主要な高速道路が被害を受けるという災害もありました。
遠く離れた故里を訪れた方々にとっては、さぞかしお疲れのことと思います。


核家族が進み、住んでいる家で家族の死を看取るということのめっきり少なくなった今日ですが、お盆の行事は形は様々とはいえ多くの人々に引き継がれているようです。
各家庭にお迎えしたご先祖の霊を浄土にお送りするための送り火といわれる大文字焼きは、今なおその伝統は多くの土地で引き継がれています。
忠犬ハチ公にちなんで「大」を「犬」としたという報道もありましたが、難しいことはともかく、微笑ましい演出に拍手を送ります。


送り火といえば、京都の大文字五山の送り火が有名です。私も当ブログで「悠久の狭間で 第二十四回」の中で使わせていただきましたが、何とも幽玄の世界に引き込まれるような荘厳な風物詩です。
だましたりだまされたり、自分が傷つくことばかり気付きますがその何倍も他の人を傷つけるような毎日のように思います。せめて時々は、伝統的な行事に接しながら自分の姿を見つめてみるのも必要な気がしています。

( 2009.08.17 )
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天の配慮 ・ 小さな小さな物語 ( 82 )

2010-01-19 19:47:12 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
いろいろな出来事が重なることがあります。
盆と正月が一緒に来たような忙しさ、と表現されることがありますが、おめでたいことが重なっての多忙なら頑張りがいがあるというものです。


しかし、いろいろな出来事が重なるのは、どうも不幸なことや、不幸までいかなくても負担の大きなことが突発的に加わってくるように思われます。
私たちの生活において、望むことと望まないことが、どのような割合でやって来るのか数えたことはありませんが、もし同程度だとすれば、不幸なことや辛いことばかりやって来るように思うのは、正しい判断ではないように思われます。
ただ、おめでたいことや嬉しいことは大体計画されていることが多く、不幸や苦しいことは突発的にやって来ることが多いため、私たちは「泣きっ面にハチ」といった経験が多いように感じるのでしょう。


とは言っても、辛いことや苦しいことが重なることは確かにあります。
肉体的な限度という面もありますが、精神的な面において限界を超えていると思われるのになお次の問題が降りかかって来ることがあります。
「もう、かんにんしてれ」という状態に追い込まれた経験がある人も少なくないでしょう。


これはドイツのことわざだそうですが、「木は天にまで達しないように配慮されている」という言葉があります。
苦しい状態に陥ると、どこまで苦しめるのだと私たちは考えてしまいます。
おそらく私たちには、試練に対して耐えられる限界はあると思うのですが、どんな大きな木でも天にまでは届かないように神様は配慮されているのだと考えれば、幾ばくかの安らぎになるかもしれません。
そのように考えようと思っています。

( 2009.08.20 )
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歴史の曲がり角 ・ 小さな小さな物語 ( 83 )

2010-01-19 19:45:40 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
どの国にも、またどの民族にも、それぞれに背負っている歴史があります。
ある時には劇的な事件が起こり、ある国家や民族にとって、不幸への道を進むきっかけであったり、豊かな生活を掴むスタートとなることがあります。


歴史という観点から見れば、例えばわが国の歴史を振り返ってみても、「歴史の曲がり角」であったと表現しても過言でないような出来事も少なくないと思います。
さして歴史の知識を持たない私などでも、わが国の歴史に相当の影響を与えたと思われる事件を数え上げてみれば、正確な意味での真否を別にすれば十や二十は簡単に挙げることができます。


何百年あるいは千何百年という時間を経た時代の出来事については、残された資料に基づいて、その出来事がその時代の社会にどれほどの衝撃を与えたのか、ある程度の予測は可能です。
しかし、その当時の国家全体とまでいかなくても、一部であれ相当の規模を持つ集団に対して大きな影響を与えた事件となれば、わずか数百年の間にその大半は消えてしまっているように思われます。
そして、この程度のものも含めて「歴史の曲がり角」であったと考えるとした時、私たちは意外に多くの人が、それも生涯に何度も「歴史の曲がり角」に立ち会っているということになります。ただ、その人々には、「歴史の曲がり角」の演出者として、あるいはその証人としての認識はあるのでしょうか。


選挙戦たけなわの中、予想を伝える報道は「歴史の曲がり角」を予感させるようなものばかりです。
選挙結果による変化が、「歴史の曲がり角」というほどの出来事になるのか、また私たちには、その演出者なり証人なりになる覚悟はできているのかどうか、しきりに考えてしまいます。

( 2009.08.23 )

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有り余る食糧 ・ 小さな小さな物語 ( 84 )

2010-01-19 19:43:19 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
捨てられる食料品の量が問題になっています。
賞味期限や消費期限が過ぎた製品が、メーカーや販売店から膨大な量が捨てられています。飲食店から捨てられる食べ残しなどの生ごみの量も膨大です。家庭から出される期限切れや食べ残しなどの食料品の量も、負けてはならじと膨大です。


最近、手つかずで捨てられる食品ゴミの問題がよく話題になっていますが、食べ残しなどの生ゴミも含めて、これらのことが問題視され始めた発端は、ゴミ処理の問題だったように記憶しています。
増え続けるゴミの処理能力が、多くの自治体で限界に達してきたことからだと思われます。
でも、これ、少し変ですよね。世界には飢えで苦しんでいる人が少なくないんですよ。


衣・食・住といえば、かつては、私たちが生活する上で必要な最も根本的なものと教えられたものですが、今では、ゴミの発生原因として大きな地位を占めています。
食料品でいえば、普通なら食べられるはずの食料品が年間2千万トン以上廃棄されていて、そのうち半分は家庭から出されるものだそうです。


昨年来の急激な経済混乱で、大変厳しい生活を強いられている人たちのことがニュースで何度も流されました。個々の人を例にとれば、大変気の毒な人は確かにいるのでしょう。しかし、全体としては、私たちは食料を無神経に食い散らかせているのではないでしょうか。
「健康のために食べ残す勇気を持ちましょう」と、立派な先生が仰います。
食料自給率が40%そこそこでも、大して危機感も感じないおおらかな国民性。
山ほど出す生ゴミを、生ゴミ処理機で処理しているとご自慢の先進的なご婦人。
自分のことを棚において考えれば、少々私たちは傲慢に過ぎるのではないかと思ってしまいます。
私たちは、もう少し謙虚になって、生活スタイルを見直す必要があるのではないでしょうか。

( 2009.08.26 )
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走る姿に感動 ・ 小さな小さな物語 ( 85 )

2010-01-19 19:41:49 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
世界陸上の男子100メートル競走は大会前から大変な話題でしたが、期待にたがわぬ素晴らしさでした。大接戦というわけではなく、むしろぶっちぎりのレースでしたが、それはそれで興奮を呼ぶものでした。
他にも、成績はともかく、リレー種目やマラソンなども人気が高いようでした。


今朝のNHKの連続ドラマでは、走ることにかけては素人の女性がマラソンに挑戦するというシーンがありました。
大変生意気な言い方になりますが、走り切るなどとても無理な女性が必死に頑張って完走するなどという筋書きは、あまりにも単純で、感動を無理強いされるような気がします。
それでいて、結構感動しながら観てしまうのは、これ、何なのでしょうか。


「走る」という競技は、スポーツとして最も古典的なものではないでしょうか。
おそらく、スポーツという言葉が誕生する遥か昔から、人々は走る速さを競い合ったのではないでしょうか。それも、獲物を捕るためとか、危険から逃れるためといった生存にかかわる部分だけでなく、ただ単純に速さを競う目的だけに走ったのも、相当太古からのことではないでしょうか。


人は、走ることで感動を得ます。それは単なる走力だけでなく、自転車や車や汽車や船や飛行機や、さまざまな道具を使ってでも走ることに感動を覚えるのでしょう。
さらに、それは当事者だけでなく、応援したり観覧する人にも大きな感動を与えます。
現代には、多種多様の競技やスポーツがあり、それぞれ高度な技を競っています。
しかしその中で、最も古典的と思われる「走る」ということからくる感動は、まだまだ健在だと思われます。
私たちが受ける感動という感性は、案外古典的な、そして原始的な感性なのかもしれません。

( 2009.08.29 )
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移り行く季節 ・ 小さな小さな物語 ( 86 )

2010-01-19 19:40:37 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
今日は二百十日。古来台風の来襲が多い日とされています。
立春から数えて二百十日に当たることから名付けられたものですが、現代の暦では概ね九月一日にあたることから、本日を防災の日ともされています。


実は、二百十日に台風が多いというのは必ずしも正しくなく、過去の記録からみれば特別台風が到来しているということではないようです。
ただ今年は、関東から北の地域の人にとって、云われ通りの二百十日になってしまいました。お見舞い申し上げます。


台風との関係は必ずしも事実ではありませんが、節分、彼岸、土用などと同じように、季節点の一つとされています。
昔の農家にとっては、八朔(旧暦八月一日)、二百十日、二百二十日は三大厄日とされ大風の被害を受けることが多かったようです。また、野分といえば、秋から初冬にかけて吹く強風のことを指しますが、二百十日から二百二十日にかけて襲ってくる嵐も野分と呼ばれ恐れられていたようです。


いずれにしても、季節が移り変わる起点の日であります。
新型インフルエンザ、政権交代等々慌ただしい昨今ですが、季節は秋を迎えようとしています。残暑が厳しいとか、夏らしい日が少なかったとか、いろいろなことは言われながらも、季節は着実に、しかも悠々と移り変わっていきます。
今年も三分の二が過ぎました。残りはわずか四か月と感じる人がいれば、まだ四か月もあると思う人もいるでしょう。まあ、何かを計画するには手頃な期間ともいえます。秋から初冬にかけてを、悠々と行きたいものですね。

( 2009.09.01 )
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もっと単純に ・ 小さな小さな物語 ( 87 )

2010-01-19 19:39:08 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
平々凡々と生きているのですが、それでも、いくつもの出来事が重なったり、自分の本意でない意向が独り歩きしたりと、過ぎて行く時間が慌ただしく、動き回ったり考えを巡らしたりしている割には、何もかもはかどらない時があります。


これまでの私個人の経験でも、やたら忙しがったり、物事を複雑にしたがる人を知っています。別に悪意があるわけでもなく、特別要領が悪いわけでもなく、結果として人並み以上の仕事をこなしているのですが、いつでも埋め尽くされたスケジュール帳とにらめっこしているような毎日を送っているのです。
反対に、問題事項を一刀両断、仕事を先に延ばすなどということはなく、できることは素早くこなし、出来ないものは出来ないと堂々と述べる人物も知っています。その行動は単純明快、物事の切り替えが見事なくらい早いのです。


例えばこの二人、どちらが優秀かといえば、これが単純に決められるものではないのです。
仕事面からだけをいえば、素早く処理する人は分かりやすいのですが、同時に出てくる結果も大体予想した通りのものが出てきます。慌ただしく走り回っている人物の方は、期限ぎりぎりに出来上がってくる割には時間に追われているようには見えないものを仕上げるのです。
人は様々、なかなか複雑なものです。


長く生きてくると、義理やしがらみの量が増えてきます。その重さに耐えかねて何もかも投げ出そうと考えることも少なくないでしょう。
そのくせ、それらのものが少しずつ自然消滅しはじめると、これがまた淋しいものです。何とか義理やしがらみの減ったものを埋め合わそうと苦心している人さえいます。
しかし、どうでしょうか。若い人にはお勧めできないかもしれませんが、ある年代になってくれば、もっと単純に生きることが必要なのではないでしょうか。
もっと単純に生きることで、今まで見えなかった何かが見えてくるような気がするのです。

( 2009.09.04 )
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働きアリはよく働くか? ・ 小さな小さな物語 ( 88 )

2010-01-19 19:37:38 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
民主党の圧勝により、いよいよ鳩山内閣の誕生が秒読みとなってきました。
そのことの是非は今回のテーマではありませんが、一企業のトップ交代でも所属する社員は大変ですから、国家のトップが、それもこれまでの路線を多くの部分で否定する形で交代するわけですから、あちらこちら混乱が起きることでしょう。


特に、新政権は官僚による政策の主導を打破することを大きなテーマにあげていますので、各官庁の上位職は対応に苦心されているのではないでしょうか。
政治家による政策推進などはごく当然のことで、ぜひ積極的に進めて欲しいものですが、その政策を実現させていくためには、国会議員も含めた公務員の方々にいかに効率的に働いてもらうかが、わが国にとって重要です。


ところで、アリの集団ですが、彼らには完ぺきな役割分担があるそうです。
働きアリは、集団のために懸命に働き続けます。私たちがよく目にする、行列を作って忙しく動き回っているのは、きっと働きアリなのでしょう。
ところが、働きアリは、そう名付けられているくらいなので、皆が皆よく働くかといえば、それがなかなかそうはいかないようです。
働きアリのうち、よく働くアリ2割、普通に働くアリが6割、怠け者のアリが2割だそうです。そしてこの比率はどの集団でも同じくらいだそうで、よく働くアリばかりを集めて集団を作っても、しばらくすると、(2・6・2)の比率になってしまうそうです。


官僚主導から政治家主導、公務員の職務効率向上などが、これからのわが国にとって重要なテーマなのでしょうが、新政権の手腕に期待するとともに、さて、どうでしょうか、という気持ちも捨てきれません。
公務員と働きアリを一緒にするのは誠に失礼ですが、公務員に限らず、人間社会の多くの集団で(2・6・2)の原則が存在しているように思われます。この原則、努力や工夫で改善できるものでしょうか。
本当は、官僚だ公務員だと大きなことを言う前に、自分自身が普通のクラスに入れるように努力することが大切なのかもしれませんが・・・

( 2009.09.07 )
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そこそこで良し ・ 小さな小さな物語 ( 89 )

2010-01-19 19:36:10 | 小さな小さな物語 第一部~第四部
かつて、こんな経験をしたことがあります。
旅行先で、貴重品を入れた鞄を失くしたことがありました。すっかり落ち込んでしまったのですが、鞄は置き忘れていたもので親切な人が届けてくれていて無事返ってきました。あの時の、激しい落ち込みと反動のような嬉しい気持ちにとても感動しました。
その時の様子につきましては、当ブログで発表済みの「ラスト・テンイヤーズ」のエピローグの中で使わせていただいております。


最近、こんな言葉に出合いました。
「馬がある男を振り落としたが、彼が落ちたところはすみれの茂みだった」
ドイツのことわざだそうで、悪いことばかりは続かない、というたとえのようです。
これと同じような意味の言葉やお話はわが国にもたくさんありますし、世界中の国や民族の多くにもあるようです。
苦しいことや悪いことは、そうそういつまでも続くものではないというのは世界的な常識なのかもしれません。


しかし、苦境にある時私たちは、この苦しみは永遠に続くのではないかと考えてしまうものです。「夜明け前が一番暗い」とか「冬来りなば春遠からじ」などと励まされても、第三者の目で気まぐれに慰められているように思ってしまいます。
厳しい寒さに必死になって耐えている時、もうすぐ春が来るという言葉だけを頼りに耐え続けることは辛いことですし、それに、春は必ずやってくるのでしょうが、それまでこの身が持つという保証はないのですから。


苦境を乗り切る特効薬のようなものがあるのならぜひ教えて欲しいのですが、その小さなヒントとして「そこそこで良し」とする考え方があるように思います。
人生、考えようによっては思いのままにならないことばかりです。嫌なことや辛抱させられることの連続のようにも思われます。
しかし、少し観点を変えれば、違う景色が見えてくるかもしれません。「そこそこで良し」とする考え方が、ほんの少しばかり心の負担を軽くしてくれるかもしれません。
「転んでしまったが、そこはすみれの花畑だった・・・」
このことをラッキーと考えられるような生き方をしたいものです。

( 2009.09.10 )
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