最近、「未来のために現在を犠牲にできるのは、若者の特権だ」と言った意味の言葉を見ました。
こちらはずっと以前に何かで読んだ記憶ですが、過去の思い出だけで現在を生きてゆく老人の話がありました。
若者は未来を見つめて現在を生き、老人は過去を思い起こすことで現在を生きる・・・、確かに納得性があるように思います。
しかし、考えてみますと、生きるということは現在だけのことであって、未来であれ過去であれ、それらは思い浮かべることはできるとしても、そこに生きるということはできないのではないでしょうか。SFの世界のような状況はあり得ないという前提ですが。
ある程度の年齢を重ねてきますと、おそらくかなり多くの人が認識していることだと思うのですが、果たして若い頃、未来のためにどれほどの努力をしたかと忸怩たる思いがあり、同時に、毎日の生活の糧になるほどの過去があったのだろうかと考えさせられることが少なくありません。
私たちは、いろいろ理屈を言ってみても、所詮現在にしか生きることができません。未来に夢を託し、過去の経験を糧にすることで、より豊かな現在を生きることができるとしても、やはり現に生きている今は現在でしかありません。
少々理屈っぽくなりましたが、むしろ若い人ほどたとえそれがいかに貧しいものであっても過去を生かすことが大切であり、歳を取れば取るほど未来の夢を大きく持つことが必要だと思うのです。
夢多き年寄りでありたいと思っています。
( 2009.09.13 )
こちらはずっと以前に何かで読んだ記憶ですが、過去の思い出だけで現在を生きてゆく老人の話がありました。
若者は未来を見つめて現在を生き、老人は過去を思い起こすことで現在を生きる・・・、確かに納得性があるように思います。
しかし、考えてみますと、生きるということは現在だけのことであって、未来であれ過去であれ、それらは思い浮かべることはできるとしても、そこに生きるということはできないのではないでしょうか。SFの世界のような状況はあり得ないという前提ですが。
ある程度の年齢を重ねてきますと、おそらくかなり多くの人が認識していることだと思うのですが、果たして若い頃、未来のためにどれほどの努力をしたかと忸怩たる思いがあり、同時に、毎日の生活の糧になるほどの過去があったのだろうかと考えさせられることが少なくありません。
私たちは、いろいろ理屈を言ってみても、所詮現在にしか生きることができません。未来に夢を託し、過去の経験を糧にすることで、より豊かな現在を生きることができるとしても、やはり現に生きている今は現在でしかありません。
少々理屈っぽくなりましたが、むしろ若い人ほどたとえそれがいかに貧しいものであっても過去を生かすことが大切であり、歳を取れば取るほど未来の夢を大きく持つことが必要だと思うのです。
夢多き年寄りでありたいと思っています。
( 2009.09.13 )