雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

心にくきもの

2014-08-04 11:00:45 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百八十九段  心にくきもの

心にくきもの。
もの隔ててきくに、女房とはおぼえぬ手の、忍びやかに、をかしげにきこえたるに、こたへ若やかにして、うちそよめきてまゐる気はひ。
もののうしろ、障子など隔ててきくに、御膳まゐるほどにや、箸・匙などとりまぜて鳴りたる、をかし。提子の柄の倒れ伏すも、耳こそとまれ。
よう打ちたる衣の上に、騒がしうはあらで、髪の振りやられたる、長さ推し量らる。
     (以下割愛)


奥ゆかしいもの。
物を隔てて聞いていると、女房とは思われない手の音が、物静かに、品よく聞こえたと思うと、若々しい返事があって、衣ずれの音もさわさわと参上する気配が伝わってくる様子。(若々しい女房と、雅やかな女主人との呼吸が奥ゆかしい)
何かの後ろや、障子などを隔てて聞くと、お食事を召し上がるのでしょう、箸や匙(カヒ・飯を掬う食器)などが混ざり合って音を立てているのも、ちょっといいものです。提子(ヒサゲ・金属製でつるが付いていて、酒などを入れる容器)の柄が横倒しになる音も、聞き耳を立ててしまいます。
十分に打って艶を出した衣の上に、乱れかかるという風ではなく、髪がさっと振りかかっているのは、その長さを推量したくなるものです。

家具や調度が立派に整えられた部屋で、日が暮れてきても大殿油はお灯しもせず、炭櫃などにとてもたくさん熾している炭火の光ぐらいが照り返っているところに、御帳台の紐などが艶やかに少し見えているのは、とてもすばらしい。御簾の帽額(モカウ)、総角(アゲマキ・御簾を引き上げてとめるための紐)などに御簾を引き上げた釣手などが、くっきりと光っているのも、あざやかに見えている。
立派な細工の火桶の、灰はきれいに掻きならしてあって、熾してある炭火で、内側に描かれている絵などが見えているのも、いいものです。火箸が、とても際立って艶やかで、斜めに立ててあるのも、とても風情があります。

夜がたいそう更けて、中宮さまもおやすみになり、女房たちもみな寝についた後で、外の方に向かって、殿上人などに何か話す声や、奥の部屋で、碁石を碁笥に入れる音が何度も聞こえるのは、なかなか奥ゆかしい。と思うと、火箸を忍びやかに突きさす音もあって、「まだ起きているらしい」と聞き取れるのも、とても気になります。やはり、寝ずにいる人のことは、興味津々です。
人が寝ているところを、何かを隔てて聞く時、特に真夜中などは、ふと目を覚まして耳にするのですが、「どうも起きているらしい」とは分かるものの、話の内容は聞こえないし、男も、忍びやかに笑ったりしているのは、「何を話しているのだろう」と好奇心が湧いてきてしまう。

まだ中宮さまもおいでになり、女房などが伺候しているところに、殿上人や典侍など、気楽に応対できないような人たちが参上した時、お側近くで中宮さまがお話などされる間は、大殿油も消してあるが、長炭櫃の火に照らされて、物の細かな所までよく見える。
殿方たちにとっては関心の深い新参の女房で、いつもお目にかかるというほどの身分ではないのだが、少し時刻も過ぎてから御前に出仕したところ、さやさやと鳴る衣ずれの音も感じよく、膝行してお側に控えていると、中宮さまは何か小声で言葉をお掛けになられ、その女房は初々しく遠慮がちに、声のよしあしも聞き取れそうもないくらいにお答えし、あたりは静まり返っている。
女房たちは、ここかしこに集まって坐っていて、お話をしたり、御前から下がったり側近くに膝行したりする衣ずれの音などは、うるさいほどではないが、「誰それらしい」と聞き分けられるのも、とても気持ちがそそられます。

内裏の個室などで、多少緊張する身分の男性が来ているので、こちらの灯は消しているが、そばの灯の光が、隔てている物の上から差し込んでいるので、何とか内部の様子がぼんやりと分かるが、二人は低い几帳を引きよせて、昼間はそう公然とは顔を合わせない人なので、几帳の陰に添い臥して、寄せ合った頭の髪形のよしあしは、隠しようがなさそうです。
直衣や指貫などは、几帳にうち掛けている。こちらは気を使っているのですから、公卿とはいわないまでも、六位の蔵人の青色の袍でも、まあいいでしょう。しかし、ただの六位の緑杉色の袍ときたら、足もとの方に丸めこんで、明け方にも探し出せないようにして、帰ろうとする男をまごつかせてやりたいと思ってしまいます。
夏でも冬でも、脱いだ着物を几帳の片側にひっかけて、女の人が寝ているのを、部屋の奥の方からそっと覗くのは、なかなか面白いものですよ。

薫物(タキモノ)の香りは、実に奥ゆかしい。
五月の長雨の頃、上の御局にある小戸の簾に、斉信の中将が寄りかかって坐っておられた時の香りは、本当に結構なものでしたよ。「何々の香り」だとは分からないし、あたりは雨に湿っていて香りも一層強く漂うので、珍しくもないことですが、どうしても言わないではおれません。
翌日まで、その香りが御簾にしみ込んで匂い立っているのを、若い女房たちがうっとりと感動していたのは、もっともなことですよ。

格別に目立つ身なりでもない従者の、背の高いのや低いのを、大勢引き連れているのよりも、少し乗り馴らしてある車の、とても手入れが行き届いているのに、牛飼童が、実にぴったりとした身なりで、牛がひどくはやり立っているのを、童は足が間に合わないくらい綱に引かれて走らせていて、そこに、すっきりと細身の従者で、裾濃なんかの袴、色は二藍かなんかで、上はいかにも似つかわしい掻練や山吹色などを着たのが、沓のとてもつやつやしたのを履いて、車の筒のそばを離れないで走っているのは、かえって奥ゆかしく見えるものです。



「心にくし」は、参考書や辞書などでも「奥ゆかしい」となっていますが、この段に書かれているそれぞれを見ますと、少し違うニュアンスのような気もします。
冒頭部分は、「女主人と若い女房の振る舞いが奥ゆかしい」ということなのでしょうが、興味深いものとか、気になることも例示されています。中には「覗き趣味」といえば言い過ぎかもしれませんが、奥ゆかしいとはかなり違う感覚の様子も加えられています。
ただ、いずれもが女房たちを中心としたことなので、少納言さまの日常を探る参考にはなりそうです。
コメント
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