葬送の歌 ・ 今昔物語 ( 24 - 40 )
今は昔、
円融院の法皇(第六十四代円融天皇)が崩御されて、紫野(ムラサキノ・平安京の北方一帯を指した)に御葬送申し上げたが、先年、この地に子の日の行幸(新年最初の子の日に、若菜を摘んだり小松を抜くなどして長寿息災を祈る行事)があったことなどが思い出されて、人々は深い悲しみに打たれていたが、閑院左大将朝光(カンインノサダイショウアサテル)大納言は、このような歌を詠んだ。
『 むらさきの くものかけても 思(オモヒ)きや はるのかすみに なしてみむとは 』 と。
( 紫の雲(聖衆の来迎を意味する瑞雲)がかかっているこの紫野の地に、子の日の行幸を楽しまれたが、春の霞のように虚しくなられるとは誰が予期したとだろう)
また、行成(ユキナリ・藤原氏)大納言はこう詠んだ。
『 をくれじと つねのみゆきに いそぎしに 煙(ケブリ)にそはぬ たびのかなしさ 』 と。
( 日頃の行幸には遅れないようにとお供申し上げていたのに、冥土への旅にはお供出来ないことが、とても悲しい)
このように詠んだのも哀れなことだ、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
今は昔、
円融院の法皇(第六十四代円融天皇)が崩御されて、紫野(ムラサキノ・平安京の北方一帯を指した)に御葬送申し上げたが、先年、この地に子の日の行幸(新年最初の子の日に、若菜を摘んだり小松を抜くなどして長寿息災を祈る行事)があったことなどが思い出されて、人々は深い悲しみに打たれていたが、閑院左大将朝光(カンインノサダイショウアサテル)大納言は、このような歌を詠んだ。
『 むらさきの くものかけても 思(オモヒ)きや はるのかすみに なしてみむとは 』 と。
( 紫の雲(聖衆の来迎を意味する瑞雲)がかかっているこの紫野の地に、子の日の行幸を楽しまれたが、春の霞のように虚しくなられるとは誰が予期したとだろう)
また、行成(ユキナリ・藤原氏)大納言はこう詠んだ。
『 をくれじと つねのみゆきに いそぎしに 煙(ケブリ)にそはぬ たびのかなしさ 』 と。
( 日頃の行幸には遅れないようにとお供申し上げていたのに、冥土への旅にはお供出来ないことが、とても悲しい)
このように詠んだのも哀れなことだ、
となむ語り伝へたるとや。
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