雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

今昔物語 巻二十四  表題

2017-02-11 13:48:15 | 今昔物語拾い読み ・ その6
               今昔物語集 巻二十四

今昔物語集巻二十四は、全体の中の位置付けとしては『本朝世俗部」にあたります。
収録されている物語は、全部で五十七話あり、比較的数が多い巻といえます。

その内容は、主として一芸一能に秀でた人物のエピソードが中心となっていて、政治の中心部にいた人物の逸話とは少し違う形の歴史の断面が見られるのではないでしょうか。 
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天人が舞う ・ 今昔物語 ( 巻24-1 )

2017-02-11 13:46:21 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          天人が舞う ・ 今昔物語 ( 巻24-1 )

今は昔、
北辺の左大臣(キタノヘのサダイジン)と申す人がおいでになった。
名を信(マコト・姓は源)と申され、嵯峨天皇の御子である。一条の北辺あたりに住んでおられたので、北辺の大臣(オトド)と申すのである。
万事につけて優れておられたが、なかでも管弦の道に特に堪能であられた。その中でも箏(ショウノコト・十三弦の琴)は並ぶ者がないほど上手に弾かれた。

さて、大臣がある夜、筝をお弾きになったが、夜もすがら興を催すままに弾き続けられた。夜明け方になり、難局とされるとっておきの曲を弾いているうちに、我ながら「すばらしい曲だ」と聞きほれていると、すぐ目の前の放出(ハナチイデ・母屋から外に張り出した部屋)の引き上げられている格子戸の上に、何かが光ったように見えたので、「何の光であろうか」と思われて、そっと見ていると、身長が一尺ばかりの天人が二、三人ほどいて舞っている光であった。
大臣はこれを見て、「わたしが妙手を振るって箏を弾いているのを聞いて、天人が感動して降りてきて舞っているのだ」と思われた。そして、何とも貴いことだと思われた。
まことにこれは、驚くほど素晴らしいことである。

また、中納言長谷雄(姓は紀)という博士がいた。世に並ぶ者がないほどの学者である。
その人が、月の明るい夜、大学寮の西の門より出て、礼[(欠字あり未詳)]の橋の上に立って北の方を見てみると、朱雀門の二階に、冠をつけ襖(アオ・武官が着る袍)を着ていて、身の丈が垂木近くまである人が詩歌を吟唱して廻り歩いていた。
長谷雄はこれを見て、「私は、何と、霊人(リョウニン・神霊が化した人)を見た。我ながら素晴らしいことだ」と思った。
これもまた不思議なことである。

昔の人には、このような不思議なことなどをはっきりと見た人がいたのだ、
と語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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からくり人形 ・ 今昔物語 ( 巻24-2 )

2017-02-11 13:43:44 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          からくり人形 ・ 今昔物語 ( 巻24-2 )

今は昔、
高陽親王(カヤノミコ・賀陽とも)と申す人がおいでになった。この方は、桓武天皇の御子である。(「桓武」の部分は意識的な欠字になっている)
極めて細工の上手な工芸の名人であった。京極寺という寺があるが、その寺院はこの親王が建てられた寺である。この寺の前の川原にある田は、この寺の領地であった。

ところで、国中が旱魃となった年、あらゆる所の田がみな焼けてしまうと大騒ぎになったが、ましてこの田は、賀茂川の水を引き入れて作る田なので、その川の水が涸れてしまったとなると、一面の空き地のようになってしまい、苗も皆赤くなってしまいそうであった。
そこで、高陽親王は、その対策をお考えになり、身長が四尺ほどの童子が左右の手に容器を高く捧げて立っている人形を造って、この田の中に立てた。人がその人形が持っている容器に水を入れると、その度に顔に流しかける仕掛けを造ったので、これを見た人は、水を汲んできては人形の持っている容器に入れると、水を入れるたびに顔に流しかけ流しかけするので、これを面白がって、次々に口伝えで広めたので、京じゅうの人が列をなして集まり、水を容器に入れては人形の様子を見て大騒ぎした。

このようにしているうちに、その水が自然にたまって、田には水が満ちた。そこで、童子を取り外して隠した。また、水が乾くと、童子を出してきて田の中に立てた。そうすると、また前のように人が集まってきて水を入れたので、田には水が満ちた。このようにして、その田は少しも焼けることがなかった。
これはすばらしい仕掛けである。これも御子の優れた技術と、優れた仕掛けによるものだと人々は褒め称えた、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆
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砧で打った衣 ・ 今昔物語 ( 巻24-3 )

2017-02-11 13:42:52 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          砧で打った衣 ・ 今昔物語 ( 巻24-3 )

今は昔、
小野宮の大臣(オノノミヤのオトド・藤原実頼、970年没)が大饗(ダイキョウ・大臣主催の大宴会)を開催なされた時、九条大臣(藤原師輔)は主賓としてお越しになられた。
その時の御引き出物としていただかれた女の装束に添えられていた、砧(キヌタ・衣の光沢を出すために使われた)で打った紅の細長(ホソナガ・女性の衣服の一種)を、不注意な先導の従者が受け取って出て行こうとしたが、取りそこねて鑓水(ヤリミズ・庭に造られた人工の小川)に落としてしまった。慌てて拾い上げて、水を打ち振るったところ、水は散って乾いてしまった。そして、その濡れた方の袖はまったく水に濡れたようには見えず、濡れなかった方の袖と見比べても、全く同じように打ち目が見えた。
これを見ていた人は、この砧で打った衣のすばらしさを褒め称えた。

昔は、砧で打った衣も、このようにすばらしかった。今の世では、とてもあり得ないことである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


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変な名人 ・ 今昔物語 ( 巻24-4 )

2017-02-11 13:41:45 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          変な名人 ・ 今昔物語 ( 巻24-4 )

今は昔、
○○天皇(天皇名は、意識的な欠字となっている)の御代に右近衛府の陣に○○(意識的な欠字)の春近という舎人がいた。蹴鞠のたいそうな上手であった。
その春近が、後方の町にある井戸の井筒に寄りかかって立ち、「若い女たちが大勢いるので見せてやろう」と思って、刀の鞘からカミガキ(髪をかき上げる小道具。こうがい)を取り出して、手の爪の上に立たせて、井戸の上に差し出し、四、五十回ほど宙返りさせたので、人が集まってきてこれを見て面白がり、大変感嘆した。

そうしていると、年老いた一人の女がやって来て、これを見て、「面白いことをなさるお人だ。昔でも、こんな技をなさる人はいなかった。さて、私も真似をして見よう」と言って、袖に刺していた針を抜き出して、糸をつけたまま爪の上で四、五十回ほど宙返りさせたので、これを見ていた人たちは驚嘆した。
これを見て春近は、[ 漢字表記を期した意識的な欠字らしい。「たいへん恥ずかしく思った」といった意味の文字か? ]して、カミガキを鞘に収めてしまった。
これは、どちらも驚くべき技である。

昔は、このようなほんのつまらないことであっても、このような見事な技をする者がいたのだ、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆
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技能比べ ・ 今昔物語 ( 巻24-5 )

2017-02-11 13:41:01 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          技能比べ ・ 今昔物語 ( 巻24-5 )

今は昔、
百済川成(クダラノカワナリ)という絵師がいた。世に並ぶ者がないという名人であった。
滝殿(滝のある殿舎の意味か? 大覚寺の滝殿とも)の庭石もこの川成が造ったものである。同じ御堂の壁画もこの川成が描いたものである。

ある時、川成の従者である童子が逃亡した。あちらこちらを捜したが見つからないので、ある貴族の下男を雇って、「私の家で長年使ってきた従者の童子が、どうやら逃亡してしまったらしい。これを捜して捕まえてきてくれないか」と頼み込んだ。その下男は、「お安いことですが、その童の顔も知りませんので、とても捕まえられません」と答えた。
川成は、「確かにその通りである」と言うと、懐紙を取り出して、童子の顔だけを描いてその下男に渡して、「これに似た童子を捕えてくれ。東・西の市は人が集まる所だ。その辺りに行って捜してほしい」と言うと、その下男は似顔絵を手にして、市に出かけた。

市には大勢の人がいたが、似顔絵に似た童子は見当たらない。しばらくいるうちに、「もしかすると見つかるかもしれない」と思いはじめた頃、よく似た童子が姿を見せた。似顔絵を取り出して見比べてみると、全くそっくりだった。
「この童子だ」と思って捕まえて、川成のもとに連れて行った。川成がその童子を見てみると、逃亡した従者の童子だったので、大変喜んだ。
当時の人々の間で、この話を聞いて、似顔絵の巧みさをたいしたものだと評判となった。

ところで、その当時、飛騨の工(タクミ)という工匠がいた。この平安京に都移りする時に活躍した工匠で、世に並ぶ者がないという名人であった。
武楽院(ブラクイン・大内裏内の殿舎の一つ。豊楽院のこと)はこの工が建てたものなので、このようにすばらしいのであろう。
さて、この工はあの川波とそれぞれの技を競い合っていた。ある時、飛騨の工が川成に、「私の家に、一間四方の堂を建てました。おいでになられてご覧下さい。また『壁に絵などを描いていただきたい』と思っております」と言った。
互いに競い合っていたが、仲は良く冗談を言い合うような間であったので、川成は「それで誘ってくれたのだろう」と思って、飛騨の工の家を訪れた。行って見ると、実に趣のある小さな堂があった。四面の戸が皆開いていた。

飛騨の工が、「あの堂に入って、中をご覧下さい」と言うので、川成は縁に上がり、南の戸より入ろうとしたが、その戸がパタンと閉じた。驚いて、廻って西の戸より入ろうとした。すると、その戸もパタンと閉じた。そして、南の戸は開いた。
それでは北の戸より入ろうとすると、その戸が閉じて西の戸が開く。また、東の戸から入ろうとすると、その戸が閉じて北の戸が開く。
このように、ぐるぐる回って何度も入ろうとしたが、閉じては開きして入ることが出来ない。そこで、仕方なく縁から下りた。
その時、飛騨の工は大笑いすること限りがなかった。川成は、「悔しい」と思いながら帰った。

その後、数日を経て、川成が飛騨の工に使いを出して、「私の家においでください。お見せしたい物があります」と伝えた。
飛騨の工は、「きっと自分をたぶらかそうとしているに違いない」と思って行かずにいると、度々丁寧に招くので、工は川成の家に行き案内を請うと、「こちらへお入りください」と案内された。
案内されるままに、廊下にある遣戸(ヤリド・引き戸)を引き開けると、部屋の中のすぐそこに、大きな人間が、黒ずみ、膨らんで、腐って横たわっていた。臭い刺激臭が鼻に突き刺さるようであった。

思ってもいなかったこのような物を見たので、飛騨の工は、悲鳴を上げ怖れおののいて飛び出した。部屋の中にいた川内は、この声を聞いて大笑いすること限りなかった。
飛騨の工は、「怖ろしい」と震えながら庭に立ちすくんでいると、川成はその遣戸より顔を出して、「やや、どうなされた。私は此処にいますぞ。どうぞ、お入りください」と言うので、工が怖々近寄って見ると、衝立があり、何と、それに死人の絵が描かれていたのである。堂でたぶらかされたのが悔しくて、このような事をしたのである。

二人の技量は、これほどのものであった。その当時は、この話があらゆる所で噂され、すべての人がこの二人を褒め称えた、
となむ語り伝へたるとや。

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碁の名人 (1) ・ 今昔物語 ( 巻24-6 )

2017-02-11 13:39:02 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          碁の名人 (1) ・ 今昔物語 ( 巻24-6 )

今は昔、
第六十代醍醐天皇の御時に、碁勢(ゴセイ)と寛蓮(カンレン)という、碁の名人である二人の僧がいた。
寛蓮は家柄も賤しくなく、宇多院(第五十九代天皇)の殿上法師(昇殿を許された法師)であったので、内裏にも常にお召しになって、碁の相手にされていた。天皇もたいそう上手であったが、寛蓮には先手二目を置いて打たれていた。

常々このようにしてお打ちになっておられたが、ある時、金の御枕を懸け物にしてお打ちになられたが、天皇がお負けになり、寛蓮はその御枕を賜って退出したが、天皇はそれを血気盛んな若い殿上人に奪い取らせた。このように、懸け物として賜って退出するところで奪われるということが度々であった。
そうしたある時、またも天皇がお負けになって、寛蓮がその御枕を賜って退出するところを、いつものように若い殿上人が何人もで追いかけて奪い取ろうとした時、寛蓮は懐よりその枕を引きだして、后町(キサキマチ・内裏内の一部)の井戸に投げ入れたので、殿上人は皆帰って行った。
その後、井戸の中に人を降ろして枕を取り上げてみると、それは、木でもって枕を造り金箔を押した物であった。何と、寛蓮は本当の金の御枕を持って退出してしまったのである。同じような枕を造って持っていて、それを投げ入れたのである。
そうして、手に入れたその枕を少しずつ打ち割って、それでもって仁和寺の東の辺りにある弥勒寺という寺を建立したのである。
天皇も、「うまく謀ったものだ」と、お笑いになったという。

こうして、いつも参内していたが、ある時、内裏を退出して、一条大路を通り仁和寺に行くとて車を進めていたが、西の大宮大路の辺りで、衵(アコメ)と袴を着けた、こぎれいな姿の女の童が、寛蓮の童子の一人を呼び止め、何か話しかけた。
「何を言っているのだろう」と寛蓮が思いながら振り返って見ると、童子が車の後ろに寄ってきて、「あれに控えている女の童がこのように申しております。『ほんの少しばかり、この近くの所にお寄りください。「申し上げるべきことがあるとお伝えせよ」と仰る御方がお出でです』と申しております」と言う。

寛蓮はこれを聞いて、「誰がそのようなことを言わせたのか」と不審に思ったが、その女の童の言うままに車を進めさせた。
土御門大路と道祖(サエ)大路の交わる辺りに、桧垣を廻らした押立門(オシタテモン・屋根はなく、左右の門柱に扉をつけた門)のある家があった。
「ここです」と、女の童が言うので、そこで降りて中に入った。見てみると、前面に放出(ハナチイデ・母屋から張り出した建物で、接客用)が設けられた広廂がある板葺きの平屋で、前庭には籬(マガキ・竹などで目を粗く作った垣)を結い、植え込みも趣きあるもので、砂などもまかれている。粗末な小家であるが風流を感じさせるたたずまいである。
寛蓮が放出に上がってみると、伊予簾(高級品とされる)が白い状態で掛けられている。秋の頃のことなので、夏の几帳が清らかに簾に重ねて立てられている。その簾のそばに、つややかに拭き込まれた碁盤がある。碁石の笥(ケ)は美しく上等そうで碁盤の上に置かれている。その傍らに、円座が一つ置かれていた。

寛蓮がそこから離れて座っていると、簾の内で奥ゆかしく愛らしい女の声がして、「こちらにお寄りください」と言うので、碁盤のそばに寄って座った。 
女は、「あなたは、当代に並ぶ者がない碁の名手と聞いております。それにしましても、どれほどの碁をお打ちになるのか、ぜひ拝見したいと思っておりました。実は私の父であった人が、『少しは素質がある』と思われてか、『少し打ってみよ』と教えてくくれたのですが、その父が亡くなってからは、こういう遊びもあまりしなくなっていましたが、あなたが今日ここを通られるとお聞きしたものですから、失礼ながら・・・」と言う。
寛蓮は女の言葉を聞いて、笑いながら、「とても面白いことをおっしゃられますなァ。それにしても、どれほどお打ちになられるのか。何目ばかりお置きになりますか」と言って、碁盤のそばに近寄った。
その間、簾の間より香のかおりが芳しく漂ってくる。侍女たちは、簾越しに覗き見している。         

                                            ( 以下、(2)に続く )

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碁の名人 (2) ・ 今昔物語 ( 巻24-6 )

2017-02-11 13:37:39 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          碁の名人 (2) ・ 今昔物語 ( 巻24-6 )

( (1)より続く)

さて、寛蓮は、見知らぬ女に誘われて碁を打つことになった。
寛蓮は碁石の笥(ケ)を一つ取り、今一つを簾の内に差し入れると、侍女の一人が、「[ 破損による欠字。内容の推定難しい。]してください。そのままそこにおいてください」と言い、「面と向かって、恥ずかしくて碁など打てません」と言う。( この辺りにも破損による欠字があり、推定した。)
寛蓮は、「何ともおかしなことを言うものだ」と心の内に思ったが、碁石の笥を二つとも自分の前に戻して置き、「女の言うことを聞こう」と思い、笥の蓋を開け、石を鳴らしていた。
この寛蓮は、風流気がありそうした心得もあったので、宇多院からも相当の風流人と思われているほどであったから、この女の様子にもたいそう興味を持ち、面白いことだと思ったのであろう。

やがて、几帳の隙間から、巻数木(カンジュギ・・祈祷の時などに、読誦した経巻などの名称・度数などを記した紙片を結び付けておく棒)のように削った、白くてきれいな二尺ほどの木が差し出され、「私の石は、まずここに置いてくださいませ」と言って、中央の聖目(セイモク・碁盤の目の上に打たれた九つの黒点)を差した。そして、「何目か置かせていただくべきですが、まだお互いの力が分かっておりませんので、『そうすることも出来ない』と思いまして、まずはこの一局は、私が先手ということにさせていただき、力の差が分かれば、十目でも二十目でも置かせていただきます」と言うので、寛蓮は言われるままに中央の聖目に女の石を置いた。そして、次に寛蓮が打つ。

女が打つ手は木で教えたので、それに従って打って行くうちに、寛蓮の石は皆殺しにされてしまった。わずかに生き残っていた石も、駄目を埋め合っているうちに、それほど手数を進めないうちに、大方囲まれてしまって、とても手向かいできそうもない。
その時、寛蓮は思い至った。「これは何とも不思議なことだ。この女は人間ではなく変化(ヘンゲ・神仏や妖怪などの化身)の者に違いない。私と対局して、現在これほどの差を付ける者がいるだろうか。たとえ、どれほどの上手だとしても、このように皆殺しにされてしまうことなどあるまい」と。
寛蓮は怖ろしくなり、布石を崩した。

そして、物も言えずにいると、女は少し笑いを含んだ声で、「もう一局いかがでしょうか」と言ったが、寛蓮は、「このように怖ろしい者には、二度と物を言わない方が良い」と思って、草履も履くや履かない状態で逃げ出し、車に乗り込み仁和寺に逃げ帰った。
それから宇多院の御前に参り、「このような事がありました」と申し上げると、宇多院も、「いったい誰であろう」と不審に思われ、次の日に、その場所に人を遣わして尋ねさせたが、その家には誰もいなかった。ただ、留守をしている今にも死にそうな様子の女法師が一人いた。それに、「昨日ここに居られた人は如何した」と尋ねると、「この家には、五、六日ばかり、東の京(左京)から方違えのためとかで見えられた方がいましたが、昨夜お帰りになりました」と言う。宇多院の使者は、「そのお見えになっていたお方は、何というお方か。また、いずれにお住まいか」とさらに尋ねたが、女法師は、「私はどなたかは存じません。この家の主は筑紫に下向しております。その知り合いの方ではないでしょうか。[ 破損による欠字。「詳しくは」といった語句か? ]存じません」と答えた。
使者は、[ 破損による欠字。「宇多院にその旨報告し、それ以上の追及は」といった意味の文章があったか? ]ないままで終わった。
天皇(醍醐天皇)もこの話をお聞きになり、たいそう不思議に思われた。

当時の人は、「人間であったなら、寛蓮と勝負してどうして皆殺しにするような打ち方が出来ようか。これは変化の者などが現れたのであろう」と疑った。
その頃世間では、この話で持ちきりであった、
となむ語り伝へたるとや。

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優れた医師たち ・ 今昔物語 ( 巻24-7 )

2017-02-11 13:36:52 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          優れた医師たち ・ 今昔物語 ( 巻24-7 )

今は昔、
典薬頭(テンヤクノカミ・典薬寮の長官。医薬を司る)[ 意識的な欠字。姓名が入るが、隠したというより、あやふやであったらしい。 ]という人がいた。その道に関しては大変優れた医師(クスシ)であったので、公私に渡って重んじられる人であった。
ある年の七月七日、典薬頭の一族の医師たちや下級の医師たちから使用人に至るまで、一人残らず典薬寮に集まって宴会を催した。この日は、庁舎の大広間に長莚を敷きつめて、そこに居並んで、各自が一種類ずつ酒肴を持ち寄って楽しむ日であった。

その時、年のころ五十ばかりで、それほど身分の低い者とは見えない女が、浅黄色の張単(ハリヒトエ・布地に糊をしてこわく張らせた単衣)に粗末な袴を着け、顔色が青鈍(アオニビ・薄い藍色)色の練り絹に水を含ませたような色をして、全身がぶよぶよに腫れた姿で、下女に手を引かれて庁舎の前に現れた。
典薬頭はじめ皆がその女を見て、「お前は一体何者だ。どこの者だ」と集まってきて尋ねると、この腫れた女は、「私は、このように腫れた姿になって五、六年になります。それを『皆様方に何とか診察していただきたい』と思いながらも、片田舎に住んでおりますので、往診をお願いしてもおいで下さるはずがありませんので、何とか皆様方が一ヶ所にお集まりの時におじゃまして、それぞれのご診断を承らんと思いました。お一人お一人別々に診ていただきますと、それぞれ違った診断をなさいますので、どれに従えば良いか分からず、具合の良い治療が出来ませんでした。ちょうど、今日皆様がこのようにお集まりと聞きまして、参ったのでございます。ですから、ぜひご診断くださって、治療法をお教えくださいませ」と言って平伏した。

典薬頭をはじめとして皆はこれを聞くと、「なかなか賢い女だ。確かにその通りだ」と思った。
典薬頭は、「如何じゃ、おのおの方。あの女を治療なされぬか。私は、あれは寸白(スンパク・サナダ虫などによる病気全般を指す)だと思うが」と言って、一同の中で優れていると思われる医師を呼んで、「あの女を診てやれ」と言うと、その医師は女のそばによって診察すると、「確かに寸白でございましょう」と言った。
「では、それをどう治療すればよいか」と訊くと、その医師は、[ 欠文があるらしい。医師が治療法について述べているらしい。]抜くに従い、白い麦(ひや麦・うどんなどを指すか?)のような物が出て来た。それを取って引くと、綿々と続き長々と出て来た。出てくるのに従って庁舎の柱に巻きつけていった。巻いていくに従い、この女の顔の腫れが引き、顔色もどんどん治っていった。

柱に、七尋(ナナヒロ・ヒロは大人が両手をいっぱいに広げた長さ。2m弱くらい)、八尋ばかり巻くと、出尽くして出て来なくなった。
その時には、この女の目鼻の様子はすっかり治り、顔色も普通の人のようになった。
典薬頭はじめ大勢の医師たちは、皆これを見て、この女がこのような所に来て病を治したことを感心し、限りなく褒め称えた。
その後、女が、「この後はどのような治療をすればよろしいでしょうか」と尋ねた。医師は、「ただ慧苡湯(ヨクイトウ・ハトムギを煎じた物か?)で患部を温めるが良い。もはやそれ以外の治療は不要である」と言って帰らせた。

昔は、このように下級の医師の中にも、たちどころに病を治す者たちがいた、
となむ語り伝へたるとや。

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迷える名医 (1) ・ 今昔物語 ( 巻24-8 )

2017-02-11 13:35:53 | 今昔物語拾い読み ・ その6
        迷える名医 (1) ・ 今昔物語 ( 巻24-8 )

今は昔、
典薬頭(テンヤクノカミ・典薬寮の長官)にて、[ 意識的な欠字。姓名が記される部分 ]という優れた医師がいた。当代に並ぶ者がないという人物であったので、人々は皆この人を重んじていた。

ある時、この典薬頭の屋敷に、たいそう美しく装った女車が衣の裾を華やかにこぼれさせて入ってきた。
典薬頭はこれを見て、「どなたの車ですか」と尋ねたが、答えもせずにどんどん入ってきて、車から牛を離し、車の頸木(クビキ・牛車の先端の横木)を蔀(シトミ・格子組の片面に板を張った戸)の木にかけて、雑色(ゾウシキ・雑役に従事する小者)たちは門の脇に控えた。
典薬頭は車のそばに近付き、「これはどなたのお越しですか。どのようなご用でおいででしょうか」と尋ねると、車の内からは、誰だとは答えず、「しかるべき所に局(ツボネ・間仕切りをした部屋)を用意して降ろしてください」と可愛くて気品のある声で言う。この典薬頭は、もともと色好みで多情な老人であったから、屋敷の隅で人目に立たない部屋を大急ぎで掃除し、屏風を立て畳を敷くなどして、車のそばに寄り、用意が出来たことを伝えると、女は、「では、離れてください」と言う。

典薬頭は少し離れて立っていると、女は扇で顔を隠して膝ですりながら降りてきた。車には、供の女房がたくさんいるように感じられたが、他には誰も乗っていなかった。
女が降りるとともに、十五、六歳ばかりの下仕えの女童が車のそばに寄ってきて、車の中にあった蒔絵の櫛箱を持って行くと、控えていた雑色たちは車に寄ってきて、素早く牛を付け、飛ぶような勢いで去っていった。 ( この辺り欠字が散在しているが推定した。)

女は用意された部屋に入った。女童は櫛箱を包み隠して、屏風の後ろで身を小さくしている。
典薬頭は近寄り、「あなたはどちら様でしょうか。どんなご用でございますか。どうぞお話しください」と言うと、女は、「こちらにお入りくださいませ。恥ずかしがりは致しません」と言うので、典薬頭は簾の内に入った。
向かい合った女房を見ると、年齢は三十ばかりで、髪形の様子を始め、目、鼻、口、どれをとっても非の打ち所がないほど端正で、髪はたいそう長、く、かぐわしく香をたきしめた素晴らしい衣装を身につけている。特に恥ずかしがる様子もなく、長年連れ添った妻などのように打ち解けて向かい合っている。

典薬頭はこの様子を見て、「何とも怪しい」と思った。と同時に、「何としてもこの女は、我が思いのままにしたい人だ」と思うと、歯もなくしわだらけの顔に満面の笑みをたたえて、近くに寄って問いかけた。なにしろ、典薬頭は長年連れ添った老妻と死に別れて三、四年が経ち、今は妻もいない状態なので、嬉しくて仕方がなかった。
すると、その女は、「人の心というものは情けないもので、命の惜しさには、この身のどんな恥も辛抱して、たとえどんな事をしてでも命だけ助かればと思って、こちらに参ったのです。今は、生かすも殺すもあなた様のお心次第です。この身をお任せいたしますからには・・・」と言って、泣き崩れた。

典薬頭は、これを聞いてたいそう哀れに思い、「いったい、どうなさったのです」と尋ねると、女は袴の上の部分を引き開けて見せると、雪のように真っ白な股(モモ)が少し腫れている。その腫れがすこぶる不審に思われたので、袴の腰ひもを解かせて前の方を見たが、毛の中で患部がよく見えない。そこで、典薬頭は手でそこを探ると、陰部のすぐ近くに赤く腫れあがったものがある。左右の手でもって毛をかき分けてみると、命にかかわるような出来物があった。
[ 意識的な欠字。病名らしい。]という病なので、非常に可哀そうに思い、「長年の経験ある医師であるからは、何としてもこの病の治療に、あらゆる手を打たねばならない」と思って、すぐその日から、誰も近寄らせず、自らたすきを掛けて、夜も昼も治療に勤めた。

                                       ( 以下(2)に続く )

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