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雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

迷える名医 (2) ・ 今昔物語 ( 巻24-8 )

2017-02-11 13:34:54 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          迷える名医 (2)・ 今昔物語 ( 巻24- )

     ( (1)より続く 

七日ばかり治療を続けると、すっかり良くなった。典薬頭はたいそう嬉しく思い、「今しばらくの間は、ここに泊めておこう。この人が誰だか分かってから帰そう」などと思いながら、今は冷やすことを止めて、何という薬なのか茶碗に摺り入れた物を鳥の羽を使って日に五、六度つけるだけである。
「もう、これで大丈夫」と、典薬頭は嬉し気であった。

すると、女は、「私は、恥ずかしい様子をすっかりお見せしてしまいました。ひとえに、あなた様を親とも思い頼りにさせていただくばかりです。それゆえに、私が家に帰ります折には、お車でお送りくださいませ。その時には、私の名をお教えいたしましょう。また、こちらにもしばしば参らせていただきます」などと言うので、典薬頭は、「あと四、五日ばかりは、ここに居るだろう」と思って安心していると、その日の夕暮れ方に、女は夜着用の薄い綿入れの衣を一枚着ただけで、付き従っていた女童を連れて逃げ出してしまった。
そうとは知らぬ典薬頭は、「夕の食事を差し上げましょう」と言って、お盆に食事を整え、典薬頭自ら持って女の部屋に入ると、誰もいない。
「たまたま、用でも足しているのだろう」と思って、いったん食事を持ち帰った。

そのうち日も暮れたので、「まずは、灯りをつけよう」と思って、燭台に火をともして持って行き、あたりを見てみると、着物が脱ぎ散らかっており、櫛箱もある。
「長い間屏風の後ろに隠れて、何をしているのだろう」と思って、「そんなに長い間隠れて、屏風の後ろで何をなさっているのですか」と言って、屏風の後ろを見ると、どうしたことか女童さえいない。重ね着していた着物も袴も置かれたままである。ただ、夜着用として着ていた薄い綿入れの衣一枚だけが無くなっている。
「女はいなくなったのだろうか。あの人は、あの薄い衣一枚で逃げたというのか」と思うと、典薬頭は胸がつぶれる思いで、途方に暮れてしまった。

すぐに門を閉じて、人々が大勢それぞれ手に灯りを持って、家の内を捜しまわったが、見つからなかった。
居なくなったということがはっきりしてくると、典薬頭は、女のいつもの顔の様子や姿が思い浮かんできて、限りなく恋しくて悲しかった。
「病気だからと自制しないで、すぐにも思いを遂げればよかった。どうして、治療してからなどと思って自制してしまったのだろう」と、悔しくて、腹立たしくて、こうなってみると、「自分には妻はなく、遠慮する人もいないから、あの女が人の妻で自分の妻にすることはできないならば、時々通って行って逢うことができればと思い、本当に素晴らしい人を手に入れたと思っていたものを」と、すっかりその気になっていたのに、うまくだまされて逃がしてしまったので、手を打って悔しがり、足を踏み鳴らし、ひどい顔をさらにくしゃくしゃにして泣いたので、弟子の医師たちは陰で大笑いした。
世間の人もこれを聞き、笑いながら本人にいきさつを聞くと、典薬頭はものすごく怒り、むきになって弁解した。

それにしても、実に賢い女である。ついに、誰とも正体が分からないままに終わったのだ、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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娘と蛇にまつわる奇譚 ・ 今昔物語 ( 巻24-9 )

2017-02-11 13:34:11 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          娘と蛇にまつわる奇譚 ・ 今昔物語 ( 巻24-9 )

今は昔、
河内の国讃良郡(サララノコオリ・現在の大阪府北部辺り)、馬甘の郷(ウマカミのサト・所在未詳)に住む者がいた。
身分の低い人であるが、家はたいそう裕福であった。その人には若い娘が一人いた。

四月の頃のことである。その娘が蚕にやるために大きな桑の木に登って、桑の葉を摘んでいたが、その桑の木は道の近くにあったので、道行く人が通りがかりに見てみると、大きな蛇が出てきて、その娘が登っている桑の木の根元に巻きついていた。
道行く人はこれを見て、登っている木に蛇が巻きついていることを教えた。娘はこれを聞いて、驚いて下を見てみると、本当に大きな蛇が根元に巻きついている。

それを見て娘は恐れ慌てて、木から飛び降りると、蛇は娘にまとわりつくと、あっという間に交合した。すると、娘は体中がしびれたようになり、死んでしまったかのように木の根元に倒れ込んだ。これを見た両親は泣き悲しんで、すぐに医師を呼んで診てもらおうとした。
この国には、大変優れた医師がいたので、その人を呼んで診てもらおうとした。その間も、蛇は娘と交わったまま離れようとしない。
医師は、「とにかく、娘と蛇を一緒に戸板にでも乗せて、すぐに家に連れ帰って、庭に置きなさい」と言う。それで、家に連れ帰って庭に置いた。

それから、医師の言葉に従い、稲わらを三束焼いた。三尺の長さの物を一束にして、それを三束である。その焼いた灰を湯に混ぜて汁を三斗作り、これを二斗になるまで煎じて、猪の毛十把を刻んで粉末にして、その汁に混ぜ合わせた。
そして、娘の頭と足の辺りに杭を打ち、その間に娘を横ざまにつるして、女陰にその汁を注ぎこんだ。一斗ばかり入ると、すぐさま蛇は離れた。這って逃げようとするのを打ち殺して棄てた。その時、蛇の子がかたまって、おたまじゃくしのような格好で、それぞれ猪の毛が突き刺さった状態で、陰部より五升ばかり出て来た。蛇の子が全部出てしまうと、娘は正気に戻って口をきいた。
両親が泣く泣く娘に様子を聞くと、娘は、「何も覚えておりません。夢でも見ていたような気持です」と話した。

このようにして、娘は薬の処方を受けて命が助かり、怖れ慎んでいたが、それから三年経って、またも蛇に襲われて、ついに死んでしまった。
この時には、「こうなるのは前世からの因縁だ」と諦めて、治療することなくそのままにしていた。
それにしても、医師の力といい、薬のききめといい不思議なものだ、
となむ語り伝へたるとや。

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妙薬誕生 ・ 今昔物語 ( 巻24-10 )

2017-02-11 13:33:25 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          妙薬誕生 ・ 今昔物語 ( 巻24-10 )

今は昔、
天暦(第六十二代村上天皇)の御時に、震旦(シンダン・中国の古称)から渡来した僧がいた。名を長秀(チョウジュウ)という。
もとは医師(クスシ)であったので、鎮西(チンゼイ・九州)に来て住みつき、帰るつもりがないようなので、京に呼び上らせて、医師として仕えさせた。
しかし、もともとは立派な僧であったから、梵釈寺(ボンシャクジ)の供奉僧を命じられ、朝廷で召し使われることになった。

こうして何年か経った頃、五条大路と西の洞院大路が交わる辺りに[ 意識的欠字あり。「桂」か? ]の宮と申すお方がおいでになった。その御屋敷の前に大きな桂の木があったので、桂の宮(宇多天皇皇女)と世間の人は呼んでいた。
ある時、長秀がその宮のもとに伺候してお話申し上げていたが、この桂の木の梢を見上げて、「桂心(ケイシン)という薬はこの国にもありましたのに、人がそれと分からなかったのしょう。あれを取りましょう」と言って、童子を木に登らせ、長秀が命じるままに枝を切り下ろすと、長秀は近寄って、刀で桂心の有る所を切り取って、宮のもとに持ってきた。
そして、その一部を頂戴して薬として使ったところ、唐の桂心以上に効き目があったので、長秀は、「桂心はこの国にも有る物なのに、知っている医師がいなかったことがまことに残念なことであった」と言った。

このように、桂心はこの国にも有るのを、知っている者がいないため取らないのであろう。だが、長秀はその見分け方をついに人に教えることがなかった。長秀は、大変優れた医師であった。
それで、長秀は薬を作って朝廷に献上した。その処方は今も伝わっている、
となむ語り伝へたるとや。

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名医の見立て ・ 今昔物語 ( 巻24-11 )

2017-02-11 12:54:25 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          名医の見立て ・ 今昔物語 ( 巻24-11 )

今は昔、
[ 意識的欠字。「後朱雀」か? ]天皇の御代のこと、天皇が内裏においでになった時、夏の頃のことなので涼しいことをしようと、滝口の武士(宮中警護に当たる)たちが大勢八省院の廊に出ていたが、手持無沙汰なことでもあり、一人の滝口の武士が、「退屈なことなので、酒と肴を取りに行かせようではないか」と言うと、他の武士たちもこれを聞いて、「それは良いことだ。さっそく取りに行かせよう」と口々に急かせるので、言い出した武士は、従者の男を呼んで、松明を持たせて使いに出した。

従者の男は、南の方に走って行った。
「もう十町(1.1キロほど)ばかりも行ったか」と思われる頃、空が曇り夕立が降ってきたが、滝口の武士たちは世間話をしながらそのまま廊にいた。やがて雨も止み空も晴れたので、「そろそろ酒を持ってくる頃だ」と待っていたが、日が暮れても使いに出した男は帰って来ない。
「もう、帰ろう」と言い出し、皆内裏に戻ってしまった。
あの酒を取りに行かせた滝口の武士は、いらいらして腹立たしく思っていたが、どうしようもなく、皆と一緒に滝口の陣に帰ったが、使いに出した従者の男は夜になっても帰って来ないので、「どうもおかしい。これはただ事ではあるまい。あの男は、途中で死んでしまったのか。あるいは重い病にでもなったのか」と一晩中心配しながら夜を明かした。

明けるのが遅いとばかりに、早朝急いで男の家に飛んで行き、真っ先に昨日男を使いに出したことを話すと、家の者は、「その男は、昨日帰ってきましたが、死んでしまったかのようになって、あそこに寝ています。何一つ物も言えず、ふらふらになって寝ているのですよ」と言う。
滝口の武士が近寄って見てみると、まことに死んだようになって臥せている。話しかけても答えもせず、それでもわずかに体を動かせている。(このあたりにも、一部欠字があり推定した部分がある)

大変不思議に思われ、ここから近い所に滝口忠明朝臣という医師がいたので、武士はその家に行って、「然々の状態でございます。どうしたことでしょう」と尋ねると、忠明は、「さて、どうとも分かりかねますなァ。しかし、そういう事であれば、[ 意識的欠字。当時、様々な種類の灰が薬用に用いられていたので、灰の種類が書かれていたらしい。]灰をたくさん取り集めて、その男をその灰の中に埋めて置いて、しばらく様子を見なさい」と教えた。
滝口の武士は男の家に帰り、忠明の教えに従って、灰をたくさん集めて、その中に男を埋めて置き、一、二時(2~4時間)ばかり経ってから見てみると、灰が動いたので、掻き開けて見ると、男は意識を取り戻していた。しばらくして、水などを飲ませたりとすると、ふつうの状態になってきたので、「いったい何があったのだ」と尋ねると、男は、「昨日、八省院の廊にて仰せをお受けし、急いで美福門の通りを南に走っておりましたところ、神泉苑の西側で、にわかに雷鳴がとどろいて、夕立が降ってきました。神泉苑の中は真っ暗になり、それが西に向かって広がってくるのを見ていると、その暗がりの中に金色の手がきらりと光るのが見えました。それを、わずかに見ますや否や四方は真っ暗になり、前後不覚の状態になりましたが、と言って道に寝込んでしまうわけにもいかず、気力を振り絞ってこの家まで辿り着いたところまでは、おぼろげながら覚えています。それから後のことは記憶がありません」と言った。

滝口の武士はこれを聞いて、不思議に思い、また忠明のもとに行き、「あの男は、お教えいただいたように灰に埋めましたところ、しばらくして意識を取り戻し、然々このように申しました」と言うと、忠明は笑いながら、「思った通りであった。人が竜の姿を見て病みついた時には、あの治療法より外に方法はないのだ」と言った。
滝口の武士は、その後滝口の陣で、他の武士たちにこの事を話すと、武士たちはこぞって忠明を褒め、感心した。世間にもこの事が伝わり、皆忠明を誉めた。
およそこの事だけに限らず、この忠明という人はとても優れた医師であった、
となむ語り伝へたるとや。

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雅忠の治療(未完)・ 今昔物語 ( 巻24-12 )

2017-02-11 12:53:33 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          雅忠の治療(未完) ・ 今昔物語 ( 巻24-12 )

本話は、「雅忠見人家指有瘡病語第十二」という表題のみで、本話は欠文となっている。
なお、雅忠というのは、前話の忠明の息子である。

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陰陽師と地の神 ・ 今昔物語 ( 巻24-13 )

2017-02-11 12:52:26 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          陰陽師と地の神 ・ 今昔物語 ( 巻24-13 )

今は昔、
文徳天皇(第五十五代。858年没、三十二歳)が崩御されて、御陵の地を定めるために、大納言安陪安仁(アベノヤスヒト・正しくは安倍)という人が勅命を受け、その役目を行われた。[ 意識的欠字か? 従者の名前が入るらしい。]を引き連れて、御陵の地に出かけた。
その当時、慈岳川人(シゲオカノカワヒト・正しくは滋岳)という陰陽師がいた。この道では、古の人にも恥じない、世に並ぶ者のない人物であった。この人を連れて、御陵の場所を定め、役目を終えて帰る途中、深草の北の辺りに差しかかった時、川人は大納言の近くに馬を寄せてきて、何か物言いたげなそぶりを見せた。

大納言が耳を傾けると、川人は、「私は、十分ではありませんが長年この道に携わって朝廷に仕えて参りました。振り返って見て、これまで誤りを犯したことはございません。ところが、この度は大きな過ちを犯してしまいました。ここに地神(ツチノカミ)が追いかけて来ています。それは、あなた様とこの川人が罪を犯したからでしょう。いったいどうなさいますか。とても逃れることなど出来ないことです」と、とてもおびえた様子で言う。それを聞いて、大納言はどうすれば良いか分からなくなった。ただ、「自分にはどうすれば良いか分からぬ。何とか助けてくれ」と言った。
川人は、「と申されても、このまま放ってもおけません。ためしに、何とか身を隠す手段を考えましょう」と言って、「あとから遅れてきた者は、皆先に行け」と言って、先に行かせた。

やがて、日も暮れたので、闇に紛れて、大納言も川人も馬から下りて、馬だけ先に行かせて、二人は田の中に留まって、そこに大納言を座らせて、その上に刈り置いてある稲を持ってきて積み、川人はその周りを小さな声で呪文を繰り返し唱えてから、川人もその積んである稲を引き開けて這入りこみ、大納言と話し合っていた。
大納言は、川人がひどくおびえて震えているのを見て、半ば死んだような心地になっていた。

こうして声も立てずにいると、しばらくすると、千万人とも思われる足音が通り過ぎて行った。皆通り過ぎたと思っていると、何人かが戻ってきて、騒がしく話しているのを聞くと、人の声に似てはいるが、やはり人ではない声でもって、「あの者は、この辺りで馬から下りて、馬の足音を軽くしたのだ。だから、この辺りを隠れる隙間が無いように土を一、二尺ばかり掘って、捜し求めるのがよい。いくら逃げようとも、逃げ切れるものではない。川人は古の陰陽師に劣らぬ奴なので、簡単には見つからないような術を使っているだろう。そんな策を弄しても、奴を逃してなるものか。よく捜せ」とわめきたてた。
しかし、どうしても見つからない、などと口々に騒いでいると、主人(地神)と思われる人が、「どうしようと隠れおおせるものではない。今日はうまく隠れても、いつかは奴らを見つけ出してやる。今度の十二月の晦日の夜中には、天下くまなく、土の下、空の上、目につく所はどこであれ捜し求めよ。奴らは隠れおおせるものではない。されば、その夜には皆集まって来い。そうして、捜し出そう」と言って去っていった。 ( このあたり、漢字表記を期してか意識的な欠字が散見される。その部分は推定で表記した。)

このあと、大納言と川人は稲の中から飛び出した。もう何が何だか分からない状態で大納言は、「これからどうすればよいのだろう。言っていたように捜せば、我らはとても逃げられない」と言う。川人は、「このように聞いたからには、その夜には、誰にも絶対に知られないように、二人だけでうまく隠れるしか仕方がありません。その時近くになってから、詳しく申し上げましょう」と言って、川原に留まっていた馬のもとに歩みより、それぞれの家に帰って行った。

その後、はや晦日になったので、川人は大納言の屋敷にやって来て、「誰にも知られないように、ただ一人で二条大路と西大宮大路との辻に、日暮れの頃においで下さい」と言った。
大納言はこれを聞いて、暮れ方になると、世間の人が忙しく行き交うのに紛れて、ただ一人で教えられた辻に行った。川人はすでに来て待っていたので、二人はそろって嵯峨寺へ行った。そして、堂の天井の上によじ登り、川人は呪文を唱え、大納言は三蜜(サンミツ・手で印を結び、口で真言を唱え、心で本尊に祈る行法)を唱えていた。

そうしていると、真夜中になったと思われる頃、気味の悪いおかしな匂いのする生暖かい風が吹いてきた。すると、地震の揺れのような地響きが少しあり、何かが通り過ぎていったので、「怖ろしい」と思ってじっと堪えていると、やがて鶏が鳴いたので、天井から下りて、まだ夜が明けぬうちに、それぞれの家に帰った。
別れ際に川人は大納言に言った。「もう恐れることはございません。そうとはいえ、川人なればこそ、このように無事に逃れることが出来たのですよ」と。大納言は川人に拝礼して家に帰った。

これを思うに、やはり川人は優れた陰陽師であったのだ、
となむ語り伝へたるとや。

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陰陽師に救われる ・ 今昔物語 ( 巻 24-14 )

2017-02-11 12:51:31 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          陰陽師に救われる ・ 今昔物語 ( 巻24-14 )

今は昔、
[ 伴世継(トモノヨツギ)]という者がいた。穀蔵院(コクゾウイン・正しくは穀倉院。民部省所管の倉庫)の使者として、その封戸(フコ・官位などに基づき与えられた民戸)の税を徴収するために東国に行き、何日かしてから帰京する途中、近江国の勢多の駅(ウマヤ)に宿をとった。

ちょうどその時、その国の国司である[ 藤原有陰 ]という人が庁舎に来ていて、陰陽師で天文博士である弓削是雄(ユゲノコレオ)という者を京から招いて、大属星(ダイゾクショウ・陰陽道における星周りで、その年の本命星を指すらしい?)を祭らせようとしていたが、その是雄がこの[ 伴世継 ]と同宿していた。
是雄が[ 世継 ]に、「あなたは、どちらから来られたのですか」と尋ねると、「私は穀蔵院の封戸の税を徴収するために東国に下っていて、今帰京しているところです」と答えた。
このように互いに話し合っているうちに、夜も更けたので皆寝てしまった。

ところが、世継はその夜悪い夢を見てしまった。そこで、目覚めた後、是雄に、「私は、昨夜悪い夢を見ました。ところが、幸いにもあなたと同宿していました。この夢の吉凶を占っていただけないでしょうか」と頼んだ。
是雄は占ってみて、「あなたは明日家に帰ってはいけません。あなたに害を加えようとする者が、あなたの家にいます」と言った。しかし[ 世継 ]は、「私は長らく東国に行っていて、早く家に帰ろうと願っています。せっかくここまで帰って来て、ここで徒に日を過ごすことは出来ません。また、たくさんの官物や私物を持っています。どうして此処に留まっていることなど出来ましょう。そういうことですが、どうすればその難から逃れることが出来ますでしょうか」と言う。

是雄は、「あなたがどうしても明日家に帰ろうとするのでしたら、あなたを殺害しようとしている者は、家の丑寅(東北。鬼門に当たる)の隅に隠れてるはずです。そこで、あなたはまず家に帰り、荷物などを取り片付けした後、あなた一人で弓に矢をつがえて、丑寅の隅のそのような者が隠れていそうな所に向かって、弓を引き絞り狙いをつけてこう言いなさい。『おのれ、我が東国より帰って来るのを待ち受けて、今日我を殺害しようとしていることは、とっくに承知していることだ。さっさと出て参れ。出て来なければ射殺してしまうぞ』と。こう言えば、私の陰陽道の術をもって、姿は見えなくとも、自ずから事が発覚しましょう」と教えた。

[ 世継 ]は、こう教えてもらい、翌日急いで京に帰った。
家に帰り着くと、家の者は、「お帰りになった」と言って、大騒ぎして迎えた。[ 世継 ]一人は家に入らず、荷物などをみなそれぞれに片付けさせ、それから、弓に矢をつがえ、丑寅の隅の方に回ってみると、片隅に菰をかけた所があった。「此処だな」と思い、弓を引き絞り矢を差し向けて言った。「おのれ、我が帰京を待ち受けて、今日我を殺害しようとしているな。我は、そのことをとっくに知っているのだ。早く出てこい。出て来なければ、射殺してやる」と叫ぶと、菰の中から法師が一人出て来た。

直ちに従者を呼んでこの法師を捕縛させて問い詰めたが、言を左右して[ 白状しない ]。そこで拷問にかけると、ついに落ちて白状した。「もう隠しだてはしません。私の主人の僧が長い間こちらの奥方と深い仲になっておりましたが、今日あなたが帰って来られると聞いて、『帰宅を待ち受けて、必ず殺害せよ』と、こちらの奥方が仰せられたので、このように隠れておりましたが、すでに知られておりましたとは」と。
[ 世継 ]はこれを聞いて、自分の前世の報いが良くて、あの是雄と同宿することが出来たお蔭で命が助かったことを喜んだ。また、是雄が占ったことが正しかったことに感激し、まず是雄のいる方角に向かって拝礼した。
その後、法師を検非違使に引き渡した。妻とは、離縁した。

これを思うに、長年連れ添った妻といえども、心を許してはならない。女には、このような心を持つ者もいるのである。また、是雄の占いは不思議である。昔は、このように霊験あらたかな陰陽師がいたのだ、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


* 文中の[ ]の部分は欠字部分である。他の文献や、推定により補記している。

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陰陽道の家系 ・ 今昔物語 ( 巻24-15 )

2017-02-11 12:50:30 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          陰陽道の家系 ・ 今昔物語 ( 巻24-15 )

今は昔、
賀茂忠行という陰陽師がいた。その道については、古の名陰陽師といわれた人に劣ることなく、当代では肩を並べる者がいなかった。そこで、公私にわたって重用されていた。

さて、ある人がこの忠行に祓(ハラエ・祭壇を設け、祝詞や呪文を唱えて、災厄や汚れを払う祭事)を頼んだので、忠行は祓を行う所へ行こうと出立した。この忠行の息子の保憲(ヤスノリ)は、この時十歳ほどの童であったが、父が出かけるのに、どうしてもついて行きたいと願うので、その子を車に乗せて一緒に連れて行った。祓を行う場所に行き、忠行が祓を行うのをその子はその傍らに座っていた。祓が終わると、祓を頼んだ人も帰って行った。

忠行もその子を連れて帰途に着いたが、車の中でその子は、「父上」と呼びかけた。忠行が、「何だね」と言うと、その子は、「祓の所で、私は不思議なものを見ました。怖ろし気な姿をした者どもで、人間ではないが、[ 欠字有り。「とはいえ」といったような言葉か? ]人間のような姿をしていて、それが二、三十人ばかりも出てきて、前に並べた供え物などを手に取って食い、祭られている作り物の船や車や馬などに乗って、それぞれ勝手に帰って行きました。あれは何だったのでしょう、父上」と尋ねた。
これを聞いた忠行は、「自分は、陰陽道においては世間で最も優れていると思っている。それでも、幼童の頃にはこのように鬼神を見ることなどなかった。いろいろと習ってきて、ようやく見ることが出来るようになった。そうであるのに、この子はこの幼い目で鬼神を見ることが出来るとは、極めて優れた陰陽師になる才能の持ち主なのだろう。神代の者にも劣らないだろう」と思って、家に帰るや否や、自分が知っている限りのことを露ほども残すことなく、熱心に教えた。

その結果、親の期待にたがわず、保憲はまことに優れた陰陽師となって、公私に仕えていささかも過ちを犯すことはなかった。そうして、その子孫は今も栄えていて、陰陽道において他の追随を許していない。また、暦を作ることも、この一族以外に絶対に知る人はいない。
されば、今もなお優れた家柄の者として尊ばれている、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


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安倍晴明 ・ 今昔物語 ( 巻 24-16 )

2017-02-11 12:49:32 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          安倍晴明 ・ 今昔物語 ( 巻24-16 )

今は昔、
天文博士(テンモンハカセ・陰陽寮に属し、天文の観測と後進の教授にあたった官職)安倍晴明という陰陽師がいた。古の大家にも劣らぬ優れた陰陽師であった。
幼い時から、賀茂忠行という陰陽師について、昼夜分かたず陰陽道を習ったが、いささかも心もとない点がなかった。

さて、晴明がまだ若い時のこと、ある夜、師の忠行が下京辺りに出掛けたが、その供をして車の後ろから歩いて行った。忠行は車の中ですっかり寝込んでいたが、晴明がふと見てみると、何とも怖ろしい鬼どもが車の前方からこちらに向かってやって来る。
晴明はこれを見て驚いて車の後ろに走り寄り、忠行を起こして様子を告げると、忠行はその声で目を覚まし、鬼どもが来るのを見て法術を以ってすぐさま自分も供たちも姿を隠し、無事にその場を通り過ぎた。
この後、忠行は晴明をそばから離さず可愛がり、陰陽道について教えること、瓶の水を移すが如し(余すこと伝える、といった意味)であった。それによって、ついに晴明はこの道において、公私にわたり重用されるようになったのである。

ところで、忠行が没したのち、晴明の家は土御門大路より北、西洞院大路より東にあったが、その家に晴明がいた時、一人の老僧がやって来た。供に十歳余りの童子を二人連れていた。
晴明はこれを見て、「どなた様でしょうか。いずれから参られたのですか」と尋ねた。僧は、「私は播磨国の者でございます。実は、陰陽道を習いたいと思っております。つきましては、現在この道においては、あなた様が大変優れていると承りましたので、ほんの少しでもお教えいただこうと思って参ったのでございます」と言う。
晴明は、「この法師は、陰陽道について相当優れた奴らしい。それで私を試そうと思って来たに違いない。こいつにへたに試されてぼろでも出せばつまらない。試しにこの法師を少し引きずり回してやろう」と思った。

「この法師の供の二人の童子は、識神(シキジン・式神、職神ともいう。陰陽師に使役されて意のままに行動する下級の精霊)として仕えている者だろう。もし識神ならば、ただちに隠してしまおう」と晴明は思い、袖の中に両手を入れて、印を結び、密かに呪文を唱えた。
そうしておいてから、晴明は法師に答えた。「承知いたしました。ただ、今日は所用がありその暇がありません。いったんお帰り頂き、後日に良い日を選んでおいで下さい。習いたいとお思いのことは何でもお教えいたしましょう」と。
法師は、「まことにありがたいことです」と言って、手を擦り合わせて額に当て、立ち上がって走り去った。

「もはや一、二町は行っただろう」と思われる頃、この法師がまた戻ってきた。
晴明が見ていると、法師は人が隠れていそうな所、車寄せなどを覗き覗きしながらやって来る。そうしながら晴明がいる所まで来ると、「私の供をしていた童が二人とも急にいなくなってしまいました。それをお返しください」と言う。
晴明は、「御坊はおかしなことを申されます。この晴明が何ゆえ人のお供の童を取ったりしましょうか」と答えた。法師は、「これは失礼いたしました。まことにごもっともなことでございます。どうぞお許しください」と言ってわびたので、晴明は、「よしよし。御坊が私を試さんとして識神を使ってやって来たのが面白くなかったのだ。他の人にはそのように試すがよい。だが、この晴明にそのようなことはしない方が良いぞ」と言って、袖の中に手を引き入れ、何か唱えるようにしていたが、しばらくすると、外の方から童が二人そろって走ってきて、法師の前に姿を現した。

そこで法師は、「その通りでございます。あなた様が大変優れた陰陽師だとお聞きして、『一つ試してやろう』と思ってやって来たのでございます。それにしましても、古より識神を使うことはたやすいことですが、人の使う識神を隠すということはとても出来ることではございません。何と素晴らしいことでしょう。只今より、ぜひとも御弟子にしてください」と言って、ただちに名符(ミョウブ・弟子が師に差し出す名札)を書いて差し出した。

また、別の出来事であるが、この晴明が広沢の寛朝僧正(カンチョウソウジョウ・宇多天皇の孫。真言宗の僧で、広沢大僧正とも号した)と申される方の御房に参り、お話を伺っている時、そばには若い公達や僧たちがいて、晴明にいろいろと話しかけ、「あなたは識神を使われるとのことですね。瞬時に人を殺すことが出来ますか」と尋ねた。
晴明は、「陰陽道の大切な秘密に当たる事を、何とぶしつけに尋ねられることですね」と言って、「たやすく殺すことなど出来ません。しかし、少し力を入れさえすれば、必ず殺せます。虫などは塵ほどの力で必ず殺せますが、生き返らせる方法を知りませんので、罪になりますから、無益な殺生となってしまいます」などと言っていると、庭を蛙が五つ六つばかりはねながら池の方へ向かっていた。これを見た公達が、「では、あれを一つ殺して見せてください。試みてみましょう」と言う。
晴明は、「罪なことをなさるお方だ。そうとはいえ、『試してみよ』と仰せであれば」と言うと、草の葉を摘み取って、呪文を唱えるようにして蛙の方に投げると、その草の葉は蛙の上に乗りかかったと見るうちに、蛙は真っ平に[ 欠字有り。「へしゃがる」といった意味の言葉か? ]死んでしまった。
僧たちはこれを見て、真っ青になって震えあがった。

この晴明は、家の中に人のいないときは識神を使っていたらしく、誰もいないのに、蔀戸がひとりでに上げ下ろしされていた。また、門を閉ざす人がいないのに、ひとりでに閉められていた。このような、不思議なことが多くあった、と語り伝えられている。
その子孫は、今も朝廷に仕えていて、重んじられている。その土御門の屋敷も代々伝えられている。その屋敷では、その子孫がつい最近まで識神の声などを聞いたという。
されば、この晴明は何といっても只者ではなかった、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆



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保憲と晴明(未完) ・ 今昔物語 ( 巻24-17 )

2017-02-11 12:48:36 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          保憲と晴明(未完) ・ 今昔物語 ( 巻24-17 )

本話は、「保憲晴明共占覆物語第十七」という表題のみで、本話は欠文となっている。

     ☆   ☆   ☆
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