雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

観音に帰依する娘 ・ 今昔物語 ( 16 - 16 )

2023-08-15 11:29:39 | 今昔物語拾い読み ・ その4

       『 観音に帰依する娘 ・ 今昔物語 ( 16 - 16 ) 』


今は昔、
山城国、久世の郡に住んでいる人に一人の娘がいたが、七歳の時から観音品(カンノンボン・「妙法蓮華経」のうちの、観世音菩薩普門品の略。本来は、「観音経」として独立していた経典。)を学んで読誦していた。
毎月十八日には、特に精進潔斎して、観音を祈念し奉った。十二歳になると、遂に法華経一部を学び終えた。まだ幼い心ではあるが、慈悲深く、人を憐れみ、歪んだ心などなかった。

ある時、この娘が家を出て遊び歩いていると、ある男が一匹の蟹を捕らえて、紐に結んで持ち歩いていた。娘はそれを見て訊ねた。「その蟹を、どうするために持っていくのですか」と。
蟹を持っている男は、「持って行って食べるんだよ」と答えた。
娘が、「その蟹をわたしに下さいな。食べるためなら、わたしの家に死んだ魚がたくさんあります。それをこの蟹の代わりに差し上げますから」と言うと、男はそれを承知して、蟹を女に与えた。娘は蟹を受け取ると、川に持って行って放してやった。

その後、娘の父の翁が田を耕している時、毒蛇が蛙を呑もうとして追いかけてきた。翁はそれを見て、蛙を哀れに思い、蛇に向かって「おい、蛇よ、その蛙を許してやれ。わしが言うことを聞いて許してやるなら、わしはお前を娘の婿にしてやろう」と、あわててつい言ってしまった。蛇はこれを聞くと、翁の顔をじっと見て、蛙を追うのをやめて藪の中に這い込んでいった。
翁は、「つまらないことを言ってしまったものだ」と思いながら家に帰ったが、この事を嘆いて、食事も出来ない。
妻と娘がその様子を見て父に訊ねた。「どういうわけで何も食べないで、お嘆きなのですか」と。
父は、「然々の事があって、わしは思わず、大慌てでとんでもないことを言ってしまったので、それを嘆いているのだよ」と言った。
娘は、「早く食事をして下さい。お嘆きなることなどありませんわ」と言った。そこで、父は娘の言うことに従って、食事をして嘆かなくなった。

ところが、その夜の亥時(イノトキ・午後十時頃)になる頃、門を叩く人がいた。
父は、「あの蛇がやって来たに違いない」と思って、娘に告げると、娘は父に、「『あと三日経ってから来て下さい』と約束して下さい」と言った。
父が門を開けて見てみると、五位の姿(五位の官服は朱色。物の怪などが人間の姿で現れる時は、五位の官人に扮することが多い。)をした人が立っていて、「今朝のお約束によりやって参りました」と言う。父は、「あと三日経ってからおいで下さい」と言う。
五位の男は、その言葉を聞いて返っていった。

その後、この娘は、厚い板で倉代(クラシロ・蔵の代用となる建物。蔵そのものを指すこともある。)を造らせて、周りを強固に囲い、三日目の夕方、その倉代の中に入って、戸を固く閉じてから父に言った。「今夜、あの蛇がやって来て門を叩いたら、すぐに開けて下さい。わたしはひたすら観音様の御加護におすがりいたします」と言い置いて、倉代に籠もった。

初夜の時(一夜を初・中・後に三分した最初の時刻。午後八時頃。)になると、あの五位の男がやって来て門を叩いたので、すぐに門を開けた。
五位の男は入ってきて、娘が籠もっている倉代を見ると、激怒して、もとの蛇の形となって、倉代に巻き付いて、尾で以て戸を叩いた。
父母はその音を聞いてひどく驚き恐れおののいた。
夜半になると、この叩く音がぴたりと止んだ。その時、蛇の悲鳴が聞こえたが、それもまた止んだ。
夜が明けて見て見ると、大きな蟹を頭(カシラ)として、千万の蟹が集まってきていて、この蛇をはさみ殺していた。その蟹どもは、どこかへ這って行ってしまった。

娘は倉代を開き、父に向かって語った。「今夜、わたしは終夜(ヨモスガラ)観音品を読誦し奉っていますと、端正美麗の僧が現れて、わたしに『汝、怖がることはない。ただ、『蚖蛇及蝮蝎気毒烟火燃(ガンジャキュウフク カツケドクエンカネン・観音品の一節)』等の経文にすがりなさい』と教えて下さいました。これは、ひとえに観音様の御加護によって、この危難を免れたのです」と。
父母はこれを聞いて、喜ぶこと限りなかった。

その後、この蛇の苦しみを救い、多くの蟹の殺生の罪の報いを救うために、その地にまとめて、この蛇の屍を埋め、その上に寺を建てて、仏像を造り、経巻を書写して供養を行った。
その寺の名を蟹満多寺(カニマタテラ・京都府に現存。現在は蟹満寺。)と言う。その寺は今もある。その寺を、世間ではなまって紙幡寺(カミハタデラ)と言っているが、もとの由来を知らないからである。

これを思うに、この家の娘は、まったくただ者ではないと思われる。また、観音の霊験は不可思議なものだと世の人々は尊んだ、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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狐と契った男 ・ 今昔物語 ( 16 - 17 )

2023-08-15 11:29:03 | 今昔物語拾い読み ・ その4

       『 狐と契った男 ・ 今昔物語 ( 16 - 17 ) 』


今は昔、
備中国賀陽郡、葦守の郷に、賀陽良藤(カヤノヨシフジ・伝不詳)という人がいた。金貸しをしていて家は豊かであった。生れつき多情で、好色であった。

さて、寛平八年( 896 )という年の秋、その妻が上京していて、良藤はやもめ状態で一人で暮らしていたが、ある夕方、外に出てぶらぶら歩いていたが、突然、年の若い美しい女性を見かけた。良藤がこれまでに見たこともないような美女だったので、愛欲の心が沸き起こって、物にしようと近寄ったが、女が逃げようとする気配がしたので、さらに歩み寄って女の手を捕らえて、「あなたは、どういうお方ですか」と声をかけると、女は身のこなしも華やかに、「名前を申し上げるほどの者ではございません」と答えたが、その様子は何とも愛らしい。

良藤が「さあ、私の家にいらっしゃい」と言うと、女は「とんでもないことです」と言って、引き離れようとしたので、良藤は「それでは、あなたのお住まいはどちらですか。お送りしましょう」と言うと、女は「すぐこの先です」と言って歩き始める。
良藤は女の手を取ったまま歩いて行くと、すぐ近い所に、瀟洒な造りの家があり、中を見ると、感じよく設えてある。
良藤が「はて、こんな所にこのような家があったかな」と思っていると、家の内には上中下さまざまの男女がいて、「姫様がお帰りになられた」と大騒ぎしている。
「この女は、この家の娘だったのだ」と思うと、嬉しくなり、その夜、この女と契った。
翌朝になると、家の主人と思われる人が出てきて、良藤に、「然るべきご縁があって、こうしておいで下さったのでしょう。こうなりましたからには、このままおとどまり下さい」と言って、十分にもてなしてくれるので、良藤はすっかりこの女に情が移ってしまい、夫婦としての末永い契りを成し、起居を共にしているうちに、わが家のことや子供のことも、すっかり忘れてしまった。

さて、良藤のもとの家では、夕暮れ方より主人の姿が見えなくなったので、「いつものように、どこかの女のもとに入り浸っているのだろう」と思っていたが、夜になっても帰ってこないので腹を立てる者もいた。
「何とあきれたものだ。お捜しせよ」などと言っているうちに、真夜中も過ぎてしまったので、その辺りを尋ねたが見つからなかった。
「遠くまで行ったとも考えられるが、旅装束は残っている。どうやら、普段着のままでどこかに行ってしまったのだ」などと、騒いでいるうちに夜も明けてしまった。
そこで、これという所などを尋ねたが、どこにもいない。
「若気の至りということならば、出家をするとか身を投げるとかということもあろうが、何とも奇妙なことだ」と右往左往していた。

ところが、その良藤が居着いている所では、年月が経ち、その妻となった女は懐妊
していて、月満ちて無事に子を出産した。そこで、ますます夫婦の契りは固くなり、年月がただ流れすぎるようで、何もかも満ち足りた思いであった。

もとの家の方では、良藤がいなくなって後、幾ら捜し求めても見つけ出すことが出来なかったので、良藤の兄の大領(ダイリョウ・郡の長官。その地の豪族が就いた。)豊仲、良藤の弟の統領(トウリョウ・郡の長官の次位。)豊陰、吉備津彦神宮寺の禰宜豊恒、良藤の子忠貞など(いずれの人物も伝不詳。)、いずれも裕福な人であるが、これらの人々が嘆き悲しんで、「たとえ良藤の屍であっても見つけ出そう」と思って、一同そろって願を立て、十一面観音の像を造らせることにして、栢(カエ)の木を伐って、良藤の背丈と同じ高さに刻み、これに向かって礼拝して、「屍なりともお見せ下さい」と祈り請うた。
また、あの行方不明になった日から、念仏読経を始めて、良藤の後世を弔った。

ところが、あの良藤が居着いている所に、突然一人の俗人が杖をついてやって来た。その家の人は、主人を始めとして家の者たちはその人を見て、大変恐れおののいて、皆逃げ去ってしまった。その俗人は、杖で以て良藤の背中を突いて、狭い所から押し出した。

その頃、良藤の家では、良藤が失踪してから十三日目の夕方、家の者たちが良藤を恋い
悲しんで、「それにしても、不思議な失踪だなあ。ついこの間のことだったなあ」などと言い合っていると、前の蔵の床下から、怪しげな黒い物で猿のようなのが、手足をついて這い出てきたので、「何だ、あれは」と居る者みなが騒ぎ立てると、「わしだ」という声は、良藤のものであった。
子の忠貞も気味悪く感じたが、紛れもなく親の声なので、「これは、どうしたというのですか」と言って、地面に降りて引き出した。
すると、良藤は「わしは、一人暮らしをしている間、いつも誰かと通じたいと思っていたが、思いがけず、ある高貴なお方の婿となって、長年暮らしているうちに、男の子を一人儲けた。その子はとても可愛くて、わしは朝夕に抱き、一時も手放すことがなかった。わしはその子を太郎(跡継ぎ)にしようと思う。忠貞、お前を次男にしよう。そのわけは、その男の母親を、わしが大切に思っているからだ」と言った。

忠貞はそれを聞くと、「その御子は、どこにいらっしゃるのですか」と訊ねた。
良藤は、「あそこに居る」と言って、蔵の方を指さした。
忠貞はじめ家の者たちはこれを聞いて、「あきれたことだ」と思って、良藤の姿を見ると、痩せ細ってまるで病人のようであった。着ている物を見ると、失踪した時に着ていた着物のままであった。
そこで、すぐに人を蔵の床下に入れて調べさせると、多くの狐が居て、散り散りに逃げ去っていった。そこに、良藤の寝床があった。
これを見て、「どうやら、良藤は狐に化かされて、その夫となり、正気をなくしてしまって、あのようなことを言うのだ」と分かったので、早速に高貴な僧を招いて祈祷してもらい、陰陽師を呼んでお祓いをさせ、本人には何度も沐浴させたが、以前の良藤のようではなかった。

その後、しだいに正気を取り戻したが、良藤はどれほど恥ずかしく、不思議な思いであっただろうか。
良藤が蔵の床下にいたのは十三日間であったが、良藤本人は十三年間であったと思っていた。また、蔵の床下は僅か四、五寸ほどであるが、良藤には高く広く感じていて、そこを出入りしては大きな家だと思っていたのである。
これは皆、霊狐の[ 欠字あるも不詳 ]の仕業である。あの、杖を突き入れた俗人というのは、造り奉った観音の変じられた姿である。
されば、世の人はぜひとも観音を念じ奉るべきである。
その後、良藤の身体に異常はなく、十余年永らえて、六十一歳で亡くなった。

この話は、当時、備中守であった三善清行の宰相が、語り伝えたのを聞き継いで、
語り伝へたるとや。

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郡司の美しい妻 ( 1 ) ・ 今昔物語 ( 16 - 18 )

2023-08-15 11:28:33 | 今昔物語拾い読み ・ その4

       『 郡司の美しい妻 ( 1 ) ・ 今昔物語 ( 16 - 18 ) 』


今は昔、
近江国の
伊香郡(イカゴノコオリ・現在の滋賀県伊香郡あたり。)の郡司(国司の下にあって、郡を治める長官。)をしている男がいた。 
その妻は若々しく、容姿が美しかった。また、思慮深く、世に並ぶ者がいないほど諸芸能に優れていた。
その為、代々の国司は、この女の有様を聞いては、「何とか、その女を手に入れたい」と思って、思いを寄せて熱心に働きかけたが、女は貞操堅固で、「例え良い人であれ悪い人であり、夫以外に心を移すようなことはありません」と思い定めていて、国司が寄こす恋文に返事さえ返さなかった。

ところで、[ 欠字。国司名が入るが不詳。別資料では『藤原永瀬』とするものもある。]という人が、国司としてこの国を治めるようになったが、この女の噂を聞いて、これまでの国司より執拗にこの女を手に入れようと思ったが、「夫に、『妻を奉れ』と要求するわけにはいかない。手紙で思いを伝えようと思っても、前々の事を聞くと、うまく行かないようだ。さて、どうすればよいか」と思案を重ねてある計画を立てた。
そこで、「国府の庁で急ぎの用がある」と言って、この郡司を呼び寄せた。郡司は、「何事だろう」と、慌てて大急ぎでやって来た。
国司は、「近くに召し出せ」と言うと、郡司はこわごわ膝を地につけて、畏まって控えた。

国司は、「この国に人材は豊富だが、物の道理を心得ている者はお前が第一だ。それで、『昔のことを尋ね、今のことも聞こう』と思って呼んだのだ」と言った。
郡司は、「罪を問われるわけではなかったのだ」とほっとして、昔の話など申し上げていると、国司は、「さあ、酒など飲め」と言って何度もすすめ、すっかり打ち解けた様子になった時、国司は、「実は、お前に頼みたいことがあるのだ。それを、お前は聞いてくれるかな」と言った。
郡司は、「どうして、国司のご命令に背くことなど出来ましょうか」と言うと、国司は、「『わしとお前さんと勝負をしよう』と思うが、わしに遠慮することなく思いきってやってくれ。お前さんが勝ったら、この国を分けて治めさせてやろう。わしが勝ったら、良くとも悪しくとも、お前さんの妻をわしにくれ」と言った。

郡司は畏まって、「国司さまのご命令には、決して勝つことなど出来ません。それにしても、これは一体どういう事なのでしょうか」と言って震えていると、国司は、「いやいや、お前さんが負けると決まったものではないぞ。勝つことだってあるぞ。とかく、勝負事は分からないものだか
らな」と言う。
郡司は心の中で、「自分が守に勝つことなど出来まい。とはいえ、長年愛してきた妻を差し出すことなど、とても出来ない。とはいえ、今となっては断るわけにもいくまい」と思っていると、国司は硯を取り寄せて、文を書く。そして、書き終わると、封をして従者に封印をさせ、それを文箱に入れ、その文箱の上にも封印をさせると、「これを、その者に与えよ」と言って郡司に与え、「これを開いて見てはならない。この中には、和歌の上の句が書いてある。その上の句に合うように下の句を書いて差し出せ。されば、これを家に持ち帰って、今日から七日目に、再び持ってくるのだ。和歌の上の句と下の句が良く合うように付けて持ってきたならば、お前さんの勝だ。速やかに国を分けて、治めるがよい。もし、お前さんが付け誤れば、お前さんの妻をわしに差し出すだけだ」と言って、文箱を与えたので、郡司は、茫然とした状態でそれを受け取った。

郡司は家に帰ったが、たいそう悩み悲しんでいる様子なので、妻が「お役所に召し出されて、何事があったのだろうか」と不審に思っていたが、思い悩んでいる様子なので、胸が塞がる思いで、「何事があったのですか」と訊ねた。男は、しばらくの間答えず、妻の顔を見て、ただ泣きに泣く。
妻はその様子を見て、胸も潰れる思いで、「いった何があったのですか」と訊ねると、男はためらいながら答えた。「長年、お前のもとを片時も離れることなく、愛おしく大切に思ってきたが、それも、あと五、六日と思うと、悲しいのだ」と。
妻が、「おかしな事をおっしゃいます。どういう事か、早く聞かせて下さい」と言うと、男は涙ながらに、「国司殿がこうこう仰せられて、この文を与えられたのだ。七日のうちには、如何なる事があろうとも、この歌の下の句をうまく付けることなどとても出来ない。されば、わしは間違いなく負けるので、お前と別れる日が間近に迫っているのだ」と言った。
妻は、「そのような事は、人の力が及ぶことではありません。『ただ仏様だけが、この世では難しいような願いを満たして下さるそうです。なかでも、観音様は、一切衆生を憐れみたもうことは、親が子を慈しむのと同じだ』と聞いております。されば、この国に在(マ)します石山寺の観音様にお願いに行くべきです」と言って、「今日から精進を始めて、七日目に帰ってくるのがよろしいでしょう」と、精進を始めさせた。

                     ( 以下 ( 2 ) に続く )

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郡司の美しい妻 ( 2 ) ・ 今昔物語 ( 16 - 18 )

2023-08-15 11:28:08 | 今昔物語拾い読み ・ その4

       『 郡司の美しい妻 ( 2 ) ・ 今昔物語 ( 16 - 18 ) 』

       ( ( 1 ) より続く )

さて、家中の者が身を清めて三日目に、郡司の男は石山寺に詣でた。
一夜お籠もりをしたが、夢さえ見なかった。
男は嘆き悲しんで、「私は、観音様の大悲のご利益の中に入る身ではないのでしょう。そういう因縁なのだ」と思って、後夜(ゴヤ・一夜を初、中、後の三分した最後の時間帯。明け方近く。)に御堂を出て、悲しげな様子で家に帰ろうとしたが、途中、これから参ろうとする者も多く、帰ろうとしている者も多くいた。

その中の心ある人は、「何をそれほど悲しんでいるのですか」と尋ねてくれるが、「何も悲しんではいませんよ」と答えながら帰っていくと、それほど若くない気品のある女性が、市女笠(イチメガサ・女性の外出用)を被り、一人二人の供の女を連れて静かに歩いてくる。
その女がこの男を見て立ち止まり、「そこの帰ろうとなさっているお方、何かお嘆きのご様子ですが」と言った。
男は、「いえ、何も嘆いてなどいませんよ。私は伊香郡より参った者です」と言った。
女は、「でも、とてもお悩みのご様子です。お話し下さい」と熱心に言うので、男は不思議な気がして、「もしかすると、観音様が私を憐れんで、姿を変えておっしゃっているのかも知れない」と思って、「実は、然々の事がありまして、観音様のお助けを蒙ろうと思い、石山寺に詣でて三日三夜(前述では、一夜だけのお籠もりとあるので、つじつまが合わない。嘘をついていると言うより、前述が間違っているようだ。)お籠もりしましたが、まったく夢さえも見させて下さいません。これも、そうした因縁があってのことだろうと思い、嘆きながら帰るところでした」と言った。

すると、女は、「ほんとうにお安いことですのに、早くおっしゃっりもなさらないで・・・。こうお答えなさい」と言うと、「みるめもなきに人のこひしき」と付け加えるのを聞いて、嬉しいことこの上なかった。
「これは観音様がお示し下さったのだ」と思って、「あなたは、どちらにお住まいのお方ですか。この喜びは、とても口では表すことが出来ません」と言うと、女は、「さあ、この私を誰だと言えば良いのでしょうね。でも、いつか、私が誰だが気付いて下されば嬉しいです」と言うと、寺の方に歩いて行ってしまった。

男が家に帰ると、待ちかねていた妻は、「どうでした、どうでした」と尋ねると、男は「然々の事があったのだ」と話すと、妻は、「やはり、ご利益があったのですね」と言って、この歌の下の句を書いて、預かっている文箱と共に、七日目の夕方に国司の役所に参上すると、国司は、「郡司がやって来た」と聞くと、「ともかく、期日通りにやって来たことは奇異なことだ。しかし、下の句は付けることは出来まい」と思って、「こちらに参れ」と呼び寄せると、文箱と歌の下の句を奉った。
国司が書かれている歌の下の句を見て、「不思議なことだ」と思って、文箱を開いて見ると、上の句とぴったり合っているので、感心し恐れを感じて、多くの褒美を与えた。また、「わしの完全な負けだ」と認めて、約束したように国を分けて治めさせた。

この文箱の中の歌の上の句は、『 あうみなる いかごのうみの いかなれば 』とあったが、それに対して、『 みるめもなきに 人のこひしき 』と付けたのは、まことにすばらしい。
観音様がお付けになられたのだから、どうして下手なはずがあろうか。

その後、この郡司は国を分けて治め、観音の恩に報い奉るために、かの石山寺に一日の法会を行い、長く恒例の行事として今も続いている。その郡司の子孫が相次いで、今もその法会を営んでいるという。
観音の霊験の不思議なること、かくのごときである、
となむ語り伝へたるとや。 

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異国の后 ・ 今昔物語 ( 16 - 19 )

2023-08-15 11:27:37 | 今昔物語拾い読み ・ その4

       『 異国の后 ・ 今昔物語 ( 16 - 19 ) 』


今は昔、
新羅の国に国王の后がいた。
その后は、隠れて密かにある男と情を通じていた。国王はこの事を聞いて、大いに怒り、后を捕らえて髪に縄を付け、間木(マギ・長押の上に渡した横木。一種の棚。)
に吊り下げて、足を床から四、五尺ばかりの高さに引き上げて置いた。

后は、苦しみもだえたが、どうすることも出来ず、自ら心の中で、「わたしはこのように堪え難い罰を受けていますが、助けてくれる人はありません。ただ、伝え聞いたところによりますと、『
この国より遙かな東の方に、日の本という国があると言うことです。その国に長谷という所があり、そこに霊験のあらたかな観音様が在(マ)します』とのことです。観音菩薩様の慈悲は、深きこと大海よりも深く、広きこと世界よりも広いと申します。されば、心から願を掛けたならば、どうしてそのお助けを蒙らないことがありましょうか」と祈請して、目を閉じて深く念じているうちに、にわかに足の下に金(コガネ)の踏み台が現れた。
そこで后は、「これは、わたしが念じ奉ったゆえに、観音様がお助け下さったのだ」と思って、その踏み台を踏んで立つと、苦しみが消えた。この踏み台は、誰にも見えなかった。

その後、数日経って后は許されることになった。
后は、「ひとえにこれは、長谷の観音様のお助けだ」と思って、使いを差し向けて、多くの財物を持たせて、日本に行かせて長谷の観音に奉った。その中に、大きな鈴、鏡、金の簾があり、それらは今もこの寺に納められている。

まことに長谷の観音の霊験は不思議である。念じ奉る人は、他国の人であっても、そのご利益を蒙らないということがない。人はぜひともここに足を運び、頭を傾けて礼拝し奉るべし、
となむ語り伝へたるとや。

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法師姿の盗賊 ( 1 ) ・ 今昔物語 ( 16 - 20 )

2023-08-15 11:27:13 | 今昔物語拾い読み ・ その4

       『 法衣姿の盗賊 ( 1 ) ・ 今昔物語 ( 16 - 20 ) 』


今は昔、
大宰大弐(ダザイノダイニ・太宰府の次官)[ 欠字。人名が入るが不詳。]という人がいた。子どもが大勢いたが、その中に弟子(オトゴ・末っ子)である男の子がいた。年がまだ若く、やっと二十歳ほどであった。容姿が美しく、賢く思慮深かった。武勇の家ではなかったが、力強くて勇猛であった。

父母は、この子を大変可愛がり、任国の鎮西に連れて行っていたが、その時の太宰少弐(大弐の下の役。)に筑前守[ 欠字。人名が入るが不詳。]という人がいた。その人に娘がいたが、容姿端麗で気立ても良かった。年はまだ二十歳になっていなかった。父母はこの娘をとても可愛がって、[ 欠字。国名が入るが不詳も、「筑前」が考えられる。]国に連れて来ていた。
ある時、大弐は、「わしの息子に、そなたの娘を嫁にいただけないか」としきりに求めるので、上官である大弐の申し出を拒絶するわけにもいかず、吉日を選んで結婚させた。

その後、二人は夫婦として深く契りを結び、互いに思いやって暮らしていたが、この男には、もともと任官の望みがあり、京に上ろうとしたが、男はこの妻を片時も離したくないと思って、「一緒に京に上ろう」と言うと、妻はその言葉に従い、共に上京することになった。
「海路は危険だ」ということで、陸路で京に向かったが、急ぐ道中なので、従者を選び抜いて二十人ばかりを引き連れていた。徒歩の者が多く、荷物を負わせた馬も多くいた。

夜も昼も時間を惜しんで上って行ったが、播磨国の印南野(イナミノ・現在の加古川市から明石市にかけての平野。)を過ぎようとする頃、申(サル・午後四時頃)を過ぎる刻限で、季節は十二月の頃で、風が吹き、雪がちらついてきた。
その時、北の山の方から、馬に乗った法師がやって来た。近くまで寄って来て馬から下りるのを見ると、年が五十歳余りで、太っていて人徳ありげな法師で、赤色の織物の直垂(ヒタタレ・貴族や武士の平服。)、紫の指貫(サシヌキ・指貫袴)をつけ、藁靴を履き、漆塗りの鞭を持ち、はやる馬には螺鈿(ラデン)の鞍が置いてある。
法師は畏まって、「私は、筑前守殿に長年仕えていた者です。この北の辺りに住んでおりますが、風の便りに、『京にお上りになる』と承りましたので、『御馬の足を休めていただくために、粗末な家ではありますがお迎えしよう』と思って参上しました」と言ったが、その様子はまことに礼儀正しい。

そこで、従者たちは皆馬から下りた。主人の男も馬を控えて、「大切な用件があって、夜も昼も休むことなく京に向かっていますので、この度は失礼いたします。ただ、このように親切なお申し出ですので、年が改まって京から下る時に、必ずお尋ねいたしましょう」と答えた。
しかし、法師はなお熱心に引き止めるので、それを振り切るわけにもいかず、日も山の端に近くなってきた。
従者たちも、「このように熱心におっしゃるのですから」と言うので、「それでは」と、行くことにすると、法師は喜んで先に立って行く。
「すぐそこです」とは言うが、三、四十町(1町は約110m)ほども行くと、山のそばに土塀を高く巡らして多くの家が立ち並んでいた。
中に入り、寝殿と思われる家の南面(ミナミオモテ・南向きの正殿)に案内された。様々なご馳走が用意されていた。遠く離れた所に侍の詰所があり、従者たちにも十分なもてなしがあり、馬には秣を食わせたりと、どんちゃん騒ぎのもてなしであった。

主人の男のそばには、一人二人の侍女が付き添っている。
やがて、装束などを脱いで休むことになった。目の前にはすばらしい食膳が用意されていて、酒などもあるが、旅の疲れでとても手を出す気にならない。付き添っている侍女たちは食べたり飲んだりして、皆寝てしまっているようだ。
主人の男と妻は、疲れのために寝付かれず、寝物語などささやきあっていたが、「このような旅の空で、この先どうなるのだろう。何だか怪しくて、心細い気がする」と言っているうちに、夜もしだいに深まっていった。

その時、奥の方から人がやって来る足音がした。
怪しく思っていると、近くまでやって来て、枕元の遣戸(ヤリド・引き戸)を引き開けた。
主人の男は、「何者だろう」と思って、起き上がるや否や、髪をつかまれむりやりに引き出そうとする。力のある男だが、突然のことなので、不覚にも引きずり出され、枕元の刀に手を掛ける隙もない。
相手は、蔀戸の下を蹴破って、男を外に押し出して、「金尾丸はいるか。いつものようにうまくやれ」と叫んだ。すると、恐ろしげな声で、「ここにおります」と答えるや、男の襟首を掴んで引きずっていく。

何と、片隅に土塀を巡らして、脇戸を付けて、その中に深さ三丈(約3m)ほどの井戸のような穴を掘り、底には先の尖った竹の杭を隙間なく立て、長年の間、このように上り下りの人を騙して屋敷に誘い込んで、一日一夜死んだように酔う酒を用意していて、それを飲ませて、一行の主人をこの穴に突き落とし、酔って死んだようになっている従者どもの持ち物を剥ぎ取り、その後、殺す者は殺し、生かす者は生かして家来にして使うためであった。
この男は、それを知らずにやって来てしまったのである。

                     ( 以下 ( 2 ) に続く )

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法師姿の盗賊 ( 2 ) ・ 今昔物語 ( 16 - 20 )

2023-08-15 11:26:46 | 今昔物語拾い読み ・ その4

       『 法師姿の盗賊 ( 2 ) ・ 今昔物語 ( 16 - 20 ) 』


               ( ( 1 ) より続く )

さて、金尾丸は、主人の男を引きずって、その穴のそばに持っていき、脇戸を開いて、自分は脇戸の外側に立ち、引きずってきた男をその穴に突き落とそうとした。男は、脇戸の横の小柱を掴んでいるので突き落とすことが出来ないので、金尾丸は穴の方に立って、男を引き入れようとした。穴の方は少し傾斜していたので、男が身をかわして金尾丸を強く突いたので、金尾丸は真っ逆さまに穴に落ち込んでしまった。
男は脇戸を閉めて、縁の下にもぐりこんで、どうしたものかと考えたが、どうしようもない。従者たちを起こしに行こうとしたが、みな酔って死んだようになっている上に、間に堀があって、橋が外されている。

そっと縁の下に入って聞き耳を立てていると、法師が男の妻の許にやってきて話しかけている。
「さぞ、情けない奴だと思うでしょうが、昼間、あなたの笠の垂れ絹が風にあおられたときに、お顔を見ましてね、心を奪われてしまったのですよ。無礼を許して下さいよ」と行って、妻のそばに横になる。
しかし、妻は、「わたしには、宿願がありまして、百日間の精進をして上京しているのですが、まだ、あと三日残っています。同じ事なら、それが終ればお言葉に従いましょう」と言う。
法師は、「いやいや、それ以上の功徳を造らせてあげますよ」と言ったが、妻は、「頼みとしている夫が、このように目の前からいなくなってしまったのですから、今は身を任せるしか仕方のない立場なのですから、嫌とは申しません。ですから、決してお急ぎにならないで下さいな」と言って、すぐにはなびこうとしないので、法師は、「なるほど、もっともなことだ」と言って、もと来た方に戻っていった。

妻は、「そうとはいえ、わが夫は、そう簡単に殺されたりはしないはずだ」と思ったが、縁の下で、上の二人のやりとりを聞いていた男は、悔しくて悲しかった。
男がふと見ると、妻が座っている前の辺りの板に、大きな穴が空いているのが見えた。それに気付くと、男は木の切れ端を穴から差し出した。妻はそれを見つけて、「やはり、夫は生きている」と思って、その木を引っ張って動かした。縁の下の男は、「妻は気付いてくれた」と思った。
その間にも、かの法師は度々やって来て妻を口説いたが、妻はあれこれと理由を付けて言うことを聞かないので、また戻って行く。

その隙に、妻はそっと蔀戸を開けると、男は縁の下から出て、部屋に入り、手を取り合って涙を流した。
「たとえ死ぬとしても、その時は一緒だ」と思って、「わしの太刀はどうした」と尋ねると、「あなたが引き出された時、畳の下に隠しておきました」と言って取り出したので、男は喜び、妻に着物を一枚着せて、自分は太刀を持って、北表(キタオモテ・家人の居間)の居間の方にそっと近寄り覗いてみると、横長のいろりのそばに、まな板を七つ八つ置いて、数人の男が食べ散らかしている。弓・胡録(ヤナグイ・矢を入れて背負う武具。)・甲冑・刀剣が立て並べている。
法師は、前に台を二つ並べ、銀の食器などを並べ、食べ散らかし、脇息に寄りかかって、頭をたれて、座っていながら[ 欠字。「居眠り」と言った言葉らしい。]をして寝ている。

その様子を見て、男は、「長谷(ハツセ)の観音様、なにとぞ私をお助け下さって、父母に今一度会わせて下さい」と念じて、「あの法師はうまい具合に眠っている。走りかかって首を切り落し、共に死ぬつもりだ。それ以外に、わしの逃れる方法はない」と覚悟を決めて、そっと近寄り、垂れている首をめがけて太刀を打ち下ろすと、法師は「やや」と言って両手を挙げて転び回ったが、さらに太刀を打ち下ろすと動かなくなった。

この間、法師の近くに多くの男どもがいたが、まことに観音の助けがあったので、「大勢の人が突然攻めてきて、あの法師を殺してしまったぞ」と思った上に、また、心ならずもこのように手下にさせられている者どもなので、「手向かいしよう」とは思わなかった。
まして、首領である法師が死んでしまったので、もはや戦う気力もなくして、各人が口々に、「わしらは罪を犯したことなどありません。然々の人の従者であったのを、心ならずもこのようにしているのでございます」と言うので、然るべき場所に押し込めて、大勢の仲間がいるように見せかけて、夜が明けるのを待ったが、心許ない限りだった。
ようやく夜も明けたので、男の従者たちを呼び寄せてみると、まだ夢見心地で、目を押したりこすったりしながら酔い覚めしたばかりの顔でやって来たが、夜中の出来事を聞いて、いっぺんに酔いが覚めたようだ。

あの所に行き、脇戸を開いてみると、深い穴の底に尖った竹の杭が隙なく立てられていて、それに貫かれた、古い死骸や新しい死骸が数多くあった。昨夜の金尾丸はどうなったかと見ると、背が高く痩せた童で、粗末な衣一枚を着て、下駄を履いたまま杭に貫かれていて、未だに死にきれず動いていた。
「地獄という所は、このような所だろうか」と思いながら、昨夜この家にいた手下の男どもを呼び出すと、皆やって来て、長年心ならずもここで使われていたと話した。
それを聞いて、これらの者を罰することはなかった。そして、使者を上京させて、事の経緯を申し述べると、朝廷はそれをお聞きになり、「正しい処置である」とお褒めの言葉があった。その後、男は京に上り、官職を賜り、恵まれた生活を得て、この妻と住むようになった。その折々には、この時のことを思い出して、泣いたり笑ったりしたことだろう。
盗人の法師は、縁があるという人は現れず、そのままに終ってしまった。

賢く思慮深い心の持ち主は、こういう対応が出来るのである。とはいえ、人はこれを聞いて、知らない所へ軽率に行ってはならないのである。
また、この事は、ひとえに観音のお助けによるものである。観音は人を殺そうとはお思いにならないが、法師が多くの人を殺したことを悪いとお思いになったのであろう。
されば、悪人を殺すのは菩薩行である、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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盗賊に嫁いだ女 ( 1 ) ・ 今昔物語 ( 16 - 21 )

2023-08-15 11:26:15 | 今昔物語拾い読み ・ その4

      『 盗賊に嫁いだ女 ( 1 ) ・ 今昔物語 ( 16 - 21 ) 』


今は昔、
鎮西の[ 欠字。国名が入るが不詳。]国に住んでいた人が、上京し、いろいろ用事があり数か月滞在していたが、そのうちに一人暮らしがさびしくなってきた。
そこで、泊まっている家の隣の下女の口利きで、宮仕えをしている若くて美しい女を妻にすることになった。

その後、男はこの女をそばから離さず大切にしていたが、男が本国に帰る時がやって来たので、この女を連れて行こうと相談した。女は京に身寄りもなく、知人もいないので、「誘う水があれば」と思っていたので、男の申し出を受けて、行くことになった。
隣の女も、「お世話した甲斐があった」と言って喜んだ。
こうして、この妻を連れて本国に帰った。男は、もともと裕福だったので、何不自由なく暮らしているうちに、二、三年が過ぎた。

ところが、この男は、隠してはいるが盗みを仕事にしていたので、妻もいつしかそれに気付いた。
「知らぬ他国で、何か怖ろしい事が起らなければよいが」と思いはしたが、男が大切にしていることもあり、素知らぬふりをして過ごしていたが、「盗みをやめるように言おうか」とも思うこともあったが、夫はとても猛々しい男なので、怖ろしくて言い出すことが出来なかった。
しかし、やはり、「止めさせなくては」と決心して、ある静かな夜、共寝して、あれこれと語り合い、行く末を誓い合ったあとで、妻は、「あなたにお話ししたいことがあります。聞いて下さいますか」と言った。男は、「どんなことでも、聞かない事などあるまいか。たとえ命を失うことであっても、嫌だとは言わない。いわんや、それ以外のことであれば」と答えた。
女は嬉しく思って、「この何年もの間、怪しい行動を見ております。それを止めていただけないでしょうか」と言った。男は、それを聞くや顔色が変わり、黙ってしまった。
妻は、「とんでもないことを言ってしまった」と後悔したが、今さら取り消すことなど出来ない。
その後は二度と口にしなかったが、その後は男の態度が変わり、妻のそばに近付こうともしなくなった。
妻は、「言わずもがなのことを言って、わたしはきっと殺されてしまうだろう」と嘆いていたが、この女は以前から観音品(カンノンボン・妙法蓮華経の第八巻第二十五品。)を毎日読誦し奉っていたので、「観音様、なにとぞお助け下さい」と心の内で深く念じた。

それから四、五日ばかり経って、男は妻に言った。「今日、この近くの温泉場に行くが、一緒に行こう」と。
妻は、「今日、わたしを殺そうとするのだろう」と気付いてはいたが、逃れるすべもないので、付いて行くことにした。
男は、妻を馬に乗せて、自分も馬に乗り、胡録(ヤナグイ・矢を入れて背負う武具。)を背負い、従者を二人ばかり連れて、申酉(サルトリ・午後五時頃)の頃に出発した。
妻はこれから死ぬことが悲しく、涙が流れて行く道も見えないが、ただ心の内で観音を念じ奉って、「この世は、これで終るでしょう。どうぞ、後生をお助け下さい」とお願いした。

こうして行くうちに、片側が山で、もう片方が沼とはいえ池のようで沢めいた所の細い道にさしかかった時、妻は男に、「今、どうにも辛抱できなくなりました。馬からしばらく下ろして下さい」と言った。男は不機嫌な様子で、「仕方がない。下ろしてやれ」と命じると、従者が近寄ってきて抱き下ろしたので、妻は沢の辺りに下りて、用を足す様子でかがみ込んだ。
抱き下ろした従者は近くに立っていたが、妻が「このような所の近くにいないものですよ。あっちへ行きなさい」と言ったので、主人の男も、二段(約 22m )ばかり離れて、馬を止めて立っていた。
妻は、「殺されるよりは、この沼に身を投げよう」と思って、着ている着物などを脱ぎ、その上に市女笠を置き、かがんでいるように見せかけて、自分は裸でそっと沼に這い入って行ったが、主人も従者たちもまったく気がつかない。

                  ( 以下 ( 2 ) に続く )

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盗賊に嫁いだ女 ( 2 ) ・ 今昔物語 ( 16 - 21 )

2023-08-15 11:25:48 | 今昔物語拾い読み ・ その4

       『 盗賊に嫁いだ女 ( 2 ) ・ 今昔物語 ( 16 - 21 ) 』


      ( ( 1 ) より続く )

さて、男の妻である女は沼に逃げ込んだが、この沼の表面は泥のようで、葦などという物が生い茂っていて、底は非常に深くなっていた。
女は、水中に落ち込むや否や、沖と思われる方向へ、無我夢中で這って行った。「もう死ぬだろう」と思いながら、観音を念じ奉り、どことも分からぬままに這い続けた。
そして、底を這って行くうちに、その水中で、遠くから荒々しい男の声で、「どうしてこれほど時間がかかるのか。早く馬に乗れ」と言っているが、女の声がしないので、蕪箭(カブラヤ・鏑矢。音を立てて飛び、合戦合図などに用いられた。)を放った。市女笠の上を射たが、女の声もせず、手応えもなかったので、主人の男は、「おかしいぞ。様子を見てこい」と従者に命じると、従者は近寄って見てみると、女がいないので、「おいでになりません」と言うので、主の男が馬から下りて見てみると、着物と笠はあるが女の姿はなかった。
驚いて、まず山の方を捜したが見つからない。「沼に入った」とはまったく疑わなかった。そのうちに、日が暮れて暗くなってきたので、男は頭の毛を掻きむしって悔しがったが、どうすることも出来ず、家に帰っていった。

一方、女は遙かに沖の方に向かって、一晩中這い続け、暁(夜明け前)になって、少し浅い所に這い出た。
見れば、ぼんやりと岸が近くに見える。人里のような所が見えたので、喜びながら、まず岸に上がった。まるで泥人形のようになっていたので、水のある所に行って体を洗った。
三月頃のことなので、非常に寒い。ぶるぶる震えながら、「どこかの家に入れてもらおう」と思っているうちに、夜も白々と明けてきたが、そこへ杖を突いた翁がそばにやって来て、女を見つけて、「これはまた、どなたですかな。そのような裸姿でいらっしゃるのは」と声を掛けてくれたので、「盗人に遭ったのです。どうすればいいでしょうか」と言うと、翁は、「 それはお気の毒に。さあ、一緒にいらっしゃい」と言って、女を家に連れて行き、妻の媼(オウナ)に、「これをご覧。このようにお気の毒な人がお見えだよ」と言った。この媼は慈悲深い人で、この女を憐れんで、粗末な襖(アオ・袷のような着物)という物を着せて、奥の方に座らせて、火で温めてやったりしたので、女は生き返った気持ちで横になっていたが、食べ物などを心を込めて食べさせ、二、三日世話をしているうちに、よく見ると、まことに美しい女であるのに気がついた。
そして、何と、ここは女が殺されかけた沼地から遠く離れた[ 欠字。現在地を記したと思われるが、不詳。]

ところで、その国の国司[ 欠字。氏名が入るが不詳。]という人の息子で、まだ若い男がいたが、まだ妻を持っていなかったが、この家の媼の娘は国司の館に奉公していたが、休みをもらって家に帰ってきた時、この女と出会い、話し合うなどして数日過ごしたが、その女童(媼の娘のこと)が館に戻ってこの女の様子を話すと、国司の息子はその話を聞くと、すぐにその小さな家に行き、強引に中に入って女を見ると、まことに見た目がよく、どこと言って非の打ち所のない女が、粗末な襖を着て座っていた。
近寄って抱き寄せようとすると、女も拒絶する様子もなかったので、親しい仲になった。
その後、男は衣装などを与えて、館に迎えて一緒に住んだ。

こうして数日館に住んでいる間に、女はこれまでの出来事を漏らすことなく、泣きながら語ったので、男は、「不思議なことがあるものだ」と思って、父の国司に、この女の事だとは言わず、国司には、[ 欠字。国名が入る。女が殺されそうになった所は別の国らしい。]国に、某々という男がいますが、長年盗みを働いていて、近頃京から妻を迎えましたが、その妻を殺そうとしましたが逃げられてしまい、その妻は今この国にいます。速やかにその男を召し捕るべきだと思います」進言した。
国司はこれを聞くと、使者を彼の国に遣わして、事の次第を言い送った。
彼の国でも、その男には前々からそうした噂があったところに、そのような言い送りがあったので、すぐにその男を捕らえて、彼の国の役人を付けて護送してきたので、その罪を問うと、しばらくは白状しなかったが、拷問の結果遂にすべてを自白した。
本の妻は、御簾の内でこれを見て、まことに哀れに思った。
この盗人の男は、野に連れて行って首を切ってしまった。

女は、この家の息子と末永く夫婦として、京に上って住むようになった。
「これは、ひとえに観音様のお助けである」と信じて、いよいよ熱心に観音に帰依したのである。
まことの信仰心がある者には、このように仏のご利益を蒙ることが出来るのである。この話は、女が語ったものだ、
となむ語り伝へたるとや。

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観音に救いを求める ・ 今昔物語 ( 16 - 22 )

2023-08-15 11:25:13 | 今昔物語拾い読み ・ その4

       『 観音に救いを求める ・ 今昔物語 ( 16 - 22 ) 』


今は昔、
誰とは分からないが、かなり前のことであるが、京に身分の賤しくない人の娘がいた。
容姿はまことに美しいが、生れた時から聾者であったので、父母は明け暮れこれを嘆き悲しんでいたが、何の甲斐もない。
しばらくの間は、「神の祟りか、あるいは、何かの霊の仕業か」などと疑って、仏神に祈請し、高僧を招いて祈らせたりしたが、成人しても遂に物を言うことがなかったので、とうとう父母も構わなくなってしまった。
ただ、乳母だけがこの女を哀れみをかけて暮らしていたが、父母は相次いで亡くなってしまった。

その為、ますます乳母は、この女を哀れみ、嘆きながらも、「この人を結婚させて、子供を産ませて、行く先の頼りにしてあげたいものだ。容姿が美しいので、しばらくは妻にしてくれる人もいるだろう」と思いついて、美しくて心優しげなある殿上人に、女の事情を話さないまま仲を取り持った。
乳母は、その女にも涙ながらにその事を言い聞かせて、承知させたうえで、二人は結ばれた。その後、男は毎日のように通ってきたが、女の美しさに惹かれ、離れがたく愛らしく思って、何かと女に語りかけたが、女はまったく物を言わない。
しばらくの間は、「恥ずかしがっているのか」と思っていたが、女が何か物を言いたそうにしながら目に涙を浮かべるのを見て、「この女は聾者だったのだ」と気がついた。
その後は、愛情に変わりはなかったが、「不自由な体なのだ」と思うと、少しばかり訪れるのが間遠になったので、女は、「つらいことだ」と思い、足跡を残すことなく、行き方知れずになってしまった。

男は、女のもとを訪ねると、女がいなくなっていたので、「身を隠してしまったのか」と思うと、女の顔や姿が思い出されて、心に掛かり、恋い悲しんで、あちらこちらと尋ね求めたが、どうしても見つけることが出来ず、嘆きながら過ごしていた。
女は、石山(石山寺)という所にあの乳母の親類に当たる僧がいるのを尋ねて、親しい侍女一人と小間使いの童女だけを連れて来ていたのである。
そこにおいて、「尼になろう」と決心していたので、この石山の御堂に籠もって、心を尽くして、「『観音様は、叶えがたい衆生の願いを、叶えて下さること、他の仏様に勝っておいでだ』と聞いております。されば、わたしのこの病をお救い下さいませ。もし、前世の悪業(アクゴウ)が重くて、救おうとなさってもお出来にならないのであれば、わたしは、すぐに死のうと思います。その時には、どうぞ後世をお助け下さいませ」と祈念した。

このように祈念して、数日籠もっていたが、その頃、東塔(トウトウ・西塔、横川とともに比叡山三塔の一つ。)に[ 欠字。僧名が入るが不詳。「円満坊」という資料もあるらしい。]という阿闍梨がいた。非常に勝れた験者である。時の人は、皆頭を垂れて帰依すること限りなかった。
その人が、石山に参られた時に、御堂においてこの聾者の女が籠もっているのを見て、「あなたは何というお方ですか。どういうわけがあって籠もっておられるのですか」と尋ねた。
女は物が言えないので、紙に書いて事情を伝えた。
阿闍梨は、「私があなたの病の祈祷を致しましょう。これはひとえに、観音の利益衆生のお心によるものです」と言った。女は大変喜び、その気持ちをまた紙に書いて伝えた。
阿闍梨は、観音の御前において、心を尽くして加持をはじめ、三日三晩声を休めることなく祈祷を続けた。
しかし、その効験は現れなかった。すると、阿闍梨は加持の及ばないことを怒り、声をいっそう荒々しく涙を流して加持したところ、女は口の中から物を吐き出し始めたが、それが一時(ヒトトキ・二時間)にも及んだ。
その後、話せるようになったが、舌足らずのような話し方であった。だが、しだいにふつうの人のように話せるようになった。何と、長年悪霊がなせるわざだったのである。
女は泣きながら阿闍梨を礼拝して、心ばかりの布施として、長年持っていた水晶の念珠を阿闍梨に差し上げた。阿闍梨は念珠を受け取り、本の山(比叡山)に帰って行った。

女は、なお石山に留まっていた。
あの本の夫である殿上人の男は、この女をどうしても捜し出すことが出来ず、遂に道心を発(オコ)して、あちらこちらの霊験所を回って参拝していたが、やがて、比叡山に登り根本中堂に参ったが、あの阿闍梨のことは以前からの知り合いだったので、その僧坊を訪れて食事などして休んでいると、例の水晶の念珠が物に掛けられていた。
殿上人の男は、それを見て、とっさに阿闍梨に訊ねた。「この念珠は、どこにあったものですか」と。
阿闍梨は、「石山において、聾者の女性が参籠していましたので、その人を祈祷で治して差し上げたので、それで頂戴したものです」と答えた。
男は、その女性が聾者と聞くや、心が騒ぎさらに様子を詳しく聞くと、阿闍梨はその時のことをありのままに語った。それを聞いて、まさしく捜している妻だ、と心の内で喜び、京に急いで帰った。

それからすぐに、石山に行って妻を尋ねると、しばらくの間は身を隠していたが、無理に面会を求めて、これまで捜し求めていたことを女に訴えると、女も、「そうであったのか」と心を開き、遂に夫婦のよりを戻した。
互いに泣く泣く今までの事などを語り合い、すぐに一緒に京に帰り、深い契りを交わして夫婦として生活するようになった。
「ひとえに、これは観音様のご利益だ」と思って、二人共々に心から観音を信じ奉った。
観音の霊験はこのようなものなのだ、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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