『 谷村新司さん御逝去 』
谷村新司さんが お亡くなりになったとの報
突然の訃報に 大変驚きました
その折々に 記憶に残る歌を 聞かせていただいた
謹んで ご冥福をお祈りいたします
合 掌
☆☆☆
『 女院の病状悪化 ・ 望月の宴 ( 92 ) 』
こうしているうちに、女院(詮子。一条天皇生母。)は腫(ハ)れ物のため熱をお出しになり、お苦しみになる。
殿(道長)は大変ご心配なさって、途方に暮れていらっしゃる。
病状は、女院ご自身それほどでもないとお思いであったが、数日経つうちに、しだいにそのお気持ちも揺らいで、どうしたことなのだろうと、心細く思うようになられる。
帝におかれても、御気分がいつもとは違うと仰せであったので、どうなるのかとご心配なさり、お食事もお受け付けにならず、万事につけ塞ぎ込んでいらっしゃるので、御乳母たちもどうすればよいのかと心配申し上げている。
中宮(彰子、この時十四歳。)もお若い心ながらも、女院のご病状をあれこれとご心配申し上げている。
殿は、「こうなれば、医師に診てもらわなければなりません。このままでは大変恐ろしいことです」と、たびたび進言なさいましたが、女院は、「医師に見せるくらいなら、生きていても仕方がありません」と、かたくなに申されて、診させようとはなさらない。
殿は、そのご容態を医師に語り聞かせたところ、「寸白(スハク・寄生虫による病のことで、腫れ物もその一種と考えられていた。)でいらっしゃるようです」と言って、その為の治療などを施したので、そう悪化するようには見えなかった。
数日経ったためであろうか、腫れ物から膿(ウミ)が流れ出ているので、誰もが一安心なさって見守られていると、ただ御物の怪どもが次々に立ち現れるので、御修法(ミズホウ・密教の祈祷法)を数限りなく尽くし、世にある良いとされる手段を、宮中、殿(道長)方、院(詮子)方など三方に手分けして、あらゆる手段がなされた。
帝には、いかにいかにと毎日お見舞い申し上げたくお思いであるが、日取りなどお選びになられるので、数日が素早く過ぎていった。
御物の怪を四、五人に駆り移しながら、それぞれの受け持ちの僧が声高に祈祷していると、東三条院の隅(スミ)の神の祟りだということまで出てきて、事態はさらに難しくなってきた。
「恐ろしき山には(当時の諺らしいが不詳。)」と世間で言っているように、いっそう病状が芳しくないうえに、このような事(災いをする神)まで加わったので、所をお変えさせるべきだという意見も出て来て、御占いにも合う所は、惟仲(コレナカ・平惟仲)の帥中納言の所有の邸で、そちらにお移りになるとお定めになる。
すぐさま、その日に行幸もあるはずである。
このように、女院はいかにも苦しげになさっているのに、この若君(媄子内親王)はたいそう騒がしくはしゃぎまわっていらっしゃるので、御懐から離れようともしないでまつわりなさるのを、御乳母に「この宮をお抱き奉れ」とも仰せにならず、じっとされるがままにさせていらっしゃる御心ざしは、しみじみとあわれに感じられ、そば近くに奉仕する僧なども、涙を流して控えている。
長年、心から愛しみお世話を下さったお陰を蒙ってお仕えしてきた人々は、いったいどうおなりになるかと心配する他に、為す術もない。
誰もが、女院の病状平癒の大願を立てて、涙を拭っておそばに控えている。
☆ ☆ ☆