『 探査機 月面着陸成功 』
探査機「SLIM(スリム)」が 月面着陸に成功した
計画した軌跡をなぞる事や 到着地点は予定通りで
小型ロボットの切り離しにも 成功したが
太陽電池が発電できておらず
宇宙科学研究所の国中所長は 「ぎりぎり合格の60点」と
辛口評価のようだが 現時点で十分大成功だと思う
拍手 拍手 そして 感謝 感謝 である
☆☆☆
『 探査機 月面着陸成功 』
探査機「SLIM(スリム)」が 月面着陸に成功した
計画した軌跡をなぞる事や 到着地点は予定通りで
小型ロボットの切り離しにも 成功したが
太陽電池が発電できておらず
宇宙科学研究所の国中所長は 「ぎりぎり合格の60点」と
辛口評価のようだが 現時点で十分大成功だと思う
拍手 拍手 そして 感謝 感謝 である
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『 道長と花山院 ・ 望月の宴 ( 100 ) 』
さて、こうしているうちに、帥殿(伊周)が全く官位もない状態でいらっしゃるのを、「たいそうお気の毒なことである」などと、殿(道長)は気の毒に思われて、准大臣の御位にして御封(ミブ・大臣の半分くらいの封戸らしい。伊周の場合は、大臣退職者に当たる千戸が与えられた。)などをお与えになる。
中納言(隆家)は、先年より中納言で、兵部卿と申されているようである。
世間の人は、まことに気持ちの良い配慮だとお喜び申し上げている。
今年(寛弘二年・1005 年)の十一月に内裏が焼失したので、五節の舞姫も参上することが出来なくなった。
このように内裏がしばしば焼けることを、帝はたいそうお嘆きになって、なおもこのようなことが続くようであれば、すぐにも退位しようと御心づもりでいらっしゃる。
(実際には、一条天皇の御代では、これ以外に内裏の焼失は起きていない。ただ、里内裏であった一条院が焼失している。また、この時の火事で、三種の神器である神鏡が焼損したらしい。)
寛弘三年になった。
今年は、大殿(道長)が御嶽精進(ミタケショウジ・吉野の金峰山に詣でる儀式。道長は四十一歳の前厄の年。)をなさることになっている御年なので、正月から外出など気軽にはなさらなかったが、恒例の儀式が次々に行われ、月日が過ぎていく。
今年は不用(事が叶わないこと。)な年なのかお思いになっているうちに、四、五月にもなった。
五月には、恒例の法華三十講の法会を、月の前半の十五日間お勤めになり、後半の十日余りには、競馬(クラベウマ)をさせようとて、土御門殿の馬場を柵などを立派に仕立てさせられる。
行幸や行啓などを仰ごうとお考えであったが、このところ雨の日が多く、催しなどが出来ないような有様なので、それでは、何もしないよりもということで、花山院の御もとに、「畏れ多いことながらお出ましいただいて、馬の様子などご覧いただいてはいかがでしょうか」と申し上げられると、何事につけ華やかになさるご性格なので、「全くうっとうしい気持ちが晴れ晴れすることでしょう。それでは、その当日に」とご返事なさったので、院の御幸のためにいろいろと御支度なさった。
また、院の御供の僧たち、殿上人たちに引き出物を与えぬわけにはいくまい、失礼があっては畏れ多い、院への贈り物は何がよいか、などとお考えをめぐらされる。
その日になると、今日の催しに院がお出ましになるのを光栄なことと思われて、たいそうご歓待申し上げる。院もたいそう興味を示されている。
そして、左右の乱声(ランジョウ・勝った方が笛・鉦・太鼓を大きな音で演奏する。)などが、勝負の度に大変聞き苦しいほど大げさにはやし立てるので、下品なほどである。
やがて、この競馬の催しも終ったので、院はご帰還なさる。御贈り物がたくさんある中でも、世にも珍しい月毛(ツキゲ・白にやや赤みを帯びた毛並み。)の御馬に立派な御鞍などをお置きになり、また、立派な御車に牛を添えて引き出物として差し上げられた。
院は夜になって帰還なさったので、殿がお見送りにいらっしゃったが、この院の御有様は、「棄つれど棄てられぬわざ」(当時の諺らしいが、出家しても世を棄てきれぬ有様を指しているらしい。)と、尊くも感慨深くお見受けされた。
こうした事をはじめとして、殿と院とはたいそう仲が良さげであられた。
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