厳しい寒波と共に『立春』がやって来ました。
個人的に大好きなフレーズである「暦の上では春ですが・・・」を使い放題ですが、あと数日、地域によっては雪による被害が心配されていますので、くれぐれもご注意下さい。
『立春』は、二十四節気の最初であり、自然の移り変わりということから見れば、一年の始まりとも言えます。八十八夜や二百十日は、立春を基準にして数えられます。
「一年の計は元旦にあり」という言葉があるように、私たちの生活パターンは1月1日を起点にしていますが、熟慮したはずの「一年の計」は、早くも揺らぎ始めています。『立春』は、一回目の微調整を図るチャンスかもしれません。
今年の立春は、本日2月3日ですが、違和感を感じた人もいらっしゃるかもしれません。
と言っても、立春の日がいつかという関心よりも、私たちには「節分」が何日だということの方が関心が強いようで、4年前( 2021 年)に、節分の日が2月2日になった時には、百何年ぶりの珍事だと報じられていました。
立春は節分の翌日ですから、その年の春分が2月3日であったことも珍事のはずですが、あまり報じられませんでした。
参考書によりますと、立春とは、「太陽黄経が315度になった瞬間が属する日」となっています。残念ながら私にはこの意味を解説することが出来ませんが、立春の日が年によって変ることがあるのは、一年がきっちり365日ではなく、閏年だけでも完全に調整出来ないことから不規則な形で変化するようです。
これまでの数十年でいえば、立春の日は2月4日がふつうのように思っていましたが、これからの35年間ばかりは4年に1度程度が2月3日になり、その先はさらにその比率が高まり、今世紀末の頃には3/4程度が2月3日立春になるようです。
私たちは、地球という星に生を受け生かされています。
日の出に感激し、日没に涙し、月の満ち欠けに心情を移入してしまいます。四季に恵まれている私たちは、桜の便りを待ちかね、秋には紅葉を楽しみ、夏や冬の厳しさや、台風や地震など自然災害の恐ろしさに身を震わせます。
私たちを取り巻いている自然の規則正しく、時には荒々しく変化する状況を受け入れながら懸命の日々を過ごしていますが、その一方で、立春の日や節分の日を調整しているような微妙な変化や、この宇宙の遙か彼方で起っている変化や、この地球の変化にさえも感じ取っていないものはたくさんあるような気がします。
電車に乗っていて、駅に少し長い時間止まっている時などに、横の線に止まっていた電車が動き出した時、一瞬、自分の乗っている電車が動き出したのかどうか分らなくなることがあります。自分の乗っている電車が動き出した時でも同様です。
錯覚といえばそうなのでしょうが、さらに言えば、太陽の進行も月の動きも、何も彼らだけが動いているわけではなく、この地球自身も動き続けているのですが、コペルニクスやガリレオに指摘されてもなかなか認めることが出来ず、現在に至っても私たちは実感することが出来ません。
日常生活においても、激しく動き回ったり、主張の激しい人が目立ちがちですが、多くの場合、それらが正しいとは言えない場合が多く、殆ど動くことなく、静観を決めたり堪え忍んでいる姿の奥にこそ真実や正義が秘められていることが多いことを私たちは学ぶ必要があります。
我が県政はズタズタになっていますが、それにつけても、真実とはいわないまでも、事の正否を今少し真剣に見定めようとする努力が必要だと痛感しています。
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