石川は、敦子が素直に喜んでくれていることを感じ取ると、次の品物を取りだした。子供用のタオルケットや肌着である。小さな靴下や涎掛けもあった。
子供服は少し大きそうだが、「すぐに着られるようになりますよ」と、セールスマンのような口調で次々と品物を広げた。
敦子は一つ一つに対して、「いいのですか? いいのですか?」を繰り返しながら、次々と出てくる品物に目を輝かせた。
「こんなにいただいて・・・、明日からは、この子は大変な衣装持ちになりますわ。石川さん、本当にありがとうございます。奥さまにも、くれぐれもよろしくお伝え下さい」
「いえいえ、喜んでいただけると、持ってきた甲斐がありますよ。実は、今日持ってきたのは一部だけで、まだ他にもあるんです。また持ってきますので、ぜひ使って下さい」
「助かります・・・。厚かましいですが、石川さんのご親切に甘えさせていただきます・・・。
正夫くん、きみは大丈夫だよ。きみは、いろいろな人に助けられているのよ。だから、きみは、絶対に悲しい方の人生じゃないからね」
敦子は、石川に何度目かの頭を下げた後、正夫くんに頬を合わせて、歌うように話しかけた。
その言葉は、不思議な響きを持って伝わってきた。
敦子がまるで呪文のようにわが子に話しかける「哀しい方の人生じゃないからね」という言葉が、石川に衝撃のようなものを与え、この後敦子の生きてきた道を垣間見ることになったのである。
「哀しい方の人生じゃないからね」という言葉が、まるで呪文のように聞き取れたことが不思議に思ったきっかけだが、まだ乳離れさえし切れていない子供と交わす言葉としては、あまりにも似合わないものだと思えたことにもあった。
まだ赤ん坊に過ぎないわが子に、「哀しい方の人生じゃないからね」などと話しかけることに不思議なものを感じるだけでなく、母親とはいえ、まだ二十歳そこそこにしか見えない女性と「人生」などという言葉には、違和感があるように石川には感じられたのである。
「哀しい方の人生じゃない・・・、ですか・・・」
石川は、質問するというほどの気持ではなかったが、若い母親の言葉を繰り返していた。
「えっ? ああ、この子のことですね。そう、この子は大丈夫です。石川さんに、こんなに親切にしていただいたし、他にもいろいろな人に親切にしていただいています。ですから、大丈夫なんです。この子は、大丈夫なんです」
「・・・。何が・・・、何が、大丈夫なんですか?」
「この子は、わたしと違って、哀しい方の人生なんかじゃありませんわ」
「わたしと違って? 小林さん、あなたは、どうだと言うんですか?」
「わたしですか・・・。わたしは、哀しい方の人生を歩いています」
「哀しい方の人生? 苦労されているということですか?」
「いいえ。わたしの苦労など、たいしたことではありません。ただ、哀しい方の人生を歩く運命に生まれてきているだけです・・・。ただ、この子には、哀しい方の人生を背負って欲しくないのです」
「もちろんですよ。こんなに元気で可愛い坊やが、哀しい人生を背負うことなどありませんよ。それより・・・、それよりも、あなたのことですよ。あなただって、哀しい人生を背負うことなどありませんよ。もし、今が哀しい状態にあるのでしたら、頑張って、そんなもの跳ねのけて下さいよ」
「ありがとうございます。でも、哀しい方の人生を歩くのは、決まってしまっているのですから、どうにもなりません。そういう運命に生まれてきたのですから、仕方がないんです・・・」
「仕方がないって・・・」
石川は、これ以上会話を続けることができなかった。
この時には、石川には敦子の言う「哀しい方の人生を歩く」という意味を理解することができなかった。不幸な状態にあるとか、苦労しているとか、ということではなかった。生まれてからずっと哀しい日々を過ごしてきたということとも、少し違うニュアンスであった。
人は生まれながらにして「哀しい方の人生を歩く人」と「そうでない人」とがいて、敦子は「哀しい方の人生を歩く」ように生まれてきている、という意味のようであった。
何の疑問も気負いもなく語る若い母親の様子から、石川はそのように感じ取ったのだが、何が敦子にこのようなことを言わせるのか、憤りのようなものがこみ上げてくるのを抑えることができなかった。
その憤りのよう気持ちをうまく表現できないことにいらだつている石川に、何事でもないかのように「哀しい方の人生を歩くように生まれてきています」と繰り返す敦子の言葉は、哀しい響きを持って彼に迫ってきたのである。
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