『 瓜食めば子ども思ほゆ ・ 万葉集の風景 』
題詞
子等を思ふ歌一首 并せて序
釈迦如来 金口(コンク・釈迦如来は金身であることからの表現)に正しく説きたまはく、
「衆生を等しく思ふこと 羅睺羅(ラゴラ・釈迦の実子)のごとし」と。また説きたまはく、「愛するは子に過ぎたりといふことなし」と。至極の大聖すらに なほし子を愛したまふ心あり。況んや 世間の蒼生(アオヒトクサ・雑草、衆生を指す)、誰か子を愛せざらめや。
瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来りしものぞ まなかひに もとなかかりて 安眠しなさぬ
( 巻5-802 )
うりはめば こどもおもほゆ くりはめば ましてしのはゆ いづくより きたりしものぞ まなかひに もとなかかりて やすいしなさぬ
意訳 「 瓜を食べれば 子どもが思い出される 栗を食べれば なおさら偲ばれる 何処よりどのような因果で 生れてきたのか 目の前に むやみにちらついて ゆっくりやすませてもくれない 」
反歌
銀も 金も玉も 何せむに
まされる宝 子にしかめやも
( 巻5-803 )
しろがねも くがねもたまも なにせむに
まされるたから こにしかめやも
意訳 「 銀も 金も玉も どれほどのことがあろうか すぐれた宝は 子に勝るものがあるのか 」
作者 山上憶良
* 作者の山上憶良(ヤマノウエノオクラ・ 650? - 733? )は、子どもや家族に思いを寄せる歌の第一人者と言える歌人です。それは、単に万葉集の歌人の中で、ということだけでなく、掲題の歌などは、現代の私たちにとっても馴染み深く、時代を超えて輝いています。
* 憶良は、701 年の第八次遣唐使の少録に任ぜられて、唐に渡り、儒教や仏教を学んでいて、彼の作品の随所にその影響が見られます。
714 年に、正六位下から従五位下に叙爵されていますので、歴とした貴族層に昇っています。
その後は、伯耆守や東宮(首皇子。後の聖武天皇。)の侍講などを務め、726 年に筑前守に就き任国に下りましたが、二年ほど遅れて太宰帥として太宰府に着任した大伴旅人と共に、筑紫歌壇の形成に尽力しています。
* 732 年に任務を終えて帰京し、733 年 6 月頃までの歌が残されているようですが、それからほどなく亡くなったようです。
現在に伝えられている憶良の歌の中には、私たちの日常の中でも見られるような様子が描かれていたり、少々気恥ずかしいほど子どもや妻などへの愛情を歌っているものがありますが、それこそが彼の面目躍如たる部分で、『どこからやって来たのか知らないが、気にかかって安眠も出来ない』と、嬉しげに嘆いている様子に、拍手を送りたいような気がします。
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