雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

蛇が恐い ・ 今昔物語 ( 28 - 32 )

2020-01-03 08:58:37 | 今昔物語拾い読み ・ その7

          蛇が恐い ・ 今昔物語 ( 28 - 32 )


今は昔、
山城国の介(スケ・時間)である三善春家(伝不詳)という者がいた。
前世が蛙でもあったのか、蛇をたいそう恐がった。世の中の人は誰でも、蛇を見て恐がらない人はないだろうが、この春家は、蛇を見ると物狂いしたかのようになる。

最近では、夏の頃のこと、染殿(ソメドノ・藤原良房の邸宅。桜の名所。)の辰巳(タツミ・東南)の角の山の木陰に、殿上人や君達(公達)二、三人ほどが行って、涼みがてらあれこれ雑談などしていたが、春家もその中にいた。ところが、よりによってこの春家の座っているすぐそばから、三尺ほどの烏蛇が這い出してきた。春家には見えなかったが、君達が見つけて「それ、見ろ、春家」と言ったので、春家が振り返ってみると袖のわきから一尺ばかりの所を、三尺ばかりの烏蛇が這って行くのを見つけたものだから、春家の顔色は朽ちた藍のような色になって、あきれるほどの悲鳴を上げて、立ち上がることもできなかった。それでも立とうとして、二度倒れた。
ようやく立ち上がった春家は沓も履かず、はだしのまま逃げ出して、染殿の東の門より走り出て、北の方向に走り、一条大路を西に西洞院まで走り、そこから西洞院大路を南に向かって走った。家は土御門西洞院(土御門大路と西洞院大路が交差する辺り)にあったので、その勢いで家に走り込んだ。
家にいた妻や子が、「いったい何事ですか」と尋ねたが、何も答えず、装束も脱がず、着たままうつ伏せに倒れ込んでしまった。

人々が寄ってきて尋ねても、何も答えない。装束を、人々が寄ってたかって右に左に転がして脱がせた。意識も不明な様子で伏しているので、湯を口に入れてやったが、歯をきつく噛みしめていて受け付けようとしない。体をさぐってみると、火のように熱い。妻子はこれを見て、肝をつぶし、「大変な事になった」とおろおろするばかりであった。
春家が逃げ出した時、春家の従者たちは何も知らず、辺りの物陰に控えていたが、ある宮家に仕えている雑色(下男)の一人が、「とても滑稽だ」とは思ったものの、春家の後を追って行き、家に駆けこんできたので、妻子は、「いったい何事があって、主人はこのように走って帰ってきて倒れ込んでしまったのですか」と尋ねると、宮家の雑色は、「実は、蛇を見て逃げて走られたのです。お供の人も皆さま涼もうとして物陰にいらっしゃいましたので何もご存知ないので、私が遅れまいと追って参りましたが、とても追いつくことが出来ませんでした」と答えた。
妻子はそれを聞いて、「前にもそういうことがありました。いつもの物狂わしいまでの物怖じをなさったのでしよう」と言って笑いだした。家の従者たちも笑った。その後になって、供をしていた者どもも帰ってきた。

まことに、どれほど可笑しかったことだろう。五位ほどの身分の者が、昼日中に大路を徒歩で、しかもはだしの者が、指貫(袴)の股立ちを取り、喘ぎながら、七、八町(1町は100m余り)も走ったのだから、大路を行く人もこれを見て、どれほど笑ったことだろう。
その後一月ばかりして、春家は染殿に参上したが、落ち着いて伺候することなく、あわてた様子で早々に退出したので、人々はこれを見て、目配せをしながら笑い合った。

されば、春家が蛇を恐がることは、世間の人が蛇を恐がることとは違っていたのである。
蛇は即座に人に危害を加えるとはないが、ふっと目に留まると気味悪く不快な気持ちになるのは、それが蛇の[ 欠字あり。「本性」か? ]なので、誰もがそう感じるのだろう。そうとはいえ、春家の場合は常軌を逸していた、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


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