雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

兼通 兼家兄弟の争い ・ 望月の宴 ( 11 )

2024-03-13 20:40:55 | 望月の宴 ①

        『 兼通 兼家兄弟の争い ・ 望月の宴 ( 11 ) 』


さて、九条殿(藤原師輔)が、藤原氏一族の中で抜きん出た存在となりました。
薨去なさいました後は、ご長男の伊尹(コレマサ)殿が摂政となられましたが、四十九歳にて世を去ってしまいました。

その後には、次の弟君兼通殿が、数人の上席の方々を越えて、権中納言から内大臣摂政となられました。御娘の女御も立后なされ、まさにわが世の春というめでたさでございます。
ただ、それも、九条殿のご子息方の激しい権力争いの入り口でございました。


九条殿の三郎君(三男・兼家)は、この頃は東三条の右大将大納言などと申し上げている。
御娘の冷泉院の女御(超子)がたいそうご寵愛を受けていることを、嬉しく思っていらっしゃるに違いない。
中姫君(詮子)の入内の事をどのように実現させようかと思っていらっしゃったところ、帝のご内意があって仰せ事が寄せられたので、ぜひにと思われたが、今の関白殿 ( 兼通 ) といえば、もともと関白殿と東三条殿 ( 兼家 ) との二人の御仲はよろしくない上に、中宮がすでに入内されておられるので、気兼ねせずにはいられないのであろう。

こうしているうちに天延二年になった。
関白殿が太政大臣になられた。肩を並べる人とてないご様子であるにつけても、ただ九条殿一族のご繁栄ばかりを世間はもてはやしている。
小野宮殿 ( 藤原実頼・九条殿の兄 ) の御次郎 ( 次男 ) 頼忠の大臣とこの関白殿との御仲は極めて良く、あらゆる政 ( マツリゴト ) を二人で相談されていたのである。

この年には、世間にもがり ( 天然痘 ) というものが流行していて、大勢の人々が、身分の上下を問わずこの病にかかって大騒ぎとなり、公私ともども憂慮の元となった。
身分の高い家の男も女も亡くなる人がたくさんいると取り沙汰されているが、その中でも、前摂政殿 ( 伊尹 ) の子息である前少将 ( 挙賢 ) と後少将 ( 義孝 ) のご兄弟が、同じ日に続いて亡くなられ、母の北の方がたいそう悲しみ嘆いていることを、人の世の哀れのためしとして噂しあった。とてもその様子を、そのまま伝えるすべもない。


この東三条殿 ( 兼家 ) と関白殿 ( 兼通 ) の御仲がことに険悪であることを、世間では不思議なことと思っていました。
なんとかして。東三条殿を蹴落としてやりたいとの一念を関白殿は抱き続けておりましたが、そのようなことが実現するはずもございません。
東三条殿は、何としても中姫君 ( 詮子 ) を入内させようと願っており、結局は何も恐れる必要もないと決心なさって、密かにその準備を進めておりました。

このお二人の堀河殿 ( 邸 ) と東三条殿 ( 邸 ) とは、わずかに閑院 ( 邸 ) を隔てているだけですので、 東三条殿に参上する馬や牛車を兼通殿の方では、誰それが来たなどと家人が言うのを聞くと、「誰それは、あちらに追従しているのだな」などと意地悪くおっしゃるようで、それが恐くて、夜遅くに参上する人もいるようです。
そうした関係の中で、兼家殿は、今日明日にも中姫君を入内させようと決心なさったらしいことを兼通殿が伝え聞くと、「実に目に余るやり方だ。中宮 ( 兼通の娘・媓子 ) がちゃんとしておられるのに、あの兼家めが、こんなことを企んでいるとはとんでもないことだ。きっと、この私をどれほど呪っているのか」などと口癖のようにいっているものですから、兼家殿も厄介なことだと思われて、ひとまずは断念なさいました。ただ、やがては、自然に道は開けるものと思っていらっしゃいました。

     ☆   ☆   ☆

 


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