雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

人の値打ちが分る時 ・ 小さな小さな物語 ( 1845 )

2025-01-19 08:06:16 | 小さな小さな物語 第三十一部

一昨日17日は、阪神淡路大地震から30年を迎えた日でした。
各地で多くの追悼行事が行われ、天皇皇后両陛下も神戸においで下さいました。
ここしばらくは、関西では、新聞もテレビも、このニュースであふれていましたが、どうやら、今日あたりは、その種のニュースは殆ど見かけなくなることでしょう。
30年というのが、どの程度大きな意味を持っているのか、節目になる年なのかは分りませんが、ずいぶん長い時間だということは確かでしょう。
神戸をはじめとして、周辺の都市も、相当凄まじい被害を受けた場所もたくさんありましたが、すでに、その痕跡を見つけるのが難しいまでに復興を果しました。
しかし、このところの報道を見ていますと、人々が負った心の傷というものは、そう簡単に完治するものではなく、むしろ、増幅する部分も小さくないのだと教えられる思いでした。

当時、私の住居も勤務先も、甚大な被害を受けた地域からは少し離れていましたので、門塀や建物に少々の被害を受けただけですみました。しかし、同僚全員の安全が確認出来るまでには丸二日余りを要しました。
震災後の数ヶ月間の生活、私の場合は職場での対応でしたが、今思い出しても、よく乗り越えられたものだという気がします。
取引関係の中には、亡くなったり、家族を亡くされた人もいましたし、自宅も住居も燃えてしまった人もいました。小学校の体育館に非難されていた人を見舞った時に、「もう、駄目ですよ」と中小企業を経営していた親父さんが声を挙げて泣く姿に、掛ける言葉もありませんでした。
一方で、とてもありがたい経験もさせていただきました。災害発生から二か月ばかりは、私は朝5時頃に勤務先に入り、自分で出来る仕事は8時頃までに終え、後は、大半の社員は飲み水に困っていましたので、それを何とか集めることや、被災の大きかった取引先などとの対応などにあたっていました。そうしたある日、早朝に勤務先に着くと、その入り口近くに、何ケースもの飲料水の箱が積み上げられていました。そこには、「わずかですが社員の方々に」とのメモ書きが挟まれていました。50km以上離れた取引先でした。

当時のことを思い返してみますと、相当の被害を受けた人の中にも、「ハイ」になっていた人が少なくなかったような気がします。「火事場の馬鹿力」などというのは適切な表現ではないかもしれませんが、壊滅的な生活基盤を建て直すために、「つま先立ちで走り回るような状態」を続けていた人を何人も見たような気がします。同時に、「全くの無気力」に陥っている人もいましたし、残念ながら、「この機に一儲けを」という状況にも出会いました。
被害からいえば、ほんのかすり傷にもあたらない程度でしたが、私はこの期間に、多くのものを教えられたような気がします。

人は、平穏な状態であれば、賢いことも立派なことも言えます。
しかし、逆境に立ったとき、どういう振る舞いが出来るかが、その人の本当の価値ではないでしょうか。
かつて、ある著名な方(多彩な身分を持っていた)から、こんな話を聞いたことがあります。
「金持ちの人が金持ちの間は立派なことが言える。貧乏人が貧乏の間は賢いことが言える。ところが、金持ちが貧乏になったり、貧乏人が大金をつかんだ時には、そうはいかない。その時にこそ、その人物の値打ちが分る」といっものでした。
幸か不幸か、私は金持ちになったことがありませんし、明日食べる物がないというほどの貧乏も経験していません。つまり、本当の値打ちを示す機会もなかったということになります。幸か不幸か分りませんが。
おそらく私の生涯はこの状況が続きそうな予感があるのですが、もし、大金持ちになるか、明日の食べ物もなくなってしまった時に、どういう行動が取れるのか、根性を鍛えておくことも必要な気もするのですよ。


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