雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

遥かなる友よ   第一回

2010-02-12 08:51:55 | 遥かなる友よ

          ( 一 )


昭和も残り少ない年の初秋のことである。


私が富沢氏とお会いするのは五年ぶりであった。
その間にも、年賀状や挨拶状などの交換のほかに二度ばかり電話で声をお聞きしたことはあったが、直接お目にかかるのは実に久しぶりであった。


私が富沢氏を訪ねたのは、お見舞いのためだった。
私は関西勤務が長く、当時も兵庫県に住んでいた。東京に出てくる機会も少なく、富沢氏とお会いする機会が少なくなっていたのもそのためである。


その時私は、ある社内研修に参加するため三日間の予定で東京に出張していたが、たまたま同じ研修を受講しているメンバーの一人から富沢氏の近況を聞いたのである。
その友人の話では、富沢氏の病状は相当悪い状態らしいということで、今は退院して自宅で療養しているが、良くなっての退院ではなく、手術などの治療が出来ないため自宅に帰っているのだということであった。


富沢氏が一時身体を悪くされていたことは耳にしていたが、もうすっかり良くなったと便りなどで聞いていたので、友人の情報は意外だった。
私が知っている数年前の病気はいったん完治したのだが、それが再発したもので、今度は難しいらしく、その病状のことは富沢氏自身も告知を受けているらしいというのが、友人の話だった。


私は研修終了のあともう一日東京に残ることにして、富沢氏に連絡を取りお見舞いにあがることにした。


私は宿泊しているお茶の水から中央線で富沢氏宅に向かった。電車で三十分余りの距離にあるこの街は、東京の郊外都市として古い歴史を有しているが、私が初めておじゃました頃とは様変わりといえるほど変貌していた。


駅前は地方の中心都市を凌ぐ景観になっていて、徒歩十分足らずにある富沢氏の居宅は、大都会の真ん中にある閑静な住宅地という雰囲気に変わっていた。


奥さまに案内されて、改装されたらしいまだ新しい感じの応接室に入ると、富沢氏は立ち上がって歓迎して下さった。
その姿からは、お身体が勝れない様子が痛いほど感じられた。声音や落ち着いて語る口調など変わりはなかったが、身体全体の張りが五年前とは別人のようになっていた。もともと小柄なお方であったが、さらにひとまわり小さくなられているのが痛々しかった。


それでもきびきびとした雰囲気は失われておらず、出来の悪いかつての部下の近況を心配そうに聞き、丁寧に頷いておられた。
私が東京にいた頃には、奥さまにも何度かお目にかかっていたが、それはずいぶん前のことなのだが、当時のことを思いだしながら久しぶりに見るわが子に接するほどに懐かしんで下さった。


話が一段落したとき、一緒に外出しようと誘われた。奥さまも一緒に昼食を外で食べようというのである。
前日に富沢氏のご都合を聞いたうえでの訪問ではあるが、何分急なことだったので、もともと予定のあるところへ私が飛び込んだものと思われ、遠慮させていただく旨を申し上げた。


富沢夫妻が、それはそれは気持ちよく私を歓迎してくれていることは十分感じられていたが、富沢氏の顔色は決して勝れたものではなく、人ごみの中へ出掛けられるような状態ではないはずである。
おそらくそれを承知のうえでの外出だと思われるので、よほど重要な用件なのだと推察したからである。


しかし、私の申し出に対して、何とか食事だけは一緒にして欲しい、と奥さまに懇願するかのように言われ、ご一緒することになった。
夕方の新幹線に乗ればいいので時間は十分にあった。


  **


私たち三人は、富沢氏が手配していたタクシーで池袋に向かった。
池袋駅の近くの割烹料理店を予約しているとのことで、食事のあとで私たちは別れることになっていた。富沢夫妻は、そこから大塚にある病院に行くとのことであった。
そこに入院されている人を見舞うのが目的のようである。


外出の目的が入院している人の見舞いに行くことだと聞いて、私は内心驚いていた。そして、よほど大切な人を見舞うのだろうと推察し、少し興味も手伝って、タクシーの中でそれとなく話題にした。


「お見舞いされる方は、ご親戚の方なのですか?」
「いや、そうじゃないんだ。でも、私にとってはとても大切な人なんだ」


「会社関係の人ですか」
「いや・・・。戦友なんだ」


私たちは、タクシーの後部座席に奥さまを真ん中にして乗っていた。私が前の席に座るというのを富沢氏が承知されず、三人が並んで座っていた。
私たちの会話は奥さまを挟んでおこなわれていたが、奥さまが、富沢氏の言葉のひとことひとことに頷いておられたのが印象的だった。


「戦友ですか?」
「そう・・・。考えてみると、戦争が終わって四十年以上過ぎたことになるなあ・・・。私たちが日本に帰りついてからでも、四十年だ・・・」


「ずっと、お付き合いがあった人なのですか?」
「まあ、ずっとというわけではないが、二年に一度くらいは会っているね」


「そうですか。戦友というのは、やはり特別なのでしょうね・・・」
私は、遠い日にお聞きした、あの話のことを思いだしていた。


「まあ、そうだね。特に私の場合は、ね・・・。でも、一人死に、二人死んでゆき、とうとう入院している彼と私だけになった・・・。彼も、かなり弱っているらしくて、今日、明日の状態らしいんでね、どうしても最後のお別れをしておきたいんだ・・・。
そうなると、とうとう、私が最後になる・・・」

「・・・」
私は、うまく応じることができず、黙っていた。
奥さまは、ハンカチを取り出して、目頭を押さえていた。


「彼を見送ることができれば、私は責任を果たしたというか、ようやくお礼が言えたことになるのだと、勝手に思っているんだ・・・。だから、それまでは絶対に死ねないんだよ」


私は、私にとって掛け替えのない人生の師の言葉に、ただ沈黙するしか術がなかった。
そして、遠い昔にお聞きし、その後も事あるごとに思いだされるあのときの話が、ひとつの光景となって鮮やかに蘇えっていた。


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