( 二 )
富沢氏は、かつて私の上司であった。
長いサラリーマン生活を通じて多くの上司に仕えてきたが、富沢氏こそが私が最も尊敬する上司だった。
富沢氏は、サラリーマンとして順調な昇進を果たされた方であるが、ずば抜けた昇進をしたとかトップクラスを走っていた方ではなかった。
仕事に関していえば、富沢氏に仕えたのが私がまだ若い頃のことだったこともあり、後年にもっと大きな影響を受けた上司もいる。
しかし、最も尊敬できる先輩を挙げるとすれば、私は何のためらいもなく富沢氏に決められる。
職場を通じて多くの優れた先輩たちに出会うことができたが、私にとっては富沢氏は別格であった。その思いが何十年たっても揺るがない富沢氏の魅力は、その人柄にあった。
富沢氏の人柄については多くの社員が認めるところであり、一度でも仕えたことのある者で、その人柄を悪く言う人に出会ったことがなかった。
私が仕えたのは、富沢氏が二か店目の支店長に就いた時であるが、社内の若手社員向けの研修会の打ち上げの席なので、全国二百余りの支店の支店長の品定めをし、優しい支店長、厳しい支店長、訳が分からない支店長、早く辞めさせたい支店長、などといったランク付けをして馬鹿騒ぎをしたことが何度かあるが、いろいろ意見が分かれる中で、富沢氏の優しい支店長という位置付けだけは群を抜いていた。
そして、富沢氏を知る社員は異口同音に、「しかし、あの支店長だけは恥をかかせてはいけないという気持ちになってしまう」とも言うのである。
私だけのことでないと思うが、社会に出てから多くの方々と出会い、励ましたり励まされたり、憎んでみたり憎まれたりしながら生きてきたと思う。
身過ぎ世過ぎとしてのサラリーマン生活ではあるが、出会った方々から影響を受け指導を受けて育てられたことも確かだ。その中でも、富沢氏に教えられたことは今もなお鮮明に想い浮かべることができる。
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富沢氏が私が勤務する会社を定年退職されてからすでに久しい。
その最後に近い三年ばかりを私は部下として働く機会を得ることができたのである。もっとも、富沢氏は営業店のトップであり、私は二十四、五歳の青二才で、対等に仕事ができるような立場になかったが、富沢氏に誉めてもらいたいためにかなり真剣に働いていたと思う。
富沢氏は部下を信頼するタイプの上司であった。それも部下ばかりでなく、取引先関係の人とも信頼をベースに仕事をする人であった。
おそらく、当時の私などには思い至らないような経験や知識などに裏付けられていて、それに基づいて信頼に足る人物かどうかを判断されていたのだろうが、その姿勢は中途半端なものではなかった。
「富沢支店長は、どうしてあそこまで人を信用することができるのだろうか」
と、私だけでなく当時の同僚や先輩たちも噂していた。
私はプライベートな酒の席で、このことを直接尋ねたことがあった。
当時は、現在よりも職階などによる縦社会が厳格であったが、富沢支店長という方の人柄からくる親しさと、私の方がすでに一人前の仕事をしているような自惚れと生意気さが盛んな年頃であったことも加わり、歯に衣着せずに質問したのだ。
「なあに、私だって人を疑うし打算もあるよ。でもね、迷った時は、私は人を信用することにしているんだ。そのために失敗したことも少なくないよ。それでも、人というものは信頼するに足るものだという考えが変わることはないね」
「何回も裏切られたとしても、ですか?」
私は、突っかかるように質問を続けた。
「まあ、まあ、まあ・・・」
小柄な富沢支店長は、駄々っ子をあやすように私に酒を注ぎながら、笑顔を崩さなかった。
「確かに人を信頼し過ぎることによって商売上の失敗をしたことは多いよ。おそらく、失敗した数を数えれば、全国の支店長の中で私はトップクラスだろうね。しかし、私は会社にはそれほど損をかけていないよ。人事部の連中にはいつも言うのだが、わが社は失敗することをマイナス評価し過ぎる、とね。そんな人事評価ばかりしていると、十年後、二十年後のわが社の人材は、計算ばかり巧い、面白みのない社員ばかりになってしまうってね」
「失敗を恐れるな、ということはよく分かります。しかし、当然に会社に損をかけますよね」
「もちろんそのことは考えなくてはならないよ。私たちは自分の金で商売をしているわけではない。いくらリスクがあってもどんどん行け、ということではない。もし上手く行かなかった場合どれだけの損失を被るのか、上手く行った場合にはどれだけの利益を上げることができるのか、これを判断することだよ」
「はい、それは当然だと思います。私などでも考えています」
「うん、うん。そこで大切なことは、その損失とか利益ということなんだ。損失だ、利益だというとわが社の損得だけを考えてしまうことが多い。でも、それだけでは十分ではないよ。損失とか利益とかというものは、わが社のものと取引先のものとを合算させたものが、その取引における本当の損失であり利益だということを、正しく判断できるようになることが大切だと思う」
「取引先の損得も合算させるのですか?」
「そうだよ。とても重要なことだよ。君はまだ若いから、むしろ取引先の利益を重視してもいいくらいだ。現にその傾向があるよね。でも、今はそれで良いと思う。そのためにリスクをチェックする上司もいるわけだからね。でも、経験を重ねるうちにだんだん当社の利益中心になって行ってしまう。立場が上になるほどリスクを避けようとなるんだね。しかし、君もやがてしかるべき立場になると思うが、その時にも、損失とか利益とかというものを取引全体で考える能力を持っていて欲しいと思うなあ」
「はい・・・」
「納得がいかないようだね・・・。だが、このことは大切なことだよ。もう少し上の立場になってからでいいけれど、今から勉強していって欲しいと思うね。企業は戦いに勝ち抜いていかなくてはならないという理論は確かに正しいのだろうけれど、取引というものはそれだけではないと思う」
「どちらもが利益にならないといけないということでしょうか?」
「その通りだよ。もっとも、全部が全部そのようには行かないのが現実だよね。特に、こちらが損失を受ける可能性がある場合が難しいわけだが、そのような時こそ、相手の人物、企業の将来性を正しく見る目と、損失、利益を合算で考えるという感覚が必要になってくると思う。それが、社会に役立つ企業だと私は思っている。自分だけの利益だけしか考えられないのは、あまり優秀な企業ではないし優秀な社会人ではないと思う」
「しかし、それで企業競争に勝てるのでしょうか?」
「企業競争ということになれば、いろいろな要因が絡んでくるから、このことだけで断言はできないけれど、社会の利益ということをベースに考えられない企業は、いずれ社会から追い出されることになり永続できないと思う。少なくとも私はそう思って仕事をしている・・・。
もっとも、うちの人事部辺りは、私のような考え方はあまり好きではないようだけれどね」
「はい・・・」
当時、私は十分に理解することができなかった。
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