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雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

宮仕へ人の里なども

2014-08-22 11:00:20 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百七十二段  宮仕へ人の里なども

宮仕へ人の里なども、親ども二人あるは、いとよし。人しげく出で入り、奥の方にあまた声々さまざまきこえ、馬の音などして、いと騒がしきまであれど、咎(トガ)もなし。
されど、しのびても、あらはれても、おのづから、
「出でたまひにけるを得知らで」
とも、また
「いつか、まゐりたまふ」
などいひに、さしのぞき来るもあり、心かけたる人、はたいかがは。
     (以下割愛)


宮仕えをしている女の自宅なども、親たちが二人揃っているのは、とてもいい。客が頻繁に出入りし、奥の方で大勢の人の声がいろいろと聞こえ、馬の音などがして、まことに騒がしいことであるが、気にすることなどありません。
しかし、内緒であっても、公然とであっても、宿下がりしている娘を男が訪ねてきたのに対して、ついつい、
「ご退出されていましたのを、よう存じませんで」
とか、また、
「いつ、帰参なさいますか」
など言いに、ちょっと顔出しする人もあるし、好意を寄せている人が、訪ねて来ないはずがありません。

そうした人に、門を開けさせたりするのを、「いやだなあ、騒々しくって」「厚かましいものだ、夜中まで」などと、家人が思っている様子は、とても憎らしい。
「表門の錠はしたか」
などと、召使に尋ねるものだから、
「今はまだお客がおいでですから」
などと言っている召使が、いかにも迷惑そうなのにかこつけて、
「客人がお帰りになったら、すぐに錠をせよ。近頃は盗人が随分多いそうだ。火元も不用心だ」
などと言っているのを耳にして、とても不愉快に思っている客だってありますよ。

この客の供をしてきている者たちは、別に閉口もしていないのか、「この客、もう帰るかな」と思って、絶えず覗き見て客の様子を探る使用人たちを、笑っているようです。退屈しのぎに使用人たちの様子の真似をしているのを知ったら、使用人たちはさらに嫌がらせをすることでしょう。
それほどはっきりと言わない人でも、好意を持っていない人が、こまめに訪ねて来たりはするものですか。しかし、几帳面な人は、
「夜が更けてしまいました。ご門が不用心のようです」
などと、笑いながら帰って行く人もあります。しかし、ほんとに愛情の深い人は、
「さあ、もうお帰り下さい」
と、何度も急かされても、夜通し坐り込んだままなので、使用人は度々見て回るのに、夜が明けてしまいそうな成り行きに、これはとんでもないことだと思い、
「ひどいものだ。ご門を今宵はだらしなくも開けっ放しだ」
と聞えよがしに言って、仏頂面で明け方近くに門を閉めようとしているその態度は、どんなに憎らしいことか・・・。
実の親が同居している時でもこの調子です。まして、実の親でない場合や、来訪者が「どう思うだろう」と考えるだけで、気が引けてしまいます。男兄弟の家などでも、愛想のない間柄の場合は同様でしょう。

夜半も明け方も区別なく、戸締りもそれほど厳重にしないで、何々の宮・宮中・殿たちの邸の人たちも退出先で集まったりして、格子なども上げたままで、冬の夜を夜明しして、男の客が帰っていった後も、その後ろ姿を部屋の中から見送っているのが良いのですよ。
有明の月の時などは、特にすばらしいのです。男友達が笛など吹きながら帰って行った後などは、すぐに寝られるものではありません。人の噂なんかを話し合ったり、誰かが詠んだ歌などを語り合ったりしているうちに、いつの間にか寝込んでしまうのが素敵なんです。

そんな時のことですが、
「ある宮仕え所で、何の君といった人のもとに、君達(キンダチ)というほどの身分ではないが、その頃、大した伊達男だとの評判で、実際に洗練された感覚の持ち主が、九月ごろに女のもとを訪ねて、翌朝、有明の月明かりが一面の朝霧に滲んで情緒たっぷりの時に、『自分の印象をしんみりと思いださせよう』と、甘い言葉の限りを尽くして帰るので、女は、『もう、あの方は行ってしまわれたか』と、遠くまで見送る様子は、何とも艶めかしい。
男は、出て行くふりをして、立ち戻り、立蔀の間の陰に身をひそめて、『どうしても立ち去りかねる風情で、もう一度甘い言葉を聞かせよう』と思った時に、女が『有明の月のありつつも』と、古歌をひそやかに詠いながらさし覗いているのですが、その髪は、頭からは五寸ばかりもずれていて、灯をともしたように光っていて、そこに月の光も加わった姿に、男は愕然とした気持ちで、そおっと帰ってしまいました」
といった話を、誰かが話していましたわ。



宿下がりしている時の経験談なのでしょうか。
さすがの少納言さまでも、自分の客などのことでは、宿下がり先の家人の様子が気になるようですね。
最後の部分は、ちょっとしたブラックユーモアといったところでしょうか。
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堂々と逞しく・ 心の花園 ( 62 )

2014-08-22 08:00:35 | 心の花園
          心の花園 ( 62 )
               堂々と逞しく

花の木であれ草花であれ、それぞれに自らを美しく装う季節は大体限られているものです。
しかし、四季咲きと呼ばれるバラなどのように、一年に何度か美しい花を咲かせたり、花ばかりでなく新緑や紅葉を楽しませてくれるものもあります。その中で、決して派手ということではなく、花壇の中心になるというわけではないのですが、いつも存在感を示している花があります。「ゼラニウム」です。

「ゼラニウム」は熱帯アフリカやシリア、オーストラリアなどを原産地として二百八十種ほどの原種があり、一年草、多年草、低木とさまざまな性格の物があり、草丈も二十センチ程度の物から一メートルほどの物まであります。さらに、多くの園芸種が生みだされていて、ますます多種多様といえます。
花色は、白、桃、赤、橙などが中心ですが、葉色に特徴のある物もあります。
わが国には、江戸時代末期にオランダから入ってきたようですが、テンジクアオイとも呼ばれていました。
「ゼラニウム」はフクロウソウ科ベラルゴニウム属に属していますが、別にゼラニウム属という区分けも存在しているのですが、これは学問的に分割されたためで、私たちが「ゼラニウム」と呼んでいる物は、学問的には別の属とされても頑強にその名を保っているのも、いかにも「ゼラニウム」らしいと思うのです。

イスラム教では、「ゼラニウム」は、マホメットを称えるために神が創造した花とされ、大切な花とされています。
花言葉に、「愛情」「尊敬」「信頼」などが挙げられているのも、この関係から生まれてきたのではないでしょうか。
宗教的なことはともかく、「ゼラニウム」がいつの季節にも堂々としていて、特に目立とうとしているわけではないのですが存在感があり、安心感のようなものを与えてくれる花といえましょう。
とても育てやすい花ですので、一鉢、二鉢育ててみてはいかがでしょうか。

     ☆   ☆   ☆
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雪のいと高うはあらで

2014-08-21 11:00:01 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百七十三段  雪のいと高うはあらで

雪の、いと高うはあらで、うすらかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ。
また、雪のいと高う降り積もりたる夕暮より、端近う、おなじ心なる人、二、三人ばかり、火桶を中に据ゑて、物語りなどするほどに、暗うなりぬれど、こなたには灯もともさぬに、大かたの雪の光、いと白う見えたるに、火箸して、灰など掻きすさみて、あはれなるも、をかしきも、いひ合はせたるこそ、をかしけれ。
     (以下割愛)


雪が、それほど高くはなくて、うっすらと降っているのなどは、とても情緒があります。
また、雪が高く降り積もった夕暮時から、縁側近くで、気の合う女房同志二、三人ばかり、火桶を中に据えて、お話などしているうちに、空は暗くなってしまいましたが、自分たちの所は灯もともしていないのに、一面の雪明かりで、とてもはっきりと見分けがつくような時に、火箸で灰などをわけもなく掻きまわしながら、しんみりとした話題や美しいお話などを、語り合うのはとても風情があります。

「宵も過ぎてしまったかしら」と思う頃に、沓の音が近くに聞こえるので、「おかしいな」と思って、外を見ますと、時々、こうした折に、不意に顔を見せる人だったのです。
「今日の雪を、『どうなさっているのか』と心配しておりましたが、つまらぬ用事に妨げられまして、その所で一日過ごしてしまったのです」
などと言う。
「今日来む」などといった歌にひっかけているのでしょうね。昼にあったことなどをはじめとして、いろいろなことを話されるのです。簀子縁に円座ぐらいはお出ししましたが、片足は縁から下に垂らしたままで、暁の寺の鐘が聞こえる頃まで、御簾の内の女房も外の男も、こうしたおしゃべりは、飽きることがないように思われます。

暁闇の頃に、男は帰ると言って、
「雪、某の山に満てり」
と吟誦したのは、とても情緒のあるものでした。
「女ばかりだったら、このように夜を明かすなど出来そうにないわ。男が一人入ると、ふだんと違って楽しいし、風流なことね」
などと、女房同志で語り合いました。



とても穏やかな文章です。
雪の夜ということですから、相当寒いと思われますが、火鉢だけで、御簾の内とはいえ戸は開け放たれていますし、訪れてきた男性は、その縁に腰を下して一夜語り明かすのですよ。
それでも、少納言さまにとって、最も穏やかでしみじみとした時間なのでしょうね。

なお、「今日来む」・・・、は、拾遺集の「山里は雪降り積みて道もなし 今日来む人をあはれとは見む」を指していて、雪の中をわざわざ来ましたよ、と訴えているのでしょう。
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村上の先帝の御時に

2014-08-20 11:00:15 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百七十四段  村上の先帝の御時に

村上の先帝(センダイ)の御時に、雪のいみじう降りたりけるを、楊器に盛らせたまひて、梅の花を挿して、
「月のいと明かきに。これに、歌詠め。いかがいふべき」
と、兵衛の蔵人に賜はせたりければ、
「雪・月・花の時」
と、奏したりけるをこそ、いみじう賞(メ)でさせたまひけれ。
「歌など詠むは、世の常なり。かく、をりに合ひたる言なむ、いひ難き」
とぞ、仰せられける。

おなじ人を御供にて、殿上に人さぶらはざりけるほど、たたずませたまひけるに、火櫃に煙の立ちければ、
「かれは何ぞと見よ」
と仰せられければ、見て、帰りまゐりて、
「わたつ海のおきにこがるるもの見れば あまの釣してかへるなりけり」
と、奏しけるこそ、をかしけれ。
蛙のとび入りて、焼くるなりけり。


村上帝の御時のことですが、雪がたいそう降ったのを、容器に盛らせさせて、それに梅の花を挿して、
「月がとても明るいではないか。これを題に、歌を詠め。どのように詠めるかな」
と、兵衛という女蔵人にお下しになられましたので、
「雪、月、花の時」
と、兵衛が奏上されましたのを、大変お褒めになられたそうです。
「歌などに詠むのは、ありきたりのことだ。こんなに、折に叶った文句などは、なかなか言えぬものだ」
と、仰られたそうでございます。

同じ兵衛の蔵人をお供になさって、殿上の間に誰も伺候されていなかった時に、ちょっと立ち寄りましたところ、火鉢に煙が立ちのぼったので、
「あれは何の煙なのか、見て参れ」
と仰せになられましたので、見届けてから、戻ってきて、
「わたつ海の おき(沖・燠火)にこ(漕・焦)がるる もの見れば あまの釣して かえる(帰る・蛙)なりけり」
と奏上されたというのは、しゃれたものです。
蛙が火鉢に飛び込んで、焼けていたんですって。



小話二題、といったところでしょうか。
「枕草子」は、全体を通してみれば、明るい作品といえると思うのですが、定子の中関白家の衰退という時代背景を考えますと、決して楽しいことばかりではないと思われますが、全体を通して受ける清涼感は、少納言さまのお人柄なのでしょうか、それとも、懸命に作り上げた作風なのでしょうか。
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みあれの宣旨

2014-08-19 11:00:23 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百七十五段  みあれの宣旨

みあれの宣旨の、主上に、五寸ばかりなる殿上童のいとをかしげなるを作りて、みづら結ひ、装束などうるはしくして、中に名書きて、奉らせたまひけるを、「兼明の王(トモアキラのオホキミ)」と書きたりけるを、いみじうこそ、興ぜさせたまひけれ。

みあれの宣旨(賀茂祭りの宣旨を斎院に伝える女官)が、天皇に、五寸ばかりの殿上童の大層可愛らしい人形を作って、髪はみずらに結い、装束も立派に整えて、中に名前を書いて献上なさったのですが、「ともあきらのおおきみ」と書いてあったのを、天皇は大変お喜びになったそうでございます。


文章の内容は、「女官が天皇に可愛らしい殿上童の人形を奉ったが、それには『兼明の王』と書かれていたので、天皇は大変喜んだ」というだけのものですが、これでは、「それがどうしたの?」と言いたいような内容になってしまいます。

参考書などを頼りにもう少し詮索してみますと、天皇というのは花山天皇のようで、この方は、十七歳で即位し、二年足らずで譲位しています。
問題は「兼明の王」なのですが、師貞親王(花山天皇)の春宮傅兼明親王を指しているらしいのです。この方は、村上天皇の異母弟で、一度臣籍に降ったが、六十四歳になってから親王宣下を受け皇族に復帰しているのです。ふつう、親王宣下を受けるのは幼少期ですから、六十四歳の翁が親王宣下を受ける可笑しさを、人形の名前で暗示しており、天皇はその意味をすぐ察知されたというのです。

何気ない文章の奥にある少納言さまの意図を探るのはなかなか大変ですが、当時の人にとっては、すぐに伝わる風刺なのかもしれません。
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宮にはじめてまゐりたる頃

2014-08-18 11:00:51 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百七十六段  宮にはじめてまゐりたる頃

宮にはじめてまゐりたる頃、ものの恥づかしきことの数知らず、涙も落ちぬべければ、夜々まゐりて、三尺の御几帳のうしろにさぶらふに、絵など取り出でて、見せさせたまふを、手にても得さし出づまじう、わりなし。
「これは、とあり。かかり。それか。かれか」
など、のたまはす。
     (以下割愛)


中宮さまの御前に初めて出仕した頃は、何かと恥ずかしいことが数えきれないほどあって、泣き出してしまいそうなので、昼間を避け夜ごとに出仕して、三尺の御几帳の後ろに控えていましたが、中宮さまは絵などを取り出されてお見せ下さるのを、それが私の得意な筆跡のものであっても、感想も申し上げられないほどで困ってしまう。
「この絵は、こうこうで、そういうことよ。その絵は、どう。この絵は、どう」
などと、仰せになられます。

高坏を逆さにしたところに乗せた御燈明なので、私の髪の毛筋などは、かえって昼間よりはっきり見えて恥ずかしいけれど、我慢して絵を見せていただく。
大変冷える頃なので、お袖の口から覗かされている御手がちらっと見えるのですが、とても香り高い薄紅梅色のようにつややかなのが、「なんとすばらしいのだろう」と、まだこういう世界をよく知らない田舎者の私の気持ちは、「よくもまあこのようなお方が、世の中にいらっしゃったものだ」と、息が詰まるような思いで、見つめてしまいました。

暁には、「早く自分の部屋に下がりたい」と気が急きます。
「葛城の神といえども、もうしばらくいるとよい」(葛城の神は、醜貌を恥じて夜だけ働いたという)
などと、中宮さまは仰せになられるが、「とても、格子など開けるために立ち働いて、自分の姿を斜めにご覧入れることなど出来ない」と思って、うつ伏したままいるので御格子をお上げすることも出来ません。
女官たちがやってきて、
「この掛金を、お外しください」
などと言っているのを聞いて、他の女房が外すのを、
「だめよ」
と中宮さまが仰せになられると、女官たちは笑って、帰って行きました。
私にいろいろお尋ねになったり、お話しなさっているうちに、あまりに遅くなってしまったので、
「局に下がりたくなったのでしょう。それでは、早くお帰り。そして、夜になったら早くおいで」
と仰せになられる。
私が姿を消すのを待ちかねて、女官たちがどんどん格子を上げたところ、雪が降っていたのです。
登花殿の御前は立蔀が近くにあって、狭いのです。雪が、とても美しい。

その日の昼ごろ、
「今日は、ぜひ参上せよ。雪で曇っているから、昼でもはっきりは見えまい」
などと、たびたびお召しがあるので、私たちの局の先輩も、
「見苦しいわ。そんなに引っこんでいようとばかりするものではないわ。呆れるほどに伺候がゆるされるのは、格別の思し召しがあるからなのでしょう。好意にそむくのは、憎らしいものよ」
と、やたらに急かせて押し出すものですから、何が何だか分からないような気持ちですが、参上するのが、大変つらい。火炬屋の上に雪が降り積もっているのが、珍しくて風情がある。

御前近くは、いつものように、炭櫃に火をたっぷりと熾し、それには別に誰も坐っていない。
上臈女房が、御膳の片付けなどをしていらっしゃる間、中宮さまは私たちの近くにお坐りになっておられます。沈木の御火桶の梨絵をしたのに向かっておられるのです。
次の間に、長炭櫃にぎっしりと坐っている女房たちが、唐衣を脱ぎ垂れるように着ている様子などが、もの慣れていて、のびのびとしているのを見るのも、大層羨ましい。
御手紙を取り次いだり、立ったり坐ったり、行き来する様子など、堅苦しくなく自然で、しゃべったり、笑ったりするのは、「自分は、いつの世になったらあんな風に仲間入りできるのだろう」と思うのさえ、気が引けてしまう。
奥の方で、三、四人集まって、絵など見ている人もいるようです。

しばらくして、鋭い先払いの声がしたので、女房たちは、
「関白殿がいらっしゃるらしい」
と、散らばっている物などを取り片付けたりするので、「なんとか部屋に下がってしまおう」と思うのですが、まったく思うように体が動かないので、もう少し奥の方へ引っこんで、そのくせ好奇心がわくのかしら、御几帳の隙間から、ちょっぴり覗き込みました。

関白殿ではなく、大納言殿(中宮の兄権大納言伊周、当時二十歳)が、参上なさったのです。
御直衣・指貫の紫の色が、雪に映えて、とてもすばらしい。柱の基にお坐りになって、
「昨日・今日、私は物忌でございましたが、雪がたいそう降りましたので、中宮さまのことが気がかりでしてねぇ」
と、お話し申し上げる。
「『道もなし』と思いますのに、よくまあ」(『道もなし』は古歌の引用で、わざわざ訪ねてくれた熱意を指している)
と、中宮さまはお答えになられる。大納言殿はお笑いになって、
「『あはれ』とでも、お思いになるかと思いましてね」(『あはれ』も古歌の引用で、感心だという気持ちを指している)
と仰るご様子など、「このお二人に勝るものがありましょうか。物語なので、言いたい放題に述べたてる主人公たちと、そっくりみたいだ」と思いました。

中宮さまは、真っ白な御衣を重ね着された上に紅の唐綾をその上にお召しになっておられる。それに御髪がかかっているご様子などは、絵に描かれたものでこそ見たことがありますが、現実として見たこともない御姿に、夢の中のような気持ちになっておりました。
大納言殿が女房たちと話をし、冗談などを話されるご返事を、女房たちは「少しは恥ずかしい」と思う様子もなく、言い返し、ありもしないことをおっしゃるのには、抗弁申し上げたりしているのには、目もくらむばかりで、呆れるほどにどうしようもなく、顔がほてってくるのです。

果物をお進めしたり、おもてなしなどして、中宮さまもお召し上がりになられる。
「御帳の後ろにいるのは、誰かな」
と、大納言殿がお尋ねになっている様子です。女房が面白がってそそのかしたのに違いありません。席を立っていらっしゃるのを、「それでも、別のところかな」と思っていると、すぐ近くにお坐りになって、私に話しかけられました。
私がまだ宮仕えに上がらない頃からお耳にされていた噂なんかを、
「ほんとかね。そんなことがあったのは」
などと仰るので、御几帳を隔てて遠くから拝見していただけでも気おくれを感じていましたのに、ほんとに呆れるほど近くに向かい合ってお目にかかっている気持は、現実のことと思えません。

これまで、行幸などを見物する時、供奉されている大納言殿が、私の車の方に少しでも目を向けられますと、車の下簾を引いてふさぎ、「簾越しの姿が見えてしまうかもしれない」と、扇で顔を隠していましたのに、これでは何とも我ながら、「身の程も知らずに、どうして宮仕えなどに上がったのか」と、汗がにじみ出てきてひどい状態なものですから、いったい何をお答え申し上げられましょうか。
「頼りの陰」だと思って、かざしている扇さえお取り上げになったので、当然ふりかけて顔を隠すべき髪の見栄えだって「見苦しいことだろう」と思うにつけても、それら、気持ちのすべてが顔に出るに違いありません。
「早く立って離れてほしい」と思うのですが、私の扇をもてあそびながら、
「この絵は、誰が描かせたものかな」
などと仰って、すぐには返して下さらないので、顔に袖を押しあてて、うつ伏して坐っているものですから、きっと唐衣に白粉がくっついて顔がまだらになっているのでしょう。


大納言殿が随分長く坐っていらっしゃるのを、「思いやりがなく『つらい』と私が思っている」と中宮さまは察して下さったのでしょう、
「これを御覧なさい。これは、誰の手によるものですか」
と、話しかけられるのですが、大納言殿は、
「こちらに頂戴して、拝見しましょう」
と申されるのを、
「まあまあ、こちらへ」
と、仰せになられる。
「この人が私を捉えて、立たせないのですよ」
と仰るのも、いかにも今ふうで、年配の私(この時、二十八歳くらい)には不釣り合いで、ばつの悪いことですよ。

誰かが草仮名(ソウカナ・仮名の書体の中で、漢字の草書の風格を残した書体)の草子などを取り出して、中宮さまがご覧になられる。すると、大納言殿が、
「誰の筆跡でしょうね。あの者にお見せ下さい。彼女は、世間で知られている人の筆跡は、全部知っておりましょう」
などと、「何としても、私に答えさせよう」と、とんでもないことを仰る。

大納言殿お一人だけでも困っているのに、また先駆けの声を掛けさせて、同じく直衣姿の方が参上なさいましたが、こちらの方は、大納言様より少し陽気で、ふざけたことを言われるのを、笑って面白がり、女房たちからも、
「誰それが、こんなことがありましたよ」
などと、殿上人の噂などを申し上げたりするのを聞くのは、「さては、神仏の化身か、天女なんかが天下ったのか」と言う気がしたものですが、宮仕えに慣れて、日数が過ぎると、それほど大したことではなかったのですよ。
「化身だとか天女だとか見える女房たちも、家庭から出てきた当初は、私と同じように感じたに違いない」と、判っていくうちに、いつの間にか私も平気になってしまったらしい。

いろいろなお話などがあった後で、
「私を大切に思うか」
と、中宮さまが私に問われましたお答えに、
「どうして大切に思わないことなどございましょうか」
と申し上げるのと同時に、台盤所の方で、誰かが随分大きなくしゃみをしたので、
「まあ嫌だ。いい加減なことを言ったのね。いいから、いいから」
と言って、中宮さまは奥に入ってしまわれました。
「どうして、嘘など申し上げましょうか。中宮さまをお思いしていることは並一通りではないのですから。ほんとにひどいわ。くしゃみこそ嘘をついたのですよ」と思いましたわ。
「それにしても、誰が、こんなに憎らしいことをしたのかしら。くしゃみなんて、ふだんから『気に入らない』と思っているから、出そうになった時も、押し殺して我慢をしているのに、時が時だけに特にひどい。憎らしいわ」
と思うのですが、まだ新参早々なものですから、何とも弁解申し上げられずに、夜が明けたので部屋に下がるとすぐに、薄緑色の薄様の紙に書いた、美しいお手紙を、
「これを、どうぞ」
と使いの人が持って来たのを、開けて見ますと、
「『いかにしていかに知らまし偽りを 空に糺(タダ)すの神なかりせば』(どうしたらどうと知れるかしらそなたの嘘を、天に偽りをあばく神がいなければ)と、中宮さまは思し召しですよ」
と書いてあるのですが、すばらしいとも、残念だとも、心が乱れてしまうのですが、何としても昨夜のくしゃみをした人が、しゃくで、憎んでやりたい気持ちでいっぱいです。

「『淡(ウス)さ濃さそれにもよらぬはなゆゑに 憂き身のほどを見るぞわびしき』(花なら、薄い濃いで美しさに変わらないでしょうが、これは鼻なので、中宮さまを思う心の薄い濃いに、くしゃみは関係ありません。それなのに、それが原因でつらい身となってしまった自分を見るのは情けないことです)
ぜひ、これだけは申し上げさせていただき、ご機嫌をお直しくださいませ。識の神(是非善悪を鑑識する鬼神)もご存知ですから、嘘など申し上げられません」
と書いて、ご返事申し上げた後でも、「ほんとに嫌だわ。よりによってあんな時に、どうしてまた、くしゃみなんかしたのでしょう」と、まったく泣きたい気持ちでした。



書き出しにありますように、新参の頃の少納言さまの姿が微笑ましく描かれています。
学校や職場、あるいは、ちょっとしたサークルなのでも、新入りの頃の何とも座り心地の悪さは、少納言さまも同様のようで、親しみを感じる章段です。
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したり顔なるもの

2014-08-17 11:00:10 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百七十七段  したり顔なるもの

したり顔なるもの。
正月朔に、最初に鼻ひたる人。よろしき人は、さしもなし。下臈よ。
きしろふ度の蔵人に、子なしたる人の気色。
また、除目に、その年の一の国得たる人。慶びなどいひて、
「いと賢うなりたまへり」
などいふいらへに、
「なにかは。いとことやうに亡びてはべるなれば」
などいふも、いとしたり顔なり。

また、いふ人多く、挑みたるなかに、選りて婿になりたるも、「われは」と思ひぬべし。
受領したる人の、宰相になりたるこそ、もとの君達(キンダチ)の、成り上がりたるよりも、したり顔に、け高う、いみじうは思ひためれ。


得意満面なるもの。
正月一日に、最初にくしゃみをした人。まずまずといった身分の人はそうでもありません。身分の低い者の場合です。
競争の激しい時の蔵人に、子息を任官させた人の表情。
また、除目に、その年の一番良い国の受領になれた人。誰かがお祝いなど言って、「全くお見事に就任されましたね」などと言う答えには、
「なんのなんの。たいそう尋常でないほど疲弊しているようですから」
などと言いながら、いかにも得意顔である。

また、申し込む人が多くて、張りあった中で、選ばれて婿になったのも、「どんなものだ」とでも思っているのでしょう。
受領勤めをしていた人で、昇進して参議になった人ときたら、もともと大家の御曹司で昇進した人よりも、遥かに得意気で、お高くとまり、大したものだと思っているに違いない。



最初の「鼻ひたる人」は、くしゃみが無病息災のまじないのようにもされていて、正月早々縁起が良い、ということらしい。
最期の、受領クラスから参議(宰相)に上るのはなかなか難しいことで、少納言さまも、まさにこの家柄の出身でした。

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位こそ、なほめでたきものはあれ

2014-08-16 11:00:17 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百七十八段  位こそ、なほめでたきものはあれ

位こそ、なほめでたきものはあれ。
同じ人ながら、「大夫の君」「侍従の君」などきこゆるをりは、いと侮(アナ)づりやすきものを、中納言・大納言・大臣などになりたまひては、無下にせく方もなく、やむごとなうおぼえたまふことの、こよなさよ。
ほどほどにつけては、受領なども、みなさこそはあめれ。あまた国にいき、大弐や四位・三位などになりぬれば、上達部なども、やむごとながりたまふめり。
     (以下割愛)


位こそ、何といっても大したものです。
同じ人なのに、「大夫の君」「侍従の君」などと申し上げている頃は、気楽につき合えるのですが、中納言・大納言・大臣などにおなりになってしまうと、万事が意のままで、ご立派にお見えになることは、格別ですわ。
私たちの階級相応にいえば、受領なども、みなそうしたものでしょう。数々の国を歴任して、大弐(大宰府の次官)や四位、三位などになってしまうと、上達部などでさえ、敬意を払われるようです。

女の場合は、やっぱり損なものです。
宮中なんかで、天皇の御乳母は、典侍(ナイシノスケ・従四位相当)や三位などになれば、重々しいけれど、そうとはいえ、歳を取り過ぎていて、大してうれしくもありますまい。また、誰だってなれるものでもありませんし。
受領の奥方になって、任国に下るのこそが、並の身分の女性の幸せの極限だと、ほめ羨むようです。しかしそれより、並の身分の女性が、上達部の奥方になり、御娘が皇后の位につかれるのは、それこそすばらしいことでしょう。

それに比べて、男はやはり、若くして出世昇進するのが、実にすばらしいのですよ。
法師などが、「何某」などと法名を名乗って世渡りするのは、よいことだとは見えません。お経をありがたく読み、容貌が良ければ良いで、女房たちに与しやすしと思われて、大騒ぎになるものらしい。
けれども、僧都・僧正になってしまうと、仏がこの世に現れたかのように、人々はむやみに恐れ入り、ありがたがる様子ときたら、何と言えばいいのでしょうね。



厳格な身分制、それも生まれた家柄で将来がほとんど決まってしまうという中で、少納言さまはどのような気持ちで生涯を送られたのでしょうか。
少納言さまは、いわゆる受領の家柄ですから、女房としては、上臈女房に上ることなどまず期待できなかったでしょうし、男に比べて女は損だという気持ちもあったのでしょうね。

ただ、少納言さまは自分の家柄を並の身分と考えられていたようですが、社会全体からすれば、立派な貴族階級だったのですが、一般庶民の社会は別世界だったのかもしれません。

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かしこきものは

2014-08-15 11:00:37 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百七十九段  かしこきものは

かしこきものは、乳母の夫こそあれ。
帝・皇子たちなどは、さるものにて、おきたてまつりつ。
そのつぎつぎ、受領の家などにも、ところにつけたる覚え、わづらはしきものにしたれば、したり顔に、わが心ちもいと寄せありて・・・。
     (以下割愛)


恐れ入った存在となれば、乳母の夫にとどめをさしますねぇ。
帝や皇子方などは、当然のこととして、ご遠慮申し上げさせていただきます。
それに続く家々や、受領の家などでも、その家なりに一目置いた扱いをしますので、大きな顔をして、すっかりその家の主人の後ろ盾を得たような気持ちになって・・・。

妻が乳を飲ませた子を、まるで自分の子のようにして、女児はそれほどでもないが、男児には、べったりと付き添って世話をし、少しでもその子の気持ちに背くような者を、迫害したり、讒言したりと始末に負えないが、この男のやり口を、率直に忠告する人もいないので、いい気になり、偉そうな顔つきで、人に指図などをする。

それでも、子供がごく幼いうちはね、少々値打ちが下がります。
乳母は、主人である母親の前で子供に添い寝をするので、夫は一人部屋で寝ている。だからといって、他の所へ行けば、「浮気をしている」というわけで、文句を言われることでしょう。無理に妻を呼び戻して同衾していると、
「ちょっと、ちょっと」
と呼ばれるので、乳母は、冬の夜などは、脱いだ着物を探し回って子供の部屋へ戻っていくが、残された男は、さぞ情ないことでしょうよ。
それは、高貴なあたりでも同じことで、もっと窮屈なことが増えるだけでしょうねぇ。



もっと時代が下っても、例えば春日の局といった例があるように、権力者の嫡男の乳母やその夫は大変な権勢を得ているようです。
さすがの少納言さまでも少々妬みがあるようで、乳母の夫の不便でみっともない部分を並べて、うっぷんを晴らしているようです。
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病は

2014-08-14 11:00:07 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百八十段  病は

病は、
胸。もののけ。脚の気。
はては、ただそこはかとなくて、もの食われぬ心ち。
     (以下割愛)


病気といえば、
胸の病。物の怪。脚の病気。
それから、ただ何となく、食べ物が食べられない気持ちになるもの。

十八、九歳ぐらいの女性で、髪がとても美しく、背丈ほどの長さがあり、裾がふさふさとしていて、とてもよく肥えていて、色がとても白く、顔は可愛げで、「美人だ」と見えるような人が、歯をひどく病み患って、額髪をぐっしょりと泣き濡らし、乱れかかるのも気づかず、顔もひどく赤くなって、痛むところを手で押さえて坐っている姿は、とても風情があります。

八月の頃に、白い単衣のしなやかなのに、袴はちょうどよい具合なものをつけて、紫苑の表着の、とても上品なのを上に羽織って、胸をひどく病んでいるので、友達である女房などが、何人も見舞いに訪れ、室外の方にも、若々しい君達(キンダチ)がたくさん来て、
「ほんとに、お気の毒なことですね」
「いつも、こんなにお苦しみですか」
などと、さりげなく見舞いを言う人もいる。
想いを寄せている男性は、心底から、「かわいそうだ」と心を痛めているのが、いかにも情のあることです。
とても美しい長い髪をきっちりと結んで、「吐き気がする」と、起き上がっている様子も、とても痛々しい。

天皇におかれてもお耳になさり、御読経の僧の、声のよい人を指し向けてくださっているので、病床近くに几帳を引き寄せて、その僧を几帳を隔てて坐らせている。
いくらもない家の狭さなので、お見舞いの女房たちがたくさん来ていて、経を聞いている姿が丸見えなので、その女房たちに目をやりながら経を読んでいるのは、「仏罰をこうむることだろう」と思ってしまいます



少納言さまの時代、病に対して適切な治療や薬などは少なく、祈祷やまじないが大きなウェイトを占めていたようです。
最初の胸の病というのは、肺や心臓に限らず、肋間神経痛や胃けいれんなども胸とされていたようです。
もののけ、とあるのは、当時、ほとんどの病気が悪霊などによるものと考えられていました。
美しい人が歯を病んでいる姿に風情を感じ、祈祷中の僧侶が女房たちに気を取られているらしいのを目ざとく描写しているあたり、いかにも少納言さまらしいところです。
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