奈良県東部の東山中辺りでは田楽などの神事芸能を奉納されている地区が散見される。
奈良市では柳生町八坂神社、阪原町長尾神社、邑地町水越神社、大保町八坂神社、水間町八幡神社、大柳生夜支布山口神社、下狭川九頭神社。
山添村では北野天神社、室津戸隠神社、桐山戸隠神社、峰寺六所神社、中峯山神波多神社などだ。
布目川沿いに位置する北野山町の戸隠神社で演じられる田楽は、列挙した一連の地区における東山中の神事芸能として無形民俗文化財に指定されている。
秋祭りは10月15日だった。
勤め人が多いさかいといって集まり易い休日に移行されて、現在は体育の日になっている。
宵宮と本宮では持ち物の順とかが多少異なる。
ソウ(素襖)と呼ばれる衣装を着るのはゴヘイモチの当家、ジャリジャリ、フエ、タイコの4人に何も持たない人が続く。
当家は秋祭りの前月。
12日に振り上げで決められる。
茶碗にクジを入れて穴を開けた半紙を被せる。
それを総代が本殿に参ってから振り上げるそうだ。
その日はコモリと呼んでいる。
この日も日にちが替わった。
以前は15日だったがこの日も併せて休日になった。
5人は当家を入れて渡り衆と呼ばれている。
ソウ(素襖)を着て烏帽子を被る。
履きものは下駄だ。
奉納される拝殿にあがるときは草履に履き替える。
当家以外の渡り衆は既に決まっている。
その人たちは年齢順になる。
それが年ごとに繰り下がるので長老組や若者組になる場合もある。
拝殿で奉納されるのは目出度い詞が連なる謡い語り。
始めに渡り衆のなかから若い者が一人歩み出る。
「アカツキオキテ ソラミエル コガネマジリノアメガフリテ ソノアメヨウテ ソラハレテ トコロガサカエ タマブウエシ キミガヨ」の謡い台詞。
その直後に渡り衆はジャリジャリ、フエ、タイコを鳴らす。
ジャリジャリは丹生町でササラと呼ばれている鳴り物だ。
フエは2、3本あるがそのうちの一本を使う横笛。
タイコは手で提げて持つ太鼓だそうだ。
次は渡り衆のなかの年長者が歩み出て謡う。
「セイヨウノハルノアシタニハ カドニオマツヲタテナラベ オサマルミヨノシルシニハ タミノカマドニタツケムリ マツカラマツヘ ヨウゴノマツ」。
周りの衆は「ハァ」と掛け声を掛けてジャリジャリ、フエ、タイコを鳴らす。
最後は当家が締めくくる。
「ヤットトントン(3回繰り返す) オンマエナラオンマエ カメハカメ ツルコソフレテマエアソビ ツルノコヤシャマゴノ ソダトウヨウマデ トコロガサカイ(処が栄えるの意) タマブウエシ(賜って嬉しいの意) キヨガツハ」と謡いの台詞を述べる。
節回しは独特だそうだ。
思い出しながら詞章を語ってくれたO氏は84歳の長老だ。
若い者は書いてある台詞を見ながら謡うのだと嘆かれた。
最後はジャリジャリ、フエ、タイコを鳴らしながら揃って「キミガヨハ カネテコソ ヒサシカルベキ スミヨシノ マツヤニユウドウ」と謡う。
桐山はこれに付けて「安岐の国 厳島の弁財天王 いざや宝を拝むよう」と謡うそうだ。
北野山町の戸隠(とがくし)神社の本社は桐山の戸隠神社。室津の戸隠神社とともに本社だそうだ。
かつては三社の合同祭礼だった。
が、村のものがケンカしたことから別れたという。
その地は釜の口と呼ばれ、ケンカした際に使っていた釜を捨てた地だという。
本祭では渡り衆の順が替わる。
ゴヘイモチの当家、ゴヘイモチ、ジャリジャリ、フエ、タイコの順になる。
いずれも当家の家を出発するが宵宮は提灯の灯りで神社に向かうそうだ。
北野山町には山の神がある。
お渡りの際にはその山の神に向かって今年もよろしくお願いしますと拝礼するそうだ。
また、宵宮には枝付きのエダマメが出る。
茹でたエダマメはとても美味しいという。
戸隠神社の本殿後方は磐である。
磐の中は空洞で扉がある。
いわゆる岩戸であって宝物を納めていると言い伝えが残っている。
実際には確かめたことがないそうだ。
(H22. 9. 3 記)
奈良市では柳生町八坂神社、阪原町長尾神社、邑地町水越神社、大保町八坂神社、水間町八幡神社、大柳生夜支布山口神社、下狭川九頭神社。
山添村では北野天神社、室津戸隠神社、桐山戸隠神社、峰寺六所神社、中峯山神波多神社などだ。
布目川沿いに位置する北野山町の戸隠神社で演じられる田楽は、列挙した一連の地区における東山中の神事芸能として無形民俗文化財に指定されている。
秋祭りは10月15日だった。
勤め人が多いさかいといって集まり易い休日に移行されて、現在は体育の日になっている。
宵宮と本宮では持ち物の順とかが多少異なる。
ソウ(素襖)と呼ばれる衣装を着るのはゴヘイモチの当家、ジャリジャリ、フエ、タイコの4人に何も持たない人が続く。
当家は秋祭りの前月。
12日に振り上げで決められる。
茶碗にクジを入れて穴を開けた半紙を被せる。
それを総代が本殿に参ってから振り上げるそうだ。
その日はコモリと呼んでいる。
この日も日にちが替わった。
以前は15日だったがこの日も併せて休日になった。
5人は当家を入れて渡り衆と呼ばれている。
ソウ(素襖)を着て烏帽子を被る。
履きものは下駄だ。
奉納される拝殿にあがるときは草履に履き替える。
当家以外の渡り衆は既に決まっている。
その人たちは年齢順になる。
それが年ごとに繰り下がるので長老組や若者組になる場合もある。
拝殿で奉納されるのは目出度い詞が連なる謡い語り。
始めに渡り衆のなかから若い者が一人歩み出る。
「アカツキオキテ ソラミエル コガネマジリノアメガフリテ ソノアメヨウテ ソラハレテ トコロガサカエ タマブウエシ キミガヨ」の謡い台詞。
その直後に渡り衆はジャリジャリ、フエ、タイコを鳴らす。
ジャリジャリは丹生町でササラと呼ばれている鳴り物だ。
フエは2、3本あるがそのうちの一本を使う横笛。
タイコは手で提げて持つ太鼓だそうだ。
次は渡り衆のなかの年長者が歩み出て謡う。
「セイヨウノハルノアシタニハ カドニオマツヲタテナラベ オサマルミヨノシルシニハ タミノカマドニタツケムリ マツカラマツヘ ヨウゴノマツ」。
周りの衆は「ハァ」と掛け声を掛けてジャリジャリ、フエ、タイコを鳴らす。
最後は当家が締めくくる。
「ヤットトントン(3回繰り返す) オンマエナラオンマエ カメハカメ ツルコソフレテマエアソビ ツルノコヤシャマゴノ ソダトウヨウマデ トコロガサカイ(処が栄えるの意) タマブウエシ(賜って嬉しいの意) キヨガツハ」と謡いの台詞を述べる。
節回しは独特だそうだ。
思い出しながら詞章を語ってくれたO氏は84歳の長老だ。
若い者は書いてある台詞を見ながら謡うのだと嘆かれた。
最後はジャリジャリ、フエ、タイコを鳴らしながら揃って「キミガヨハ カネテコソ ヒサシカルベキ スミヨシノ マツヤニユウドウ」と謡う。
桐山はこれに付けて「安岐の国 厳島の弁財天王 いざや宝を拝むよう」と謡うそうだ。
北野山町の戸隠(とがくし)神社の本社は桐山の戸隠神社。室津の戸隠神社とともに本社だそうだ。
かつては三社の合同祭礼だった。
が、村のものがケンカしたことから別れたという。
その地は釜の口と呼ばれ、ケンカした際に使っていた釜を捨てた地だという。
本祭では渡り衆の順が替わる。
ゴヘイモチの当家、ゴヘイモチ、ジャリジャリ、フエ、タイコの順になる。
いずれも当家の家を出発するが宵宮は提灯の灯りで神社に向かうそうだ。
北野山町には山の神がある。
お渡りの際にはその山の神に向かって今年もよろしくお願いしますと拝礼するそうだ。
また、宵宮には枝付きのエダマメが出る。
茹でたエダマメはとても美味しいという。
戸隠神社の本殿後方は磐である。
磐の中は空洞で扉がある。
いわゆる岩戸であって宝物を納めていると言い伝えが残っている。
実際には確かめたことがないそうだ。
(H22. 9. 3 記)