一日中小雨が降る日だった。
川上村高原は標高千m以上の山々に囲まれている。
急峻な山道は濃いガスで前方が見えない。
まるで山の神に覆われているように感じた。
それを越えるとさっと消える。
ある一定の標高だけに発生する現象だという。
十二社氏神神社では明日の秋祭りに際して役員たち総出でモチを搗く。
一石二斗のモチ搗きは長時間要する。
雨の夜でもテントを張れば支障はない。
餅米は4基のガス釜で蒸す。
かつてはクドさんと呼ばれる竈で蒸したそうだ。
大きなゴトクに釜を乗せ薪木でくべた。火に勢いがあったという。
蒸した餅米は木臼に入れる。
ほっかほかで湯気がでる。
杵でぺったんぺったん搗いていく。
できあがったモチは棒モチに伸ばす。
これをネコと呼んでいる。
婦人たちに混じったモチ切りの男性は巧みな包丁さばきで切っていく。
これをキリモチと呼ぶ。
それらはザルに入れて草履を履いた神社役員が本殿前に持ってあがる。
何度かキリモチを作られたあとモチ搗きは神主に替わった。
白装束を身につけた神主はモチ搗きの前に祝詞を奏上された。
本殿や小宮さんに供える神聖なモチ搗きは神主の役目。
合いの手の声が聞こえないと搗く息が合わないという。
ぺったんぺったんのモチ搗きの音。
そのうち伊勢音頭が飛び出した。
バチを手にした大目付が太鼓を打つ。
くりだす唄は伊勢音頭。声を揃えて大合唱になった。
「けさのでかけた ヨー(ヨイヨイ) おうぎをひろた おうぎもめでたい ヨー(ソウリャ) ありゃすえひろいよ (ヨーリャーヨートコセー ヨイヤノ アレワイヨーイ コレワイヨーイ ソリャヨーイントセー」の囃子が搗くリズムに心地よい。
掛け合いをして唱うのが伊勢音頭なんだと村人はいう。
その伊勢音頭は伊勢参りの道中歌だった。
向こうの白屋山(しらややま)を越えて井光(いかり)や武木(ぶぎ)の尾根つたいに越えて、伊勢街道を歩いて行った先は三重県だったと話す。
道中で唱っている人に出会ったら掛け合いをしたそうだ。
伊勢音頭は根太のような石を打つ際にも唱われた。
それは石搗き唄とも呼ばれたそうだ。
新築のときに歌う唄だ。
嫁はんに来てもろうたとき、逆に娘を嫁入りさせるとき。
結納のときもそうだ。
祝うときに必ず歌うのが伊勢音頭だと話す。
「伊勢と大和の境の松はホダは大和で根は伊勢」と歌ったそうだ。
そうこうしているうちにモチが搗きあがった。
これを大きなモチと小さなモチに丸めていく。
二人の神主は手際よく作っていく。
大きなモチは鏡餅。本社に供える。
カサモチと呼ばれる小さなモチは小宮さんに供える。
すべてが出来上がったのは夜遅く。
後片付けをして明日の祭りの準備に移った。
今夜の婦人も交えてのモチ搗きだった。
かつては男性だけで行われていたモチ搗き。
当時は十二人衆制度によるものであったゆえすべての段取りは男性だけだった。
十二人衆の上に神主。
その上は大目付。
それはデンガミさん(デンガンとも呼ぶ)と呼ばれる頂上人。
漢字で「先神」と書かれる。
平成6年を最後に解体したその制度。
その名残はモチ切り人に残されているようだ。
(H22. 9.30 EOS40D撮影)
川上村高原は標高千m以上の山々に囲まれている。
急峻な山道は濃いガスで前方が見えない。
まるで山の神に覆われているように感じた。
それを越えるとさっと消える。
ある一定の標高だけに発生する現象だという。
十二社氏神神社では明日の秋祭りに際して役員たち総出でモチを搗く。
一石二斗のモチ搗きは長時間要する。
雨の夜でもテントを張れば支障はない。
餅米は4基のガス釜で蒸す。
かつてはクドさんと呼ばれる竈で蒸したそうだ。
大きなゴトクに釜を乗せ薪木でくべた。火に勢いがあったという。
蒸した餅米は木臼に入れる。
ほっかほかで湯気がでる。
杵でぺったんぺったん搗いていく。
できあがったモチは棒モチに伸ばす。
これをネコと呼んでいる。
婦人たちに混じったモチ切りの男性は巧みな包丁さばきで切っていく。
これをキリモチと呼ぶ。
それらはザルに入れて草履を履いた神社役員が本殿前に持ってあがる。
何度かキリモチを作られたあとモチ搗きは神主に替わった。
白装束を身につけた神主はモチ搗きの前に祝詞を奏上された。
本殿や小宮さんに供える神聖なモチ搗きは神主の役目。
合いの手の声が聞こえないと搗く息が合わないという。
ぺったんぺったんのモチ搗きの音。
そのうち伊勢音頭が飛び出した。
バチを手にした大目付が太鼓を打つ。
くりだす唄は伊勢音頭。声を揃えて大合唱になった。
「けさのでかけた ヨー(ヨイヨイ) おうぎをひろた おうぎもめでたい ヨー(ソウリャ) ありゃすえひろいよ (ヨーリャーヨートコセー ヨイヤノ アレワイヨーイ コレワイヨーイ ソリャヨーイントセー」の囃子が搗くリズムに心地よい。
掛け合いをして唱うのが伊勢音頭なんだと村人はいう。
その伊勢音頭は伊勢参りの道中歌だった。
向こうの白屋山(しらややま)を越えて井光(いかり)や武木(ぶぎ)の尾根つたいに越えて、伊勢街道を歩いて行った先は三重県だったと話す。
道中で唱っている人に出会ったら掛け合いをしたそうだ。
伊勢音頭は根太のような石を打つ際にも唱われた。
それは石搗き唄とも呼ばれたそうだ。
新築のときに歌う唄だ。
嫁はんに来てもろうたとき、逆に娘を嫁入りさせるとき。
結納のときもそうだ。
祝うときに必ず歌うのが伊勢音頭だと話す。
「伊勢と大和の境の松はホダは大和で根は伊勢」と歌ったそうだ。
そうこうしているうちにモチが搗きあがった。
これを大きなモチと小さなモチに丸めていく。
二人の神主は手際よく作っていく。
大きなモチは鏡餅。本社に供える。
カサモチと呼ばれる小さなモチは小宮さんに供える。
すべてが出来上がったのは夜遅く。
後片付けをして明日の祭りの準備に移った。
今夜の婦人も交えてのモチ搗きだった。
かつては男性だけで行われていたモチ搗き。
当時は十二人衆制度によるものであったゆえすべての段取りは男性だけだった。
十二人衆の上に神主。
その上は大目付。
それはデンガミさん(デンガンとも呼ぶ)と呼ばれる頂上人。
漢字で「先神」と書かれる。
平成6年を最後に解体したその制度。
その名残はモチ切り人に残されているようだ。
(H22. 9.30 EOS40D撮影)