マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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大人講の鉦

2010年10月08日 07時19分39秒 | 大和郡山市へ
白土町の大人念仏講は三組ある。

かつては7日から一週間の14日まで念仏鉦を叩いていた。

集まることが難しくなって10年ほど前に7日の一日だけになった。

1組は10人。

7日のお勤めは5人ずつ交替するから2年にいっぺんの念仏鉦叩きだ。

念仏鉦を預かる家は決まっていてそれぞれの組にある。

2組はK家だ。もうひとつの組はN家らしい。

もう一組は判らないという。

7日の念仏講に供えて予め当番の人が取りに来る。

それは数日前のことだ。

営みを終えれば鉦はK家に再び預けられる。

4枚の鉦には「白土村念佛講中」の刻印があった。

これらは隣家のK家の先人が寄進したと伝わっている。

3枚の鉦の中央には墨書が認められたが文字は判読できない。

もうひとつ重要な書類が残されていた。

念仏講の箱の中にはそれらが入っていることが判っているが未だかって見たこともなかった帳面だったとK氏は話す。



念佛講中の記帳で年号が判別したのは新しいものから明治28年、天明(1781年)、寛政13年(1789年)があった。

覚え書きと想定される帳には文政10年(1827年)が記されている。

残る2組の存在を確認せねばならないがそれでも230年前のものだ。

子供念仏講ではさらに古く、享保21年(1737年)2月15日の覚書が見つかっただけに気になる帳だ。

その記述のなかに「観音堂什物」とある。

淨福寺内のお堂であろう。

そういえば子供の念仏講の鉦のなかには「観音堂」の刻印があった。

念仏講には観音堂となんらかの関係があったのではないだろうか。

(H22. 9. 1 SB932SH撮影)