マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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南六条町北方の御回在

2010年12月11日 07時58分21秒 | 天理市へ
毎日のように大和を巡る大阪平野の本山大念仏寺の大和御回在が平坦の天理市内にやってきた。

本尊の大日如来を前に位牌を並べた南六条町北方にある旧興蔵寺。

普段の会合や三十八神社の行事、大師講などの営みに使われている会所でもある。

一年に一度は融通念仏宗徒が集まる場になる。

100年前のころは高野真言宗だった。

いつしか無住寺になった。

そのころからかどうか判らないが地区は融通念仏宗徒に替わったという。

だから大師講があるのだと長老は話す。

地区の外れで御回在の一行を迎えた宗徒の当番。

二人で一組の年番があたる。

35軒中の28軒が念仏宗徒だから14年に一度はその年番にあたる。

ご主人は宗徒の家はあちらこちらと案内していく一方、ご婦人2人はお寺の接待準備に動き回る。

カーン、カーン、カン、カーンと鉦を叩いていく音がすればもうそろそろうちの家だと玄関先に立つ宗徒。

年番もそうだが家を巡る順番は逆時計回りになっているそうだ。



三十八神社前の筋は御一統のお家がかたまっているという。

その一軒、慌ただしく本尊の十一尊天得如来掛図を掛けて「なむあみだぶつー」を唱える。



座敷外で手を合わせていたご家族に「オチョウダイ」。

すぐさま隣家に掛けていった。

通り雨が降ったときは隣村の平等坊、小路だった。

そのときはお寺内だったようだ。

元柳生と呼ばれている北方に着いたときは止んでいた。

怪しい雲行きを気にしながら村内を巡っていく。

年番の一人は事情で親父さんに交替された。

それではとお外でありがたく「オチョウダイ」をいただく。

まさしく如来さんが走っていく様相だ。

これを拝見したJRのピーアール誌の取材者は早さに驚いた。

「風のように現れて、風のように去っていった」と感想を述べたそうだ。



北方はまた幅の広い環濠集落をもつ地区である。

環濠を跨ぐ大橋をあっという間に通り抜けていった。

28軒を巡ってきた一行は、鳥居を潜ってようやく旧興蔵寺に着いた。



そのころには足の不自由さを気にしたご婦人たちもやってきた。

蝋燭に火を灯してお念仏が唱えられた。

過去帳を読みあげ先祖回向、家内安全などのお勤め法要。



「なむあみだぶつー」のお念仏を唱えて身も心も仏に託すという意味があると語る紫衣の唱導師(しょうどうし)。

仏さんに帰依していただくよう皆ともども阿弥陀さまを十回唱えて「オチョウダイ」に。

「身体堅固 南無阿弥陀仏」が唱えられ如来さんの力で守っていただく。

昼前に着いてから約2時間半。

次は元六条とも呼ばれている南六条町の南に移動する。



当番の人が待っている場所は北方との境目。

北方の年番が挨拶されるやいなや南の地区を巡っていった。

明日は再び大和郡山市へ移る。

隣村の伊豆七条町や横田町だ。

特に横田は宗徒が多く、朝は日が昇る前から夜遅くまでなるらしい。

僧侶たちは一服する間もなく大和をご回在していく。

在所を回るのでご回在なのだと語る唱導師。

来年は山中に向かう山廻りのご回在だと言って風のように去っていった。

(H22.11. 8 EOS40D撮影)