9月半ばから大和へ動き出した大阪平野の大念仏本山寺。
朝早く大阪を出た大和御回在の一行は朝6時、小林町に着いた。
檀家の世話役たちは一軒、一軒案内していく。
町にあるお寺は真言宗だが会員は融通念仏宗徒である。
御回在の一行は紫衣の唱導師(しょうどうし)、黄衣の目代(もくだい)、収納(しゅうのう)にお勤めをする黒衣僧中(そうじゅう)の4名。
僧以外に如来さんを担ぐ禅門(ぜんもん)、鉦を叩く人、寄進浄財を預かる人と運転手の4名(トモと呼ばれる講員)の合計11名で構成されている。
すぐさま如来さまのご回在が走っていった。
カーン、カーンと鉦を叩く音が町内に聞こえてくる。
朝は通勤や通学の人たちが往来する街道。
それを間近にして如来さんが走り抜けていく。
普段の「ケ」と御回在の「ハレ」が交差していく時間帯だ。
小林町の宗徒は19軒だったが近年には18軒。
旧村地区の周囲は畑だったがそれを売って少しずつ宅地化が広がっている。
一人暮らしの家も徐々に増えつつある。
これからも減っていくだろうと役員は話す。
如来さんは荒神さん(カマド)や堂蔵もお祓いしてくれる。
それには浄財でお願いする。
「昔は牛(小屋)もしやはった」と役員は話す。
牛は大切な家族の一員だった時代のことだという。
家周りの御回在を終えた一行は公民館にあがった。
本来なら融通念仏のお寺に集まるのだが小林町にはそれがないからなのだ。
土地改良区の事務所でもある公民館。
会場に如来さんの掛図を掲げてお勤め法要が始まった。
「なーむあみだー」の唱和が座敷に広がった。
400年も続いている如来さん御回在。
本尊自らが足を運んでやってくるありがたさに手を合わせる。
すべてを終えれば唱導師の説法。
そして始まったご加護を授かる「オチョウダイ」。
背中に如来さんを載せて「身体堅固 南無阿弥陀仏」が唱えられる。
如来さんの力で守って戴くという儀式に希望の膝や足にも「オチョウダイ」をいただいた。
かつては小泉町が前日だった。
移動車がない時代はそこで一晩泊った。
その翌朝が小林町だった。
今はどうなっているのか判らないという。
(H22.11. 4 EOS40D撮影)
朝早く大阪を出た大和御回在の一行は朝6時、小林町に着いた。
檀家の世話役たちは一軒、一軒案内していく。
町にあるお寺は真言宗だが会員は融通念仏宗徒である。
御回在の一行は紫衣の唱導師(しょうどうし)、黄衣の目代(もくだい)、収納(しゅうのう)にお勤めをする黒衣僧中(そうじゅう)の4名。
僧以外に如来さんを担ぐ禅門(ぜんもん)、鉦を叩く人、寄進浄財を預かる人と運転手の4名(トモと呼ばれる講員)の合計11名で構成されている。
すぐさま如来さまのご回在が走っていった。
カーン、カーンと鉦を叩く音が町内に聞こえてくる。
朝は通勤や通学の人たちが往来する街道。
それを間近にして如来さんが走り抜けていく。
普段の「ケ」と御回在の「ハレ」が交差していく時間帯だ。
小林町の宗徒は19軒だったが近年には18軒。
旧村地区の周囲は畑だったがそれを売って少しずつ宅地化が広がっている。
一人暮らしの家も徐々に増えつつある。
これからも減っていくだろうと役員は話す。
如来さんは荒神さん(カマド)や堂蔵もお祓いしてくれる。
それには浄財でお願いする。
「昔は牛(小屋)もしやはった」と役員は話す。
牛は大切な家族の一員だった時代のことだという。
家周りの御回在を終えた一行は公民館にあがった。
本来なら融通念仏のお寺に集まるのだが小林町にはそれがないからなのだ。
土地改良区の事務所でもある公民館。
会場に如来さんの掛図を掲げてお勤め法要が始まった。
「なーむあみだー」の唱和が座敷に広がった。
400年も続いている如来さん御回在。
本尊自らが足を運んでやってくるありがたさに手を合わせる。
すべてを終えれば唱導師の説法。
そして始まったご加護を授かる「オチョウダイ」。
背中に如来さんを載せて「身体堅固 南無阿弥陀仏」が唱えられる。
如来さんの力で守って戴くという儀式に希望の膝や足にも「オチョウダイ」をいただいた。
かつては小泉町が前日だった。
移動車がない時代はそこで一晩泊った。
その翌朝が小林町だった。
今はどうなっているのか判らないという。
(H22.11. 4 EOS40D撮影)