マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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いま民俗学とは~民俗文化の変容に直面して

2011年06月30日 06時38分48秒 | 民俗を聴く
博物館の役割を広く普及させようと1977年に制定された国際博物館会議。

日本では2002年に初めて参加したそうで多くの博物館は記念事業を実施している。

県立民俗博物館では10年目という節目にあたるこの年に、昭和47年に同館建設に携わり、その後も学芸員として調査収集に活躍され現在は花園大学の副学長を勤められている芳井敬郎氏を招いて講演会を開催された。

民俗文化の複合体、林業コーナーなど思い出深い民俗博物館。

最初の講演会はたった一人だったと、今日の聴講者にツカミをとった。

十津川歴史民俗資料館も立ちあげられた氏。

歴史は当然だが民俗はおざなりだったと話す。

モノを置いていればそれで十分という考え方だったそうだ。

当時は保存重視の考え方で、そこにモノを展示して一般の人に見にきてもらう。

今日は、民俗が注目されて町おこしや村おこしに活かされているようになってきた。

が、一般の人に理解してもらうには・・・。

民俗は歴史分野の一つだが学問的には細分化されすぎた。

規範、理論的に述べる人は多い。

役立つものが学問だが、果たして実証的であったか。

衣食住・・・生活への視点をもっていたのか。

生活する者がどうやって暮らしてきたか。

農村部は保守的といわれている。

古臭いと烙印を押されることも・・・。

池の水、川の水を引いて田植えをする。

保守的でないと暮らせない農村。

吉野川分水がくるまではため池であった。

この水を潤沢に田んぼへ流すには番水(ばんすい)がいった。

肩を寄せ合って村落の暮らしを成り立たせてきた。

(中略)・・・戦後の教育では集団よりも個を重視してきた。

個を大事にして集団を軽視してきたヒズミがでてきた。

個性も大事だが人を見て育つのが本来。マニュアル育ちでなくかつては先輩の技を盗んで育ったと話す。

間人(たいざ)での聞き取りのことだ。

カンカンを持つ行商がいた。

急こう配の畑を耕す人。

腰が曲がった人が山で作業をする。

クジラが来たと鉦をカンカン叩いた。

それを見た老人はそれきりだったといって亡くなっていった。

その行商、夏場はできない。

氷がないからだ。

魚は年中捕れても売れる(行商ができる)のは氷があるからだ。

大量に捕っても、それを流通させるには氷が必要だったのだ。

生活者の思考はフィールドワークから聞き取ると話す。

動態保存されている吉川家の民家。

その宅相図や古文書をもとに解説される。

芳井ワールドは多岐にわたりまるで滑ぜつ師(と思えた)のように次々と話題を転じて雄弁に語られる。

メモをとるにはとったが要約できる能力は身をつけていないから文書起こしは整理できるはずもなく手に負えん解説。

迷信を否定した親鸞は神マツリをすることなかれ、真宗は吉野から施行した、戒名でなく法名、スゴロクは平安時代に庶民に広まった、煮炊きものをする屋は釜之屋、GHQは農地解放したが山林はできなかった・・・などなど。

寝屋川の船大工が造ったのはケンザキブネ、仕切りがあるのはコエブネ、水車(みずぐるま)に縁があるのは河内型、赤みの木で造られていた水車は斑鳩の並松(なんまつ)地区、牛にムギをやる際にはとぎ汁を、上等のもんを食べさせると牛は下痢をする・・・・と民俗話は多岐にわたる。

物流革命は民俗の変容になった。

社会的な事実を知る民俗学は生活に有益・・・だから生活者の変容を知る。

古文書やモノに年号がはいっておれば基準になる。

わたくしごとも書いて残しておけば指針になる。

その後もお話は続いていったが・・・講話を纏める力は私にない。

(H23. 5.22 記)