一か月前のことだった。
何年ぶりだろうか、久しぶりの声を聞いた。
電話口から聞こえる声はYさんだった。
前々職の先輩にあたる。
2年半ほど前の新年OB会でも会っている。
それ以来になる。
なんでもOさんが会いたがっているのでこっちに来ないかというお誘いだ。
10年ほど前に退職されたHさん、つるちゃんらの当時のE部署時代の仲間がときおり集まっているという。
次々とでてくる懐かしい名前にワクワクして速攻で承諾した。
場所が決まったらHさんから連絡が来るという。
それは10日前だった。
9年ぶりに聞く声だ。
宴の場所は「秀吉」。
これもまた懐かしい。
ビジネスマン時代には通った和風居酒屋だ。
しかし、その店ではないという。
淀屋橋に新店ができたという。
そうして電車を乗り継いでやってきた。
ダイヤ1本乗り遅れたのでYさんとともに待ち合わせ場所の郵便局前から歩きだした。
あれぇ、勤めていた本社ビルが見当たらない。
噂では聞いていたがほんまだった。
今では駐車場になっている。
両脇にあるホワイトビルとネクストビルは変わっていない。
ドトールコーヒーもまめだも上海楼もある。
はんの看板があるお店もそのままだ。
「秀吉」はすぐ近くにあった。
できたての新店だけにお店のHPにはまだ現れていない。
その店の狭い回る階段を登っていった室内には久しぶりの顔ぶれが並んでいた。
20歳代前半にむちゃ遊んだMくんの妹のつるちゃんもいる。
和歌山付近の住まいは変わらなく両親も健在だという。
35年も前のことだが夜中に暴走していたあのころは若かった。
現役のSくんやWくんもいる。
Sくんは今年度中に定年を迎えるという。
そのまま職場におれば私も満了になっていたはずだが・・・。
会った瞬間はみなおっさん、おばさんの顔になっていた。
当然ながら皆から見る私のおつむや顔も同じおっさんだ。
数分も経たないうちに馴染んでしまうのは長年のつきあいの証しであろう。
私が早期定年で辞めたあとに介護を目指して退職したNくんもやってきた。
十津川以来だ。
そうそうもっと早くに辞めたTくんもいる。
15年ぶりとちゃうかな。
傍にはFさんがいた。
若いときには仲間と連れだってよく飲みにいったものだ。
そのときのIさんは欠席らしい。
彼女とはそれこそ20年ぶりかも。
たしか結婚で退職したんだ。
ご主人を亡くされ母親の介護であるにも関わらずその辛さを感じさせない。
仕事を終えてKさんがやってきた。
Hさんが持ってきた社友会旅行の写真で盛りあがった。
あのときは総務だった。
運用グループとともに行った旅行写真。
若すぎて顔がわかんないが、この人、あの人と次々に判明する。
みんなは変わっていないが私はまったく違う世界にいった。
成果物でもある淡交社刊行の「奈良大和路の年中行事」や写真などで協力した民俗博物館や橿原考古学研究所付属博物館の図録を持参していた。
「おまえがそんなものを書けるはずがない。こんな四文字熟語を知るはずがない。これは違う人が書いて出版したんだろう」と言われる始末。
そりゃそうだ。
早期定年前まではそれほど活動しているわけでもなく、仕事仲間には写真を撮っていたことさえ知らない。
当時の仕事ぶりからいえば想像できないくらいに変身したものだから信じられないというもんだ。
紹介された新聞記事をみても信じてくれない。
それはともかく飲み放題のビール、チューハイなどぐいぐいいって、3時間の宴は今宵も更けていく。
それにしてもこんな時間帯なのに地下鉄は満員のぎゅうぎゅう詰め。
奈良じゃすかすかなのに都会の夜は恐ろしい。
(H23. 5.20 SB932SH撮影)
何年ぶりだろうか、久しぶりの声を聞いた。
電話口から聞こえる声はYさんだった。
前々職の先輩にあたる。
2年半ほど前の新年OB会でも会っている。
それ以来になる。
なんでもOさんが会いたがっているのでこっちに来ないかというお誘いだ。
10年ほど前に退職されたHさん、つるちゃんらの当時のE部署時代の仲間がときおり集まっているという。
次々とでてくる懐かしい名前にワクワクして速攻で承諾した。
場所が決まったらHさんから連絡が来るという。
それは10日前だった。
9年ぶりに聞く声だ。
宴の場所は「秀吉」。
これもまた懐かしい。
ビジネスマン時代には通った和風居酒屋だ。
しかし、その店ではないという。
淀屋橋に新店ができたという。
そうして電車を乗り継いでやってきた。
ダイヤ1本乗り遅れたのでYさんとともに待ち合わせ場所の郵便局前から歩きだした。
あれぇ、勤めていた本社ビルが見当たらない。
噂では聞いていたがほんまだった。
今では駐車場になっている。
両脇にあるホワイトビルとネクストビルは変わっていない。
ドトールコーヒーもまめだも上海楼もある。
はんの看板があるお店もそのままだ。
「秀吉」はすぐ近くにあった。
できたての新店だけにお店のHPにはまだ現れていない。
その店の狭い回る階段を登っていった室内には久しぶりの顔ぶれが並んでいた。
20歳代前半にむちゃ遊んだMくんの妹のつるちゃんもいる。
和歌山付近の住まいは変わらなく両親も健在だという。
35年も前のことだが夜中に暴走していたあのころは若かった。
現役のSくんやWくんもいる。
Sくんは今年度中に定年を迎えるという。
そのまま職場におれば私も満了になっていたはずだが・・・。
会った瞬間はみなおっさん、おばさんの顔になっていた。
当然ながら皆から見る私のおつむや顔も同じおっさんだ。
数分も経たないうちに馴染んでしまうのは長年のつきあいの証しであろう。
私が早期定年で辞めたあとに介護を目指して退職したNくんもやってきた。
十津川以来だ。
そうそうもっと早くに辞めたTくんもいる。
15年ぶりとちゃうかな。
傍にはFさんがいた。
若いときには仲間と連れだってよく飲みにいったものだ。
そのときのIさんは欠席らしい。
彼女とはそれこそ20年ぶりかも。
たしか結婚で退職したんだ。
ご主人を亡くされ母親の介護であるにも関わらずその辛さを感じさせない。
仕事を終えてKさんがやってきた。
Hさんが持ってきた社友会旅行の写真で盛りあがった。
あのときは総務だった。
運用グループとともに行った旅行写真。
若すぎて顔がわかんないが、この人、あの人と次々に判明する。
みんなは変わっていないが私はまったく違う世界にいった。
成果物でもある淡交社刊行の「奈良大和路の年中行事」や写真などで協力した民俗博物館や橿原考古学研究所付属博物館の図録を持参していた。
「おまえがそんなものを書けるはずがない。こんな四文字熟語を知るはずがない。これは違う人が書いて出版したんだろう」と言われる始末。
そりゃそうだ。
早期定年前まではそれほど活動しているわけでもなく、仕事仲間には写真を撮っていたことさえ知らない。
当時の仕事ぶりからいえば想像できないくらいに変身したものだから信じられないというもんだ。
紹介された新聞記事をみても信じてくれない。
それはともかく飲み放題のビール、チューハイなどぐいぐいいって、3時間の宴は今宵も更けていく。
それにしてもこんな時間帯なのに地下鉄は満員のぎゅうぎゅう詰め。
奈良じゃすかすかなのに都会の夜は恐ろしい。
(H23. 5.20 SB932SH撮影)