津越のヤッコメの出発地である大橋。
かつてはこの地を五軒屋と呼んでいた。
ダムができあがる前のことだ。
お店のご主人の三代前というから60年以上も前のことどころか、明治末か大正時代のころだと思うという。
五軒屋は津越の出店だった。
井倉家が地主から借りて建てられた長屋にお菓子屋、下駄屋、電器屋、呉服屋、魚屋に酒屋、郵便局が並んでいた。
街道を交差する十字路はそころじゅうから買い求めにくる住民たちの商店街のようだったという。
魚屋から発展を遂げた大矢商店はなんでも揃っている。
先代は伊賀上野まで行商に行っていたそうだ。
戦後は奈良市の京終になった。
買い出した商品はバタバタと呼ばれていた三輪トラックに積んで戻ってきたという。
その津越では簡略化されているものの形式を残しつつ数々の行事が行われている。
1月5日は隣村の西村(腰越)と共同で行われる岩清水八幡参りなどの代参を決めるフリアゲや翌日の6日に行われる初祈祷の豆腐田楽喰いがある。
西村の行事には3月21日には大師講。
4月3日はジンムサンノナツケと呼ぶ元服式典がある。
中学3年か高校3年生の年齢に達する子供を村で祝う行事だ。
神武祭の名付けだともいう。
西村の地区に対象の子供はいるが3年先のこととなるらしい。
8月21日辺りの日曜日には枡型の石仏にお大師参拝をしにいく。
9月8日前後になるかもしれないがコンピラサンと称して山の上に祀られているコンピラサンに出かける。
同月26日辺りには観音講をしているそうだ。
お盆の行事には家の習俗もあるという。
東京から取材班がやってきて松尾のN家でのサシサバを食べる様子を撮ったそうだ。
サバを求めて福井県、京都府などの関連する取材だったようだ。
そのサシサバ。
商店のご主人もされている家の行事。
2尾のサシサバを丸ごと串に挿す。
それを頭の上に掲げていただく。
まるで正月行事のイタダキサンの様子と同じだ。
8月13日のことだというから先祖迎えの行事と思われる。
また、杉原では涅槃の掛図があるらしい。
3月のことだ。話しぶりから子供が絡んでいるようだ。
ということはおそらく子供の涅槃講と考えられる。
(H23. 4.29 EOS40D撮影)
かつてはこの地を五軒屋と呼んでいた。
ダムができあがる前のことだ。
お店のご主人の三代前というから60年以上も前のことどころか、明治末か大正時代のころだと思うという。
五軒屋は津越の出店だった。
井倉家が地主から借りて建てられた長屋にお菓子屋、下駄屋、電器屋、呉服屋、魚屋に酒屋、郵便局が並んでいた。
街道を交差する十字路はそころじゅうから買い求めにくる住民たちの商店街のようだったという。
魚屋から発展を遂げた大矢商店はなんでも揃っている。
先代は伊賀上野まで行商に行っていたそうだ。
戦後は奈良市の京終になった。
買い出した商品はバタバタと呼ばれていた三輪トラックに積んで戻ってきたという。
その津越では簡略化されているものの形式を残しつつ数々の行事が行われている。
1月5日は隣村の西村(腰越)と共同で行われる岩清水八幡参りなどの代参を決めるフリアゲや翌日の6日に行われる初祈祷の豆腐田楽喰いがある。
西村の行事には3月21日には大師講。
4月3日はジンムサンノナツケと呼ぶ元服式典がある。
中学3年か高校3年生の年齢に達する子供を村で祝う行事だ。
神武祭の名付けだともいう。
西村の地区に対象の子供はいるが3年先のこととなるらしい。
8月21日辺りの日曜日には枡型の石仏にお大師参拝をしにいく。
9月8日前後になるかもしれないがコンピラサンと称して山の上に祀られているコンピラサンに出かける。
同月26日辺りには観音講をしているそうだ。
お盆の行事には家の習俗もあるという。
東京から取材班がやってきて松尾のN家でのサシサバを食べる様子を撮ったそうだ。
サバを求めて福井県、京都府などの関連する取材だったようだ。
そのサシサバ。
商店のご主人もされている家の行事。
2尾のサシサバを丸ごと串に挿す。
それを頭の上に掲げていただく。
まるで正月行事のイタダキサンの様子と同じだ。
8月13日のことだというから先祖迎えの行事と思われる。
また、杉原では涅槃の掛図があるらしい。
3月のことだ。話しぶりから子供が絡んでいるようだ。
ということはおそらく子供の涅槃講と考えられる。
(H23. 4.29 EOS40D撮影)