室生の向渕(むこうぢ)は都祁から室生寺に向かう県道にある。
その上の古道は高樋の五カ谷から伊勢へと通る街道で宿屋もあったそうだ。
その道沿いにある正定寺(しょうじょうじ)本堂に子供たちや檀家がこの日に行われる花まつりに集まってきた。
本来は4月8日であるが向渕にはまだ花は咲いていない。
それならば四月末が望ましいと祝日に行われている。
花御堂に飾るお花は地区に咲いている春の花。
奇麗な花は色とりどりに屋根を飾った。
可愛い字体の「花」文字に感謝する住職の挨拶で始まった。
7日が入学式だったお寺の日曜学校。
子供たちへの「教え」の場でもある。
一人ずつ進み出てお釈迦さんの誕生仏に柄杓で掬ったアマチャをかけて手を合わせる。
花まつりはお釈迦さまに出会わせてくれる日。
なんまんだぶつを唱えて聖典教本の唱和に「知ってるね」も合唱した。
読本もある花まつりは住職の法話もある講話の日である。
3千年前にインドで生まれたお釈迦さん。
ルンビニーの園地だった。
6本牙をもつ白いゾウさんに乗って母体に入った。
ある夜、母親が見た夢のことであった仏陀の受胎であった。
誕生したら7歩も歩いたという。
生まれてまもなく母親は亡くなり妹が育てた仏陀。
東の門から出れば老人がいる。
仏陀は思った。
いずれ年老いていく。
南の門には病気の人がいた。
いずれ病に陥るだろう。
西の門をでれば行列があった。
葬送の儀礼だった。
人は死ぬ。
そうすれば人は幸せになるのだろう、何のために生きていくのだろうと思った。
北の門を出れば清々しい顔の旅人がいた。
修行に出た聖なるお坊さんだった。
そのような話をする住職の声が聞こえる。
それはどの本に書かれているのかと子供たちに問えば読本と答える日曜学校の花まつりは白い象の行列に移った。
向かう先は木造観音像を安置する高堂(たかんどう)だ。
水の入った田んぼを見下ろす旧道を眺めながら子供たちが曳いていく白い象。
牙は見られないが手作りの張りぼてゾウの背には花御堂。
本堂に設えたものより小ぶりだが中には釈迦像がある。
今はリヤカーに乗せているが55歳の男性は長い棒で担いだと話す。
仏教会式であろう花まつりは健やかに育つ子供の願いでもあるようだ。
(H23. 4.29 EOS40D撮影)
その上の古道は高樋の五カ谷から伊勢へと通る街道で宿屋もあったそうだ。
その道沿いにある正定寺(しょうじょうじ)本堂に子供たちや檀家がこの日に行われる花まつりに集まってきた。
本来は4月8日であるが向渕にはまだ花は咲いていない。
それならば四月末が望ましいと祝日に行われている。
花御堂に飾るお花は地区に咲いている春の花。
奇麗な花は色とりどりに屋根を飾った。
可愛い字体の「花」文字に感謝する住職の挨拶で始まった。
7日が入学式だったお寺の日曜学校。
子供たちへの「教え」の場でもある。
一人ずつ進み出てお釈迦さんの誕生仏に柄杓で掬ったアマチャをかけて手を合わせる。
花まつりはお釈迦さまに出会わせてくれる日。
なんまんだぶつを唱えて聖典教本の唱和に「知ってるね」も合唱した。
読本もある花まつりは住職の法話もある講話の日である。
3千年前にインドで生まれたお釈迦さん。
ルンビニーの園地だった。
6本牙をもつ白いゾウさんに乗って母体に入った。
ある夜、母親が見た夢のことであった仏陀の受胎であった。
誕生したら7歩も歩いたという。
生まれてまもなく母親は亡くなり妹が育てた仏陀。
東の門から出れば老人がいる。
仏陀は思った。
いずれ年老いていく。
南の門には病気の人がいた。
いずれ病に陥るだろう。
西の門をでれば行列があった。
葬送の儀礼だった。
人は死ぬ。
そうすれば人は幸せになるのだろう、何のために生きていくのだろうと思った。
北の門を出れば清々しい顔の旅人がいた。
修行に出た聖なるお坊さんだった。
そのような話をする住職の声が聞こえる。
それはどの本に書かれているのかと子供たちに問えば読本と答える日曜学校の花まつりは白い象の行列に移った。
向かう先は木造観音像を安置する高堂(たかんどう)だ。
水の入った田んぼを見下ろす旧道を眺めながら子供たちが曳いていく白い象。
牙は見られないが手作りの張りぼてゾウの背には花御堂。
本堂に設えたものより小ぶりだが中には釈迦像がある。
今はリヤカーに乗せているが55歳の男性は長い棒で担いだと話す。
仏教会式であろう花まつりは健やかに育つ子供の願いでもあるようだ。
(H23. 4.29 EOS40D撮影)