5月12日頃には池の水を引いていた。
冬場は田んぼの水をあげてナタネやムギを栽培していた。
いわゆるウラ毛である。
ナタネは油屋にもっていって絞ってもらってナタネ油にしてもらった。
ムギは大きな茶壷に入れて保管していた。
ウラ毛をしていた田んぼはどうしても稲作が遅くなる傾向にあったそうだ。
水を引くまでにナタネを引かなければならない。
その後でムギを刈っていた。
刈り取ったムギは竹カゴに入れて運んだ。
それは昭和25、6年のころの農作業だった。
コタツもアンカも電気もない北野の時代だった。
付近に生えていた竹を伐採してカゴ作りの人に編んでもらった。
それに和紙を張ってカキ(柿)のシブ(渋)汁で塗った。
シブガキを石の壺に入れて搗いた。
茶色の汁がでてくるのでそれを瓶に詰めておく。
糊はコンニャクをすったものだった。
ダイコンオロシやスリガネでコンニャクをすり潰した。
それが和紙を張る糊だった。
コンニャク糊は火に強かったからそうしていた。
和紙を張っては乾かして、また糊をつけて和紙を張る。
それを2枚、3枚と何度か繰り返して張った。
それが乾いてからカキシブを刷毛で塗った。
そのときの竹カゴはないがツチモッコが残っていると見せてくれた。
丸く平たいカゴはツチカゴとも呼んでいる。
これは今でも現役。
とはいっても共同井戸のろ過敷きとして利用しているのだ。
最初に大き目の石を敷く。
その上には炭だ。
さらにシュロの葉を敷き詰めて粗い石を敷いていた。
このろ過敷きは8月7日の井戸替え作業で入れ替えているのだ。
農具ではないがヘチマも拝見した。
何年か前に一度作ったことがあるヘチマのタワシ。
ほしい人がおるから作ったが、高い棚を作らなあかんしタネヌキがたいへんなので一回でやめたとご主人は話す。
(H23. 5. 7 EOS40D撮影)
冬場は田んぼの水をあげてナタネやムギを栽培していた。
いわゆるウラ毛である。
ナタネは油屋にもっていって絞ってもらってナタネ油にしてもらった。
ムギは大きな茶壷に入れて保管していた。
ウラ毛をしていた田んぼはどうしても稲作が遅くなる傾向にあったそうだ。
水を引くまでにナタネを引かなければならない。
その後でムギを刈っていた。
刈り取ったムギは竹カゴに入れて運んだ。
それは昭和25、6年のころの農作業だった。
コタツもアンカも電気もない北野の時代だった。
付近に生えていた竹を伐採してカゴ作りの人に編んでもらった。
それに和紙を張ってカキ(柿)のシブ(渋)汁で塗った。
シブガキを石の壺に入れて搗いた。
茶色の汁がでてくるのでそれを瓶に詰めておく。
糊はコンニャクをすったものだった。
ダイコンオロシやスリガネでコンニャクをすり潰した。
それが和紙を張る糊だった。
コンニャク糊は火に強かったからそうしていた。
和紙を張っては乾かして、また糊をつけて和紙を張る。
それを2枚、3枚と何度か繰り返して張った。
それが乾いてからカキシブを刷毛で塗った。
そのときの竹カゴはないがツチモッコが残っていると見せてくれた。
丸く平たいカゴはツチカゴとも呼んでいる。
これは今でも現役。
とはいっても共同井戸のろ過敷きとして利用しているのだ。
最初に大き目の石を敷く。
その上には炭だ。
さらにシュロの葉を敷き詰めて粗い石を敷いていた。
このろ過敷きは8月7日の井戸替え作業で入れ替えているのだ。
農具ではないがヘチマも拝見した。
何年か前に一度作ったことがあるヘチマのタワシ。
ほしい人がおるから作ったが、高い棚を作らなあかんしタネヌキがたいへんなので一回でやめたとご主人は話す。
(H23. 5. 7 EOS40D撮影)