マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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大和郡山の水口祭の様相

2011年06月12日 07時56分35秒 | 大和郡山市へ
4月中旬から5月GWにかけて、行事でたばったオコナイの祈祷札やオンダ祭の松苗などを苗代に立てる水口祭がが県内各地で行われている。

私にとっては田畑を見渡し苗代作りをされている田んぼを探し回る季節でもある。

行事取材地への行き帰りや買い物に行った際の探索は時間的な余裕があればの話だ。

苗代は風雨に耐えるようビニールトンネルをしているところが多いが稀には寒冷紗の場合もある。

4月17日は自然観察会だった。

その観察のときに見つけた矢田の水口祭。



お札はビニールの中で拝見しにくいがおそらく矢田坐久志玉比古神社の行事である綱掛けでたばったものであろう。

花芽をつけたサクラの枝を挿してある。

(H23. 4.17 Kiss Digtal N撮影)

4月26日には再び矢田山を散策した。

そのとき、北村の住民に聞き取りさせてもらったことは先日アップした。

自宅から矢田山まではさほど遠くない。

そこへ行くまでは地元住まいの城町。

富雄川の西側は田んぼが広がる。

ところどころに苗代が見られる。

その場所に足を運んでいき祭祀されているかどうかを確認する。



が、まったく見当たらない。

当地は奈良市石木町に鎮座する登弥神社がある。

2月1日の粥占が有名だがお札を伴う行事ではない。

たばるものがなければ水口には見られないというわけだ。

(H23. 5. 3 SB932SH撮影)

このように苗代を作られてはいるものの、水口祭があるかないかは地区で祭祀される行事の有無で決まる。

それではと市内の南部にある宮堂町に向かった。

一昨年にも訪れた地区だ。

今年もそうであればと思い再訪した結果。それがあった。



先端を三つに裂いたヤナギの木に挟んだお札がみられる。

2月に行われる観音寺の荘厳講でたばったご加持された牛玉宝印のお札である。

見えないが田んぼに挿した側は二股になっている。

この特徴をもつのが宮堂町のゴオウ杖だ。

2月に終えた民俗博物館の冬の企画展で実物を紹介させていただいた。

そのお礼も兼ねてM家を訪問したのであった。

朝日を受けるお花を見たくて翌日の朝にもう一度再訪したとき田んぼの所有者であるもう一人のMさんにお会いした。

土手にある立派なスズキを撮っていたらお声をかけてくださったのだ。



ご主人が自慢する大きなスズキ。

盆地部では珍しく、郡山市内で見たのはこれが初めてではないだろうか。

(H23. 5. 4 EOS40D撮影)

再び北上して椎木町に向かった。

ここでは苗代に水を引いたばかり。

明日には作業をするのであろう。

昨年も立ち寄ったが見つかったのは松苗だった。

それは代金を支払って、たばった春日大社の御田植祭の松苗だ。

今日は時間に余裕がなく、広がる花畑を見渡していた。



東椎木には菜の花畑が西椎木にはレンゲ畑が広がる。



休耕田のように思えた。

(H23. 5. 3 EOS40D撮影)

昨年はオコナイから苗代へと取材した小林町。

「農家は多いからいっぱいあるで」と言われていたので探してみた。

その日の午前中はあちこちで苗代作りをされている。

夕方に立ち寄ったところにはすでに作業を終えて水口祭が供えられていた。



場所はといえば水口ではない。

農家によっては水口に拘らないと聞いたことがある。

中央であったり逆の方向であったりする。

決して水口ではないのだ。

翌日に再訪すればさらに苗代の数は増えていた。

このGW期間中が最盛期なのであろう。

(H23. 5. 3 EOS40D撮影)

このように農家にとって関わる行事がなければ苗代の水口祭には現れない。

これまで矢田坐久志玉比古神社の綱掛け、矢田山金剛山寺修正会の牛王加持、植槻八幡神社のおん田祭りで営まれたお札が関連する苗代水口祭を取材してきた。

が、未だに発見できていない個所がある。

田中町甲斐神社のおんだ祭、小泉神社のおんだ祭に松尾寺の修正会だ。

あいにく松尾寺の修正会の取材は厳禁だけにその様相は拝見したことがない。

しかし、そのご加持された牛玉宝印のお札はありがたくお寺から授かっている。

そのようなことで町々の苗代を探すことにした。

田中町の水口祭りはどこでされているのだろうか。

小南町との間にある道路を走っていると西方に苗代作業をされているのが遠目に見つかった。

それならば、と夕刻に訪れた。

町の南側には田んぼが広がる。

そこにあったのはおんだ祭でたばった竹ヘラの松苗。

甲斐神社と書いてある。

間違いはないが小さくて細い。

隣り合わせに3か所も見つかった。



翌朝に朝日にあたる竹ヘラを撮らせてもらった。

このお札も企画展で展示させてもらった。

(H23. 5. 4 EOS40D撮影)

山田町は田園が広がる地区。

松尾寺から見下ろせば市内の風景が遠くに見えるが手前は風光明媚な地域だ。

ここでも数か所で苗代作りがされている。

ところが水口祭は見つからない。

松尾寺からお札を授かった際に聞いた話ではもらいに来る人が居ると言っていた。

その数はどうも少ないらしい。

見つけることは困難だが一つ一つ苗代を見ていくしかない、と思って歩いていけば・・・。

お花とともに祭られているお札があった。



それをされた農家のご主人にお話を伺った。

前日の午前中に苗代作りを終えてお札を挿したという。

その際には一升のお米を一升枡に入れて祭ったというのだ。

お米はその直後に持ち帰ったので当日には見られなかったが初の確認ができた。

お札は松尾寺から授かった。

それは昨年の秋に収穫したお米を寄進したお礼だという。

稲作だけで暮らしていくにはこの時代の生活は難しい。

若い人たちは信仰も薄れ水口祭をすることもない。

いずれは消えていくだろうと仰る。

(H23. 5. 4 EOS40D撮影)

もうひとつ気がかりだった小泉町。

砂かけをされるおんだ祭でたばったお札はどこにあるのだろう。

町内中心部は住宅街。畑は見当たらない。

小泉金輪院へ向かう道沿いで幟を立てている人が居た。

知人のHさんだ。

伺ってみれば富雄川の東側の片桐中学校の南側にはたくさんあるという。

「あんたとこもしてたよな」と幟立ての相方に声をかければ頷く。

そういえば明日は金輪院の庚申さんの日だ。

今夜は宵宮のお籠りだそうだ。

それも取材したいが今回の目的は水口祭。

一路、教えてもらった在所を探す。



それは農道沿いに3か所あった。

いずれも小泉神社の名がある。

(H23. 5. 4 EOS40D撮影)

そして、朝から苗代作りで水を張っていた小林町のYさんにお会いする。

今年も弟さんが手伝って苗代作りをするそうだ。

水口祭といえば明日にするという。

身体がえらいから二日間にかけて行うという。

そのYさんから大和中央道の高架下の田んぼではMさんが昨日に水口をしていたと聞いたので探してみた。



こんなところにもあったのだと感心する。

(H23. 5. 4 EOS40D撮影)

その高架下をぐるりと抜けて小林町の墓地に向かう農道を走った。

なにげに北の方角を見ればご婦人がおられた。

その前にはお花がある。

水口ではないかと窓越しに拝見していると声がかかった。

なんでも昨日に苗代を作って昼前に挿したという。

そのお札といえば小泉神社のモノだった。

あれぇ、ここは小林町では。

ご婦人は小泉の人だが田んぼはここにあるという。

ご主人は神社の宮総代のM氏。

授かった松苗のお札はその関係でたばっていた。

それまでは神棚に置いていたそうだ。

松の色は落ちていないのは新聞紙で包んでいたからだと話される。



近くに住む息子家族が応援して苗代作りを終えた。

それが済めば四国に向かって行ったという。

その後はこうして田んぼを見張っている。

納屋は鍵をしているがガラス窓を割られた。

不届きモノが居るから困るのですと話す婦人。

こうして郡山で行われている行事と水口祭の関係場所が次々と判ってきた。

調査はまだまだ続くであろう。

忘れないうちにエリアマップに印をしておきたいものだ。

(H23. 5. 4 EOS40D撮影)