マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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矢田山の水口

2011年06月03日 08時37分58秒 | 大和郡山市へ
今月中旬には水口祭りが始まっていた矢田山。

その後は増えているだろうと思い自転車で回ってその様子を伺ってきた。

17日に見たのは北村地区の1軒。

Gさんの家だとN氏は話す。

そのNさん家では24日の日曜にされた。

息子さんとともに作業をされて午前中いっぱい掛って苗代を作った。

昼前には終わったので矢田坐久志玉比古神社でたばったお札を水口に挿した。

その横にはお花を飾った。

昨年よりも一週間遅れたそうだ。

お札は1月8日に行われた綱掛けの際に授かったものだ。



北村は北座にあたる。

楼門を潜った左側に座がある。

同月の2日には綱を作るというから正月三ガ日の2日だ。

これは毎年変わらない。

横山地区と中村地区は楼門で作られるが北村地区は当番の家だ。

昨年はN家の倉庫で作った。

北村の座は3軒。

そのうちの1軒がG家でもう1軒は室ノ木にあるという。

地区は17軒あるが座は3軒なのだ。

朝9時ことから綱作りの作業を始めて12時には終わった。

その綱は8日の日に神社行事で掛けられる。

横山地区と中村地区の綱は一旦くずして一本にする。

それは神社の鳥居に掛けられる。

北村の綱はといえばそれは主人神社の綱になる。

細いので作業はそれほどでもないが軒数が少なくなったのでたいへんだと話す。

昭和の終わりまでは2月にお日待ちをしていたが、3月のイノリは今でも続けている。

イノリは村の決済日。

掛軸を掛けることもなく村人が集まって決めごとをする日だ。

北村地区から下っていけば横山地区である。

それほど距離はない。

かつては辻の土手でとんどをしていた。

1月の半ばだというM氏は苗代作りの作業をしておられた。

家の前の田んぼだ。



数日前から徐々に進めていた苗代の箱置き。

それが済めば新聞紙を広げてその上から紗を被す。

そして風で飛ばされないように重しを置く。

すべてを終えたら神社でたばっていたお札を挿す。

それまで神棚に供えていたお札だ。

その作業は奥さんがするそうだ。

それから1カ月後には田植えをされる。

何年か前に作業を済ませた田植え後まもない時期の風景を母屋の建物を入れて撮らせていただいたことを思い出す。

ご主人の田んぼはここだけではない。

N氏もそうだが遠く離れた地域に分散している。

田植えは人数が揃わないとできないが苗代作りは一人で作業を済ませている。

その田植えが終わって雨が降ったらアマヨロコビをしていたという。

八朔もそうだが神社へ参ることもなくなったそうだ。

ここから少し南へ行けば垣内地区。

ここでも既に水口祭りが見られた。

お札の文字は判別しにくいが太い文字だ。

もしかとすればだが、矢田山金剛山寺の修正会で牛王加持されたお札ではないだろうか。

確認するにもその場に人はみられない。



同じようなお札が道路の東側にも見られたがここも農家の人が居なかったので確認はできなかった。

そこから寺に向かう道を行けば集落にあたる。

苗代作りを終えたN氏がトラクターに乗って戻ってきた。

とんどやお日待ちでお世話になった方だ。

明日辺りにはすべての苗代作業を終えるそうだ。

苗の箱は知人の機械で作られた。

新しく買ったので試運転を兼ねて作ったと話す。

今年の東明寺八阪神社で行われたオンダ祭で供えられた松苗をたばってきたのでそれと一緒に水口祭りをしてみようかなという。

N氏の話ではアマヨロコビは神社に行くこともなくその日は雨が降ったので農作業は休めとふれまわったという。

それはともかく畑で栽培している作物をいただいた。

白菜に玉ねぎだ。

自動車で来たなら持って帰れるが今日は自転車。

それならと行商に使っていたコオリカゴをロープで結えてくださった。

何十年も前に作られた竹網のコオリ。

城下町中心部の本町にあったお店で作ってもらった。

採ってきた竹を持ち込んだそうだ。

今でも現役のコオリは体型がくずれていない。

もらった野菜で鍋をするには肉が要るとしゃべったら肉はうちにおるという。

そうなんだ。N氏は牛舎で肉牛を飼っていたのだった。

先月には2年半飼っていた牛を牛専用の運搬車に積んで岐阜県まで競りに出かけたという。

夜中の2時に出発して名阪道を通って競り場に行ったそうだ。

実は水口祭りの様子を調査したのは理由がある。



5月8日に行われる県立橿原考古学研究所付属博物館の主催行事の「矢田丘陵周辺の遺跡と農耕儀礼にふれる」のためだ。

国際博物館の日記念事業で当日はJR大和小泉駅から大和郡山市の小林町の水口、田中垣内遺跡、東城遺跡を経由して矢田山の水口を巡っていくコースの確認でもあった。

通るコースに苗代はあっても水口がなければ農耕儀礼は解説できないというわけだ。

その後、5月3日、4日も継続して調査してきた。(後報)

(H23. 4.17 Kiss Digtal N撮影)
(H23. 4.26 SB932SH撮影)