平成23年に発生した台風12号の影響による豪雨。
それは山を崩し、川を堰き止めた。
次々と映し出される映像に涙がでる。
十津川村は山津波による川の段波で家が押し流された。
紀伊半島では8月30日の夕刻から降り続けた総降水量が多いところで1800ミリを超えたという。

国土交通省のHPには主な被災か所図を今でも掲載している。
平成24年1月に作成された図は平成24年9月27日付けの第53報にある。
テレビ放送される映像に心が痛んだことを覚えている。
山崩れの一報があったとき思わず民宿津川に電話した。
「おっとろしかった」とねーちゃんは電話口で話していた。
風屋の高台に避難していても落ち着かなかったと云っていた。
その後も大雨が降るたびに度々の避難。
土砂崩れ、崖崩れは生活道路を封鎖する。
豪雨の度に心臓がバクバクすると津川のねーちゃんは話していた。
一年に一度は訪れる十津川村。
今年も友人たちと旅だった。
出発する前前日。
十津川村のHPに崖崩れによって笹の滝に向かう道路が閉鎖しているとたけりんが伝えてきた。
迷っていても仕方がない。
現場を見てから判断することにした。
毎年の8月末は民宿津川でお世話になる。
昨年は亡くなったおばちゃんの初盆だった。
到着挨拶もそこそこに仏壇に参ったことを覚えている。
今年で29回目になった十津川。
なぜか毎回の幹事を務めている。
前日までに用意しなければならないものがたくさんある。
二日間の食材に肴類である。
韓国海苔、1kgの乾麺うどん、ショウガ、天かす、コショウ、中華麺、キムチ、生タマゴ、白菜、キャベツ、白ネギ、モヤシ、トーフ、ゴーヤ、ミンミンギョーザ、豚バラ肉(800g)、あらびきポークウインナーなどなど。






料理の食材はフライパンと鍋でできるものに限っている。

「ごはんによくあう豚キャベツのコチュジャン炒め」に「豚もやしのねぎ味噌炒め」はお得な調味料は99円。
混ぜて炒めるだけだ。

それだけでは満足できないから、タレ付きテリヤキ鶏肉は2パックで500g。

500gのレモン香付きステーキ鶏肉も買っておいた。

鍋には最適のダイショーのキムチ鍋スープ。
量が多いから4袋も買った。
十年以上も使い続けてきたフライパンでは心もとないから新しいフライパン。
なんと278円である。
29回目のツアーも一次集合地が自宅前。
初めて参加するMくんは京都八幡でMさんを乗せてやってきた。
10年以上も顔を合わしていなかったが風体は変わっていない。
彼も今年になって満了退職した。
会話はどうしても年金になる。
昨年に話していた企業年金も貰っているという。
ありがたいことだが、ある年代からはその特例を受けることができない。
東生駒でたけりんを乗せてきたUさんも到着した。
指示通りトライアルで氷を買ってきて出発する。
トライアルは奈良宝来店。
今回の食材調達のみならず普段の買い物に度々訪れるお店だ。
安くて品数が豊富。
日々の暮らしに助かっている。
40分後には2次集合地の大和高田に着いた。
T夫妻と名張に戻ったUさんとFさんも居た。
電車でここまでやってきたのだ。
そうして3次集合地である五條市の山麓にある西吉野のこんぴら館へ向かった。
ここの雰囲気に変化がある。
ひっそりとした館内。
品ぞろえの規模は縮小したのであろうか。
壁面には旧大塔村の伝統行事である篠原踊りや惣谷狂言の写真解説がある。
昨年の山崩れによって村が分断された地域。
今年の行事はやむを得ず中断された。
その地である惣谷で坪杓子作りを継承した現役職人の新子さんが実演するコーナーもできている。
「木地師の館」コーナーは6月にオープンしたと新聞が報じていたが本人は不在。
七代目木地師を継いでいるそうだ。
そこから一路、十津川を目指す。

昨年の台風12号による豪雨の被害状況は心が痛む。
一年経っても山が崩れた景観は無残で痛ましい。
行方不明に合われた宇井の住民はまだ見つかってない。
宇井地区の河川災害復旧工は順調に進んでいるようだ。

仮設道路で繋いで狭隘な谷を跨ぐ夢翔(ゆめかけ)大橋が部分開通している辻堂・堂平地区で被災地に向かって合掌する。
豪雨の痕跡はあちこちで見られるが、道路は復旧している。

滝川支流へ入る三叉路に通行止めを表示する看板があった。
前日の24日からである。
この先はどうなんだろうか。
立ち寄った民宿津川で確認するものの村の人にはアナウンスがないという。
行けるところまで行ってみようと車を走らせる。

奥谷の集落は何事もなく佇んでいる林道内原線。
そこを通り抜ければ先が笹の滝。
その直前の1km。

通行止めのゲートが設置されていた。
この先数百メートルでがけ崩れがあったようだ。
ここで車を停めて徒歩で笹の滝に向かう人もいる。
三脚担いだカメラマンもいた。
それはともかく私たちはここで昼食だ。
いつも降りていた道は消えている。
探してみればなんとか降りる道が見つかった。

道具、食材一式をバケツリレーのようにして降ろしていく。
いつもの場所になんとか下って設営した昼食の場。
総料理長のご下命のを受けてせわしく動く。
とにもかくも、口に入る食事を作る料理人。

早急にサラダを2皿も作った。
マヨネーズにたっぷりふりまいたコショウが決め手。
濃い目だが美味しくいただく。
ゴーヤは生だけに苦味がたっぷりだ。
ドレッシングをかけたレタスはコショーしなかったけ。
簡単料理といえばソーセージだ。

新品のフライパンで試しの炒め。

火を通すだけでプリプリ感のソーセージが焼き上がる。
並行して乾麺うどんを茹でておく。

渓流の水を入れて湯を沸かす深鍋。
小さめの鍋なので4束を投入する。
茹であがりまでは10分間だ。
その間にも着々と簡単料理を進めていく。

ペーパータオルで油を拭いとったフライパンに投入したのはタレ漬けの鶏肉。
料理長が持参したタマネギとニンジンも入れて炒める。
あっという間にできあがった料理に次々と箸が伸びる。
そうこうしているうちに乾麺うどんが茹であがった。

麺つゆの出し汁は2倍に薄めておいてぶっかける。
ショウガ、テンカス、ネギ、モミノリを入れればできあがりだ。
うどんを食べる。
またもやうどんを食べる。
その間には2回目のうどんも茹でておく。
またしても料理人が動いた。

味付き鶏肉にゴーヤ、ニンジンを入れた炒め物だ。
「うまいねー あっちもうまいねー・・・」の声が料理人を動かす。
渓谷を流れる清流は冷たい。
爽やかな風が汗をぬぐうが日差しはきつい。
持ってきたパラソルを設営して日差しを防ぐ。
満足する顔が笑っている。
料理人はゆっくり食べる間もなく次の料理へと移る。

翌日の鍋に入れる分の半分は焼きギョーザ。
焦げ目を付けてできあがり。
2回目のぶっかけうどんも食べ終わって、残った2束も茹でておく。
これはゴーヤチャンプルーうどんに変化するのだ。

味付けは「創味のつゆ」だ。
2回に分けて作ったうどんの美味しいこと間違いない。
玉子も入れて作った。

実に美味いチャンプルーうどんである。
川原でBBQをする人は多いようだが、私らはそれをせずにいつもこうしている。
久しぶりに顔を合わせた元同僚たち。
快適なアウトドア料理はいつも人気者。
釣りしているよりも会話が弾むのである。
手際が良い撤収作業。
毎年こうしているから撤収も早い。
何時間もおれば汗もかくから目指すは温泉地。
山崩れが発生して民家もろとも流された野尻を抜けて、山崎、湯之原、小原、滝、折立、平谷を経て昴の郷へ向かう。
折立の橋脚も応急に復旧工事された。
生活道路は必要不可欠。
架設の橋は村の幹線道路だ。
平谷を通って昴の郷に着いた。
星の湯の受付はホテルになっていた。
ひと風呂浴びて津川へ戻るときに怖さを感じた。
風呂に浸かったことも忘れるぐらいの速度は精神的に苦痛だ。
今後のために安全運転5則を残しておこう。
県の交通安全協会が発行している会証に書かれたあった5則。
1.安全速度を守る。2.カーブの手前でスピードを落とす。3.交差点では必ず安全を確かめる。
4.一時停止で横断歩行者の安全を守る。5.飲酒運転は絶対にしない。
あたりまえのことばかりである。
昨年の5月から始めた仕事は通院患者の送迎ドライバー。
5則に加えて「同乗者に心配をかけない」と念じて運転している。
同乗者に「安心、安全」を保って、精神的な負担をかけない運転を心掛けてきた。
今回、始めて同乗者になったわけだが、自戒の念を込めてさらなる安全運転をしたいと思っている。
この夜は民宿津川でお世話になる。
ありがたいことに冷蔵庫が一つ。
翌日の食材を入れさせてもらった。

津川の料理はつきだし・・・だけでなく鍋料理がメインだ。

奇麗な色をしたイノシシ肉が美味そうに見える。

ビールで乾杯した後は鍋がグツグツ煮たってきた。
食べごろの鍋に食欲がわく。

シカ肉のカラアゲや天ぷらも出てくる。
それには「山椒」やわさびのお塩なども降り掛けて味わう一品。
1時間ほど過ぎた頃にはデザートも出てきた。
同席しておられたご家族がこしらえた黄色いマッカだ。

いわゆる「キィマッカ」に、子供のころのおやつだったと話題が沸騰する昭和20年代生まれの男たち。
その後も盛りあがる津川の宴会。
久しぶりの唄うカラオケで盛り上がった津川の夜は更けていく。
今夜の夜食にはアユが登場しない。
この時期になっても解禁していないというアユ漁。
オトリを求める人たちから度々電話がかかったそうだ。
その都度お詫びをしなければならない現状がある。
なんでも漁業組合の建物が豪雨で流されたという。
仕事をすることさえできない現況。
稚アユも放流できなかったそうだ。
アユは滝川から消えた。
そうしたことで食卓にさえ出すことができなくなった。
来年はできるか、できないかまったく判らないという。
(H24. 8.25 Kiss Digtal N撮影)
(H24. 8.25 SB932SH撮影)
それは山を崩し、川を堰き止めた。
次々と映し出される映像に涙がでる。
十津川村は山津波による川の段波で家が押し流された。
紀伊半島では8月30日の夕刻から降り続けた総降水量が多いところで1800ミリを超えたという。

国土交通省のHPには主な被災か所図を今でも掲載している。
平成24年1月に作成された図は平成24年9月27日付けの第53報にある。
テレビ放送される映像に心が痛んだことを覚えている。
山崩れの一報があったとき思わず民宿津川に電話した。
「おっとろしかった」とねーちゃんは電話口で話していた。
風屋の高台に避難していても落ち着かなかったと云っていた。
その後も大雨が降るたびに度々の避難。
土砂崩れ、崖崩れは生活道路を封鎖する。
豪雨の度に心臓がバクバクすると津川のねーちゃんは話していた。
一年に一度は訪れる十津川村。
今年も友人たちと旅だった。
出発する前前日。
十津川村のHPに崖崩れによって笹の滝に向かう道路が閉鎖しているとたけりんが伝えてきた。
迷っていても仕方がない。
現場を見てから判断することにした。
毎年の8月末は民宿津川でお世話になる。
昨年は亡くなったおばちゃんの初盆だった。
到着挨拶もそこそこに仏壇に参ったことを覚えている。
今年で29回目になった十津川。
なぜか毎回の幹事を務めている。
前日までに用意しなければならないものがたくさんある。
二日間の食材に肴類である。
韓国海苔、1kgの乾麺うどん、ショウガ、天かす、コショウ、中華麺、キムチ、生タマゴ、白菜、キャベツ、白ネギ、モヤシ、トーフ、ゴーヤ、ミンミンギョーザ、豚バラ肉(800g)、あらびきポークウインナーなどなど。






料理の食材はフライパンと鍋でできるものに限っている。

「ごはんによくあう豚キャベツのコチュジャン炒め」に「豚もやしのねぎ味噌炒め」はお得な調味料は99円。
混ぜて炒めるだけだ。

それだけでは満足できないから、タレ付きテリヤキ鶏肉は2パックで500g。

500gのレモン香付きステーキ鶏肉も買っておいた。

鍋には最適のダイショーのキムチ鍋スープ。
量が多いから4袋も買った。
十年以上も使い続けてきたフライパンでは心もとないから新しいフライパン。
なんと278円である。
29回目のツアーも一次集合地が自宅前。
初めて参加するMくんは京都八幡でMさんを乗せてやってきた。
10年以上も顔を合わしていなかったが風体は変わっていない。
彼も今年になって満了退職した。
会話はどうしても年金になる。
昨年に話していた企業年金も貰っているという。
ありがたいことだが、ある年代からはその特例を受けることができない。
東生駒でたけりんを乗せてきたUさんも到着した。
指示通りトライアルで氷を買ってきて出発する。
トライアルは奈良宝来店。
今回の食材調達のみならず普段の買い物に度々訪れるお店だ。
安くて品数が豊富。
日々の暮らしに助かっている。
40分後には2次集合地の大和高田に着いた。
T夫妻と名張に戻ったUさんとFさんも居た。
電車でここまでやってきたのだ。
そうして3次集合地である五條市の山麓にある西吉野のこんぴら館へ向かった。
ここの雰囲気に変化がある。
ひっそりとした館内。
品ぞろえの規模は縮小したのであろうか。
壁面には旧大塔村の伝統行事である篠原踊りや惣谷狂言の写真解説がある。
昨年の山崩れによって村が分断された地域。
今年の行事はやむを得ず中断された。
その地である惣谷で坪杓子作りを継承した現役職人の新子さんが実演するコーナーもできている。
「木地師の館」コーナーは6月にオープンしたと新聞が報じていたが本人は不在。
七代目木地師を継いでいるそうだ。
そこから一路、十津川を目指す。

昨年の台風12号による豪雨の被害状況は心が痛む。
一年経っても山が崩れた景観は無残で痛ましい。
行方不明に合われた宇井の住民はまだ見つかってない。
宇井地区の河川災害復旧工は順調に進んでいるようだ。

仮設道路で繋いで狭隘な谷を跨ぐ夢翔(ゆめかけ)大橋が部分開通している辻堂・堂平地区で被災地に向かって合掌する。
豪雨の痕跡はあちこちで見られるが、道路は復旧している。

滝川支流へ入る三叉路に通行止めを表示する看板があった。
前日の24日からである。
この先はどうなんだろうか。
立ち寄った民宿津川で確認するものの村の人にはアナウンスがないという。
行けるところまで行ってみようと車を走らせる。

奥谷の集落は何事もなく佇んでいる林道内原線。
そこを通り抜ければ先が笹の滝。
その直前の1km。

通行止めのゲートが設置されていた。
この先数百メートルでがけ崩れがあったようだ。
ここで車を停めて徒歩で笹の滝に向かう人もいる。
三脚担いだカメラマンもいた。
それはともかく私たちはここで昼食だ。
いつも降りていた道は消えている。
探してみればなんとか降りる道が見つかった。

道具、食材一式をバケツリレーのようにして降ろしていく。
いつもの場所になんとか下って設営した昼食の場。
総料理長のご下命のを受けてせわしく動く。
とにもかくも、口に入る食事を作る料理人。

早急にサラダを2皿も作った。
マヨネーズにたっぷりふりまいたコショウが決め手。
濃い目だが美味しくいただく。
ゴーヤは生だけに苦味がたっぷりだ。
ドレッシングをかけたレタスはコショーしなかったけ。
簡単料理といえばソーセージだ。

新品のフライパンで試しの炒め。

火を通すだけでプリプリ感のソーセージが焼き上がる。
並行して乾麺うどんを茹でておく。

渓流の水を入れて湯を沸かす深鍋。
小さめの鍋なので4束を投入する。
茹であがりまでは10分間だ。
その間にも着々と簡単料理を進めていく。

ペーパータオルで油を拭いとったフライパンに投入したのはタレ漬けの鶏肉。
料理長が持参したタマネギとニンジンも入れて炒める。
あっという間にできあがった料理に次々と箸が伸びる。
そうこうしているうちに乾麺うどんが茹であがった。

麺つゆの出し汁は2倍に薄めておいてぶっかける。
ショウガ、テンカス、ネギ、モミノリを入れればできあがりだ。
うどんを食べる。
またもやうどんを食べる。
その間には2回目のうどんも茹でておく。
またしても料理人が動いた。

味付き鶏肉にゴーヤ、ニンジンを入れた炒め物だ。
「うまいねー あっちもうまいねー・・・」の声が料理人を動かす。
渓谷を流れる清流は冷たい。
爽やかな風が汗をぬぐうが日差しはきつい。
持ってきたパラソルを設営して日差しを防ぐ。
満足する顔が笑っている。
料理人はゆっくり食べる間もなく次の料理へと移る。

翌日の鍋に入れる分の半分は焼きギョーザ。
焦げ目を付けてできあがり。
2回目のぶっかけうどんも食べ終わって、残った2束も茹でておく。
これはゴーヤチャンプルーうどんに変化するのだ。

味付けは「創味のつゆ」だ。
2回に分けて作ったうどんの美味しいこと間違いない。
玉子も入れて作った。

実に美味いチャンプルーうどんである。
川原でBBQをする人は多いようだが、私らはそれをせずにいつもこうしている。
久しぶりに顔を合わせた元同僚たち。
快適なアウトドア料理はいつも人気者。
釣りしているよりも会話が弾むのである。
手際が良い撤収作業。
毎年こうしているから撤収も早い。
何時間もおれば汗もかくから目指すは温泉地。
山崩れが発生して民家もろとも流された野尻を抜けて、山崎、湯之原、小原、滝、折立、平谷を経て昴の郷へ向かう。
折立の橋脚も応急に復旧工事された。
生活道路は必要不可欠。
架設の橋は村の幹線道路だ。
平谷を通って昴の郷に着いた。
星の湯の受付はホテルになっていた。
ひと風呂浴びて津川へ戻るときに怖さを感じた。
風呂に浸かったことも忘れるぐらいの速度は精神的に苦痛だ。
今後のために安全運転5則を残しておこう。
県の交通安全協会が発行している会証に書かれたあった5則。
1.安全速度を守る。2.カーブの手前でスピードを落とす。3.交差点では必ず安全を確かめる。
4.一時停止で横断歩行者の安全を守る。5.飲酒運転は絶対にしない。
あたりまえのことばかりである。
昨年の5月から始めた仕事は通院患者の送迎ドライバー。
5則に加えて「同乗者に心配をかけない」と念じて運転している。
同乗者に「安心、安全」を保って、精神的な負担をかけない運転を心掛けてきた。
今回、始めて同乗者になったわけだが、自戒の念を込めてさらなる安全運転をしたいと思っている。
この夜は民宿津川でお世話になる。
ありがたいことに冷蔵庫が一つ。
翌日の食材を入れさせてもらった。

津川の料理はつきだし・・・だけでなく鍋料理がメインだ。

奇麗な色をしたイノシシ肉が美味そうに見える。

ビールで乾杯した後は鍋がグツグツ煮たってきた。
食べごろの鍋に食欲がわく。

シカ肉のカラアゲや天ぷらも出てくる。
それには「山椒」やわさびのお塩なども降り掛けて味わう一品。
1時間ほど過ぎた頃にはデザートも出てきた。
同席しておられたご家族がこしらえた黄色いマッカだ。

いわゆる「キィマッカ」に、子供のころのおやつだったと話題が沸騰する昭和20年代生まれの男たち。
その後も盛りあがる津川の宴会。
久しぶりの唄うカラオケで盛り上がった津川の夜は更けていく。
今夜の夜食にはアユが登場しない。
この時期になっても解禁していないというアユ漁。
オトリを求める人たちから度々電話がかかったそうだ。
その都度お詫びをしなければならない現状がある。
なんでも漁業組合の建物が豪雨で流されたという。
仕事をすることさえできない現況。
稚アユも放流できなかったそうだ。
アユは滝川から消えた。
そうしたことで食卓にさえ出すことができなくなった。
来年はできるか、できないかまったく判らないという。
(H24. 8.25 Kiss Digtal N撮影)
(H24. 8.25 SB932SH撮影)