盆地部で行われている福丸迎え。
貴重な行事を今でもしている大和郡山市の伊豆七条町。
集落の南側に鎮座するのは牛頭神社。
境内には八王子神社も祀っている。
牛頭神社を地元住民は「ごすじんじゃ」と称しているが紛れもない「ごずじんじゃ」は小高い墳丘のように見える。
向いに住む男性の話によればかつては前庭にあったという。
先代はそういうことを云ってなかったが村人がそうだと伝える。
集落中央にはもう一つの神社がある。
それは子守神社と呼ぶ。
伊豆七条町には2社を氏神さんとして祀っている。
この日は牛頭神社で行われる「むかしよみや」。
村の人らは「むかしよいみや」と呼んでいるが長老の話によれば「むかしよみや」だが、充てる漢字は判らないと云う。
「むかしよみや」の祭典に特別なものは見られない。
御供もなく境内に12個の丸型提灯を一列に掲げる。
12個の数値は月数であるのか、十二支であるのか明白ではない。
かつては祭りに巡行していたお神輿の回りに付けていたという赤い提灯。
子守神社に参ってから町内を巡行。
そして牛頭神社にやってきた。
日暮れになれば提灯に火を灯す。
神社鳥居には高張提灯。
集落七か所の辻にもそれぞれ掲げている。
むかしよみやの印しだそうだ。

そうして参拝者を待っている当番の人たち。
旧村50軒からなる伊豆七条の各戸を4組に分けた組当番だ。
水利組合の組もあるがそれとは混じらない家々は飛び飛びだという。
お参りはめいめいの家族単位。
暗闇に包まれる社に賽銭を捧げてお参りする。
これも祭りのあり方なのであろう。
参拝者を迎えていた当番の人たち。
ほどよい時間になれば撤収する。
来月のマツリは子守神社の営み。
かつては10月13日であったが体育の日に移った。
施主のトーヤは礼服姿でお渡りをする宵宮。
かつては紋付き袴だった。
いつしかモーニング服になった。
それからも簡略化されて礼服にしたという。
11時に集まったトーヤの家を出発するお渡り。
トーヤ主は御幣を持っていく。
後続の一老はサカキの葉を口に銜えてのお渡り。
その日は若槻の巫女さんが神楽を舞うらしい。
てんのうさんに参ると云ってむかしよみやに出かけたと話していた婦人。
トーヤが提灯を吊るして村人が参る。
その日は横田町もよみやと呼んでいた。
(H24. 9.12 EOS40D撮影)
貴重な行事を今でもしている大和郡山市の伊豆七条町。
集落の南側に鎮座するのは牛頭神社。
境内には八王子神社も祀っている。
牛頭神社を地元住民は「ごすじんじゃ」と称しているが紛れもない「ごずじんじゃ」は小高い墳丘のように見える。
向いに住む男性の話によればかつては前庭にあったという。
先代はそういうことを云ってなかったが村人がそうだと伝える。
集落中央にはもう一つの神社がある。
それは子守神社と呼ぶ。
伊豆七条町には2社を氏神さんとして祀っている。
この日は牛頭神社で行われる「むかしよみや」。
村の人らは「むかしよいみや」と呼んでいるが長老の話によれば「むかしよみや」だが、充てる漢字は判らないと云う。
「むかしよみや」の祭典に特別なものは見られない。
御供もなく境内に12個の丸型提灯を一列に掲げる。
12個の数値は月数であるのか、十二支であるのか明白ではない。
かつては祭りに巡行していたお神輿の回りに付けていたという赤い提灯。
子守神社に参ってから町内を巡行。
そして牛頭神社にやってきた。
日暮れになれば提灯に火を灯す。
神社鳥居には高張提灯。
集落七か所の辻にもそれぞれ掲げている。
むかしよみやの印しだそうだ。

そうして参拝者を待っている当番の人たち。
旧村50軒からなる伊豆七条の各戸を4組に分けた組当番だ。
水利組合の組もあるがそれとは混じらない家々は飛び飛びだという。
お参りはめいめいの家族単位。
暗闇に包まれる社に賽銭を捧げてお参りする。
これも祭りのあり方なのであろう。
参拝者を迎えていた当番の人たち。
ほどよい時間になれば撤収する。
来月のマツリは子守神社の営み。
かつては10月13日であったが体育の日に移った。
施主のトーヤは礼服姿でお渡りをする宵宮。
かつては紋付き袴だった。
いつしかモーニング服になった。
それからも簡略化されて礼服にしたという。
11時に集まったトーヤの家を出発するお渡り。
トーヤ主は御幣を持っていく。
後続の一老はサカキの葉を口に銜えてのお渡り。
その日は若槻の巫女さんが神楽を舞うらしい。
てんのうさんに参ると云ってむかしよみやに出かけたと話していた婦人。
トーヤが提灯を吊るして村人が参る。
その日は横田町もよみやと呼んでいた。
(H24. 9.12 EOS40D撮影)