稲はたわわに実って刈り入れの時期。
既に終わった地域も多い。
山間ではそういう時期である。
刈り入れを終えれば刈り仕舞い。
それを御杖村では「刈り納め」と呼んでいる。
曽爾村では「カリオサメ」と称していた。
刈り始めを「カリゾメ(初め)」、或いは「カリハジメ(初め)」と呼んでいると『大和の村落共同体と伝承文化』に書かれていた。
また、田原本町では「カマオサメ」と呼んでいた。
漢字に充てれば鎌納めである。
村の総代がふれまわり、農作業を休んで遊んでいたと『田原本町の年中行事』に書かれてあった。
そのあり様は農作業を営む家の行事。
様相は見てみたいが実見するには一軒、一軒尋ねていかねばならない。
刈り入れは機械化されてコンバイン。
効率化されることによって忘れされていったのか、いつしかそういう家の行事(風習)は廃れていったようだ。
そんな話題提供をしてみたとある村の男性は「今でもしている」と応えた。
秋の彼岸入りの前に刈りとりを済ませた男性。
しばらくしてから良い日を選んでカリシマイをすると云っていた。
例年にいつもそうしているというあり方を拝見した。
玄関を入った土間。
そこにはコエン(小縁)がある。
そこに竹箕を置いた。
藤箕ではなく竹の箕。
箕の縁はシンブリの木。
しなやかで曲げやすいそうだ。
それゆえに弓に使われると話す。
鎌は2本。
箕の上に乗せる。
一つは母親が使っていた鎌だ。
もう一つはご主人の鎌。
そこにはこの日に炊いたアカメシ(アカゴハンとも呼ぶ小豆のご飯)を供える。

今日は目出度い大安日。
良き日を選んで行う家の行事。
記念に「刈り仕舞い」を表示して撮影記録を残しておく。
家の行事はいつもこうして記録を撮っているご主人は仏さんにもアカメシを供える。
「稲刈り終えればカリヌケをする」と話していた大和郡山市長安寺町のYさん。
竹の箕にカマを置いてアズキメシのセキハンを供える。
ドロイモ・コンニャク・アゲサンの煮ものに蒸かしたサツマイモも供える。
イネコキしたらコキヌケで隣近所の農家も箕にセキハンや同じような煮ものを供えていたと云う。
コンバインで機械化されて一挙にイネコキを済ませるようになった頃からカリヌケ・イネコキ・コキヌケをしなくなったそうだ。
その当時は箕、ホウキ、サラエなどをリヤカーで売る商売人が行商していたと云う。
いつしか行商も来なくなったそうだ。
こうしたあり方は山間、盆地部を問わず家の行事・風習として行われていたのであった。
刈り仕舞いは「カリジマイ」、「カリシマイ」、「カリオサメ」、「カリヌケ」など地域によって様々な言い方であったが消えていったのである。
カリジマイの件を聞くことはなかった大和郡山市杉町のMさんは90歳。
その人が話すに「刈りとった玄米を手のひらに乗せて5粒が青ければ申し分ない。これをイチヤオウ」と呼ぶ。
「イチヤ青」が訛った詞だと云う。
すべてが黄色であれば刈り遅れの稲刈りだと話していたことを思い出した。
刈り仕舞いをされたご主人の話に戻そう。
軒下にコモムシロを敷いていた。
そこに脱穀した米を盛っていた。

昔は前庭で干していたというカドボシである。
量が少ないのでこうしているという。
イネコキしてトーミ(唐箕)で飛ばした。
籾は玄米。
臼に籾を入れてウスヒキ。
そのときにはキノコやサバの缶詰めを入れて炊いたアジゴハンを供えた。
臼は木臼。
直径が1mほどもあったという臼はドウス(胴臼)と呼んでいた。
臼の縁に縄を巻いていたようだ。
子供の頃だったというから60年ぐらい前のことのようだ。
そんな話をしながら蔵から運び出した作業道具。
カドボシした米を均す道具はエブリのように見えたがどうやら違う。
柄は同じようだが一枚板の下部の形状が異なる。
下端部が大き目の鋸歯状になっている。

それを使って米を均せば段々になることからサラエのようだ。
(H24. 9.25 EOS40D撮影)
既に終わった地域も多い。
山間ではそういう時期である。
刈り入れを終えれば刈り仕舞い。
それを御杖村では「刈り納め」と呼んでいる。
曽爾村では「カリオサメ」と称していた。
刈り始めを「カリゾメ(初め)」、或いは「カリハジメ(初め)」と呼んでいると『大和の村落共同体と伝承文化』に書かれていた。
また、田原本町では「カマオサメ」と呼んでいた。
漢字に充てれば鎌納めである。
村の総代がふれまわり、農作業を休んで遊んでいたと『田原本町の年中行事』に書かれてあった。
そのあり様は農作業を営む家の行事。
様相は見てみたいが実見するには一軒、一軒尋ねていかねばならない。
刈り入れは機械化されてコンバイン。
効率化されることによって忘れされていったのか、いつしかそういう家の行事(風習)は廃れていったようだ。
そんな話題提供をしてみたとある村の男性は「今でもしている」と応えた。
秋の彼岸入りの前に刈りとりを済ませた男性。
しばらくしてから良い日を選んでカリシマイをすると云っていた。
例年にいつもそうしているというあり方を拝見した。
玄関を入った土間。
そこにはコエン(小縁)がある。
そこに竹箕を置いた。
藤箕ではなく竹の箕。
箕の縁はシンブリの木。
しなやかで曲げやすいそうだ。
それゆえに弓に使われると話す。
鎌は2本。
箕の上に乗せる。
一つは母親が使っていた鎌だ。
もう一つはご主人の鎌。
そこにはこの日に炊いたアカメシ(アカゴハンとも呼ぶ小豆のご飯)を供える。

今日は目出度い大安日。
良き日を選んで行う家の行事。
記念に「刈り仕舞い」を表示して撮影記録を残しておく。
家の行事はいつもこうして記録を撮っているご主人は仏さんにもアカメシを供える。
「稲刈り終えればカリヌケをする」と話していた大和郡山市長安寺町のYさん。
竹の箕にカマを置いてアズキメシのセキハンを供える。
ドロイモ・コンニャク・アゲサンの煮ものに蒸かしたサツマイモも供える。
イネコキしたらコキヌケで隣近所の農家も箕にセキハンや同じような煮ものを供えていたと云う。
コンバインで機械化されて一挙にイネコキを済ませるようになった頃からカリヌケ・イネコキ・コキヌケをしなくなったそうだ。
その当時は箕、ホウキ、サラエなどをリヤカーで売る商売人が行商していたと云う。
いつしか行商も来なくなったそうだ。
こうしたあり方は山間、盆地部を問わず家の行事・風習として行われていたのであった。
刈り仕舞いは「カリジマイ」、「カリシマイ」、「カリオサメ」、「カリヌケ」など地域によって様々な言い方であったが消えていったのである。
カリジマイの件を聞くことはなかった大和郡山市杉町のMさんは90歳。
その人が話すに「刈りとった玄米を手のひらに乗せて5粒が青ければ申し分ない。これをイチヤオウ」と呼ぶ。
「イチヤ青」が訛った詞だと云う。
すべてが黄色であれば刈り遅れの稲刈りだと話していたことを思い出した。
刈り仕舞いをされたご主人の話に戻そう。
軒下にコモムシロを敷いていた。
そこに脱穀した米を盛っていた。

昔は前庭で干していたというカドボシである。
量が少ないのでこうしているという。
イネコキしてトーミ(唐箕)で飛ばした。
籾は玄米。
臼に籾を入れてウスヒキ。
そのときにはキノコやサバの缶詰めを入れて炊いたアジゴハンを供えた。
臼は木臼。
直径が1mほどもあったという臼はドウス(胴臼)と呼んでいた。
臼の縁に縄を巻いていたようだ。
子供の頃だったというから60年ぐらい前のことのようだ。
そんな話をしながら蔵から運び出した作業道具。
カドボシした米を均す道具はエブリのように見えたがどうやら違う。
柄は同じようだが一枚板の下部の形状が異なる。
下端部が大き目の鋸歯状になっている。

それを使って米を均せば段々になることからサラエのようだ。
(H24. 9.25 EOS40D撮影)