前夜の15日は風の祈祷と称する宮籠りだった奈良市の別所町。
一番トウ、二番トウ、三番トウ、四番トウと呼ばれるマツリの4当家は布団を持ち込んで社務所で籠るのであるが、形式を保つことなく不籠りになった。
ゲヤは社務所に上がれず、極楽寺本堂で籠ることも聞いていたがそれも不籠りであった。
翌朝は村の長老たちがお参りをする。
早朝に集合場所としていた会所の前。
車に同乗して向った先はカイトノモリ。
漢字を充てれば垣内の森と思ったが、神社の年中行事表記には「かいとの守り」とある。
その地は別所町と杣ノ川町との境界の山中。
鬱蒼とする林の中に佇む社がある。
平成21年に氏神さんの金刀比羅神社の造営の際に新しくした。
同時に鳥居も新しくしたという。
尤も、昔は社もない「山がご神体で、山の神さんそのものだった」と話す。
カイトノモリの社は、桜井の大神神社から勧請した三輪大明神社というそうだ。
カイトノモリが鎮座する「カイト」名は山の地番。
隣村の奈良市の田原の里から別所町、杣ノ川町の境界とする山道を通って都祁に向かった。
かつては伊勢街道で賑わったそうだ。
街道は今でも歩くことさえ困難な山道。
それゆえ車を走らせて新道を回りここまで来たのである。
集まった人たちは社に手を合わせて境内をぐるぐる回る。
時計回りに12周するが、この年は閏年。
そうであれば周回を13回。
4年に一度は13周するというから新暦の閏年。
かつての旧暦閏の月数のあり様を残していると思われる。
お参りを澄ませると再び便乗して別所に戻った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/21/72ca84323e243ee2acf87c306003db01.jpg)
長老らは金刀比羅神社の境内でも同じように13周した。
同神社の境内には遥拝棚がある。
その方角にあるのがカイトノモリである
二か所に亘ってお参りを済ませた別所町の行事。
二老の話によれば「昔は風の祈祷やいうて御供もあった」という。
風の祈祷の所作にぐるぐる回る処がある。
隣村の長谷町や和田町。
回数や作法は若干異なるが、その様相は間違いなく風の祈祷である。
ちなみにカイトノモリでも籠りをするという。
真っ暗な中で境内に火を灯す焚火。
その灯りで会食を共につするというカイトノモリの籠り。
日程はマツリの日に決めるそうだ。
(H24. 9.16 EOS40D撮影)
一番トウ、二番トウ、三番トウ、四番トウと呼ばれるマツリの4当家は布団を持ち込んで社務所で籠るのであるが、形式を保つことなく不籠りになった。
ゲヤは社務所に上がれず、極楽寺本堂で籠ることも聞いていたがそれも不籠りであった。
翌朝は村の長老たちがお参りをする。
早朝に集合場所としていた会所の前。
車に同乗して向った先はカイトノモリ。
漢字を充てれば垣内の森と思ったが、神社の年中行事表記には「かいとの守り」とある。
その地は別所町と杣ノ川町との境界の山中。
鬱蒼とする林の中に佇む社がある。
平成21年に氏神さんの金刀比羅神社の造営の際に新しくした。
同時に鳥居も新しくしたという。
尤も、昔は社もない「山がご神体で、山の神さんそのものだった」と話す。
カイトノモリの社は、桜井の大神神社から勧請した三輪大明神社というそうだ。
カイトノモリが鎮座する「カイト」名は山の地番。
隣村の奈良市の田原の里から別所町、杣ノ川町の境界とする山道を通って都祁に向かった。
かつては伊勢街道で賑わったそうだ。
街道は今でも歩くことさえ困難な山道。
それゆえ車を走らせて新道を回りここまで来たのである。
集まった人たちは社に手を合わせて境内をぐるぐる回る。
時計回りに12周するが、この年は閏年。
そうであれば周回を13回。
4年に一度は13周するというから新暦の閏年。
かつての旧暦閏の月数のあり様を残していると思われる。
お参りを澄ませると再び便乗して別所に戻った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/21/72ca84323e243ee2acf87c306003db01.jpg)
長老らは金刀比羅神社の境内でも同じように13周した。
同神社の境内には遥拝棚がある。
その方角にあるのがカイトノモリである
二か所に亘ってお参りを済ませた別所町の行事。
二老の話によれば「昔は風の祈祷やいうて御供もあった」という。
風の祈祷の所作にぐるぐる回る処がある。
隣村の長谷町や和田町。
回数や作法は若干異なるが、その様相は間違いなく風の祈祷である。
ちなみにカイトノモリでも籠りをするという。
真っ暗な中で境内に火を灯す焚火。
その灯りで会食を共につするというカイトノモリの籠り。
日程はマツリの日に決めるそうだ。
(H24. 9.16 EOS40D撮影)