マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

変位が見られない

2016年09月20日 09時22分47秒 | むびょうそくさい
毎週欠かさずでかける心臓リハビリ運動。

毎日の動きは血圧や脈拍計で値は認知している。

朝食後の脈拍はだいたいが38-39拍。

まれに41-42拍の場合もあるが、大きな変位はない。

それから数時間後はいつもの歩行リハビリ運動。

自宅周辺を1.7kmから1.8kmをおよそ25-27分程度で戻ってくる。

周辺は住宅街。

適度な勾配の坂道がある。

平均ベースでいえば時速4.5mぐらいで歩く。

特にしんどさは感じない。

この日の午前中も歩行していた。

なんとなく歩かないと不安になるのだ。

外来棟に着いて受付。

その次は先週より計測場を替えた。

リハビリ運動する受付に血圧・脈拍測定器はあるのだが、印刷はされない。

いちいちメモするのがめんどくさいし・・。

循環器内科受付にも血圧・脈拍測定器はある。

こちらはスイッチを押せば印刷してくれる。

データはメモしなくとも印刷された情報をケータイ電話の画像で記録しておく。

メモは毎日の記録手帳に書くが、公にする場合は数値データの書き込みになる。

このブログでもそうだった。

記録印刷されたものであれば、誤記もないし、ねつ造もない。

そう思って前週より計測する場を替えたのである。

で、着いたときのデータは血圧150-74。

脈拍は42拍だ。

血圧がやや高めになっているが気にしない。

気にしても仕方がないのだ。

次に行う運動時の値が重要なのである。

心臓リハビリ室の受付を済ませて入室する。

毎週の顔ぶれはお馴染みさん。

それぞれが運動に励んでいる。

心電図機器を取り付ける。

準備段階の計測が始まった。

脈拍は48-49拍。

波形は乱れもなく淡々と映し出す。

P波も後続のQRS波とT波もくっきりはっきり。

綺麗な波形で出現する。

不整脈は出現していないが、なぜか胸はドキドキ感だ。

準備運動からストレッチ運動。

49-50拍だった脈拍は56-59拍にもなる。

MAXは60-63拍まで上昇した。

運動をやめれば一挙に下がって50-51拍。

そして始まったベルトコンベア型エルダーウォークタイプのウォーキングマシーン運動。

最初の速度は時速4km。

なんとなくのろさを感じる速度。

自宅周辺を歩行する方がもっと早い。

後に速度を上げるが、このときの血圧は12-60で脈拍は51-55拍になった。

順調な滑り出しだ。

ときおり脈拍が99拍とか110拍とかいきなり上昇する。

K循環器医師曰く、ノイズを拾っている関係のようだ。

ノイズを除いたデータはだいたいが60拍手前の脈拍になっているという。

なんとなく心電図を貼った箇所が問題のような気がする。

それからしばらくしてリハビリ療法士が云った。

心電図を貼り換えましょうである。

やはり・・。

速度は4.5kmにアップされた。

血圧は124-54で脈拍は51-55拍に上昇する。

しんどさは感じないと申し出たら、速度をさらにアップされる。

ラストは時速5km。

血圧はあまり変わらずの120-64だが、脈拍は61-64拍にもなる。

発汗もある。足の脹脛はだるくなるが、しんどさは感じない。

「楽」の一歩手前である。

前週も同じような状態で、終わったら一挙に下がって47-48脈拍で終えた。

こうして週一のリハビリ運動を終えたら場を移す。

印字される血圧計に腕を入れてスイッチポン。

ぐわ、グワ、上がって終わったデータは血圧が135-68。

脈拍は44拍だった。

今週は変位が見られない。

ずっとこのままの状態が続くのだろうか。

不安な気持ちが揺れ動く。

会計の整理番号は1130。

待ち時間は15分だった。

割合早く済んだようで、駐車時間は入庫が午後1時5分の出庫は午後2時56分だった。

これまでバス、電車を乗り継いで帰宅したが、時間がうまくいかずに待ってばかり。

無駄な時間ばかりを費やしていた。

前週より乗り始めた自家用車。

帰路にイオンスーパーで買い物をして帰っても同時間になる。

(H28. 3.29 SB932SH撮影)

日々の動きに一喜一憂

2016年09月20日 09時09分28秒 | むびょうそくさい
前週に出かけた心臓リハビリ運動。

効果はてきめんといって云いのかどうか判らないが上昇機運にのっていた。

16日、朝食後にゆったり寛ぐ時間帯の脈拍は41拍。

それから1時間後は自宅周辺を早足で歩くリハビリ運動。

戻ってきて測った脈拍は45拍だ。

17日はこれが41拍の46拍。

18日は43拍の49拍。

徐々ながら値も少しずつだが上を向く。

その間に発生した異常とも思える脈拍数は52拍。

症状がでたのは17日の寝しなである。

床に就いてしばらくすれば鼓動の動きが気持ち悪い。

早さを感じて眠りにつけない。

測った脈拍は、なんと、なんとの52拍だった。

驚くべき数値になっていたのだ。

翌日の18日の朝は43拍で運動後は49拍にも上がる。

その晩も寝つかれない。

測った脈拍は前日同様の52拍であった。

どこかで変化が起きていると思った。

翌日の19日の朝は57拍になっていた。

ひっくり返るほどに喜んだ。

この日はそれから久しぶりの下見取材。

一日に3カ所も訪れて聞取りをしていた。

その晩も寝つきが悪い早い脈。

なんと57拍にもなっていた。

元の身体の状態になるのだろうと大きな期待を寄せて就寝した。

20日の翌朝は48拍。

40拍台であるが50拍台に近い脈拍が嬉しい。

この日も取材で3カ所を訪れた。

就寝時の脈拍はなぜか40拍になっている。

どういうことなのかさっぱりわからない自分自身の身体。

我が心臓が不満を伝えているのだろうか。

21日の朝はこれまで同じ40拍になった。

二日前までの状態はどこへいったのか。

ひとつ用事を済ませて自宅を周回するリハビリ歩行後の脈拍は49拍だ。

特に問題はない。

気がかりなのは翌日22日の朝の脈拍だ。

元の木阿弥に落ち着いた39拍。

悲しい値を表示する。

若干、気にしたのは体重増だ。

数週間に亘った体重の増減がみられない66.2kg。

昨日の21日は67.2kg。

本日の22日は67.6kg。

脈拍とは逆に上昇している。

今後も状況観察を繰り返すしかない。

そして向かった通院病院の外来棟。

三日間は何事もなく運転をすることができた。

30分もかかる病院行きは車が行きやすい。

遠慮することもなく走らせて、一週間ぶりの心臓リハビリ運動をする。

受付段階の血圧は142-80の脈拍は45拍だった。

心電図を身体につけて脈の動きを観察する。

波形は特に問題はみられない。

心配されていたp波も出ている。

波形を映し出す画面はやや粗い。

ときにはp波が見えない場合もある。

運動開始前の脈拍は40-41拍。

今までの傾向からすればやや下がり気味。

しんどくなれば運動を止めるようにとリハビリ療法士が云う。

やや不安定な低脈拍数で準備運動を開始した。

伸びるゴムを利用するストレッチ運動ともなれば一気に上昇する脈拍。

数値は46-50拍だ。

ときどきおかしな波形もでるが心電キャッチの貼付けの問題だろう。

それは機械的ルームランナー運動のウォーキングマシーンのときに判明した。

歩く速度は時速4kmを設定される。

楽々歩けるスピードである。

そのうちに足が軽々状態になる。

回転運動が身体に馴染んでくるのだ。

もっと負担をかけましょうと伝えられたGリハビリ療法士は4.5kmに設定を上げた。

そのときの血圧は125-60で脈拍は45-48拍である。

脈拍値は50拍台までは届かないが、ときおり100拍を越えて120拍にも達するときがあった。

どうやら身体に貼り付けた心電キャッチ部の一部が上手く貼れていないと判断されたGリハビリ療法士。

運動途中であったが貼りかえられて再スタート。

異常な数値はまったくでない。

貼る箇所がどうやら間違っていたようだ。

まだまだ力が余っていることを確認したGリハビリ療法士はさらに速度を高めて時速5kmを設定した。

早い速度に身体が反応する。

血圧は137-50で脈拍は61-65拍に上がった。

大台に乗ったのである。

身体はしんどくないが、若干の足だるさを感じる。

そう思ったときが終了時間。

26分のリハビリ行程を終えた。

最後のほうでやっと汗を感じる日だった。

運動をすれば問題はない身体になってきたが、運動を終えたら40拍台に戻る。

まだまだそんな状態であるが、K循環器医師は大丈夫と云った。

毎日が一喜一憂の脈拍数。

上がってもいつかは下がる、そう思うほど不安を感じる日々であるが、大丈夫と伝えられてもやもやしていた気分がやや落ち着いた。

こうした運動を終えてもう一度の血圧・脈拍測定をした。

測定結果が印刷される器械は循環器内科にある。



フロアを移動してまたもや測った結果は143-69の45拍だった。

なんのことはない、ほとんど変わりがないのだ。

なんとなくほっとして会計清算に入る。

会計の整理番号札は852番。

いつもより少ない数であるが、待ち時間はほぼ同じの25分間だった。

そろそろ清算が完了するであろうと思っていたときのことだ。

椅子に腰かけていてふと顔をあげたときのことである。

見たことのある男性が通り過ぎすぎろうとしていた。

お顔の主は天理市藤井在住のKさんだ。

2年ぶりにお会いしたKさんもすぐに思いだされた。

2年前に会いした同大字で行われる子供の涅槃だった。

あれからお会いしていないが、桜井市の萱森に住む妹さんとは度々の行事取材でお邪魔していた。

特に前年度は太夫さんでもある旦那さんのNさんは頭屋も務めることになったので何度も伺った。

その太夫さんの奥さんは、この日にお会いした藤井の男性の妹だったのだ。

奇遇なつながりを知ったのは平成25年10月に訪れたときのことだ。

そんな話題にK夫妻が云った。

前回に務めた頭屋のときは親戚筋として応援したという。

ところで男性はなぜにこの病院へ。

詳しいことは書けないが、35年前に心臓を患ったという。

脈拍が42拍にもなったというから、もしかと思ってペースメーカー処置について聞いてみた。

ご主人は大病をされてペースメーカーを装着した。

当時の病院は当院ではなかった。

随分前のことである。

器械は大型で5年しかもたない。

交換なんぞは何度もしたという。

今では小型で交換時期も長くなった。

いい時代になったと笑顔で話される。

この日は安全運転で往復する。

外来棟に停めた駐車時間は午後1時5分から午後3時8分。

わずか3分越えで料金は100円プラスの200円になった。

(H28. 3.22 SB932SH撮影)

改善に至らない実状に退職勧告

2016年09月20日 09時02分07秒 | むびょうそくさい
週一ペースの心臓リハビリ運動。

運動すれば脈拍は上がる。

何もしない安静状態であれば38-42拍の脈拍。

急激な変化は認められない。

毎日の食後に測る血圧と脈拍だ。

それから1時間ほど経過してから自宅周辺を早足で歩く歩行リハビリ。

一回りして戻ればだいたいが45拍になる。

そんな状況の毎日に耐えられそうにない自分がいる。

この日も週一の心臓リハビリ運動に病院へ向かう。

バス、電車を乗り継いで外来棟に着く。

うけつけを済ませて備えつけの測定器で測る。

血圧は135-70で脈拍は42拍だ。

毎回、にこやかに接してくださるGリハビリ療法士。

開口一番に伝えられた前週8日の身体状況。

主治医の循環器内科医師に伝えられた状況は、肺に水も溜まっていたに映像は良し、ヘモグロビン値は12.3でこれもまたデータ良し。

すべて良しだったという。

特に、BNPの値が大幅に改善していると云う。

1月の診察時では496.1。

2月の状況は約半分の253.1。

8日は大きく下回って、なんと、なんとの二桁台の87.4になっていた。

決めては利尿剤の効用ではなく自分自身の心臓が元気を取り戻している証拠だそうだ。

2月3日から増強した利尿剤はラシックスとアルダクトンA。

昼食後に各1錠ずつ服用する。

その効果もあると思うのだが、そうではないとGリハビリ療法士が云う。

BNPは脳性ナトリウム利尿ペプチドの略。

心臓の負荷が増えるとか、心筋肥大が起こるとBNPの血液濃度が増加する。

値が高いほど心臓が良くない状態であるが、数値が二桁台になったということは心臓自身が負荷もかからず、身体的な負担が大幅に減少したということだ。

数値が示す通りに身体は軽く、足取りも伸びやかに動くようにはなったが、脈拍がねえということだ。

いつもの通りの準備体操にストレッチ運動。

脈拍は45-48拍に上昇する。

場合によれば50-55拍にもなることがある運動時の脈拍だ。

そうしてスタートしたウォーキングマシーン。

エルダーウォークタイプのルームランナー器械に乗る。

そのときの脈拍は48拍だ。

スロースタートした直後から時速4kmの早さで回転自走する。

脈拍は145-60で脈拍は57-59拍に上昇する。

ほどよくスタートして15分間。

身体はやや「楽」に反応する。

調子は良いということで時速4.5kmにアップされた。

血圧は133-59。

脈拍は58-61拍。

数分間経過して負荷がかかれば60-61拍にもなる。

ラストの3分間の血圧は145-62になったが、脈拍もそれに連れたのか61-64拍にもなった。

本日、やっとこさの汗がにじむ。

26分間の器械リハビリ運動を終えてフリーになる。

そのときの脈拍は48-52拍。

急激な落ち込みはなく、数分後も下がらず、もち続けていた。

本日の切り上げはいつになく早かった

。間に合うかもしれないバスダイヤ。

その前に済ませておく会計支払い。

受け取った整理番号は1636番。

そのときの時刻は午後2時40分。

会計済み番号は1593番だった。

ということは43人待ち。

結局待ったのは20分間だった。

大慌てで器械利用のクレジット支払いをする。

そしてバスの停留所に行く。

玄関を出たところにある停留所には待ち人多し。

間に合ったのだが、時間がきても到着しない。

3分遅れのバスに乗って電車駅に着いたとたんに発車した。

帰宅したら勤務先より電話があったとかーさんが云う。

院長からの電話があるということはおそらく・・。

前年12月初めにアブレーション焼却処置をしたものの脈拍の上昇は見られず車の運転は禁じられた。

前週に伝えられた主治医の指示。

近距離、単独運転、自己責任の条件で運転許可が出されたが、送迎の場合は許可されなかった。

万が一のことが発生する危険性があるということだ。

許可される目標脈拍値は50拍台だったが、未だに到達どころか、ほとんど変化していない状況にある。

仕事場には事情を伝えて待ってもらっていたが、そうはできなくなった。

相方のドライバーさんに負担をかけている状態は我慢できる範囲を越えたようだ。

私の復帰は願いたいところだが、もう待てない状況にきたということだ。

一旦は退職をしてもらいたいという通告である。

アルバイトの身では休職扱いは手続き上ない。

一身上の理由で退職届け(願い)を提出願いたいということだった。

そりゃそうだろと思う。

脈拍が正常に戻って復職願いは・・・相談に応じるが、そのときの事情で約束はできない。

それもそうだ。

送迎の仕事はすごくあっていた。

送迎しているときに話す患者さんとの会話でずいぶんと育ててもらったような気がする。

健康である限り、70歳の定年満了まではと思ってきたが、残念な勧告を受け止めなければならない。

不本意ではあるが、仕方がない。

よくぞ待ってくださったことに感謝する。

ただ、3カ月間もガンバってきたがぷつんと糸が切れたようだ。

その後の数日間。

勤めの執着心は薄れて、精神的な気持ちは吹っ切れた。

それから5日後の新聞チラシ。

送迎ドライバー募集が出ていた。

(H28. 3.15 SB932SH撮影)

気長に待って一歩前進

2016年09月20日 08時43分25秒 | むびょうそくさい
毎日の自宅リハビリ運動は歩行訓練のみだ。

だいたいが自宅周辺の1.8kmを25分ぐらいで歩けるようになった。

つい先日のことだ。

奈良町へ行くに自宅から近鉄九条駅まで歩いたことがある。

距離は1.4km。

普段のリハビリと同様の早足で歩いた結果は21分だった。

サラリーマン時代は毎日が徒歩ででかけた通勤行程である。

夜になって戻ってきた九条駅。

そこからは坂道を登って自宅に着く。

時間は行きも帰りも同じ。

サラリーマン時代とほぼ同様になった。

先週までの通院はバス、電車の行程だったが、バスよりもゆっくり自宅を出ることができ電車駅までの徒歩を選択した。

携帯電話が示す万歩計距離は1.5km。

時間は25分だった。

必死さもなかったのでこうなった。

電車やバスを乗り継いで午前10時過ぎに着いた外来病棟。

総合受付は20人もの患者さんが並んでいた。

それから移動した採血の受付。

発行された整理番号は399番。

そのときの呼び出し番号は365番。

採血されるまでの待ち時間予想は25分だった。

これまで何度か同一時間帯に受付したことがある。

同じようにだいたいが待ち人多し、である。

なお、整理番号には血液検査の結果報告予定時間が書いてあった。

その時間は午後12時4分だった。

血液検査は例月と同じで4本。

この日の処置者は若い男性。

針はいつ挿したのかわからないぐらいに、まったく痛みを感じなかった。

次はレントゲン撮影。

立つ位置で正面、左側面の2枚。

そして心電図計測に場を移動する。

これらすべてが終わったのは午前10時55分。

とにかく午前中は駐車場も満杯なるぐらいに患者さんが多いゆえ、待つ時間も長くなる。

こうした検査を経て循環器内科の主治医師の診察を待つ。

受付を済ませば、いつもの通りの血圧に脈拍測定。

この値に驚いたのである。



これまでの測定は39~40拍であったが、やや上がって44拍であったのだ。

思わず、心のなかで「ウレピー」の声があがった。

続けてきた週一ペースの器械リハビリ運動中の脈拍は50拍台にもなっていた。

負荷をさらにかけて60拍台に達する。

だが、運動が終われば元の木阿弥の40拍台前半に落ち着く。

毎日の自宅周辺を歩く運動も繰り返す日々。

帰宅直後に測った脈拍はだいたいが45拍。

運動することによって心臓ポンプの回転数(脈拍)が上がる。

負荷をかけた運動が功を奏しているが、安静状態の脈拍は相も変わらずの38~40拍であった。

数日前からはその値も42~44拍になっていた。

ワクワクしながら待つ診察呼び出しである。

前月予約に入れた時間は11時半。

それより遅くなった呼び出し時間が11時55分だ。

結果的にいえば、血液検査受付の整理番号に書いてあった予想時間により近かった。

扉を開けるなりY医師は笑顔で応える。

運動中の脈拍状態についてはGリハビリ療法士より良好な状況にあると聞いている。

数値的にはまだまだの感があるが、早期の決断をせずに待った甲斐があったと喜ばれる。

脈拍は正常に戻りつつある。

週一ペースの器械的リハビリ運動が功を奏したのである。

結論からいえば、心臓ペースメーカーの埋設はしない、というか、免れたのである。

ただ、Y医師は若干気にかかる状態を説明された。

方眼紙チャートのマス目に描かれた心電図波形をみせて、この間の幅がやや広がっているというのだ。

Q・R・S波の間隔だ。

専門的なことは判らないが示した方眼紙チャートのマス目が4マスの間隔がある場合は危険余地聴講。

気になるのは4マス目の幅に広がるR・S波の間隔だ。

現状は3.5マス目ぐらいなので特に気にすることもなく、問題は発生していない。

めまいや気を失うこともない退院後の毎日に安心は禁物だが条件つきで車の運転を許可された。

安静状態の脈拍は決して正常ではないが、体内残留のアンカロン薬剤が徐々に効き目を落としているようだ。

K循環器医師の話しによれば、人にもよるが、薬剤残留は半年間の事例もあるそうだ。

利尿剤の効き目もあって、うっ血、浮腫み、膨満症状は見られないし、不整脈発症も少ない。

体重は安定、身体はしんどさも感じない。

坂道も難なく歩けるようになった。

退院後は一度もめまいを発症したこともない。

総合的に判断された医師は近距離・単独運転の条件つきで運転を認めてくれた。

あくまで自己責任で、ということだが、患者さんを送迎する仕事は万が一の可能性も否定できないので許可されない。

安静状態での脈拍が、常に50拍以上になれば、少しは安心できるが、見通しは断定できない。

常態が60拍になれば、安泰・・・。

そうなるように、リハビリ運動は今後も欠かせないと思った。

Y医師は今月末に退職されて新天地を目指す。

最後に尋ねたのは肺炎球菌予防接種のことだ。

市の通知は早いうちに届いていた。

期限は3月末だったので、まだまだと思って放置していた。

そのうちに発症した僧帽弁逸脱による弁膜異常である。

7月に入院、弁形成手術、退院後の経過観察を経て12月にアブレーション焼却処置。

退院後の経過観察も早や3カ月。

バタバタしているうちに年度末が近づいた。

このような状態で肺炎球菌の予防ワクチン接種が可能なのか。

不安なことは医師に聞く。

そういうことだ。

その接種は当院でも行うことができる。

手配をしましょうと云われたが、通知は住まいする大和郡山市の医療案内。

期限内であれば接種に補助金があるので、支払いは3千円で済むが、市外接種となれば補助金がでない一般的料金になる。

そういうことであるだけに慌てて予約する。

予約は奈良に住み着いてからずっと世話になってきた近くの上田診療所。

市が指定する診療機関である診療所は徒歩20分で着く。

リハビリを兼ねて予約した14日に接種をしてもらった。

用意されていたワクチンに問診票。

直近の身体状況について記入する。

呼ばれて入室したら先生がおられた。

久しぶりである。

問診票を見られた先生は驚かれた。

てっきりかーさんが伝えていたとばかり思っていたがそうではなかった。

一部始終をお話する時間はないから、ポイント詰めて発症から入院・手術などの状況を伝える。

先生は循環器内科が専門。

突然の僧帽弁損壊はやはり入浴であった。

原因は元々あった心不全であるが、弁を破壊したのは入浴で圧迫されたにほかならない。

術後の心房粗動もアブレーション処置も脈拍低下の原因も速攻で理解される。

現状の低脈拍であるが、特に問題を起こすことはないと想定されたことを付記しておく。

しかし、まーなんですな。

よくぞここまで復帰したものである。

元の状態に戻れないと決断していたら、この日は心臓ペースメーカーの埋設をお願いします、ということになっていたかも知れない。

私は当初に医師が伝えたアンカロン薬剤が切れる3カ月後の状態に期待していた。

期待が外れるかもしれないし、当たりになるかもしれない。

かーさんは云った。

私なら今後のことを考えて安心できる心臓ペースメーカーを選択していたというのである。

私は、右の道を選ぶのか、それとも左の道を選ぶのか、結果がどうであっても悔やまない決断をしたかったのだ。

2月10日に緊急電話が架かって残り一か月の猶予期間を待たずにペースメーカー宣告を受けた。

その日から眠れない日々を送った。

ペースメーカーは身体に装着したら絶対にもとには戻らない身体になる。

そのことを話してくれた体験者が居る。

先日にお会いした小林町のHさんだ。

ついこの前に処置をした心臓ペースメーカーの交換である。

7年前に行った体内埋込型の心臓ペースメーカーの処置入院は3週間に亘った。

それから7年経てば器械は交換を余儀なくされる。

そのときの処置・入院は10日間である。

しんどさ、苦しさはまったく感じさせない婦人話しぶりに頭はあがらない。

昨年にお会いした桜井市瀧倉の住民もそうだ。

病状の経緯は聞いていない両人。

心臓病の患者はそれぞれ異なるらしい。

医師の診断によって処置も異なるようだ。

将来的に考えれば、ペースメーカー選択が正しいかもしれないが、私の場合は弁の形成手術およびアブレーション処置によって発症した心不全。

しかも、服用していた薬剤が大いに関係していることだ。

薬に負けてたまるか、である。

次回の診察は6週目になる。

若干伸びたのは院内の都合である。

次回はY医師から主治医が替わる。

引き継ぐまではワーファリン錠の服用は続ける。

できるなら切りたいと考えるY医師は引き継ぐ医師に判断を委ねた。

利尿剤はどうするか、である。

前回に提示した条件は継続する。

体重が60kgを切れた場合は昼食後に服用しているラシックスとアルダクトンAを停止する。

体重が増えれば復活する。

これを自分自身が判断して服用をコントロールすることだ。

また、喉の渇きも判断にしてほしいと伝えられた。

いずれにしても診察は6週間後になる。

それまでも心臓リハビリ運動は週一ペースを守ってもらって運動につくK循環器医師の診断を仰ぐ。

経過観察はK循環器医師がついているので安心していると話すY医師が見送ってくれた時間帯は午後12時半。

次の心臓リハビリまでは食事時間。

コンビニみたいな院内施設のショップで寿司や弁当などを探してみる。

「ウレピー」日には寿司でも食べて祝ってあげようと思ったが、結局はパン二つ。

山崎製パンの焼きそば&マヨネーズ入りのコッペパンと懐かしいカレーパンだ。



コッペパンは120円でカレーパンは124円。

締めて合計価格が244円のパンは待合ソファに座って食べる。

院内ではこのような場で食事をする人が多い。

たいがいが弁当のようだ。

支払いにレジに並んでいたときのことだ。隣にある食堂に入っていったお二人に気がついた。

前回に会ったのは前年の11月17日であった。

二人は山添村大塩に住むY夫妻に違いないが、支払ったあとでレンジ操作をしているときに見失った。

レンジはパンを温める。

カレーパンはしたくない。

冷めたほうが美味しいのである。

レンジでチンをしたのは焼きそば&マヨネーズ入りのコッペパンだ。

たったの20秒であったが熱過ぎた。

冷めるまではカレーパンを食べる。

昨今は出来上がり造りたてのカレーパンを食する方が多くなった。

そういった店内製造・販売するパン屋さんが増えた。

そういう状況になるまでのカレーパンは山崎製パンだった。

一つでもよかったこの日の昼食。

ものは試しと思って買ったパンは焼きそばパン。

熱くなった袋から取り出す焼きそばパンは見た目のコッペパン。

どこから見ても焼きそばが見えない。

コッペパンの名であるが実に柔らかい。

ほくほくの出来たてのようになったパンを食べる。

中からでてきたのが焼きそばだ。

関西焼きそばソースで名高いオタフクソースの味が決め手。

マヨネーズ感はそれほどでもないが、ソースが旨いのである。

驚いたのは焼きそばの量だ。

食べても、食べても終わりにならないコッペパンに詰めた焼きそば。

中身はぎっしり詰まっており、例をあげればなんだかであるが、たい焼きの尻尾までというような詰め具合だ。

これまで食べた焼きそばパンよりも断然に違った詰め込み量に感動した。

さてさて次は週一ペースの心臓リハビリ運動に場を替える。

ここでも受付に血圧や脈拍測定をする。

気になるのは脈拍だ。

結果は42拍。

いつもなら、ここでもだいたいが39拍、40拍であるが、若干の上昇。

喜ぶほどでもない値だ。

リハビリ運動をする患者さんのほとんどは退院者。

稀に入院中の患者さんも居る。

私もそうだった。

年齢的にいえば私は若者の部類。

他の患者さんはすくなくとも75歳を超えたと思える人たちで埋まる。

身体に携行型の心電図計測器を装着する。

準備運動前の脈拍は44拍になっていた。

これもいままでと違う状態のやや上昇気味の値である。

準備体操からストレッチ運動に移る。

運動にもよるが、47~48拍のときもあれば53~54拍の場合もある。

そして始まる器械運動。

この日は再び自転車エルゴメーターのペダル漕ぎに戻った。

なんでも先約があって、ベルトコンベア型のエルダーウォークタイプのウォーキングマシーンは埋まっていたのだ。

前々回のワークは50で終えた。

そのときの血圧は148-69で、脈拍は一時的に50-51拍に上がった。

今回はどうなるであろうか。

早速のペダル漕ぎ運動は同様の50ワークを設定する。

血圧は136-73

。回転数は60ぐらいでペダルを漕いだ脈拍は48拍だ。

しんどさは感じない。

今回もさらに負荷をかけてワークw55に設定される。

ぐっと力が加わったペダル。

踏み込んでいくうちに軽く感じるようになる。

身体がついてきているように思える。

回転数は65で脈拍は57拍。

一向にハートマークの不整脈が見られない。

あってもぱっとついてすぐ消える。

場合によっては60拍から66拍になるときもある。

Gリハビリ療法士もK循環器医師も良好な状況に笑みがこぼれる。

25分間の器械運動のラストが気にかかる。

血圧はやや高めの155-56。

ラスト3分間はハートマークが点いたままだったが、スローダウンをしながら停止。

降りて心電図を見れば脈拍は54拍だった。

心電図波形に乱れは見られない。

波形幅が安定していたと療法士や医師が伝える。

あとは気長に上昇を待つだけだという。

(H28. 3. 8 SB932SH撮影)

復帰に向けたリハビリ運動

2016年09月20日 08時31分55秒 | むびょうそくさい
運動をすれば心臓に気合が入る。

負荷をかければ心臓ポンプはさらに回転数を上げる。

その証拠に運動直後に計測した脈拍は45拍ぐらいになる。

もっと上がってくれと願っているリナビリ運動に気合が入るのだ。

毎週、欠かせない病院で行う心臓リハビリ運動。

受付段階の血圧は148-71。

脈拍は42拍だ。

いつもなら40拍か、39拍であるが、僅かに上昇していた。

この日のリハビリ患者は5人。

いつもより3人も少ない。

たまたまなのであろう。

少ないからというわけではないが、Gリハビリ療法士は運動の前に体力測定をするという。

前回の測定は1月21日だった。

前週辺りから運動量を上げつつある。

脈拍もそれなりに上昇している。

1カ月後の体力具合の経過を測定する。

長椅子に腰かけて足の蹴りや握力などを測る。

蹴りの測定は座った位置で右足を前方に押し出す。

その押す力を計測するためベルトを利用される。

右足は39.6kgで左足が40.5kg。だ。

前回の計測では右足18.9kgで左足が18.3kg。

筋力が圧倒的に上昇している状況がよく判る。

握力測定は右手が41.2kgで左手は34.7kgだ。

前回の計測は右手が41.2kgで左手は34.9kg。

ほとんど変化が見られない。

握力に関しては、前回同様に特に問題はないということだ。

握力測定を済ませたら廊下に出て歩行能力を測定する。

椅子に座ってからだ。

すくっ、と立ち上がって5数メートル先まで普段の速度で歩いて戻る。

自宅周辺をリハビリ歩行している速度で歩く。

瞬発的に椅子から立ちあがって早足。

今回の計測値は2.6秒だ。

前回が5.4秒だったのでおよそ2倍にもなった。

まさに瞬発力が戻ってきたのである。

もっと速度を上げて駆けるようにという指示が出た早足は2.0秒。

前回は4.2秒だったのでこれもまた倍速になった。

運動後のしんどさは感じない。

ゼイゼイも出ないし、息切れもない。

では、脚の筋肉はどうなのか。

高さ40cmの席に座って立ちあがる。

立ちあがりは両足で立つのではなく片足である。

これはキツい。

全体重を右足に載せてぐっと立ちあがる。

この高さはなんとかできたが、25cmではびくともしない。

健康体の人でも難しいのでは・・と思った。

体力測定に時間を要したので準備体操は終わりかけ。

続いてストレッチ運動。

難なくこなして看た心電図波形。

P波はくっきりはっきり。後続のQRS波とT波も綺麗な波形で出現する。

不整脈もほとんど出現していない安定型に、脈拍は47拍であった。

今回の機械運動は初めて体験するウォーキングマシーン。

ルームランナーというか、ベルトコンベア型の路面が周回稼動するエルダーウォークタイプの器械だ。

手すりは両手で掴む。

ベルトの上に乗って歩行する。

最初は普段程度の時速4kmに設定されて動きだす。

慣れない歩行に足がもたつく。

小走りのように始めたが、そうではなくやや大股ぎみに歩行する。

血圧はそれほど上がらない血圧は132-60。

脈拍は53拍程度だ。

前回まで使っていた自転車エルゴメーターのペダル漕ぎよりも遙かに脈拍は上昇する。

一時的に100とか110とかの拍数が表示される。

それは特に気にすることもないという筋力電気信号のようだ。

動き始めて15分。

しんどさは感じない。

「楽」と「やや楽」の間ぐらいだ。

発汗症状もあってやや汗ばむ。

ただ、顔には汗は見られない。

K循環器医師の診断もあって速度を0.5km上げた4.5kmに設定された。

ぐっと負荷を感じる時速4.5kmであるが、徐々に身体が馴染んで負荷も感じない。

血圧は142になるが、特に問題もなく脈拍は60拍手前までになった。

今回のリハビリで初めて体感する脈拍60拍だ。

肺は問題なく酸素を吸い込んで心臓に供給する。

心臓ポンプは体内に血液を送る

。一回当たりの量を増やす。

これはポンプの強さ。

それでも求められる量には達していない。

なければポンプの回転数を上げるしかない。

上げることによって血液の送る量を増やすということだ。

このように運動をすることでポンプが正常に働く。

脈拍数は、その状態を示す。

運動を終えても急降下しなかったのが嬉しい。

こうしてこの日のリハビリを終えたら支払い手続き。

受診したリストを会計受付に提出する。

すると整理番号が手渡される。

この日の番号は1458番。

前回よりも100番手前。

ほぼ同じような時間帯で100人も少ないということだ。

受け取ったときの時間帯は14時50分。

そのときに表示されていた整理番号は1430番。

待ち時間も少ないと思ったら、その通りであった。

天理駅行きの巡回バスは一台前のダイヤに間に合った。

間に合えば近鉄電車にも一台前。

近鉄郡山駅に戻る時間も早かった。

(H28. 3. 1 SB932SH撮影)