一昨年、昨年に知った大織冠仲仙寺の除夜の鐘搗き。
気になっていたのは毎月の24日に行われている地蔵法要だ。
この年の1月24日に訪れたときは、ときすでに遅し、で間に合わなかった。
法要は終わっていたが、安寿さんの了解を得て地蔵堂に安置されているお姿を撮らせてもらった。
できあがったフイルム写真はお気に入り。
できる限り、早く差し上げようと思っていたが夏場に身体を病んだ。
自宅から歩いて1.1km。
いつでも訪れると思っているうちに大晦日になってしまった。
12月半ばに処置した病は芳しくないがゆっくり歩けばリハビリにもなる。
そう、思って家を出た。
除夜の鐘搗きはどことも23時45分に始まる。
若干のズレがあっては、と思って早めに家を出た。
腹水・肺水が完全に排出されていないし、脈拍は40拍前後。
トロトロ歩きしかできない身体では20分以上もかかった。
健康体であれば10数分程度の距離に腰が疲れる。
ようやく辿り着いた仲仙寺に登る階段に竹で作ったローソク灯しがあった。
数は少ないが年越しの雰囲気はある。
そこより左側は電球提灯を揚げた鳥居がある。
寺ではなく鎌足神社へ参拝する参道なのだ。
奥には社殿が見られ灯りが点いていた。
竹の灯りに導かれて仲仙寺へ向かう。
そこにはトンドを焚いて参拝者を待っていた男性が居られた。
かつて仲仙寺本堂は北側の空き地に建っていた。
今では本尊の石造地蔵菩薩立像を安置する地蔵堂が本堂だ。
除夜の鐘が搗かれる時刻より正月三日間は訪れる参拝者向けに特別開扉をされている地蔵堂である。
ローソクに火を灯して年越し法要を勤められる安寿さんがおられた。
この年の1月に訪れてからも、いつ来られるか待っていたという。
他地域の行事取材に忙しいのではと思っていたらなぜか毎日アップしている当方のブログが停止していることに気がつかれた。
何かがある、と思っていたそうだ。
もしかとすれば、ふっと現れるかもしれないと思っていたと話す。
それが今夜だったのだ。
導きは撮らせてもらった地蔵尊にあるのかも知れない。
話しは除夜の鐘搗きに戻そう。
お話を伺えば、トンドの薪をしていたのは前住職だった。
生まれも育ちも仲仙寺が建つ地蔵山。
若い時には本堂もあったと云う。
そこが屋敷跡だと指をさす地は綺麗に整地されている。
平成23年6月に住職の任を授かった安寿さんが在職されるまでは住職だったが引退。
安寿さんに住職の任を譲ったようだ。
住職の職を譲った前住職はお役にたちたいと考えてお手伝いを買って出た。
地蔵山は雑木林。
トンドの薪を集める。
もう一つ集めるものがある。
それは落下したドングリだ。
集めたドングリは煩悩の百八つ。
容器に入れて、ひと搗きする度に地蔵山に投げ捨てる。
これを繰り返すという。
そんな話を聞いている時間帯に始まった年越しの法要。
世話人の男性もお堂に登って般若心経を唱えていた。
地蔵堂の前に立った前住職も手を合わせて心経を唱える。
そうして始まった除夜の鐘搗き。
呼吸を調えてぐっと引く。
鐘搗き棒の綱を下げるように引っ張れば梵鐘目がけて振子する。
グワァアワァーーンの鐘の音が周囲に届いただろうか。
腰をかがめて容器に入れたドングリを掴んで捨てる。
捨てるというよりも山に返すと云ったほうが正しいのだろう。
腰を上げればまだ鳴っている梵鐘。
残音がウワァンウワァンウワァン・・・・・・。
文字では表現しにくい残音である。
小さくなった頃合いを見計らって綱を引く。
グワァアワァーーン、ウワァンウワァンウワァン・・・・・・。
心地いい音色に安らぎを感じる。
「和刕添下郡柳町村大織冠」、「・・・仲仙寺現住法・・」などが判別できる梵鐘の打つところには「享保十九(1734)年甲寅年慈光院住職・・・」の刻印がある。
「和刕添下郡柳町村大織冠」は枝村。
大和郡山市内城下町にも柳町があるが、大織冠・地蔵山は文禄検地帳に記された新開地であったのだ。
108個のドングリのすべてがなくなればこの年の煩悩が払われたということになる。
私の病もそうあってほしいと願ってひと搗きさせてもらった。
およそ半数になったドングリ。
そのころには一組、二組・・の参拝者がやってくる。
そのうち、午前0時ともなればトンドに火を点けた鎮守社になる鎌足神社の氏子たち。
テレビで聞いたのか、仲仙寺が搗く鐘の音を聞いたのか、アンケートはとっていないが、次々と参拝者が訪れる。
神社拝殿前では行列もできるほどに膨れ上がった。
神社参拝を済ませた人たちは梵鐘下に並ぶ。
そのころは一年間すべての煩悩を払っていた。
ドングリはなくなっても鐘搗きの列は途絶えることはない。
新年を迎えた人たちは小雨に濡れた道を戻っていった。
それから、というか年越しそばはいつ食べるのか、である。
自宅に戻った時間はお正月。
明けましておめでとうございます、だが、家人はテレビ放送を楽しんでいたおふくろを残して寝床の中だった。
鍋に入れた出汁は火で温める。
ほどよい時間にそば麺を入れる。
ぐつぐつ煮える前に奈良県中央卸売市場で買った冷凍エビ天を入れる。
刻みネギも放り込んでひと煮立ち。
丼にずるっと入れたらできあがり。
載せたエビ天はとにかくでかい。
スーパーで買えば250円ぐらいもする特大エビ天が丼に泳いでいる。
年は越したが、年越しそばに違いない。
温かいそばで身体も温かい。
出汁も美味いがエビ天はもっと美味しい。
中身の海老も太めのプリプリ。
歯ごたえもガツンとくる海老に感動して眠りについた。
(H27.12.31 EOS40D撮影)
(H27.12.31 SB932SH撮影)
気になっていたのは毎月の24日に行われている地蔵法要だ。
この年の1月24日に訪れたときは、ときすでに遅し、で間に合わなかった。
法要は終わっていたが、安寿さんの了解を得て地蔵堂に安置されているお姿を撮らせてもらった。
できあがったフイルム写真はお気に入り。
できる限り、早く差し上げようと思っていたが夏場に身体を病んだ。
自宅から歩いて1.1km。
いつでも訪れると思っているうちに大晦日になってしまった。
12月半ばに処置した病は芳しくないがゆっくり歩けばリハビリにもなる。
そう、思って家を出た。
除夜の鐘搗きはどことも23時45分に始まる。
若干のズレがあっては、と思って早めに家を出た。
腹水・肺水が完全に排出されていないし、脈拍は40拍前後。
トロトロ歩きしかできない身体では20分以上もかかった。
健康体であれば10数分程度の距離に腰が疲れる。
ようやく辿り着いた仲仙寺に登る階段に竹で作ったローソク灯しがあった。
数は少ないが年越しの雰囲気はある。
そこより左側は電球提灯を揚げた鳥居がある。
寺ではなく鎌足神社へ参拝する参道なのだ。
奥には社殿が見られ灯りが点いていた。
竹の灯りに導かれて仲仙寺へ向かう。
そこにはトンドを焚いて参拝者を待っていた男性が居られた。
かつて仲仙寺本堂は北側の空き地に建っていた。
今では本尊の石造地蔵菩薩立像を安置する地蔵堂が本堂だ。
除夜の鐘が搗かれる時刻より正月三日間は訪れる参拝者向けに特別開扉をされている地蔵堂である。
ローソクに火を灯して年越し法要を勤められる安寿さんがおられた。
この年の1月に訪れてからも、いつ来られるか待っていたという。
他地域の行事取材に忙しいのではと思っていたらなぜか毎日アップしている当方のブログが停止していることに気がつかれた。
何かがある、と思っていたそうだ。
もしかとすれば、ふっと現れるかもしれないと思っていたと話す。
それが今夜だったのだ。
導きは撮らせてもらった地蔵尊にあるのかも知れない。
話しは除夜の鐘搗きに戻そう。
お話を伺えば、トンドの薪をしていたのは前住職だった。
生まれも育ちも仲仙寺が建つ地蔵山。
若い時には本堂もあったと云う。
そこが屋敷跡だと指をさす地は綺麗に整地されている。
平成23年6月に住職の任を授かった安寿さんが在職されるまでは住職だったが引退。
安寿さんに住職の任を譲ったようだ。
住職の職を譲った前住職はお役にたちたいと考えてお手伝いを買って出た。
地蔵山は雑木林。
トンドの薪を集める。
もう一つ集めるものがある。
それは落下したドングリだ。
集めたドングリは煩悩の百八つ。
容器に入れて、ひと搗きする度に地蔵山に投げ捨てる。
これを繰り返すという。
そんな話を聞いている時間帯に始まった年越しの法要。
世話人の男性もお堂に登って般若心経を唱えていた。
地蔵堂の前に立った前住職も手を合わせて心経を唱える。
そうして始まった除夜の鐘搗き。
呼吸を調えてぐっと引く。
鐘搗き棒の綱を下げるように引っ張れば梵鐘目がけて振子する。
グワァアワァーーンの鐘の音が周囲に届いただろうか。
腰をかがめて容器に入れたドングリを掴んで捨てる。
捨てるというよりも山に返すと云ったほうが正しいのだろう。
腰を上げればまだ鳴っている梵鐘。
残音がウワァンウワァンウワァン・・・・・・。
文字では表現しにくい残音である。
小さくなった頃合いを見計らって綱を引く。
グワァアワァーーン、ウワァンウワァンウワァン・・・・・・。
心地いい音色に安らぎを感じる。
「和刕添下郡柳町村大織冠」、「・・・仲仙寺現住法・・」などが判別できる梵鐘の打つところには「享保十九(1734)年甲寅年慈光院住職・・・」の刻印がある。
「和刕添下郡柳町村大織冠」は枝村。
大和郡山市内城下町にも柳町があるが、大織冠・地蔵山は文禄検地帳に記された新開地であったのだ。
108個のドングリのすべてがなくなればこの年の煩悩が払われたということになる。
私の病もそうあってほしいと願ってひと搗きさせてもらった。
およそ半数になったドングリ。
そのころには一組、二組・・の参拝者がやってくる。
そのうち、午前0時ともなればトンドに火を点けた鎮守社になる鎌足神社の氏子たち。
テレビで聞いたのか、仲仙寺が搗く鐘の音を聞いたのか、アンケートはとっていないが、次々と参拝者が訪れる。
神社拝殿前では行列もできるほどに膨れ上がった。
神社参拝を済ませた人たちは梵鐘下に並ぶ。
そのころは一年間すべての煩悩を払っていた。
ドングリはなくなっても鐘搗きの列は途絶えることはない。
新年を迎えた人たちは小雨に濡れた道を戻っていった。
それから、というか年越しそばはいつ食べるのか、である。
自宅に戻った時間はお正月。
明けましておめでとうございます、だが、家人はテレビ放送を楽しんでいたおふくろを残して寝床の中だった。
鍋に入れた出汁は火で温める。
ほどよい時間にそば麺を入れる。
ぐつぐつ煮える前に奈良県中央卸売市場で買った冷凍エビ天を入れる。
刻みネギも放り込んでひと煮立ち。
丼にずるっと入れたらできあがり。
載せたエビ天はとにかくでかい。
スーパーで買えば250円ぐらいもする特大エビ天が丼に泳いでいる。
年は越したが、年越しそばに違いない。
温かいそばで身体も温かい。
出汁も美味いがエビ天はもっと美味しい。
中身の海老も太めのプリプリ。
歯ごたえもガツンとくる海老に感動して眠りについた。
(H27.12.31 EOS40D撮影)
(H27.12.31 SB932SH撮影)