マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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心理的に凍てる

2016年09月05日 08時52分50秒 | むびょうそくさい
今日は大寒の日でさぶい。

ここ数日の寒さ続き。

前日は至るところで積雪が観測された。

さぶいは、寒いともいうのが標準語であるが、私の発音は昔からさぶい、である。

この日は正月明け初めての心臓リハビリの日。

午後一番の奈良交通バス、近鉄電車、奈良交通バスを乗り継いでやってきた。

1月12日に受診した循環器内科。

処方箋が増えたのはラシックス利尿錠剤と血圧を下げるはタナトリル錠剤だ。

ラシックス利尿錠剤の量はこれまでの1.5倍。

一粒を半分に割った錠剤が増えた。

もう一つが新しく追加されたタナトリル錠剤である。

服用してすぐさま効果があった。

血圧は下がり、尿量が増えた。

それに連れて体重も減っていた。

ところがだ、数日前から体重が増えだした。

身体が重たいということもあるが、心臓そのものが圧迫される状態になる。

利尿剤の効き目が薄れてきたのか・・。

気にかかるのがタナトリル錠剤だ。

かーさんも服用している血圧を下げる薬。

もちろん、メーカーも違うから薬剤も異なる。

その薬に但し書きがある。

血圧を下げるが、脈拍も下げる場合があるというのだ。

私が服用しだしたタナトリル錠剤にはそういう情報は書かれていない。

12日の診察前までは順調に脈拍が上がり始めていた。

最も高かったのは46拍だ。

次は43拍だった。

ところが受診後は41拍、或は40拍である。

元に戻ってしまったのだ。

脈拍が上がらない限り、心臓ポンプは正常に働かない。

働かないから血流が水分となって肺に水が溜まる。

そうなると圧迫感、息苦しくなるのだ。

溜まった水が増えて、体重値はてき面に上昇する、ということだ。

心臓リハビリ受付は血圧測定から始まる。

朝、自宅で測定した結果は147-79だ。

病院での測定は午後1時。バス、電車を乗り継いで多少なりとも歩く。

動くということは心臓に負担をかける。

そうなれば脈拍数があがる、というものだが、そうは問屋が卸せない。

上がるどころか下がるのである。

受付で測った血圧は130-73だった。

問診票には測定したデータを書き込むのはもちろんだが、この日は併せて心臓の圧迫感、息苦しさを訴えた。

状況を飲み込んだGリハビリ療法士は数カ月ぶりに体力測定を実行した。

他の人たちは準備体操をする。

私はその間に体力測定をする。

体力測定といっても大掛かりなものではない。

長椅子に腰かけて足の蹴りや握力などを測るだけだ。

座った位置でまずは右足を前方に押し出す。

そういう感じで数秒間も力いっぱいこめて強く蹴る。

次は左足だ。

握力測定を済ませたら廊下に出て椅子に座る。

すくっ、と立ち上がって数メートル先まで歩いて戻る。

本来であるなら駆けるという感じで動くが、現在はそういう行為はできない。

自宅周辺を散歩するような速度で歩く。

ついつい気持ちが先走って早足になってしまうが、速度はいたって遅いのである。

再び長椅子に座って筋肉度合いを測定する。

両足の脹脛に重さ750gのベルトを締める。

浮腫みがみられる足に締め付ける。

座りながら前方に向けて足先を伸ばす。

伸ばすときは息を吐く。

戻すときに息を吸う。

これを15回繰り返す。

右足、左足の筋肉をつけるために繰り返す。

歩きのリハビリだけではこの部分に筋肉はつかない。

その動作に測った心電図測定。

脈拍は39、40拍をうろうろするだけだ。

力を入れても脈拍が上がらないのである。

しかしだ、衰えた筋肉は適度なときに適切な回数で実行しなければならないのである。

こうした手順を踏まえていつもの自転車エルゴメーターのペダル漕ぎ。

3週前と同じワークの20を設定する。

30を設定すれば負担が大きく感じるから前回通りとする。

脈拍が40拍前後の身。

仕方ないことである。

しんどさを感じるペダル漕ぎ。

回転数は37前後程度しか漕げない。

力が入らないというよりも力を入れる気力がでないのだ。

ペダル漕ぎはいつも25分間の実施。

半分ぐらいになったときにGリハビリ療法士の指示もあって、回転数を47~51に上げる。

負荷をかけるということであるが、脈拍は一気に上昇することなく、40、41拍辺りをうろうろする。

その間の血圧は129-57。

特に問題は見られない。

来月初めに再び循環器内科の受診をする。

その際には今回のデータを主治医のY医師に伝えておくという。

ペダル漕ぎを終えて整理体操で終えたら呼び止め。

本日の体力測定の評価である。

僧帽弁形成手術後の心臓リハビリ体力測定結果と比較されてのことだ。

動作は手術後よりも低下しているが、握力は若干の上昇が見られる。

脈拍が低い毎日の現状。

上昇する兆しが一向に見えない。

動きは芳しくない。

肺に水が溜まって息苦しい圧迫感。

その関係でうっ血症状が続く。

頭に血が上るという感じだ。

立った位置で腰をかがめようとする。

ぐぐっと頭がうっ血する。

座ろうとしたとき、たとえば靴下を履く、靴を履く、そんなときは必ず症状がでる。

これが特に苦しいのである。

立ったら立ったままであれば苦にならない。

上体を上下するときに必ず発症するうっ血に悩まされている。

この症状はいつになれば解消されるのか。体内に残留したアンカロン錠の効き目はいつ解けるのか。

呪文があれば唱えてみたいものだが、そんなものはない。

溶けて流れるまで待つ、しかないのである。

自然に消えるまで待つ。

その期間は服用を停止してから3ケ月間。

目安は3月8日だが、その日がやってくるのか、である。

見込みはあくまで見込み。

人によっては呪文が解けるには半年もかかるという事例もあるらしい。

日々計測する脈拍、血圧に体重。

微妙な上がり下がりはあるものの、出口が見えない迷路に迷い込み、気持ちが落ち込む。

心臓が追い付いてこないのではなく、心臓に気持ちが追い付けない。

気持ちは日々下がるばかりだ。

症状は今より悪化しなくとも、良くなるとも、どちらの選択もできない患者さんは相当数居られることだと思う。

その人たちの辛さは体験した人でなければわからない。

今後、体験した私が接するときの言葉は何を選んだらいいのだろうか。

(H28. 1.21 SB932SH撮影)

明るい兆の予感はするが

2016年09月05日 08時33分33秒 | むびょうそくさい
前月は晦日月。電極カテーテルアブレーション処置は上手くいったものの、低脈拍が続く状態にあった。

脈拍数は40拍前後。

退院してから体重の増加。

足の浮腫みにお腹がキンキン。

原因は低脈拍による心臓ポンプが間に合わんということだ。

12月26日より錠剤の利尿剤を服用しているが、改善の方向に向かうことはない。

注射の利尿剤を適用した12月26日の翌日は一挙に体重が2kgも減った。

その後の28日は71.2kg。

29日は70.4kg。

30日は70.0kg。

31日は71.0kg。

新年を迎えた元日は70.2kg。

2日は70.8kg。

3日も4日も70.8kg。

5日は71.0kg。

6日は70.8kg。

7日は69.6kg。

8日は70.6kg。

9日は70.3kg。

10日、11日は69.2kg。

12日は69.6kgだった。

その間の脈拍数も記録している。

12月26日から31日までは40拍台前後。

プラス1か、マイナス1である。

元日は一挙44拍に上がったものの、2日は戻って41拍。

その後の3日から6日までは40拍台前後。

ところがだ。

7日から変化が見られた。

7日は44拍。

8日は42拍。

9日は43拍。

10日は42拍。

11日はさらに上がって46拍になった。

この日、12日は43拍だ。

尿意は順調で多い日は13回、14回。

9日なんて日は18回にもなった。

なんとなく身体が軽くなったような気がする。

足の浮腫みもほぼ消えかけ。

圧迫感があった呼吸系も、ややだが息苦しさがましになっている。

ただ、毎日欠かせない歩行訓練での坂道歩き。

登りは息苦しく、腰もだるくて足・膝がすんなり動かない。

ポタポタ落ちる内痔出血はずっとある。

これのせいでもあろうが、気持ち的には明るい兆しになるような予感がする。

そう思って出かけた年明けの初の診察日。

奈良交通バス、近鉄電車、奈良交通バスを乗り継いで病院に行く。

この日は朝が早い。

10時に予定する診察時間に間に合うようにしなければならないのが採血だ。

車なら35分で着くが、バス、急行電車、バスとくれば時刻表通りの45分間になる。

この日は正月明け、しかも成人の日の祝日明けの平日。

乗車する人は多い。

ビジネスマンは当然だが、最も多いのは大学生だ。

乗り継ぎの時間は云うほど余裕はない。

遅れてはなるまいと思って、ついつい早足にあるが、しんどい。

体重は若干減って脈拍も若干の上昇ぐらいではまだまだ。

動悸、息苦しさに低い値のヘモグロビンで脚の動きは芳しくない。

なんとか着いて機械受付。

本日の検査・診察メニューが印刷される。

それを持って正式な受付。

保険証や高額医療などの受付を済ませて4階に上がる。

ここではいつものメニューで採血、胸部レントゲン、心電図測定だ。

8時40分から始まってすべての検査が終わったのは9時35分。

検査患者さんが多すぎて、採血の待ち行列は100番待ちの20分。

これまで何度か通院したが、イチバンの待ち時間だった。

本日の診察は10時からの循環器内科に11時からの心臓血管外科の2診がある。

患者数が多いのは循環器内科のように思える。

医師の呼び出しが出るまでは血圧などの測定。

142-71に41拍の脈拍だった。

自宅で測るよりは若干の差異がある。

どちらかと云えば血圧が高めで脈拍が低めの病院測定だ。

3診の呼び出しは40分間も待った。

診察室手前で一旦は待つ部屋で時間待ち。

この日は急遽。

救急入りの患者さんの関係で医師はそちらに急行された。

それから待つこと40分間。

予定時間が大幅に過ぎて11時を越えていた。

ようやく始まった経過観察診断。

年末に検査した胸部レントゲンではたっぷりの水に浸かっていたが、この日は極端に少ないという。

体重は減少し、足の浮腫みも消えている。

心不全も落ち着ているようだが、息苦しさにやや圧迫感がある。

排出する尿量と心臓ポンプの勢いのズレがあるのが原因だ。

年末から服用しているラシックス利尿錠剤を増やすことを決定された。

年末に看てもらった臨時の医師に状況を伝えたが薬量を変えることはなかった。

さすがに入院中主治医のY医師の対応が嬉しい。

ラシックス錠剤は1.5倍の量に増やして尿量を増やす。

そうすることで肺に溜まる水量を抑制するということだ。

医師が気にかけたのはもう一つある。

血圧だ。

血圧を下げる薬。

それも心臓に優しい薬をと、適用した錠剤はタナトリルだ。

年末から適用してきたカリウム不足を補う錠剤のスローケーを中断し、タナトリルに切り替えという。

血圧の最大値上位は162~154(158、157、154)が8日間。

最小値上位でも139~129くらいが5日間。

医師の判定は「高い」である。

それを抑制し血圧を下げるタナトリル錠剤を適用された。

医師曰く、お正月はお節などで塩分が摂り過ぎ傾向にあるらしいが、BNPの値が大幅に改善していると伝えられた。

BNPは脳性ナトリウム利尿ペプチドの略。

心臓の負荷が増えるとか、心筋肥大が起こるとBNPの血液濃度が増加する。

値が高いほど心臓が良くないというわけだ。

数値が半滅したということは負荷も半滅。

そんなことはないだろうが、感じない部分でラクになっているのだろう。

この日のBNP値は361.5。

12月26日の前回測定では703.3もあった。

異常な高さのBNP値であった。

ちなみに半滅したといっても361.5。

200以上であれば心不全状態がまだまだ進行中なのである。

いずれにしても脈拍は徐々に上昇していけばいい。

長い目で、と思うが・・・。

わずかであるが、明るい光がさし込んでいるかのように思えたこの日。

脈拍の上昇に邪魔をしているアンカロン錠を止めて早や一か月。

まだまだだ。体内に残るアンカロンの効き目が消えるのはあと2カ月。

ただ、場合によっては半年間も残留する人が居るらしい。

その場合は心臓ペースメーカーの埋め込み処置が考えられるが、私の場合は、たぶんにそこまでいかないらしい。

願わくば、そうならないように祈るしかないだろう。

気をもんでも仕方がない。

とにかく体内に残った薬剤が排出するまで待つしかない。

植木等さんの唄ではないが「そのうちなんとか なぁーーるぅだろう」だ。

次回の診察は3週間後の2月2日。

経過の動きがあるから2週間後としたいが病院は大祭の関係で臨時的休業。

一週間後では早すぎる。

仕方なくの1週間延ばしの3週間後にされた。

半時間遅れで心臓血管外科も診察してもらう。

曜日が異なるから、いつものM医師とは違って、先天性心疾患センター担当のH医師に看てもらう。

循環器内科診断の結果も看られた医師は聴診器を胸にあてる。

心臓の動きは特に問題なしの判定を下す。

僧帽弁形成手術を終えて5カ月12日間。

そろそろ半年になろうとする。

心臓血管外科としては術後の心臓状態をエコー検査などで診察するだけになってきた。

血管外科で投与している薬はワーファリンやフェログラデュメット、ネキシウムカプセル、マグミットの4種だけだ。

循環器内科の投与はラシックスにスローケー中断後のタナトリルだ。

それぞれの薬をそれぞれの診察科が投与するよりも一本化したほうが医師にとっても患者にとっても好ましい方法である。

そう思いやって循環器内科医師宛てにお手紙を書いてくださる。

次回診察の日に手渡して、そうしてもらいなさいと手渡された。

なお、その日はエコー検査の予定を決めたいと伝えられる。
 
すべての診察を終えて会計窓口に診察書類を提出する。

それからシステムの会計処理が行われる。

手渡された番号札の番号はずいぶん先だ。

大方、80人待ちである。

電子板に表示される番号を立ってみているわけにはいかない。

ロビーにある長椅子に座って待とうとしたら、ある男性の顔が目に入った。

もしかとして苣原にお住まいのKさんでは、と声をかけたらその通りだった。



苣原の行事取材でたいへんお世話になったKさんは奥さんの通院検査に付き添いで来ていたという。

平成25年1月に行われた「ケイチン」以来に再会したKさんは髪の毛が黒々なので、若くは見えるが、85歳。

これまで薬の世話になったことがないという。

平成20年2月に始めてお会いしてからもう8年にもなるのだが、お姿はまったく変わっていないように見えるのだ。

私の姿を見たKさんが云うには、「なんでここにいるの?」である。

顔も声も健康的に見えたそうだ。

奥さんは4年前に発症した癌の治療の検査に来ていたそうだ。

検査の結果はいつも良好。

早期発見の賜物だそうだが、それよりも股関節が悪くなって歩くに補助の杖が要るようになった。

そういうことで介助をしているご主人。

本館にあるMRIで検査しているという。

普段は自家用車で奥さんの送迎。

運転ができなければ、便利な苣原直行のバスがある。



最近になってコミュテイバスが運行するようになったそうだ。

(H28. 1.12 SB932SH撮影)