大阪・南河内郡河南町の南加納に住むいとこのねーちゃんから電話があった。
夜の9時半だった。
何事か起きたのか、夜の電話を取るのが怖い。
今回はそうではなかった。
数年前から村の講中に属するようになって当番もしている。
当番をすることで細かい部分が見えてくる。
伝統的な行事が今でも行われているのは、南加納ぐらいなものだと云う。
そういえば昨年の9月6日のことだ。
いとこの旦那さんが亡くなった。
亡くなったときの私は入院していた。
それから一か月後のこの日は四十九日だった。
お寺さんは法要をする。
その次が村の観音講が弔う西国三十三番のご詠歌を唱えというものであった。
ねーちゃんの電話は観音講ではなく、南加納の村から出た人のなかに刀鍛冶氏が居るというのだ。
当時住んでいたのはいとこのねーちゃんちのすぐ下のようだ。
89歳になるおふくろもよく知っているという現刀鍛冶は88歳。
同年代のようだ。
いつ奈良に越したのか判らないが、奈良市内のH町に住んでいるようだ。
刀鍛冶の場はそこではなく柳生の里だという。
定年になってから修業した刀鍛冶を取材してはどうかという電話だった。
今は動ける身ではない。
年齢からいっても先を急がねばならないがメモに残すぐらいしかできない。
ちなみにその刀鍛冶は製作した刀を春日大社に奉納したそうだ。
2人の弟子もいるらしい。
村出身の人だけに名はすぐに判った。
昭和4年生まれのAさんは刀匠の名をもつようだ。
その名も江住有俊(えすみありとし)だ。
インターネットの時代。
それからぐぐって調べてみれば柳生の里は寺行事を取材したこともある南明寺がある奈良市阪原町。
工房は「有俊日本刀鍛錬道場(設立1985・昭和60年」のようだ。
が、それは誤りだった。
電話で伝えたかった件はまだある。
一つはこの日に行われた村のトンドだ。
昔は1月15日の朝にしていたが、現在は集まりやすい成人の日の朝。
16軒ぐらいが寄り合って焼け残ったトンド火でヤキイモ(焼き芋)を作る。
モチの焼いて食べていると云う。
もう一つはお日待っつあんだ。
行事日は成人の日の前日にあたる日曜日の夜。
場所は仏さんもある村の集会所に寄り合う。
お日待っつあんは親しみを込めた行事名。
正式にはお日待さんだ。
当番になったいとこのねーちゃんは朝からお供え作り。
ニンジン、コンブを半紙で巻いて水引を掛けて本尊大日如来像に供える。
ローソクに火を点けて拝む。
お祈りしたら翌朝まで泊まった集会所で過ごす。
いつまでかと云えば、朝が来るまでだ。
つまり、その名のごとくお日さんこと太陽が昇る姿、日の出を待つ行事である。
お日待さんは全国各地で見られるが、ほとんどが数時間。
泊まることもなく初集会を兼ねた村の行事。
夜の会食を済ませて自宅に帰る。
本来、南加納のお日待つは朝までの籠りであったが、現在は24時過ぎに解散する。
火を点けたローソクを手にして帰宅するようだ。
その火は安産の神さん。
願いを込めて持ち帰るようだ。
4月はコンピラサンもある南加納の村行事は奈良県内行事とよく似ている。
(H28. 1.11 記)
夜の9時半だった。
何事か起きたのか、夜の電話を取るのが怖い。
今回はそうではなかった。
数年前から村の講中に属するようになって当番もしている。
当番をすることで細かい部分が見えてくる。
伝統的な行事が今でも行われているのは、南加納ぐらいなものだと云う。
そういえば昨年の9月6日のことだ。
いとこの旦那さんが亡くなった。
亡くなったときの私は入院していた。
それから一か月後のこの日は四十九日だった。
お寺さんは法要をする。
その次が村の観音講が弔う西国三十三番のご詠歌を唱えというものであった。
ねーちゃんの電話は観音講ではなく、南加納の村から出た人のなかに刀鍛冶氏が居るというのだ。
当時住んでいたのはいとこのねーちゃんちのすぐ下のようだ。
89歳になるおふくろもよく知っているという現刀鍛冶は88歳。
同年代のようだ。
いつ奈良に越したのか判らないが、奈良市内のH町に住んでいるようだ。
刀鍛冶の場はそこではなく柳生の里だという。
定年になってから修業した刀鍛冶を取材してはどうかという電話だった。
今は動ける身ではない。
年齢からいっても先を急がねばならないがメモに残すぐらいしかできない。
ちなみにその刀鍛冶は製作した刀を春日大社に奉納したそうだ。
2人の弟子もいるらしい。
村出身の人だけに名はすぐに判った。
昭和4年生まれのAさんは刀匠の名をもつようだ。
その名も江住有俊(えすみありとし)だ。
インターネットの時代。
それからぐぐって調べてみれば柳生の里は寺行事を取材したこともある南明寺がある奈良市阪原町。
工房は「有俊日本刀鍛錬道場(設立1985・昭和60年」のようだ。
が、それは誤りだった。
電話で伝えたかった件はまだある。
一つはこの日に行われた村のトンドだ。
昔は1月15日の朝にしていたが、現在は集まりやすい成人の日の朝。
16軒ぐらいが寄り合って焼け残ったトンド火でヤキイモ(焼き芋)を作る。
モチの焼いて食べていると云う。
もう一つはお日待っつあんだ。
行事日は成人の日の前日にあたる日曜日の夜。
場所は仏さんもある村の集会所に寄り合う。
お日待っつあんは親しみを込めた行事名。
正式にはお日待さんだ。
当番になったいとこのねーちゃんは朝からお供え作り。
ニンジン、コンブを半紙で巻いて水引を掛けて本尊大日如来像に供える。
ローソクに火を点けて拝む。
お祈りしたら翌朝まで泊まった集会所で過ごす。
いつまでかと云えば、朝が来るまでだ。
つまり、その名のごとくお日さんこと太陽が昇る姿、日の出を待つ行事である。
お日待さんは全国各地で見られるが、ほとんどが数時間。
泊まることもなく初集会を兼ねた村の行事。
夜の会食を済ませて自宅に帰る。
本来、南加納のお日待つは朝までの籠りであったが、現在は24時過ぎに解散する。
火を点けたローソクを手にして帰宅するようだ。
その火は安産の神さん。
願いを込めて持ち帰るようだ。
4月はコンピラサンもある南加納の村行事は奈良県内行事とよく似ている。
(H28. 1.11 記)