マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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主水山のとんど

2016年09月08日 08時31分41秒 | 大和郡山市へ
私が住まいする旧村大字の年男が点火する主水山(もんどやま)のトンドがある。

トンド場は大和郡山市城町(じょうちょう)の「子供の広場」だ。

我が家から歩いて320歩にある児童公園である。

旧村住民によって行われてきた主水山のトンドはかつて1月31日の夕刻だった。

今から45年前のことである。

いつしか小正月の1月15日に移ったが、この日は昭和23年に制定された成人の日、平成12年のハッピ-マンデー施行によってややこしくなった。

とんどの日を決定するのは正月明け日曜に大字主水山の旧村13軒が集まる新年初集会である。

場は主水山公民館。

この年は1月10日の日曜日に参集されていた。

大字住民の多くが集まる初集会は新年会のようなものだと話していたことを思いだす。

主水山のトンドの日は、その初集会から一週間後の日曜に行われる仕組みになっている。

そういうことで、この年は1月17日の日曜日。



トンド組みは当日の朝8時から行ったそうだ。

トンド組みはそれから数時間後には終えたと話す住民。

伐採した雑木周りを囲うのは青竹だ。

何本かは予め伐りだした竹を運んでいた。

それだけでは足りないと考えられて我が家前の丘に植生する竹を貰ったそうだ。

丘は平成29年度・完成を目指す新県立奈良病院の建築に伴う石木-城線の道路工事に崩されていく。

工事が始まった直後の1月6日からは丘の上に生えていた竹を伐りとっていた。

そのうちの何本かを県土木にお願いして貰った。

竹は数メートルに伐り分けていた。

これまでは一本丸丸の葉付きの青竹だった。

我が家の前を引きずって児童公園に運ぶ姿は年初の風物詩になろうかと思っていた。

道路工事が順調に運ばれることになるであろう。

そうなる時期に来れば、竹林はすっかり消えていることだろう。

次年度の竹はどこで調達するか、悩ませる課題が一年後にやってくる。

私が住まいする自治会は旭ケ丘。

主水山は我が家の前にある丘も、住まいする地も字主水山である。

引っ越したときの住所に「字主水山(あざもんどやま)」があった。

この丘一帯は竹藪だったのだ。

そこを造成して住宅地となった。

我が家はその一角にある。

歩いて500歩の処に地区の氏神さんになる登弥神社が鎮座する。

かつては木嶋大明神を祀る神社は三つの大字が氏子になっている。

その一つが主水山である。

午後5時過ぎの主水山公民館は灯りが点いていた。

当番の人たちが集まっているのだろう。

先に出かけてトンド組みをした様相を撮っておこうと思った。



城町児童公園内にあるトンド場のすぐ東側は富雄川だ。

西は車が往来する県道だ。



午後5時半、10秒間開放のテスト撮影をしてみる。

午前11時に撮った同じ場所でのテスト撮影。

行き交う車のヘッドライトにテールランプが光跡を描く様相を眺めていた。

そんなことをしていたら声をかけられた。

地元、旭ケ丘自治会住民だ。

写真撮りをしている私を知っているFさんは家族が乗車する車でお出かけだ。

歩いてきた男性はSさんだ。

時間になれば孫を連れてくるという。

いずれも同自治会住民は新興住宅地の旭ケ丘である。

しばらくすれば主水山住民がやってきた。

この日も午後6時に点火するという。

時間ともなれば大勢の人たちがやってくる。

お正月を飾った注連縄をトンドに入れて燃やすのだ。

一般的な神社でもトンドを斎行されている。

その場合は必ずといっていいほど「焼納」と呼んでいる。

各家が持ち寄る注連縄は年神さんを迎えたものだ。

招きいれた年神は再び小正月のトンドで天に帰ってもらう。

これが村トンドの在り方であって、決して「焼納」ではない。

しかもだ。

主水山のトンドはかつて1月31日だった。

何故に、である。大和郡山市内では今でも1月31日、或は翌日の2月1日にトンドをしている地域がある。

地区によっては2月2日の場合もあれば、6日の場合もある。

前年の平成27年2月14日に「大和郡山伝統行事―城下町と周辺地域における地蔵盆とトンドの様相―」のタイトルで講演したことがある。

主水山の行事にトンドと地蔵盆がある。

トンドも地蔵盆も地区によっては実施する日程が大きく異なる。

主水山のトンドと同様にニノ正月に行われている地区町名を挙げよう。

ここ城町では2カ所。

大字主水山は富雄側を挟んで東側にあることから東城(ひがしんじょ)と呼ばれている。

一方、富雄川の西にある地域は西城(にしんじょ)。

ここでも同じ日にしているが、数年前から昼トンドに替えたそうだ。

ニノ正月は2月1日を二度目の正月としてとらえた考え方だ。

富雄川を下った外川町、満願寺町、小南町豊浦町、小林町(現在は第二日曜)もあれば、もっと西にある矢田町(垣内の辻垣内の西辻、清水垣内、寺坂深谷垣内)にもある。

また、市内東部の天井町、稗田町、番条町丹後庄町大江町、白土町、井戸野町、筒井町長安寺町柏木町、額田部町に新庄町もある。

これほど多いのは大和郡山市に限られるように思えてならない。

午後6時、始めに藁束に火を点けるのはこの年が還暦の60歳の男性。

翌年は72歳になる男性もいるそうだ。

火点け用に持ち込んだ藁束は7束もある。

4人の人たちも藁束を抱えて点火を待つ。

直前になってなぜか点火する男性が替わった。

前回の平成22年1月17日に点火した年男のノンちゃんだ。

背丈が伸びてがっちりした身体つきに成長したノンちゃん。

我が家の息子たちと同年代のノンちゃんは赤ん坊もいる新婚所帯になっていた。

めいめいが持つ藁束に火を移してトンド周りに火を点ける。



つまりは4人で火を点け廻るのである。

火が点けば燃え上がりも早い。

シャッタースピードは13秒に設定していた。

ISO感度は100。

燃え上がる炎具合を考えて-1の1/3露出補正もしていたが、メラメラと燃え上がるトンドに絞り込みは間に合わない。

30秒間も経たないうちに大きな炎で燃え上がった。

一旦、燃えだしたら青竹がポン、ポンの音を出して弾けた。

その音を聞いてやってきた娘さんもいる。

孫を抱いてやってきたS男性と話す名前に驚いた。

男性の娘さんや隣家のKさんやご近所のA君、B君の名前も挙がる。

6カ月身重の娘さんはたまたまこの日に実家に戻っていた。

子供のころに聞いていたトンドの竹が弾ける音に導かれてやってきたというのだ。

もしかとすれば、と思って聞いた名前ははっきりと覚えている。

母親にそっくり似ていた娘さんはAちゃんだった。

親父さんは入院療養の身。

娘がつかなくては・・と思って京都宇治からやってくる。

・・お婆さんは91歳。

母親は随分昔にどこかへ行った。

行ったきり戻ってこなかった。

弟は鹿児島に居る。

大学も勤務先も鹿児島。

2年に一度は里帰りすると話していた。

懐かしい話題に盛り上がる何十年かぶりの再会になった。

お神酒やお酒のつまみもいただくありがたい旧村行事。

住まい周辺にあるスーパーの買い物話しも盛り上がる。

盛り下がったのは病院と道路工事だ。

完成した暁はとても便利になる、と私は思っている。

ただ、あまりにも近い病院であるが、進入路へ入るにはぐるりを、ぐるりと大きく迂回しなければならないのである。

車で行くにはそうなるが、徒歩と自転車ならそうでもない専用道が敷設される。

気になっていたのは道路の拡張工事に移転を余儀なくされた主水山の地蔵尊だ。

旧村住民の話しによれば、現在は一時退避している。

いずれはブルーシートを被せているN家の地に移すそうだ。



そんな話しをして数十分。

火の勢いは徐々に廃れていく。

取り出した焼け炭を火にモチを焼く。

持ち込んだ七輪などに網を置いてモチを焼く。

焼けたモチに海苔を巻く。

醤油に浸して味をつける。

そのモチはトンドに集まった人たちに振る舞われる。

海苔を巻いたモチは乙な味である。

Sさんはアルミホイルで包んだヤキイモを作る。

ほくほくに焼けるまでしばらく待つ。

Sさんの出里は天理市の豊井町。

今でもトンドをしているというが、モチの焼き方が替わったらしい。

豊井町のトンドは1月15日の朝8時。

かつては先端を割った竹にモチを挟んで焼いていたというのだ。

その場は道路だった。

今でこそバスが通るアスファルト舗装の道だが、昔は地道だった。

話しを聞けばどうやら私がかつて神社行事を取材した近くである。

付近には昔から知っている旧村住民の何人かが暮らしているらしい。

うち一人は平成25年1月8日に聞取りさせてもらったYさんであろう。

話題がいっぱいになった主水山のトンド。

心配された雨はまったく降らなかったが、火が消えた午後10時には降りだした。

(H28. 1.17 SB932SH撮影)
(H28. 1.17 EOS40D撮影)