この日は桃の節句。
もしかとして電話が架かってくると思われた。
桃の節句といっても雛祭りではない。
オコナイと呼ばれる修正会の行事である。
「お水取り」の名で親しまれている一大行事が今月1日より始まっている。
東大寺二月堂で行われる修二会である。
本行は1日より14日まで。
お堂に上がる練行衆の足元を照らすお松明を見たさに出かける人は多い。
奈良観光の目玉でもあるが、本質的には念頭に国家安穏を祈る十一面悔過法要である。
正月初めに行われる修正会、或は二月に行われる修二会は東大寺だけでなく大寺の薬師寺や法隆寺、長谷寺などでも行われている、いわゆる本尊に対する悔過法要である。
有名な大寺だけでなく村々においても村の寺行事として行われる処は数々ある。
村の安穏、或は豊作を願う行事として広まったのだ。
村、或は寺行事のしきたりはまちまちである。
長年に亘って変化した地域も多々あるが、村では修正会の名でなく「オコナイ」と呼ぶところが多い。
会式は圧倒的に1月実施が多いが、稀に3月実施の地域がある。
大和郡山市の小林町では毎年の3月3日だ。
これまで数度の取材をさせていただいた新福寺・観音堂の行事。
前年の平成27年3月3日のオコナイ行事を最後に320年も建っていた新福寺・観音堂を4月中旬に解体し、新築することになったのだ。
今年の3月3日は宮大工がコツコツと作業をされていた。
本堂の完成は今年の秋になると聞いている。
落慶法要をするまではオコナイ行事の場がない。
仕方ないといえば、そうなるが、一時的な対応措置として前年の4月29日に落慶法要を済ませた「愛染」の名をつけた信徒会館で行うことになったと電話口で伝えられた。
電話の主は小林町住民のSさん。
なにかと連絡をしてくれる。
場は自宅からの距離が10kmも離れている。
現在は心臓リハビリ中の身。
脈拍が低空飛行をしている状態だけに車の運転は止められている。
それなら迎えに行ってあげると云われる。
ありがたいこともあるが、どうしても今回のオコナイ行事を見届けてほしいということだ。
寺行事の世話人は杵築神社の左座、右座の方々。
特に両座の長老である一老、二老、三老が務める。
お接待関係はこれもまた同神社の年番になる両座のトーヤ家。
Sさんの家は右座のトーヤ(当屋)になる。
家の近くまで迎えに来てくれた車には左座トーヤ(当屋)でもある三老婦人のHさんが同乗していた。
道案内役でもあるが、仲良し友達でもある。
ついこの前の婦人は10日ほど入院されていた。
7年前に身体に埋め込んだ心臓ペースペーカーの交換である。
今回の処置はペースメーカーの交換である。
7年前の処置は3週間も入院していたと話す。
親父さんも心臓の病気であった。
もっとも心臓弁の手術であったそうで「ブタベン」があるんやと話す。
「ブタベン」は、生体の人工心臓弁。
これらの病歴をもつお二人はいたって元気に接してくれる。
低空飛行に苦しむ程度で悩んでいても仕方がない。
もっとガンバレやと心(心臓)に言い聞かせた日であった。
寺施設の「愛染」には解体した観音堂本堂の鬼瓦を残している。
そのうちの一枚、16枚の菊花弁の紋をあしらった瓦には「法隆寺瓦大工 与次兵衛尉橋吉長 辛未元禄二二年(辛未暦から判断して二二年は四年と推定した西暦1691年であろう)三月吉日」と彫られた文字があった。
同本堂には再建当時の棟札が残されている。
それには「元禄九年(1696) 法隆寺傳兵衛同九兵衛同龍田忠兵衛 二月廿五日・・・」の墨書がある。
であれば、先に発注があったと思える瓦製作の年号表記に謎が残る。
鬼そのものの鬼瓦の側面にも彫りがあった。
右側の文字は「谷田石見尉橋忠□」で、左側面は「□□八月吉日」である。
もう一つの鬼面にも彫りがあった。
右側面は「□□八月日」で左側面が「南東□□」だ。
年代は不明だが、もしかとすれば再建時代が何度かあったのでは、と思った。
鬼瓦は他にも五枚あるが、今回の調査は見送った。
さて、オコナイをするには主役が来ないと始まらない。
主役は旧村小林町在住の子供たちだ。
平日ならば小学校が終わる時間に始めたいと話していた住職や座中。
期待は外れて2歳の女児と3歳の男児の二人。
母親やひいばあちゃんが連れてきた。
大昔は何十人もの子供たちで本堂が溢れるぐらいだったという長老たち。
他所では外孫を、という地域もあるが、ここでは地元住民を重視する。
この子らが小学校を卒業するまでは十何年。
当分は安泰である。
前年までは内陣の床をフジの木で叩くランジョーであったが、寺域にあったフジの木はなくなった。
オコナイ特有にある祈祷札を挟むヤナギの枝木も入手することが困難になった。
仕方なく、この年は代用品となった。
住職が相談された奈良市旧都祁村の針の観音寺住職の答えは「竹」であった。
旧都祁村や山添村では叩く木を竹でしていると聞いて座中に相談された。
結果は太目の孟宗竹を二つ割りにして座敷に置く。
赤い絨毯、それとも毛氈、ではなく、厚めのビニール製を敷かれた。
叩く竹も青竹。両座トーヤの知り合いに矢田在住のTさんにお願いして入手したという。
翌年の3月3日は本堂も完成して内陣で叩かれることになるが、材はおそらく青竹になりそうだが、次のトーヤになれば難しいかも知れない。
一年限りのランジョーの叩き道具もそうだが、今回は祈祷札を挟む材は青竹。
行事が始まる前、予めお性根を入れておいたお札。
青竹鋏もまた一年限りになるかもしれない。
オコナイの一時的な場に安置されている本尊は蓮華坐に座る一面六臂愛染明王だ。
獅子頭の宝珠冠を被る愛染明王は六手に五鈷鈴、五鈷杵、弓、矢、蓮華などの持物をもつ。
伝わる話しによれば大和小泉藩二代目・片桐石州(貞昌)が寄進したようだが真偽は判らない。
背面に三段構えで設置したバックライトが美しく照らす。
本尊下に配したお札は住職が墨書する。
右に牛頭天王、左に新福寺。中央は寶印の文字に朱印の宝印を押している。
朱印は不動明王の姿。
魔除けのお札だという。
「牛頭天王」の文字は境内併設する杵築神社の祭神が牛頭天王。
神仏習合のお札がここにある。
初祈祷の勤行はご真言から始まる。
昨年までの本堂は扉を締めて真っ暗ななかで行われていた。
灯し火はローソクの灯りだけだった。
堂板の隙間からは外の明かりが差し込む。
それがなんともいえない情景であったが、今回は臨時の場の愛染会館。
明るい窓や電灯の灯りもあって荘厳さんは別世界の様相だ。
新福寺は真言宗豊山派、創建はそうとう古いとされるが、物的証拠は前述した棟木と鬼瓦だけ。
それ以前を物語る史料は残されていない。
ご真言を唱えているときだ。
住職が「ランジョー」を発せれば青竹を持つ座中は横に置いた半切り孟宗竹を叩く。
カタカタカタカタカタ・・・。
甲高い音が鳴り響く。
半切りした孟宗竹の内部は空洞だけに乾いた音で鳴り響く。
これまではフジの木で内陣の床板を叩いていた。
まさに木片の音だった。
激しく叩きつける音は魔除け。
村から悪霊を追い払う意味もあるが、世界平和・村民安全、五穀豊穣をも願う所作である。
そのことを願った表白を唱える住職は何度も何度も「ランジョー」を発せられる。
カタカタカタカタカタ・・・の竹叩き。
おリンを鳴らせば打ち止める。
表白の次は神名帳を詠みあげる。
「・・・春日大明神、大和、広瀬、龍田、大神、・・・ダイミョウジュン、ダイミョウジュン・・・・ランジョー」。
カーンと鉦を打てば、けたたましくカタカタカタカタカタ・・・。
悪霊はこれでもか、これでもかと追い払われた。
私がこれまで拝見してきた奈良県内の一般的なオコナイの「ランジョー」は2回、或は3回程度である。
小林町では、十数回、いやそれよりもっと多く数えきれないほどの「ランジョー」である。
住職曰く、これは子供たちに対する愛情でもあるし、村民が平和に暮らし、村の繁栄、五穀豊穣を願うためにあるという。
本来ならば本尊の聖観音<平成24年3月3日撮影>に祈るオコナイ行事であるが、この年は特別版の愛染明王に願った。
祈りが終われば、般若心経を唱える。
身体堅固、諸願成就、三界万霊、功徳など念仏を唱えて最後に身体堅固。
古くから伝わる本尊の観音さまの牛玉寶印を参列者の頭に押す真似事をする。
「オンソワカ」、手を合わせてありがたく受ける。
(H28. 3. 3 EOS40D撮影)
もしかとして電話が架かってくると思われた。
桃の節句といっても雛祭りではない。
オコナイと呼ばれる修正会の行事である。
「お水取り」の名で親しまれている一大行事が今月1日より始まっている。
東大寺二月堂で行われる修二会である。
本行は1日より14日まで。
お堂に上がる練行衆の足元を照らすお松明を見たさに出かける人は多い。
奈良観光の目玉でもあるが、本質的には念頭に国家安穏を祈る十一面悔過法要である。
正月初めに行われる修正会、或は二月に行われる修二会は東大寺だけでなく大寺の薬師寺や法隆寺、長谷寺などでも行われている、いわゆる本尊に対する悔過法要である。
有名な大寺だけでなく村々においても村の寺行事として行われる処は数々ある。
村の安穏、或は豊作を願う行事として広まったのだ。
村、或は寺行事のしきたりはまちまちである。
長年に亘って変化した地域も多々あるが、村では修正会の名でなく「オコナイ」と呼ぶところが多い。
会式は圧倒的に1月実施が多いが、稀に3月実施の地域がある。
大和郡山市の小林町では毎年の3月3日だ。
これまで数度の取材をさせていただいた新福寺・観音堂の行事。
前年の平成27年3月3日のオコナイ行事を最後に320年も建っていた新福寺・観音堂を4月中旬に解体し、新築することになったのだ。
今年の3月3日は宮大工がコツコツと作業をされていた。
本堂の完成は今年の秋になると聞いている。
落慶法要をするまではオコナイ行事の場がない。
仕方ないといえば、そうなるが、一時的な対応措置として前年の4月29日に落慶法要を済ませた「愛染」の名をつけた信徒会館で行うことになったと電話口で伝えられた。
電話の主は小林町住民のSさん。
なにかと連絡をしてくれる。
場は自宅からの距離が10kmも離れている。
現在は心臓リハビリ中の身。
脈拍が低空飛行をしている状態だけに車の運転は止められている。
それなら迎えに行ってあげると云われる。
ありがたいこともあるが、どうしても今回のオコナイ行事を見届けてほしいということだ。
寺行事の世話人は杵築神社の左座、右座の方々。
特に両座の長老である一老、二老、三老が務める。
お接待関係はこれもまた同神社の年番になる両座のトーヤ家。
Sさんの家は右座のトーヤ(当屋)になる。
家の近くまで迎えに来てくれた車には左座トーヤ(当屋)でもある三老婦人のHさんが同乗していた。
道案内役でもあるが、仲良し友達でもある。
ついこの前の婦人は10日ほど入院されていた。
7年前に身体に埋め込んだ心臓ペースペーカーの交換である。
今回の処置はペースメーカーの交換である。
7年前の処置は3週間も入院していたと話す。
親父さんも心臓の病気であった。
もっとも心臓弁の手術であったそうで「ブタベン」があるんやと話す。
「ブタベン」は、生体の人工心臓弁。
これらの病歴をもつお二人はいたって元気に接してくれる。
低空飛行に苦しむ程度で悩んでいても仕方がない。
もっとガンバレやと心(心臓)に言い聞かせた日であった。
寺施設の「愛染」には解体した観音堂本堂の鬼瓦を残している。
そのうちの一枚、16枚の菊花弁の紋をあしらった瓦には「法隆寺瓦大工 与次兵衛尉橋吉長 辛未元禄二二年(辛未暦から判断して二二年は四年と推定した西暦1691年であろう)三月吉日」と彫られた文字があった。
同本堂には再建当時の棟札が残されている。
それには「元禄九年(1696) 法隆寺傳兵衛同九兵衛同龍田忠兵衛 二月廿五日・・・」の墨書がある。
であれば、先に発注があったと思える瓦製作の年号表記に謎が残る。
鬼そのものの鬼瓦の側面にも彫りがあった。
右側の文字は「谷田石見尉橋忠□」で、左側面は「□□八月吉日」である。
もう一つの鬼面にも彫りがあった。
右側面は「□□八月日」で左側面が「南東□□」だ。
年代は不明だが、もしかとすれば再建時代が何度かあったのでは、と思った。
鬼瓦は他にも五枚あるが、今回の調査は見送った。
さて、オコナイをするには主役が来ないと始まらない。
主役は旧村小林町在住の子供たちだ。
平日ならば小学校が終わる時間に始めたいと話していた住職や座中。
期待は外れて2歳の女児と3歳の男児の二人。
母親やひいばあちゃんが連れてきた。
大昔は何十人もの子供たちで本堂が溢れるぐらいだったという長老たち。
他所では外孫を、という地域もあるが、ここでは地元住民を重視する。
この子らが小学校を卒業するまでは十何年。
当分は安泰である。
前年までは内陣の床をフジの木で叩くランジョーであったが、寺域にあったフジの木はなくなった。
オコナイ特有にある祈祷札を挟むヤナギの枝木も入手することが困難になった。
仕方なく、この年は代用品となった。
住職が相談された奈良市旧都祁村の針の観音寺住職の答えは「竹」であった。
旧都祁村や山添村では叩く木を竹でしていると聞いて座中に相談された。
結果は太目の孟宗竹を二つ割りにして座敷に置く。
赤い絨毯、それとも毛氈、ではなく、厚めのビニール製を敷かれた。
叩く竹も青竹。両座トーヤの知り合いに矢田在住のTさんにお願いして入手したという。
翌年の3月3日は本堂も完成して内陣で叩かれることになるが、材はおそらく青竹になりそうだが、次のトーヤになれば難しいかも知れない。
一年限りのランジョーの叩き道具もそうだが、今回は祈祷札を挟む材は青竹。
行事が始まる前、予めお性根を入れておいたお札。
青竹鋏もまた一年限りになるかもしれない。
オコナイの一時的な場に安置されている本尊は蓮華坐に座る一面六臂愛染明王だ。
獅子頭の宝珠冠を被る愛染明王は六手に五鈷鈴、五鈷杵、弓、矢、蓮華などの持物をもつ。
伝わる話しによれば大和小泉藩二代目・片桐石州(貞昌)が寄進したようだが真偽は判らない。
背面に三段構えで設置したバックライトが美しく照らす。
本尊下に配したお札は住職が墨書する。
右に牛頭天王、左に新福寺。中央は寶印の文字に朱印の宝印を押している。
朱印は不動明王の姿。
魔除けのお札だという。
「牛頭天王」の文字は境内併設する杵築神社の祭神が牛頭天王。
神仏習合のお札がここにある。
初祈祷の勤行はご真言から始まる。
昨年までの本堂は扉を締めて真っ暗ななかで行われていた。
灯し火はローソクの灯りだけだった。
堂板の隙間からは外の明かりが差し込む。
それがなんともいえない情景であったが、今回は臨時の場の愛染会館。
明るい窓や電灯の灯りもあって荘厳さんは別世界の様相だ。
新福寺は真言宗豊山派、創建はそうとう古いとされるが、物的証拠は前述した棟木と鬼瓦だけ。
それ以前を物語る史料は残されていない。
ご真言を唱えているときだ。
住職が「ランジョー」を発せれば青竹を持つ座中は横に置いた半切り孟宗竹を叩く。
カタカタカタカタカタ・・・。
甲高い音が鳴り響く。
半切りした孟宗竹の内部は空洞だけに乾いた音で鳴り響く。
これまではフジの木で内陣の床板を叩いていた。
まさに木片の音だった。
激しく叩きつける音は魔除け。
村から悪霊を追い払う意味もあるが、世界平和・村民安全、五穀豊穣をも願う所作である。
そのことを願った表白を唱える住職は何度も何度も「ランジョー」を発せられる。
カタカタカタカタカタ・・・の竹叩き。
おリンを鳴らせば打ち止める。
表白の次は神名帳を詠みあげる。
「・・・春日大明神、大和、広瀬、龍田、大神、・・・ダイミョウジュン、ダイミョウジュン・・・・ランジョー」。
カーンと鉦を打てば、けたたましくカタカタカタカタカタ・・・。
悪霊はこれでもか、これでもかと追い払われた。
私がこれまで拝見してきた奈良県内の一般的なオコナイの「ランジョー」は2回、或は3回程度である。
小林町では、十数回、いやそれよりもっと多く数えきれないほどの「ランジョー」である。
住職曰く、これは子供たちに対する愛情でもあるし、村民が平和に暮らし、村の繁栄、五穀豊穣を願うためにあるという。
本来ならば本尊の聖観音<平成24年3月3日撮影>に祈るオコナイ行事であるが、この年は特別版の愛染明王に願った。
祈りが終われば、般若心経を唱える。
身体堅固、諸願成就、三界万霊、功徳など念仏を唱えて最後に身体堅固。
古くから伝わる本尊の観音さまの牛玉寶印を参列者の頭に押す真似事をする。
「オンソワカ」、手を合わせてありがたく受ける。
(H28. 3. 3 EOS40D撮影)