マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

神戸魚崎の櫻正宗記念館「櫻宴」会席

2017年05月21日 08時38分41秒 | 食事が主な周辺をお散歩
実弟の三男夫婦が転居した街は神戸市灘区。

三重の鈴鹿から離れて都会に移った。

海のすぐ近くに酒造会社がいっぱいある。

酒蔵の街、神戸の灘。

六甲の山々から湧き出る伏流水。

もちろん急流になる津賀川、石屋川、住吉川、芦屋川、打出川、宿川、津戸かわなど。

古来、茅渟の海と称された大阪湾に流れる川も酒造りの源泉。

西から「西郷(灘区)」、「御影郷(東灘区)」、「魚崎郷(東灘区)」、「西宮郷(西宮市)」、「今津郷(西宮市)」。

この五つの郷が灘五郷と呼ばれている。

テレビコマーシャルなどで知った酒造会社だけでも神戸市東灘に菊正宗、白鶴、櫻正宗、剣菱、宝。

神戸市灘区が沢の鶴、金盃、富久娘、月桂冠、忠勇など。

西宮市では日本盛、大関、辰馬本家、大澤本家、松竹梅、多聞、小西がある。

新築・転居した付近でどこかいい処・・があれば、そこで食事でもと云って辿り着いた食事処は櫻正宗記念館内にある「櫻宴」。

住之江に住むおふくろを乗せてやってきた。

アドレスをカーナビゲーションにセットすれば阪神高速道路の湾岸線を示す。

久しぶりというか、云十年ぶりに利用する高速道路は意外でもなく渋滞のない道路。

スイスイ走る。

ここで右に下りなさいとカーナビゲーションが伝えた降り口は「魚崎浜」出入口。

出たところに一般道に交差する信号があるのか、なかなか動かない。

それがなければあっさりと着いてしまう魚崎に櫻正宗記念館がある。

えっ、ここを曲がるの、と思えるような信号無しの道。

住宅街に入り込んだ。

そこから見えるスーパーマーケットにコーナン。

住まいする近距離に自転車も要らないぐらいである。

さて、「櫻宴」である。



当時の酒蔵をリニューアル・・・でなくて、創業300年の歴史を語る道具などの史料展示ならびに店舗化した施設。





名産などお土産も販売している櫻正宗記念館は大震災の試練を乗り越えて2010年の秋に再オープンしたそうだ。



1階から吹き抜けの2階にある「櫻宴」会席メニューは、予め、男女別に分けて注文していたという。

9月のお勧めランチは税別2100円の「秋桜ランチ」。



にゅうめんに箱小鉢四種。

しめじと菊菜の白和え、枝豆とヒジキの煮もの、サンマの天日干しにローストビーフ。

陶板焼きはカレイのみぞれ煮。

揚げ物天ぷらはサヨリ、カボチャ、シシトウ。香物に味噌汁をつけたご飯。

イロゴハンでもなく白いご飯である。

デザートもついたランチは女性たちの食べ物。

おふくろにかーさんに三男嫁が食べる。

私と三男は別もの。

税抜き1905円の「半切弁当」。



小皿にそれぞれ盛った食べ物は、しめじと菊菜の和え物にサヨリの南蛮漬け、オクラの梅和え、マグロの山掛け、サンマの天日干し、茶碗蒸し。

半切弁当にはまだまだある。

海老、カボチャ、シシトウの天ぷら。

サトイモ、シイタケ、インゲンマメ、ニンジンの炊き合わせ。

さらに、だ。



陶板焼きと同様にコンロの火で作る料理はアナゴの蒸籠ご飯。

これには後ほどにいただく出汁がつく。

ワサビや刺身のツマでも使う材料も添えている。

蒸したご飯は椀によそってまずは1杯。

2杯目でも3杯目でも構わないが出汁を入れてこれらお好みを混ぜて食べる。

二つの味わいができる料理は、ここだけじゃなくても、度々紹介される食べ方であるが、アナゴが食べられないおふくろ。

それが決め手の男女分けコースにしたという。

味噌汁も同じようにつくがデザートが違う。



半切弁当は黄桃入り黒糖くず餅であった。

プルン、プルンするのでスプーンになかなか収まってくれない。

味は良いのだが、疲れてしまうのが難点だ。

ちなみにどちらも天ぷらがあったが、食べ方は異なる。

「秋桜ランチ」は出汁で塩・胡椒で食べるのが「半切弁当」だった。

おふくろが云った。



これは気持ち悪いし、食べられへんから食べてと云われていただくカレイのみぞれ煮の陶板焼き。

これが美味いんだな。

(H28. 9.28 SB932SH撮影)

つるまる饂飩針テラス店のぶっかけうどんと野菜かき揚げ

2017年05月21日 08時34分37秒 | 食事が主な周辺をお散歩
一か月ぶりの入店。

山添村とか旧都祁村辺りの取材であればお昼はここにする。

他店舗には目がいくこともなく足はつるまる饂飩針テラス店に向かってしまう。

本日の昼食はいつものぶっかけうどん。

夏季であろうが、冬季であろうが冷たいのんを頼む。

冷たいのんは汁けが少ない。

らーめんは特にそうだが汁が心臓病に影響を与える。

与えるものは塩分だ。

インスタントであっても袋麺であっても間違いなくらーめんの汁は塩分が多い。

一般の人でさえも一日の塩分摂取量は8gだ。

心臓を患った私の摂取量は6g。

スーパーなどで売っているらーめんの栄養成分表を見ていただければわかる。

麺は1gも満たないがスープとも呼ぶ汁けはまず間違いない6g前後。

これ一杯で我が身体を苦しめる。

その点、汁がないらーめんは3g程度。

なんとか食せる範囲内。

うどん麺も同じようなものだ。

大敵になる塩分が少ない商品はどれか。

探せばぶっかけうどんしかないのだ。

麺の味、コシが味わえるぶっかけうどんは安心して食を満たしてくれる。

最近は、といってもだいぶ前だと思う器である。

これまでは深い丼鉢だったが、いつからそうなったのか知らないが、今は浅い鉢である。

汁けがなければそれで良い。

この日もいっぱいいっぱい盛ってくれたトッピング。

レーンを移動すれば目にはいった手造り天ぷら。

滅多に見ることのない天ぷらがあった。

初めてみたときは度肝を抜いたでっかい天ぷら。

今では麺類食堂だけでなくスーパーなどでも売っている筒揚げのかき揚げ天ぷらである。

つるまる饂飩の商品メニューにあるが、お目にかかったことはない。

買うのは、今でしょ。

ということで器に盛った。

つるまる饂飩針テラス店のメニューは内税。

ぶっかけうどんが320円で筒揚げ野菜のかき揚げ天ぷらは160円。

合計で480円。

盛り盛りに胃袋は満腹。

とにかく美味しいのであるが、さすがにかき揚げ天は多かった。

(H28. 9.17 SB932SH撮影)

榛原篠楽・秋の彼岸の薬師さん

2017年05月20日 09時35分49秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
彼岸の中日に近い日曜日は白山神社境内の薬師堂内で数珠繰りをしていると聞いて宇陀市榛原の篠楽(ささがく)を訪れた。

お堂には大勢の人たちで埋まっていた。

連れてきた子どもたちも座っている。

本尊は薬師如来坐像である。

大字篠楽は明治14年に西にある大字篠野と東の大字極楽寺が合わさってできた大字である。

今ではその名を呼ばずに篠野は上垣内。

極楽寺は下垣内で区分けしている。

その際、大字極楽寺の氏神であった八幡神社を篠野の白山神社の摂社として遷したが、薬師堂は元々から大字篠野に存在していたものだという。

本尊は襖の奥に座している。

その襖に掲げた掛図は二副。

右に十三仏の来迎図。

左は涅槃図を掲げていた。

また、床の間前には大日如来坐像の掛図も掲げる。

かつては3升のオニギリを供えていたが、今は子どもの好きなお菓子になった。

ローソクに火を灯すのは当番さん。

本尊の前に座った村導師が打ち鉦をひと叩き。

それが合図で始まる般若心経の唱和。

前月の8月24日に行われた地蔵さんの祭りと同様に一巻の般若心経を唱えた。

終りも合図は鉦叩き。

次に行われるのが百万遍数珠繰りである。

念珠を広げて鉦を打つ。

カーン、カン、カンの甲高い音色が堂内に響き渡る。



導師が打つ鉦の調子に合わせながら、なむあい(み)だ、なむあい(み)だを繰り返す。

なむあい(み)だ念仏は甲高い鉦の音で打ち消される。



その鉦は3本足の伏し鉦。

「室町住出羽大掾宗味」の刻印がある同記銘の鉦はこれまで多くの地域で拝見してきた。



大和郡山市の杉町・南郡山町・伊豆七条町・額田部南、奈良市の今市・南田原町、桜井市の小夫、大淀町の畑屋、宇陀市榛原の戒場である。

ほとんどが名前だけの刻印であるが、大和郡山市の伊豆七条町が所有する鉦は「安永八巳亥年二月 伊豆七条村 勝福寺什物 京室町住出羽宗味作」とあった。

安永八巳亥年は西暦で換算すれば1779年。

今からほぼ240年前になる。

伊豆七条町の手がかりしかないが、貴重な年代記銘である。

ゆったりとした数珠繰りに大きな白い房が前に来れば頭を下げる。

連れてきた子供たちも真似をするかのように頭を下げる。

数珠繰りは反時計回りである。

数珠繰り回数は10回。



その数を数えるのは算盤玉のような数珠珠である。

当番さんはひと廻りする度に珠を移していく10珠分である。

始めは気がつかなかったが、回数が増えるにつれレンズでとらえる眼が慣れてきた。

ふと、導師に動きが見えた。



撞木を盛った右手は鉦を打っていた。

ときおり見え隠れする左手の動きである。

実は導師も数珠を繰っていた。

器用に数珠を繰る導師に感服した。

数珠繰りを終えたら束ねた数珠で背中を撫でる身体堅固。

ありがたい身体堅固は一人ずつ。

背中を丸めて手を合わせる。

「かないあんぜん しんたいけんごー」と言いながら背中を撫でるようにさすってあげる。

ご加持である。

なんとも言えない気持ちになるのである。



何故か男の子は耳を塞いだ。

何を思ってかは敢えて聞かなかったが、その恰好を見ていた女の子は微笑んでいた。

10年前までは家で作った煮しめを供えていた。

旬の惣菜やおかずも供えた。

御供下げの煮しめや総菜などはお皿に入れて持ち帰る。

供えたオニギリも載せて持って帰った。

オニギリはトーヤとも呼ばれる2軒の年当番が負担、調製していた。

オニギリのお米は2軒で2升。

塩加減して俵型に握ったオニギリに振りかけるのはキナコと黒ゴマである。

握ったオニギリはコウジブタに盛って運んだ。

その時代はもっと多くの子どもたちがいたそうだ。

ちなみに元極楽寺と呼ばれた下垣内でも彼岸に法要をしているという。

もしかとすれば数珠繰りもあるかもしれない。

なお、十三仏来迎図は新仏がある家が持ち帰って仏壇に掲げていると話していた。

それからしばらくは堂内で下げたお菓子とお茶で直会。



背中をさすってもらった子供たちはお堂を抜け出して外で遊んでいた。

(H28. 9.25 EOS40D撮影)

我が家のタイワンホトトギス

2017年05月19日 09時32分54秒 | 我が家の花
この日に撮った花は他にもある。

貰い物のタイワンホトトギスだ。

ぐんぐん成長して背高のっぽ。

ようやく花芽が現われた。

天頂にある三つ、四つが蕾。

そこからどう動いていくか。



タイワンホトトギスの旺盛力。

この蕾よりも先に出始めていた蕾がいつの間にか消えていた。

花芽はけっこうな数があった。

勢いがあるタイワンホトトギスなのに蕾どころか葉っぱもない。

見事に食べられたそこには昆虫の糞がたくさんあった。

葉っぱの下に隠れていたケムシが食べた。

申しわけないが、器具で摘まんで向かいの丘に行って住処を替えてもらった。

下を覗けばもう一匹いる。

これも摘まんで移動したケムシは何だろうか。



ツマグロヒョウモンのような感じがするんだが・・・どうも違うような・・。

もしかとすればルリタテハの幼虫ではないだろうか。

壱軸、弐軸はケムシに食べられてしまったが、放っておけばやがて葉芽が出だした。

しかも花芽もついた。

ケムシに勝ったようだ。



一方、その横にあった花軸は斜め前上方に伸びていく。

タイワンホトトギスは真っすぐ伸びるものもあれば斜め方向に伸びていくものもある。

蕾は互生する葉にある。

ニホンホトトギスも同じような処に花芽がつくが天頂につく花芽の数はタイワンホトトギスの方が多い。

だいたいが伸びた軸に割いた弐つの花芽のような気がする。

しゅっと伸びたタイワンホトトギス。

とにかく花芽が多い。



すべてが咲いたらどれに焦点を絞ってよいやら悩んでしまうだろう。

このころともなれば葉軸についた花芽もぐんぐん伸びる。

これもまた二輪のようだ。

天頂にあった花芽がぷっくらし出した。

膨らみは孕み。



出産間近のような花芽はあした、明後日・・・。

全開するのはいつだ。

期待していた天頂の孕みはまだ開かない。

が、それより下にあったタイワンホトトギス。

やや斜め方向に伸びていたタイワンホトトギスがぱっくりと開いた。



風に揺らいでいたからピント外れ。

小さな蕾を見つけてから16日目に花が開いた。

一つ咲いたら二つ目も咲く。

同時に咲いたのか不明であるが、ダブルになればややの華やかさ。

そんな状態はもう一本、二本。



バックがもひとつなので美しさがわかりにくい。

もう一本のタイワンホトトギスは垂直に伸びていた。

勢いがあるように見える伸び方に踵もあがる。



この軸だけでも花芽の数がすごい。

画面に映った数だけでも31個もある。

タイワンホトトギスってすごい。

朝の光を浴びて・・と云いたいが、撮った時間帯は12時前。

自宅でさまざまな行事の資料整備をしていた。

ふっと気づけばえー天気。

気分転換に玄関ドアを開けたその場に咲いている花に気づく。



前日に開き始めたタイワンホトトギスの花は二輪・・三輪。

ぷっくらした蕾もある。

あふれんばかりの光を浴びて撮ってほしいという表情に思わずカメラを取り出した。

バックに写る縦の黒い棒は隣家との境界線。

そんなところにあるタイワンホトトギスは知人のらもさんから貰ったいただきもの。

前年の11月2日にいただいたタイワンホトトギスはギンミズヒキも混じった大鉢でもらった。

手入れもなにもせずに玄関わきに置いていたタイワンホトトギスは見事に咲きだした。



撮る位置を替えて撮ってみた。

バックを替えてみるだけで華やかさがまったく違う。

写真とはそういうものだ。

次から次へと膨らんでいた蕾がぱっと開く。

何カ所かにある花軸はすでに落下した形跡を残す。

開いた花ばかりに着目していると忘れがち。

たくさんある花は日々状態が変化しつつあるのだ。



ところでこのタイワンホトトギス。

もしかとすれば交配園芸種の「東雲」ではないだろうか。

この日は撮る気もなかった。

ところがふと試したくなったレンズ替えの効果撮り。

購入半年保障期間内に発生したCanonEFS17-85ISUUSMレンズが故障した。

修理に2、3週間はかかると聞いている。

その間も行事の取材がある。

仕方なくの代替レンズは10年前にお蔵入りしたCanonEF28-80mmVUSMレンズ。

フイルムカメラ用のレンズである。

田原本町の矢部、奈良市月ヶ瀬の嵩、山添村の毛原、奈良市月ヶ瀬の桃香野、大和郡山市の小林町などの行事取材に使ってみたものの撮れる範囲は限られた。

しかも、だ。

10月29日の取材は新福寺観音堂の落慶法要取材。

撮っているときに発生したレンズ異常。

ピント合わせにピッ音が鳴らない。

鳴らないということはシャッターが下りないということだ。

どの位置か判らないが焦点距離を替えたらピッと鳴って印が点灯する。

そこでシャッターを切ってみるが思うような画面ではない。

あれやこれやセッテイングを替えてはみるものの範囲が狭められてきた。

そのうちガンとして受け付けなくなった。

ここで諦めてカメラを仕舞った。

自宅に戻って他にもあるレンズで確かめた。

そのレンズはCanonEFS55-250IS。

これはデジタルカメラ用のおレンズ。

平成22年9月を最後にお蔵入りしていたレンズだ。

久しぶりの登場にタイワンホトトギスを撮る。



バックにある我が家の掃き道具が消し飛んで真っ暗。

なるほど。

この日の試し撮りにもう一本のレンズがある。

フイルムカメラ撮りで活躍しているTAMRON28-300XRD。

これを装填して撮ってみたタイワンホトトギスの花。



バックは夕陽でもない。

もちろん朝焼けでもない。

隣家の白壁である。

幻想的な状況になったのが面白い。

修理にだしたレンズは戻ってこない。

この日もTAMRON28-300XRDの出番になる。

冬場が近づけば西日が極端に低くなる。

このときの時間帯は午後2時半。



早くも強い日差しが射し込んできた。



いよいよ我が家のタイワンホトトギスも終盤。

未だ咲いているものもあれば萎れているものもある。

ガク片が落下したあとにあるのは軸かタネの莢。

線が細いから中腰姿勢のピント合わせが難しい。

タネの形は緑から茶色に変色した。

ホトトギスであればもっと大きな房のような形のタネ袋になるが、タイワンホトトギスのタネはとにかく細い。

ホトトギスは殻が破れて周囲に広がる。



タイワンホトトギスはどのような形態で開くのか・・。

何個か見ていたら弾けるどころか莢ごとポトリと落ちる。

地面に落ちるものもあればほとんどが葉っぱの上に落ちて途中下車。

風か雨かによって落下しているように思える。

数日後も観察していたが、見るも無残な姿に映像はここまでとする。

(H28. 9.25 EOS40D撮影)
(H28. 9.29 EOS40D撮影)
(H28.10. 2 EOS40D撮影)
(H28.10. 6 EOS40D撮影)
(H28.10.10 EOS40D撮影)
(H28.10.11 EOS40D撮影)
(H28.10.12 EOS40D撮影)
(H28.10.13 EOS40D撮影)
(H28.10.19 EOS40D撮影)
(H28.10.29 EOS40D撮影)
(H28.11. 4 EOS40D撮影)
(H28.11.10 EOS40D撮影)

我が家のホトトギス

2017年05月19日 09時19分17秒 | 我が家の花
なにを一番に楽しみにしているかといえば、断トツに挙げたいのが日本固有のホトトギスの花である。

山間で出合ったホトトギスの花に感動したものだ。

ここ、数年間は雑草と見間違えて草刈りの餌食になった我が家のホトトギス。

今回の雑草刈りは私が作業をした。

葉っぱの形で判断できる私でないとホトトギスは残らない。

今回こそは餌食にならんようにと思って、そっとホトトギス周りにある雑草を刈りこんだ。

いつしか花芽が膨らんできた。

その状態は毎朝に開ける北側の窓である。

雨戸を開けて障子を動かす。

そしてガラス窓を開ける。

その下にあるのがホトトギスである。

いつ開いてくれるのか、楽しみにしていた。

蕾始めは小粒だったホトトギスも日にちが経過するにつれて大きくなってきた。

あれから11日目。



ぐんと伸びあがって蕾も成人に・・・。

蕾軸も長くなって開きはもうすぐだ。

手前に並んだ蕾は四つ。

これまで最も多くの蕾になって嬉しさがこみ上げてくる。

毎朝の雨戸開けが待ち遠しくて仕方がない。

この日の朝はあれからどれぐらいになったか。

雨戸を開けて下を見る。

まだか、まだかと思っているうちに咲いた。

小さな蕾を見つけてから13日目。

咲いたのは前日の8日。

その日も9日も朝早くから出かけなくてはならない行事の取材がある。

帰宅した時間帯は夜だった。

ライトを照らしてまで撮りたいとは思わない。

この日は体育の日であるが、お出かけはどこへも行かない。

たくさんの行事があるのだが、行く気はまったく起こらないこの日も身体を休めつつ取材の整理。

一日中とりかかっておれば気分も換えたい。

そう思ってカメラを持ち出した。

撮影地は我が家の北側にある細い庭。

庭らしき状態ではないが数種類の植物がある。

今年一番の楽しみにしていた日本固有のホトトギス。



互生の葉一枚ずつに蕾をもったホトトギスに花が開いた。

ギラギラ感がまったくないホトトギスの淡い風合いがお気に入り。

一輪が咲いてから二輪目も開いた。

一度に二輪とも咲いたのは初めてだ。



その次に咲いてほしい蕾は二輪。

楽しみはまだ続く。

この日も撮っておいた我が家のホトトギス。

地面に這いつくばるかのように咲いているホトトギス。

長雨に打たれてこういう状態になった。



もっとも我が家のホトトギスは線が細い。

打たれ弱い品種なのだろう。

倒れていたホトトギスは立て直すがシャンとしない。

可哀そうだと思うが、それが現実の自然体。

山間に自生するホトトギスは誰も助けてはくれない。

白く膨らんでいた三番目の蕾はこれ以上大きくなることも咲くこともなかった。

翌日の14日は木っ端みじんになっていた。

蕾は粉々の状態になっていた。

咲いていた花は萎れて見る影もない。

まるで何者かが踏んづけたような状態になっていた。

(H28. 9.25 EOS40D撮影)
(H28.10. 6 EOS40D撮影)
(H28.10.10 EOS40D撮影)
(H28.10.12 EOS40D撮影)
(H28.10.13 EOS40D撮影)

津風呂入野の九月子安地蔵会式

2017年05月18日 09時08分28秒 | 吉野町へ
吉野町入野(しおの)の子安地蔵尊に会式をしていると知ったのは前月の8月28日だった。

調べていたのは子安地蔵ではなく吉野町津風呂・鬼輪垣内で行われていた旧暦の八月十五日のイモ名月である。

鬼輪垣内は開発された津風呂湖中に全村もろとも沈んだ。

行事は見つからなかったが隣村の入野(しおの)で子安地蔵会式をされていることがわかった。

着いた時間帯は午後1時前。

何人もの人たちが地蔵堂に集まっていた。

前月にお話ししてくださったKさんもおられる。

参拝される村の人たちにお声をかけて取材の主旨を伝える。

代表を受けてくださったのは区長のUさん。

珍しい地蔵さんも行事も大いに宣伝してくださいと云われて取材に入る。

普段の地蔵堂は扉が閉まっている。

格子戸から見えなくもないが、本尊の扉は閉まっているので実態は見えない。

ご開帳されるのは一月二十四日と九月二十四日。

ただ、平成22年からはいずれも第三日曜に移された。

それがこの日である。



本尊の地蔵さんは「元正天皇期の霊亀元年(715)に入野の亀之尾という所に霊亀に乗って金色の光を放ちながら天から降りてこられた」という伝承がある。

安置されている「子安地蔵は江戸時代作の塑像であるが、蓮華座でなく、亀の背に乗っている」ということだ。

特徴的なのは一般的に胸にかける涎掛けであるが、入野の地蔵さんは亀の首にかけているそうだ。

さて、行事日のことである。

毎年の正月と九月の年二回。

いずれも24日が会式(看板では例祭とあるが仏行事なので会式であろう)である。

お堂に近寄ってみれば但し書きが貼ってあった。

平成22年からはいずれも第三日曜日に移されている。

浄土宗の僧侶が来られて法要をするらしいと聞いていたが、どうであったのだろうか。

もっと早くに済まされていたのでろうか聞かずじまいだった。

見上げるように子安地蔵さんを拝ませてもらった。



安産などを祈願した涎掛けがあるその首は龍でもない。

耳があることからもしかとすれば玄武だろうという村人たち。

確かに亀のような脚が見える。

のっそり、のっそり今でも歩きそうな脚に似つかわしくもない顔は一体何であろうか。

中国の説話に龍の一番末っ子が亀の形をしていると云う。

調べてみれば龍の頭に身体が亀の龍亀のようである。

それにしてもだ。

龍であれば長い髭があるのでは・・・と思ったのだが、類例が見当たらない。

地蔵尊を称える板書がある。

要約すれば「霊験あらたかな子安地蔵さんは子供を安らかに生ませて、健康を守り、病気や悪い癖まで治してくれる。首にかけてある涎掛けを一枚受けて、腹帯に差入する。安産が叶えば新しい涎掛けを持ってお礼参りをする習慣、信仰がある」である。

子供に恵まれたい人は願掛けにくる。

生まれたら新調した涎掛け寄進する。

古いのは1月14日の午後2時から行われるとんどで燃やす。

そう話してくれたのは村の人たちだ。

入野(しおの)の戸数は15、6軒。

かつては20軒もあったが、少なくなったという。

この日の当番は4軒当家(とうや)さん。

上、下の組のそれぞれ2軒が務める。



左手に珠を持つ地蔵尊の目の前に当家(とうや)さんが仏飯を供えていた。

云われてみなければ失念していたかも知れない。

仏飯杯を納めていた箱も見せてもらった。



年号を示すものがあればと思ったが時間がない。

適当な時間までここに居て参拝者を待つ。

そろそろ場を替えましょうといって会所に移動する。

会所は入野生活改善センター。

これより始まるのはゴクマキだ。

この日は朝から雨が降っていた。

本来ならば地蔵堂の場でゴクマキをされるのだが、雨天の場合は安全を考慮して入野生活改善センターで行われる。



参拝者の楽しみはゴクマキ。

当家が撒く御供餅に手を伸ばす。



子どもたちも大人も大はしゃぎで餅を手に入れる。

僅か数分で終えたゴクマキ。



降り出した小雨に傘をさして家に戻っていった。

ちなみに入野に鎮座する神社がある。

この場より少し外れた処にあると聞いて立ち寄った上宮(じょうぐう)神社。



11月23日の午後3時からこの日もゴクマキをすると話していた上宮神社は神社庁表記では「うえのみや」になるそうだ。

(H28. 9.18 EOS40D撮影)

野鍛冶師の商売道具

2017年05月17日 08時42分21秒 | 民俗あれこれ(職人編)
山添村の吉田から再び旧都祁村の小倉に着く。

そこからどこへ行く。

そうするかもなにも決めていない。

これといった行事はあるにはあるが、飛びつくほどの興味をみせなかった。

刻々と過ぎていく時間は旅行く村々の景観を眺めながら帰路につく。

小倉から室生の下笠間に出る。

そこからは川沿いに遡っていく。

小原から染田、多田、無山を経て旧都祁村の吐山、白石に出るコースを選んだ。

心地いい風が金色に染めた稲穂を揺らす。

通りがかった稲田は稲刈りを始めていた。

早稲であれば早い所で8月末の地域もあるが、だいたいが9月初旬から中旬までだ。

バインダーが忙しく動き回っていた。

この時期はまだまだ暑さが残る。

ほっかむりを被って稲刈りをしている男性はひょっとして・・・と思って車を停めてみる。

しばらく見ていた稲刈り作業。

この田んぼの持ち主は知っている。

平成22年5月8日に取材した田の作業がある。

育苗した苗を植えていく作業である。

親父さんは水田を均して息子さんは田植え機を操作して植えていく。

その場より家近くの田んぼでは昔にしていた手植えの田植えを・・。

その田植え初めに12本のカヤを水田に挿してフキダワラを供える。

そこには正月初めに祈祷したオコナイのネコヤナギを立てる。

これを「ウエゾメ」と呼ぶ。

「ウエゾメ」を充てる漢字は「植え初め」である。

親父さんは野鍛冶師。

11月8日に鍛冶屋さんの祭りであるフイゴの祭りを取材させてもらったことがある。

平成18年に続いて平成23年も伺ったことがある。

その野鍛冶屋さんとは旧都祁村の藺生町と小山戸町の造営事業でお会いしたことがある。

藺生町葛神社の造営は平成27年の10月11日

その一週間後の10月18日は小山戸都祁山口神社も出合った。

婚姻関係にある両村で出合うとは思ってもみなかった。

ところは代わってまたもやお会いしたことがある。

その年の12月13日だった。

まさかと思ったがそこは私が入院していた病院だった。

鍛冶屋さんも入院であったが退院直前のであった。

奇遇といえば奇遇な出会いであった。

その後の私は週一ペースで通院している身。

不完全な状態ではあるが、元気な姿になったことを伝えたい。

そう思って稲刈りしていた稔りの田に向かって歩いていた。

そのうちに気づかれた野鍛冶屋さん。

奥さんや息子さんにちょっと家に戻ると告げて招かれる。



作業場の前にはいつもと同じように順番待ちの農具が並んでいる。

注文は農繁期にくる。

こんな道具は見たことがないだろうと紹介してくれた鉄製の棒。

先端は直角に付いている鉄棒がある。

曲げたものではなく溶接でくっつけたものだろう。

これは何に使う農具なのかといえばタケノコ掘りとくる。

特殊な注文だったそうだ。

テレビなどで紹介されるタケノコ掘りの道具とはちょっと構造が違うが、いずれもテコを利用して掘る道具には違いない。

その横に立ててあった農具がある。

なんとなく構造は違うが同じタケノコ掘りのように思えた道具に注文主の名前が書いてある。

まあ、なんと、である。



存じている奈良市窪之庄在住の男性である。

平成24年6月5日に田植え作業を撮らせてもらった男性だった。

出会いというものはほんまに奇遇である。

ちなみにタケノコ掘りの道具は唐鍬と呼ぶ地域もあるようだ。

最近はこういう手のものも注文を受ける場合もあると動き出した。

腰を屈めて何をするのかと思えば雑草取りである。



室生の地にある広大なやすらぎの花園がある。

そこから受けた大量の注文。

一本あるからと云ってくれた。

後日というか後月の後月。

雑草が我が家の庭にもはびこる時期がくる。

だいたいが4月半ば辺りから目につくようになる。

5月辺りともなれば目を覆いたくなる。

放置すればするほど雑草刈りは難儀するから早めに北側の庭の雑草刈りにこの日貰った道具を使う。

丸い刃の先から根の部分に入れて土ごと掘り返すように刈る。

特に根っこの部分を当てて刈れば効果的。

ざっくり上がってくる雑草は手で掴んでゴミ袋行き。

とにかく使い易い野鍛冶師の道具だったことをここで報告しておこう。



尤も汗を拭きながら説明をしてくれる野鍛冶屋さんは元気である。



フイゴの祭りはこの場ですると説明してくださる。

この日、ともに行動していた写真家のKさんは是非とも取材させて欲しいと願われた。

今冬になるが、楽しみが一つ増えた。

(H28. 9.17 EOS40D撮影)

吉田の石売り行事を聞く

2017年05月16日 08時16分40秒 | 山添村へ
小倉の行事を取材した次の行先は山添村の吉田。

同行していた写真家のKさんが取材したいと願われた地を案内する。

その地はとても狭い里道を行く。

車の幅いっぱいにしかない里道は慣れないと怖いものだ。

一度は体験しておかねばと思って案内する。

吉田に鎮座する氏神さんは岩尾神社。

祭りの特徴は子どもが境内に座って大人に石を売る石売り行事がある。

祭りに付随する行事であるが県内事例としても珍しい。

それを見たいと申し出たことから当地にやってきた。

神社に登る階段は急勾配。

心臓が弾けそうな階段の両側に美しい植物が埋まっている。

あまり見かけない植物は貴重なものであるかもしれない。

それはともかく村の人が見つからない。

しばらく待っていたら人影が見えた。

訪ねたお家は週末実家滞在のK夫妻だった。

旦那さんは畑仕事に出かけていた。

奥さんに聞けば人が少なくなったので祭りを続けていくのが難しくなったという。

話していたときだ。

軽トラに乗った村の人がやってきた。

お住まいはすぐそこだ。同じようなお話をされる石売り行事は平成24年の10月21日に取材したことがある。

辛うじて子どもさんが数人いた。

あれから4年後、話の状況からすれば諸事情によって若干の人数に変移があったようだ。

対象の子供は3歳児から小学生まで。

今年は4人になるらしい。

先が見えている石売り行事は子どもがおってこそできる行事。

難しくなったとOさんが話す。

吉田の石売り行事は平成24年の10月21日に取材させてもらった。

Oさんが云うには美しい石は村下を流れる石張川で拾っていたそうだ。

拾った綺麗な石はカゴに入れて運んだ。

そのカゴごと岩尾神社の本社殿下の一角に座って並んだ子どもたちが石売りをしていた。

やってきた参拝者がお金(祝儀袋に百円は五百円、そして千円にした)を入れるとカゴの中の石を座席後方に放り投げた。

その子どもたち。

2、3年前ぐらいからいなくなった。

他市町村に嫁いだ人らが村のマツリに帰ってきて賑やかだった。

昔の石売り行事は小学生までの男の子だけでしていたが、少子化の関係で女の子も入れて継承してきた。

うちの孫は中学二年生。

石売りできない年齢になったという。

吉田は27、8戸の集落。

現状は10戸ぐらいでしている行事の現状を聞かせてもらって、とり急ぎ、取材させていただく旨を伝えて吉田を離れた。

(H28. 9.17 記)

トライアル東九条店の焼きサバ押し寿司

2017年05月15日 10時06分13秒 | あれこれテイクアウト
帰宅途中に立ち寄ったトライアル東九条店。

家に足らない野菜を求めて入店する。

お店に入ればついつい不要なものまで買ってしまう。

私自身は不要と思っていないが、夕飯を用意しているかーさんはそれを不要だという。

どうせ買うなら買い置きができる商品。

賞味期限も消費期限もまだまだの商品であればお役に立てる、ということだ。

家族が食べるのではなく食い扶持が私自身であればなんであっても問われない。

問われないが、これっていつ食べるの、と云われることもある。

そう思ってぎりぎりの線上にある期限切れ間近の商品はこれだ。

半額サービスのシールに飛びついた商品は税抜き199円の焼きサバ押し寿司。

手軽にいただける押し寿司は今夜でもない、朝食でもない私の食事。

賞味期限はこの日の午前2時。

冷蔵庫に保管しておけば問題はない。

問題となるのは食事をする時間だ。

それは昼食。

自宅を出発して1時間後。

宇陀市大宇陀辺りを走行していた。

雨はざんざか降っていた。

車を停められる場所に停車していただく車中食。

包んであったラップを剥がす。

焦っているせいかもしれないがなかなか剥がれない。

蓋を開けてさあ食べようと思ったが・・。

箸がない。

容器についているものと思っていた。

車内を探してみるが箸はない。

仕方なく手でいただく。

食べにくかったが味は抜群に美味い。

正規の値段で売っていてもたぶんに買うだろうと思う焼きサバ押し寿司にオロシポン酢がついていた。

これはなくとも美味しいと思ったが、すべてにかけてしまった。

ポン酢が摘まんだ手にべっとり。

水分を含んだペーパーで汚れた手を拭いた。

(H28. 9.18 SB932SH撮影)