マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

ふにゃっと折れる小枝

2021年01月21日 09時50分37秒 | 自然観察会(番外編)
ほぼ満開になった我が家に咲くセッコク。

淡いピンク色に咲いたセッコクは万里江の名がある。

撮影しやすいように鉢を移動しかけたら何かがおかしい。

すぐ横に育っている樹木は南天。

正月飾りの鉢にあった南天は地植えした。

それから30云年も経った。

まだ老木にはなっていないと思うが、その幹から小枝が突き出す。



おかしなつき方だと思った小枝に糸を引く。

その先にあったセッコクをどけようとしてわかった。

こいつは生物。

まぎれのないエダシャクと思った瞬間にふにゃっと折れた。



曲がったというよりも折れたように見えたエダシャクが動いた。

腰を曲げるように動いた。

思っていた動きよりも素早い動作。



横から見たエダシャク。

動態がよくわかる。

その後のエダシャクはどうなったのか。

1時間後に見たエダシャクは一歩も動かずに同じ場所。

再び、小枝の姿になっていた。

ウキペデイアに“尺取り虫は土瓶落とし”と書かれている。

懐かしい説話であるが、ほんまに架けられる枝と見間違うのか。

土瓶は重たい。

ましてや、枯れ枝のつもりで引っかけたとあるウキペデイア

枯れ枝なら折れるのが当然だ。

そんな説話が出ること自体がおかしい。

何らかの教え、訓話であれば、と思うが・・今のところ説明できない。

(R1. 5. 4 EOS7D撮影)

元気う・DON木津駅前店の金の牛すじカレーうどん

2021年01月20日 09時46分54秒 | 食事が主な周辺をお散歩
またまた出かけた先は木津川市の市坂。

ここまで来たらほんの少しの足を延ばすだけで木津川駅前に着く。

そうとなれば、もう一度味わいたくなる金の牛すじカレーうどん。

正味、病みつきになった本格的カレー。

尤も私にとっては、であるが・・。

こんなに美味いもんだったとは・・味わって知る極上の味。

牛すじは油抜きをしている・・と思う。

ギトギトしない牛すじであるが旨味にインパクトがある。

食べる目的もあるが、本日5月3日は持ち帰り牛すじも狙い。

金の牛すじカレーうどんの注文は券売機購入であるが、持ち帰り牛すじには券売機メニューにはない。

どうすればいいのか。

席について、店員さんに食券を渡すときに口頭でお願いする「持ち帰り牛すじ、一杯お願いします」と一言伝える。

じゃ、金の牛すじカレーうどんを食べ終わるときにお持ちします、と・・。

じゅわっと美味しい金の牛すじカレーうどん。

この日もむちゃ美味い。

評判度はどれくらいなのかわからないが、これはもう絶品そのもの。

カレーが美味いからそうなるのか、牛すじがあるから美味いのか・・。

一度は試したいカレーうどんの味は、いつ食べるのか、である。

麺椀からすっかり消えたカレー。

薄める必要性のない極上の味は一滴も残したくないほどに美味い。

その状況を見ていた店員さん。

いまからお持ちしますといって運んでくれた。

そのときに支払う現金払いの450円。

刻みネギもいっぱい入れてくれるから重みもたっぷり。



これだけでも値打ちがある。

自宅に盛って帰ってすぐにしたくなったつまみ食い。

美味い!の一言である。

今夜のおかずとは別扱いで食べた。

翌日も食べた。

ちょびちょび味わいたい牛すじにちょちょいと振るゆず風味の七味。

パンチはそれほどでもないが旨味をさらに引き出してくれる。

日にちを心配するかーさんの声。

最後の一滴、ではないがたっぷり残しておいた牛すじ。

翌々日にすべてがなくなった。

(R 1. 5. 3 SB805SH撮影)
(R 1. 5. 5 SB805SH撮影)

大阪・泉北忠岡港に停泊する漁船の笹竿

2021年01月19日 09時49分56秒 | 民俗あれこれ
93歳になったおふくろの誕生祝いに大阪・堺で食事

花見はもう飽いたから港に行きたいというのでドライブがてらに大阪・泉佐野漁港の青空市場まで。

駐車場から海鮮売り場まで歩くのに3度も休憩。口は元気なんだが・・・。

臨海線のドライブ中に見つけたあれは何???。

往路で見たのは停泊中船舶のてっぺん。

走行中に見たそれはなぜか郷愁・・。

尤も海に親族はいない。

もちろんではないが海に友達もいない。

田んぼなら付近におられる農家の方たちを探してでも知りたい生業農家の営みであるが、海、それも漁港に人がおれば・・。

その漁港は泉北地域の忠岡港(地理的には岸和田より北方)。

臨海線からどう抜けて入り込むのかわかなないが、昔取った杵柄ではないが、30歳前後は度々の波止釣りに行っていた。

行先はだいたいが泉大津に岸和田。

波止で寝ころびながら釣り糸を垂らしていたらガシラが釣れた。

サビキ釣りなら鯖に鯵。

釣った魚は持ち帰り。

今でも覚えている一番の大物。

決して大きな魚でなく中型以下。

引きがまったく違ったその魚はアコウ。

つまりはハタの仲間。

むちゃ美味しかった。

波止に入るには防潮堤がある。

大きな鉄の扉は未だ見たことはないが、高さは相当である。



信号から少し廻ったところから入ったそこに停泊していた。

写真を撮ってから釣り人に聞いたが、正体はわからないという。

漁師さんがおられたらいいのだが、家人を車に乗せたまま放置するわけにもいかずに聞き取りは断念した停泊中の漁船に括りつけた、



枯れた笹葉を残した竹竿である。

いずれも船首に立てていた数隻漁船にあった海の民俗は、まったく知らない。

1年後の令和2年3月3日放映の「南海本線の特急停まらない駅もスゴイぞSP」。

録画していたテレビ番組は関西テレビの「ちゃちゃ入れマンデー」。

放映していた漁港の映像に、ここにもあるんだと驚いたものだ。

漁港に佇む漁師船舶の姿が、忠岡漁港で見た笹竿舟とまったく同じ。

漁港は忠岡から南。

隣町の岸和田漁港の映像であった。

撮影日がわからないから何とも言えないが、是非とも伺ってみたい4艘の“笹竿“立ての民俗である。

その後に調べたネット検索に見つかった「岸和田風物百選」の大漁旗とわかった。

元旦の岸和田旧港に見られる大漁旗

今なお受け継がれている乗り初めの習俗である。

海の地方のどこでも見られる大漁旗に岸和田では「武者人形」や「八幡大菩薩」の染め幟旗もあるようだ。

かつての大漁旗は、大漁の印であり、満載の魚を他船に転載してもらうための合図だった、と書いている。

こんにちは、新造船の船おろしに正月の乗り初めくらい。

笹竹は青々した状態で伐採。

予め準備した笹竹を船首に立て、大漁旗や幟旗を立てる。

年の瀬も迫った寒い日、2尾の生鯛を、鰓から藁を通して懸(かけ)の魚(いお)をつくる

その記述に思い出す旧室生の下笠間でカケダイを作って販売していたM商店。

ご主人が作って販売していたカケダイであるが、身体の都合によって、翌年には店をたたまれた。

話題は岸和田漁民の懸魚(かけいお/かけだいとも)に戻そう。

この懸魚は、一年中の期間に家の神棚に供え、航海と大漁の守り神に、また注連縄にすわり鯛も準備する、と書いてあった。

乗り初めの儀式もある。

雑煮をいただく前、父と子どもは雑煮、米、すわり鯛を御膳箱に詰めて停泊舟に運ぶ。

御膳は、中央の帆柱に坐います船霊(ふなたま)さんに供え、舷(※とりかじ/取舵)にお神酒をあげる。

それから父と子どもは、船霊前に座り、手を合わせて新年の航海安全と大漁を祈願する。

まさに海の民の民俗である。

時間帯はわからないが、一度は拝見したい海の民の民俗。

大漁旗も重要であるが、カケダイもまた興味を惹かれる民俗事例。

大阪湾に沿って点在する漁港がある。

堺漁港から泉州春木漁港、忠岡漁港、泉大津漁港、岸和田漁港、泉佐野漁港・・・。

いずれも大阪に住んでいたときに出かけた馴染みある漁港。



いつか機会を設けて民俗の旅行き。

正月の大漁旗を見るなら正月3日の午前中までとインスタグラムにあった記事を参考に出かけてみよう。

地域は堺から離れるが、伊豆大島ではまた異なる乗り初め大漁旗の民俗がある。

(R1. 5. 2 SB805SH撮影)

大阪・泉佐野漁港青空市場

2021年01月18日 10時17分20秒 | もっと遠くへ(大阪編)
日本料理なにわの和食の食事を味わった次はどこへ行く。

そう尋ねたおふくろの思いは・・。

誕生日が4月27日。

GWの連休中に誘って出かけた処はお花見。

花の時季は躑躅。

浅香山上水道に植樹されている躑躅が見事だった。

それほど遠くない地に大仙公園もある。

ここも見事だった。

同時季に咲く藤の花に感動した処はホテル・アゴーラリージェンシー大阪堺25階から眼下に見える大浜公園。

おふくろがまだ元気に歩いていた平成25年4月28日に立ち寄った大浜公園にある藤の花の香りがとても素敵だった。

そこへ行くには駐車場からやや距離がある。

健常者にとっては何の苦も感じない距離。

砂利道であっても苦になることはない。

今のおふくろは介護の身。

住まいでひょこひょこ歩くか週一に通う介護サービス施設の出かけるときしかない。

しかもほんのちょびっとの距離だけしか歩けない。

以前は堺・大浜港にある日本最古の木造建築の旧堺燈台まで行けたが・・。

その記憶が蘇ったのか、港に行きたいと言い出した。

海の香り、潮の香りに触れたくなったのか、目的地はどこかの港。

そうであればあそこが良いと思いついた大阪湾の南方。

距離は遠いようで近くにある泉佐野漁港。

たしか十数年前のニュース報道に青空市場を紹介していた。

水揚げした魚介類を一般の人にも売るようになった港の市場。

港の岸壁の市場は手作り。

毎日の開業でなく一時的な売り場はテント張り。

人気が徐々に広がって大勢の人たちがやってくるようになってからもテント造りの青空市場にやってくる。

すぐ近くにある大型施設。

最大の施設は関西国際空港。

昨年の9月4日、台風21号の影響で漂流した大型タンカーによって衝突した連絡橋がぶっ壊れた。

それから半年後の2月。

企業ならびに多くの人たちによる復旧工事によって空港は完全復旧

長期間かかると心配された空港機能も復活、再開。

この10連休前の4月8日は元通りの上下3車線の6車線通行が可能になったとニュースが伝えていた。

その関西国際空港連絡橋手前2.5kmのところにある青空市場。

手前数百mの場に青空駐車場があった。

もっと近づきたいが、そこで降りるしかない。

港に市場はどこにあるのか。

先を歩いて家人を誘導するが、足はとても遅い。

そのうち疲れがでたのか、途中で休憩。

何度も繰り替えしてやっとたどり着いた。

その間に出会う買い物客。

手にいっぱい抱えたビニール袋の中にあるのは捕れたての海鮮魚介類。

みな嬉しそうな顔をして駐車場に戻っていく。

到着した時間は午後2時40分。

堺・大浜からは懐かしくもある臨海線走行。

住之江に住んでいたときは波止釣りにしょっちゅう利用していた自動車道。

堺・大浜から泉佐野漁港までの走行時間はおよそ1時間。

気持ちのいいドライブ日和だった。



漁港に活気がある。

漁から戻った漁船の後始末。

仕掛けた網などはきれいに戻す。



捕った魚はリヤカーに載せて駆け抜けていく。

戻ってくるリヤカーも往来する昼間の漁。



リヤカーの行先は競りである。



ゆっくり見物したいものだが、家人はどこに・・。

そういえばリヤカーを目の前で見るのは何年ぶりになるのだろうか。

大八車は十数年前に隣町でもんぺ姿の高齢女性が引いていた状態を目撃して以来、目にすることがなくなった。

物を運ぶ運搬車の歴史文化も過去形になりつつある現在。

昔は〇〇運びに使っていたという人と出会ったら、是非、体験談を伺ってみたいものだ。

来た道を戻っても見つからない。

売り場の棟に入ってみても見当たらない。



とにかく買い物客でごったがえしている売り場が青空市場。

今では青空の見えない建物内が売り場。

平成8年に建てた青空市場の正式名称は泉佐野漁港青空市場魚介市場だった。

HPには当日の漁の有無を伝えているから、それに合わせていると思われる店舗営業日を確認されてから出かけられますように・・・。

HPには店舗一覧もある。

さまざまな業界類を売る店舗は28店舗。

食事処は1階に1店舗。

2階に2店舗ある。

別のHPによれば競りも体験できるらしい。

そのHPに書いてある狙いどころの時間帯は午後2時~3時。



何も知らずにやってきたがピタリの時間帯だった。

おふくろは1階にあったベンチから動けなくなっていた。

なにか欲しいものはと聞けば鮪に貝。

それならさっき見たあの店の棚にあった生鮪と活はまぐり。



それぞれ1300円に1000円。

美味しそうな鮪と蛤を見つけたと伝えたら、それそれと買い物指令が飛ぶ。

お店の店員さんにこれ買うわ、と言ったら活はまぐりは700円。

生鮪は1000円。



どちらも300円引き。

財布に優しい青空市場

活気もえーし・・。

市場に滞在していた時間はおよそ20分。

買い物済ませてすぐ戻るのだが、おふくろはそこで待ってもらって車を駐車場から運ぶ。

いや、走行して少しでもラクさせてあげた。

今夜の晩飯に登場した生鮪。

おふくろと半分ずつわけてくれた生鮪が美味しい。

そういえば漁港岸壁付近を泳いでいた大きな魚。

長さは1m以上の魚は頭姿でわかったボラ。

何匹もうじゃうじゃ泳いでいた。

(R1. 5. 2 SB805SH撮影)

再訪、ホテル・アゴーラリージェンシー大阪堺・日本料理なにわの和食味わい

2021年01月17日 09時49分34秒 | 食事が主な周辺をお散歩
4月27日に満93歳の誕生日を迎えたおふくろ。

介護の身であるが、週1回はお外に出られる要支援の身。

介護施設の送迎者に乗って出かける週一回の楽しみ。

リハビリ療法士の指導の下、廊下などを歩く。

住まいする室内に動きを補助する介助用具の助けを借りて自力歩行もできる。

とはいっても距離はごくごく僅か。

循環器内科、歯医者、眼科、耳鼻咽喉科などの診療医療にしかお外に出る機会はない。

昨年の4月はおふくろが住まいする近辺で桜見物と相成ったがそれからとはいうものは皆無に近しい。

診療以外ででかけることは極めて少ない。

昨年の花見桜は近くの堤防に咲いている場であっても喜んでくれる。

さて、今年はどこに行こうか。

車に乗っているだけなら今のところはなんともない。

たかだか1時間ちょっとくらいならなんともない。

むしろ車窓から眺める季節の様相に、ここへ行ったとか、あそこは美味しかったとか・・昔のことでもよく覚えている。

その記憶は確かな記憶にいつも感心している。

この日の目的地は大阪・堺にあるホテル・アゴーラリージェンシー大阪堺。

この4月1日に「ホテル・アゴーラリージェンシー堺」から名称変更、境に大阪を付与し「ホテル・アゴーラリージェンシー大阪堺」になっていた。

その25階にある日本料理なにわの和食をもう一度、である。

行先を伝えたら嬉しいと喜ぶおふくろ。

料理も味もしっかり覚えていた。

ここ日本料理なにわは予約が確実。

前もって電話を入れたが、平成28年の4月30日によばれたメニューが消えていた。

あの美味しかった2700円の瓢(ひさご)弁当はもう味わえない。

かーさんが味わった同額2700円の寿司囃子もない。

では、現在のメニューはどのようなものが・・。

ランチメニューは月替わり。

3000円の御造里御膳に3200円のなにわ弁当がある。

お手頃な価格帯にその2品を予約したが、数量は・・。

とりあえず注文した数量はなにわ弁当が2食。

御造里御膳は1食。

テーブルに運ばれた際に3人が選ぶということにしていたが、困ったことに長いものが苦手のおふくろがどうしても食べられない食材があった。

うなぎはなかったがアナゴにハモである。

それ以外にも受け付けない食べ物がある。

見た目がいやだという光物の魚。

食べてみたらわかるのだが、それはヒラマサかカンパチ。

そんな魚は聞いたことがないから食べたこともない。

口にでけへんといって避けてしもうた。

と、いうのもなにわ弁当である。

のっけから出てきた小鮎料理。

見た目が気持ち悪いからといって御造里御膳を選んだおふくろ。

回転寿司なら好きなものを選べるが、料亭会席の料理では回避するしかない。

というわけで御造里御膳のお品書きは、小鉢2種盛りの先付け、七種の魚介類のお造り盛り合わせ、蒸し物は茶碗蒸し、留椀は赤出汁仕立ての汁椀、食事はご飯に香物。



甘味は柚子シャーベットである。



前述したように、このお品書きに潜んでいた・・・ハモとアナゴ。

ハモは姿でわかった瞬間に小鉢ごと、私に廻ってきたハモ煮びたしであるが、底まで食べていってはじめてわかったアナゴ。

茶碗蒸しにつきもののアナゴに、わぁー、である。



私とかーさんはなにわ弁当。

ネーミングが弁当になっているが、なにわ会席に名を替えたほうがよかろうと思えるくらいのなかなかの料理。

良品のお食事はここなにわにしてよかったと思える品ぞろえ。

以前と違っていたが、それはそれで良し。

はじめの盛りは前菜の五種盛り合わせ。



上品な玉子焼きに鴨ロース。

茗荷を添えた柚子味噌付けの小鮎に季節らしく粽餅も。

五種盛り以外に、もずくと玉子豆腐は小鉢。

このもずくもおふくろは苦手だ。

鶏なら食べるが鴨は口にしないおふくろである。

次の配膳はこれ一つ。

以前に食べた瓢(ひさご)弁当にも出ていた三段の椀盛り。



上から順に下して並べてみる造里、焼き物、煮物である。

造里は鮪と鯛の二種盛り。



お造りの添え物、いわゆる刺身のツマは短冊薄切りのダイコンに海藻のとさか。

鶏の鶏冠に似ているからその名が付いたとか。

焼き物は穴子の蒲焼き。

これが実に美味い。

穴子の味を越えた穴子の焼き具合にほろっとする。

添え物のあしらいは何だろう。

口にしてもわからない食感。

初めて味わうこれは葉唐辛子。

仲居さんに教えてもらって、へっ、である。

ピリッと辛い葉唐辛子は佃煮。

実に美味しい佃煮に拍手を捧げたくもなる素晴らしい一品。

お品書きにあった料理長は太田重明氏。

直接会うわけにはいかないが、この場を借りてありがとうございますとお礼を伝えたい。

煮物は野菜四種の盛り合わせ。

味がたっぷり沁み込んでいる人参に蕗、里芋、南瓜は餡仕立ての甘煮。

次の料理は揚げ物。

ぷりぷり食感がたまらない海老にオクラ、さつまいもの野菜二種盛り天婦羅は大根おろしを落とした天つゆでよばれる。



食べようとしたときに運ばれた食事に汁椀。

天婦羅とともに並べたご飯は高菜と雑魚を混ぜたご飯。



塩気が少しあるのか高菜にあるのかわからないが美味しくいただけた。

香物は一般的。

赤出汁仕立てはなめこに和布の入った赤だし。

なめこ感にとろとろ和布が口に合う。

最後に登場した甘味。



仲居さんが運んできたそれは五種の甘未。

おふくろが食べていた御造里御膳の甘味は柚子シャーベット。

口にしようとしたときに仲居さんが伝えた言葉。

この中から三種を選んでいただけますと・・。



それを聞いたおふくろ、どれにしようかと迷いはじめた。

いやいや、御造里御膳はそれだけだよと伝えたらがっくり。

かーさんが選んだ三種は、柏餅に抹茶プリンとわらび餅。



私が選んだ三種は、わらび餅に葡萄と黒蜜くず。

くずは黒蜜以外に抹茶蜜とかがあるが、間違いのなく美味しくいただける黒蜜しかない。

この中から一つ、半分なら食べていいよと小鉢を渡したわらび餅。

きな粉を落としたわらび餅には半分も戻ってこなかった。

なぜに、半分ずつ二人が食べてしまったのだ。

おーなんてこったい。

一口も味わえなかったわらび餅に未練が残る。

残った2品の味わいを持っていかれんようにして食べた。

つるつる食感が嬉しい黒蜜くずが美味い。

甘味はそれほど好きな方ではないが、これは美味い。

さっぱり味わえる食感が喉を通っていった。

葡萄の種類が思い出せない。

(R1. 5. 2 SB805SH撮影)

眺望が素晴らしいホテル・アゴーラリージェンシー大阪堺

2021年01月16日 09時49分20秒 | もっと遠くへ(大阪編)
3年ぶりに訪れるホテル・アゴーラリージェンシー大阪堺。会食のフロアーは25階。

眺望が良いと知ったのは初めて来た前年の平成27年4月25日

続いて翌年の平成28年4月30日も訪れたそのときも拝見した堀川を泳ぐコイノボリ。



掘川そのものを泳ぐわけでなく、水面のもっと上に、である。

丁度真下に泳いでいるからその様子はよく見える。

ここから見てごらんと誘ったおふくろとかーさんも喜んでいたが、コイノボリは縦一列状態。

そよふく風でもあれば気持ちよさそうに泳ぐ姿を見られるのだが、本日は期待できない。

その堀川の左側にあるのは南海本線の堺駅。

大阪・難波を出発した関西国際空港行きの特急ラピートβ号の停車駅。

乗降済ませて再出発しているところを見ていた。



往年の男性たちは同年代。

小学館が発刊する月刊漫画誌の『少年』を覚えているだろう。

鉄腕アトムとともに誌面で活躍していた懐かしい漫画鉄人28号を思い起こすフォルムを見てワクワクするだろうな。

真下に駅舎。

電車が動かなきゃ屋根しか見えない駅舎。



そのずっと向こうに見えるのが堺・百舌鳥にある世界規模を誇る伝仁徳天皇陵。

こんもり見える緑色の小山がそうである。

右の方角はもっと遠くになる羽曳野/藤井寺にある市古市古墳群は霞んで見えない。

翌月の5月14日未明に記者会見した文化庁の説明によれば、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関(イコモス)が登録することが応しい、と勧告を受けた、と発表。

世界遺産登録を目指していた伝仁徳天皇陵古墳を含む、4世紀後半から5世紀後半にかけて築造された大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」の49基の古墳すべてが対象。

令和元年、6月に始まるユネスコの世界遺産登録委員会で正式に登録される見通しとなった。

明るいニュースに湧き上がる関係者に地元民たちをニュースで紹介していた。

25階の高さからでは全容は見えない。

高度を保つヘリコプターやセスナ機による遊覧コースが早くも動き出しそうだが、気になるのはドローンの動きである。

25階からの眺望は大阪湾側も良さげ、である。

眼下はヨットハーバーにもなっている大浜漁港。

左手に見えるのが大浜公園。

私にとっては懐かしい遊び場。

おふくろが元気だったころは公園まで歩いて行ったこともある。

そのときに思い出した子供時代に近所の子たちと遊んだこと。

車いすで来られた家族連れ。



「父さん、今日は残念やけど霞んで淡路島も六甲の山々もめーへんわ」と話していた。

眼下を見渡せば数人の釣り人も。



釣り糸を垂らしたすぐ傍で見たジャンプ。

大型の魚が水面を飛んだのが見えた。

たぶんに大型のボラであろう。

それから2週間後の5月16日に配達された産経新聞の夕刊記事に「・・地元や観光業界 世界遺産特需狙え」をタイトルに紹介されたホテル・アゴーラリージェンシー大阪堺。

「宿泊業界も期待を寄せるテル・アゴーラリージェンシー大阪堺は、古墳が望める最上階の25階の和食店での特別な食事プランを検討中」とあった。

続いて「古墳が見える上層部の客室を“古墳ビュー”として売り出す宿泊プランなど、さまざまなアイデアを練っている」と伝えていた。

(R1. 5. 2 SB805SH撮影)

西木辻・八軒町の地蔵まつり

2021年01月15日 09時35分29秒 | 奈良市へ
八軒町に地蔵盆があると知った。

平成29年の5月30日、訪れた奈良市教育委員会史料保存館。

前期企画の展示は「奈良まちの信仰・講の行事とその史料」展だった。

興味深く拝見した「富士講・山上講」が所有していた祭壇道具に見惚れていた。

その日、たまたま訪れていた西木辻に住まいするならまち住民と話す機会があった。

5月5日に行われる西木辻中町・聖天堂の件もあるが、7月23日にしているという八軒町の地蔵盆。

地蔵堂の前で行われる珠数繰りも、と云っていたが・・。

興味をもった奈良市西木辻町。

八軒町の地蔵盆があるという場だけでも確認しておこう、と思って車を走らせた。

カーナビゲーションにセッテイングした西木辻町。

地蔵堂がある地はどこになるのだろうか。

ふと、見上げた陸橋に「奈良市八軒町(はちけんまち)」の文字があった。

これ幸いに前列の車は横入りする車のために停車した。

そのあおりを受けて愛車も停車。

一瞬に撮った陸橋の表記に誘われるように左折した。

北に向かって車を走らせたどんつきの三差路。

手前に人だかりを発見。

そこが八軒町の地蔵堂だった。

到着した時間は午後4時45分。

地区代表のS自治会長に自己紹介並びに取材主旨を伝えてお話を伺う。



「八軒町」の読みは「はちけんまち」。

ここら辺りは、水路があった。

東西道路の道幅は狭く、拡幅工事の際に地蔵堂を、現在地に移した。

三差路の通りも水路だったが、暗渠構造に転換。

実は、その角地にあった、という。

地蔵堂の移転とともに指標の石塔も移したので、指標に若干のずれは見られるが、概ね方角的には左が「かうやみち(※高野道」」こ、右は「古おり山道(※郡山道)」に変わりない。

八軒町の地蔵盆は、今も変わらぬ毎年の7月23日、24日。

本日は、午前10時から、お寺さんに来てもらって法要をしていた、という。

23日の夕刻から24日は地区の地蔵盆まつり。

24日は公民館内で行う、というから数珠繰りはしてないようだ。

気になったのは、法要に打っていたと思われる伏鉦(※ふせがね)である。



自治会長らに承諾してもらって拝見した伏鉦の裏面。

「天下一常陸大掾宗味(※てんかいちひたちだいじょうむねあじ)作」記銘がある。

横から見れば、紐を通す耳がある。

紐を通した伏鉦。肩架け、或いは紐をもち、吊るした状態で鉦を打つ六斎鉦のような気がする。

さて、伏鉦の脚である。

三本脚に特徴があった。

よくよく見た鉦の脚に、あれぇ?である。

“宗味“文字間に脚があるではないか。

この構造、どうみても後から付け足したように思える。

作者が記した記名刻印。

打ち終わってから、ふと気づかれた。

台座に載せた伏鉦は、撞木をもって鉦の音を出す。

脚がなければ、底部分に空間がなくなり、音に広がりがなくなり無音近い、というか濁った音になる。

空間があってこそ成り立つ伏鉦の音色はキン、キン、キン・・・。

慌てて脚を後付けしたのではないだろうか。



ちなみに、「天下一常陸大掾宗味作」記銘の伏鉦は、他所でも拝見したことがある。

平成25年4月1日に行われた「ちゃんちゃん祭」である。

天理市・大和神社で行われる春の大祭。

拝見した場所は、御旅所

翌年の平成26年は、渡御の途中、小字馬場で長岳寺山主を迎えた地である。

渡御の先駆けを勤めていた年預が持つ脚のない平鉦にあった同記銘の「天下一常陸大掾宗味作」。

「常陸」の国の「大掾宗味」と名乗る同一作者に違いない。

ちなみに、「天下一」の称号は、織田信長が手工芸者の生産高揚を促進する目的に公的政策として与えたものであり、手鏡などに「天下一」の刻印があることはよく知られている。

やがて江戸時代ともなれば新しく生みだされた鋳造法によって大量生産されるようになり、鏡師のほとんどが、我も我もと刻印した天下一。

乱用を防ぐために、五代目将軍の徳川綱吉が、天和二年(1682)に「天下一」称号の使用禁止令を出した。

と、いうことは、「天下一常陸大掾宗味作」の制作年代は、天和二年以前。

単純計算したら、337年以上も前になる八軒町の「天下一常陸大掾宗味作」伏鉦に違いないです、と自治会役員にお伝えしたら、たいへん驚かれた。

取材中に訪れて参拝する地域の人たち。



お参りの時間は特に決まっていない。

通りすがりに手を合わせる人もいる。

この日に行われる地域の地蔵盆は、とても多い。

ここ、八軒町周辺にも多くあるといわれたが、次に向かう取材地が決まっている。

仕方なく場を離れるが、役員さんたちには、来年もお伺いしますので、よろしくお願いします、と告げて場を離れた。

ちなみに“南都興福寺”のころの木辻村は、浄言寺町、中町、瓦町、五軒町、八軒町、十三軒町に綿町だった。

おそらく、各地区それぞれに地蔵さんを安置し、手を合わせて供えていたのであろう。

(H30. 7.23 SB932SH撮影)
(H30. 7.23 EOS7D撮影)

ふり返る平成31年4月の介護まとめ

2021年01月14日 09時57分47秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くこと度々。

記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

5日は、やまね耳鼻科の診察日。

午前10時10分、奈良からやってきて、先に済ませておく当日診療の受付。

それからおふくろを迎えに大和川団地に行く。

4階からの階段を下りてくるまではしばらくの時間を要する。

その間に見ていた団地桜に群がるニュウナイスズメの花散らし

急いで戻ったやまね耳鼻科。

午前10時50分に着いて医院に。

医院までの歩行に介助支援をするかーさん。

その間にしておく車のセイワパーキング駐車場入り。



待合室に待つ診察呼び出し。

正午時間を過ぎた午後12時5分。

その時点の予約者数は3人。

当日受付者数は13人。

長時間はかかるな、と思っていた待ち時間。

意外と早くにあった呼び出しは午後12時20分。

医師の診察は、映像で伝えてくれる。

腫れはおさまりつつある状態に、赤みは薄らぎ、縮小している様子がよくわかる。

だが、予断は許さない。

大丈夫だ、とも断言できない、という。

液体点耳薬処置をすれば雑菌が混入する恐れがあるから前回同様の内服抗生剤投与と3日分の処方箋を適用された。

次回の診察は、来週の4月10日の午前11時半に予約した。

なお、セイワパーキング駐車場利用に際しては、駐車場40分の負担軽減に、やまね耳鼻科より200円分をカバーするコインをもらって対応する。

この日は、杵屋麦丸での昼食、そして大阪・中央区にある林歯科医院の診察もあった。

歯科診療は、すべての治療を終え、次回来診は半年後。

しばらくは大阪入りから遠ざかる。

(H31. 4. 5 SB805SH撮影)

8日に電話が鳴った。

発信者は、やまね耳鼻科の事務員からだ。

予約の手違いがあったのか、それとも・・・。

予想もしなかった医師の不調。

盲腸発症により緊急入院された医師。

退院日は決まっていないが、今月の16日以降になりそうだ、という連絡であった。

10日にかかった電話はおふくろからだ。

入浴ヘルパーさんが、予定している午後3時を過ぎても、まだ来ない、という。

所属する事務所に電話したらいい、と伝えた。

そうしたら大慌ての事務所責任者のKさんが飛んできた。

時間帯は午後3時45分だった。

Kさんの話によれば、担当するヘルパーさんは、その日にお休みをいただく旨、おふくろに伝えていた、と・・。

その件は、両者間によって確認ができていたと認識していたが、実際は事務上の手続きに誤りがあった、とわかり大慌てでやってきたそうだ。

到着し、おふくろの事情を伝えたが、入浴する気は消えていた。

今となっては、その気もない入浴は、通所リハビリのアロンテイアクラブ利用が土曜にセッテイングしているから、もうえーわ、と・・。

入浴は、一週間も空白になってしまう。

電話に代わってもらって、おふくろに伝える言葉。

今日は寒くて、明日は温かくなるから、汗もかく。

せっかく来てくれてはんのやから、お風呂はもらっとき、と説得したら、ほならそうするわって・・。

一件落着の巻きであった。

19日も大阪行き。

院長が入院のやまね耳鼻科。

退院したのかどうかも連絡のない医院。

どうなっているのか、医院に出かけて直接伺ってみるしか手はない。

そう判断して出かけた。

先に済ませておきたい昼めし処はふくちぁんラーメンの長原店

美味しくいただいた。

そして訪れたやまね耳鼻科の玄関に張り紙。



退院はしたもののリハビリ中だった。

臨時休診は4月20日まで。

それからでないと電話予約はできない。

どうか十分に体調を整えられて復帰してください。

来たついでにおふくろが住む部屋に。

雑談交わして帰路についた。

(H31. 4.19 SB805SH撮影)

23日は大阪行き。

院長の入院、手術、リハビリに20日までは臨時休診していたやまね耳鼻科に出かける。

実際は、22日の月曜日に再開したらしく、やっと電話が繋がって予約も取れた。

午前10時10分の受付。

長時間待ったこの日の呼び出し時間は午前11時40分。

中耳炎、真珠腫か、なんとかで放っておけば骨を溶かして痛むことになるが、そこまでいっていない、という判断である。

症状からわかったことは、ずいぶん昔からの症状のようである、と。

腫れは、ほぼ引いて鼓膜は奇麗になったが、かさぶたはまだ残っている。

取り除く処置をしたが、まだある。組織検査までともいかないが、診察は継続し、1週間、2週間間隔で来診してください、ということだ。

正午時間の12時ジャストに診察を終えて会計支払い。

心配していた真珠腫でもない、とわかってほっとする。

(H31. 4.23 SB805SH撮影)

木津川市・市坂の幣羅坂神社を訪ねて御田祭を知る

2021年01月13日 09時39分20秒 | もっと遠くへ(京都編)
広場に車を停めたすぐ近くに建つ幣羅坂(へらさか)神社を訪れた。



境内社の春日神社や数体の牛像がある八阪神社なども拝見し、広場に戻り、近くにある八坂市坂公園を散歩する。



そのときに出逢った昭和24年生まれのKさん。

神社行事に知ることがあれば、と思って声をかけた。幣羅坂(へらさか)神社の氏子であるKさん。

心臓手術後のリハビリに毎日を歩いている、という。

私も同病。共通する体験者の話題は心臓リハビリ。

ご互いの目標感も一致するが・・。

運動するのが難しい身体も同じだが、動きの状態は人それぞれ。

Kさんの場合は、塩梅治っていない身体だけに、これまでしていた竹掘りは独力では無理。

力が出ないから3人に掘り起こし助っ人を頼んでいる。

Kさん本人は筍運びならなんとか動けるそうだ。

実は、心臓リハビリは16年間も続けている。

従事していた仕事。

なんとか58歳まで務めあげたが、身体は昔ほど動けなくなった、という。

そんな身体状況に、農事はできなくなった。

2日前に拝見した護符は、同神社で行われている御田祭にある、と思うが、行事からも離れてしまったから詳しくはわからない。

ご近所で、行事のことを存じている人がわかったら、教えていただけるよう電話番号を教えてもらった。

Kさんと別れて、この日も訪れた市坂の苗代田。

前年の平成30年4月30日に見つけていた、もう一つの苗代田の状況を確認しに現場に向かった午後5時。

昨年と同じ苗代田にあったイロバナはコデマリか。

撮って帰ろうとしたそのとき。

軽トラを運転する男性とすれ違う。

もしか、と思って声をかけたら田主さんだった。

本日にしたばかりの苗代つくり。



護符も立てて引き上げるときに遭遇した男性に尋ねた護符の件。

それはお伊勢さんのお札だ、と思うが、確認してみると携帯電話をかけ始めた。

どなたに確認をとられたのか存知しないが、なんでも3月に幣羅坂神社の春の大祭がある、という。

行事は、松苗に護符を奉る御田祭。

神事参席された人が村中に配ってくれるそうだ。

イロバナ、護符が行事をする幣羅坂神社に線が繋がった。

詳しく知りたい行事の日。

後日に出逢った田主さんのおかげで状況がほぼわかった。

(H31. 4.30 SB805SH撮影)
(H31. 4.30 EOS7D撮影)

10時間もかけて無事到着した新婚さんいらっしゃい

2021年01月12日 07時05分46秒 | だんらん
区役所に婚姻届けを提出したのは3月31日。

平成31年の3月31日が語呂合わせよりも覚えやすい数字列が気に入ったからと決めた入籍日。

その翌日の4月1日。

待ちに待ったに発表された新元号の「令和」。

大都会のいくつかで発行された号外に飛びつく民衆の姿を映し出していた。

「令和」元年の始まりは5月1日。

その日になった瞬間、午前零時に窓口を解放した所轄の区役所に入籍する多くのカップル。

満面の笑顔でテレビに応えていた。

晴れて新婚さんになった息子夫婦が10時間もかけて東京からやってきた。

今年は祝いの10連休になったGW。

予想される高速道路の渋滞予報。

朝早くでると予想して出発時間を遅らせて走行する高速道。

渋滞は予想通りの必然的発生に巻き込まれて一部区間はノロノロ走行。

途中で休憩したSAで一息つけて再出発してやってきた。

到着時間は夜8時を過ぎていた。

新婚さんいらっしゃいにもてなす料理はしゃぶしゃぶ肉。

肉屋さんお奨めの胡麻たれポン酢でいただく。

買い求めた肉屋さんは大晦日の買い出しにいつも寄せてもらう奈良県中央卸売市場施設棟にあるジュルネフーズ㈱

すき焼き肉をときおり買いに行くお店。

今夜に食する100g400円のしゃぶしゃぶ肉の量は1kg。

滅多に買うことのない量に圧倒される。



しゃぶしゃぶ鍋ははじめにお肉だけをいただくのでは・・と思うのだが、なぜか野菜が熱々鍋にどっさり放り込んでいる。

野菜も摂ってバランス良い食事が狙いだったようだ。



もう一品はお造り。

これもまた奈良県中央卸売市場で入手しようと思っていたが、この日は朝から取材。

京都・木津川市山城町の綺田で行われる苗代作りの取材に午前中いっぱいにかかりきりになる。

早朝が狙いの卸売市場。

鮪の造りを購入したくても時間が合わないから取材帰りに立ち寄った街のみなと大起水産で一舟が1280円のトロ鮪三種盛りの鮪セットに同額の5種盛りも買っていた。



客人に食べてもらったお造り。

トロトロで美味しいという。

スーパーで買うよりも港直送で運ばれる魚介類は新鮮そのもの。

目出度い場合にまた買って食べたくなる新鮮ネタだった。

しゃぶしゃぶも美味すぎて皆食べるのが早い。

1kgのしゃぶしゃぶ肉があっという間に売り切れた。

新婚の二人が東京土産にもってきてくれた美味しい佃煮。



器に入れ替えたら、いい感じや。

味は極上。

ご飯が進むのはもちろんだが、酒の肴にも合ううまいもんは、東京都新宿区に本社を置く佃煮製造販売会社の㈱錦松梅が製造販売している。

創業は昭和初期、四谷左門町に誕生。

創業者の旭翁が、食道楽で作ったふりかけは絶品味。

また、お土産にもってきてほしい味の芸術品と称されている「佃煮ふりかけ」。

楽天市場でも購入できるようだ。

(H31. 4.28 SB805SH撮影)
(H31. 4.29 SB805SH撮影)